勇者一行の再訪で賑わっていた各宿泊施設も軒並み落ち着きを取り戻し、
同時に誤解も解け、静けさを取り戻していた【アルテタ】が再び騒然としたのは、
勇者一行が去ってから二日後の事だった。
その日――――【アルテタ】は記録的大雨に見舞われた。
街の近くを流れる川の氾濫もあり、貧民街に住む人間が流されてしまったらしく、
多数の死者が出ていた。
しかし、この件に関しては、幾つかの不審な点があった。
一つは、被害者が偏っている点。
通常、こう言った水害が発生すると、その被害の多くは貧民街に集中する。
家自体がかなり痛んでおり、倒壊するケースが多く、また多くの人間が路上生活をしている為だ。
実際、貧民街の人間の中には死者も出ていた。
だが、それ以上に――――この水害で死者となった者の多くが、宿屋を経営していると言う
奇妙な共通点を有していた。
尤も、この件に関しては、自分の宿を守る為に、水が氾濫する中で改修をしていた――――
と言う憶測が成り立つ事から、余り大きな話題となる事はなかった。
次に、その宿泊施設経営者の被害者全員の遺体が、どこにも保管されていない点。
通常、遺体は街の修道院などに保管されるのだが、今回の件で死亡したとされる宿屋経営者の
遺体は、全て所在不明となっていた。
明らかに不自然。
だが、不思議な事に――――この件に関しても、騒ぎ立てる者はいなかった。
そして――――
「亡くなった宿屋経営者全員が、勇者の宿泊を拒絶した人達……ですか」
まだ雨雲の残る上空を窓越しに眺めつつ。
生物学の権威は嘆息交じり呟いていた。
「中立の立場なので、余り口を挟むつもりはありませんけど。少々露骨過ぎませんか?」
「そうかしら? でも、それくらいじゃないと、中々理解してもらえないのよん。
世の中、頭を使って生活してる人間なんて、実際はそう多くないし♪」
自身の屋敷の一室。
真紅に染められたその部屋で、経済学の権威は肩を竦ませつつ、美しく彩られた
真っ赤な爪で下唇を軽く弾いた。
その挙動一つとっても、際立っている。
あらゆるものが。
「重要なのは、勇者ちゃんを拒否した人達が酷い目にあったって事を、一般市民が
とってもわかりやすく知る事なんだから。露骨なくらいが丁度いいのよ♪
自然現象での事故なんだから、別に不自然じゃないでしょ?」
「……そう言う徹底した姿勢は、元々でしたっけ?」
「さあ? でも、貴方の所為で悪化したのは確かよね♪」
経済学の権威は特に不満を抱いている様子はなく、笑顔を覗かせてそう答える。
その傍らには、誰もいない。
部屋にいるのは、対峙する二人の権威だけだ。
「その尻拭いをする人は大変ですよね。同情します」
「そう? あれで割と、楽しんでるんじゃないの?」
「貴女に尽くすと言う点では、そうかもしれませんけどね。マンドレイクなんて言う
稀有な代物を、秘密裏に堰き止めさせていたなんて……驚嘆を通り越して感心しますよ。
行動の読めない人は、一緒にいて楽しいですから」
今度は、生物学の権威が笑った。
尤も、こちらは苦笑。
ただ、何処か懐かしそうな、そんな表情だった。
「それで、今回はどういったご用件? 『あの集い』以外であたし達が会うのって、良かったんだっけ?
それに、お互いの行動に干渉するのは御法度じゃなかったかしら」
「偶然だから、良いんじゃないですか? 貴女がここにいる事、僕は知りませんでしたから」
「あら、そうなの。それなら問題ないわね♪」
時折、雷鳴が鳴り響く中で、二人は会話を止める事なく、流暢に言葉を連ねる。
しかし、視線は合わせていない。
まるで、そうする事が致命的な失敗を生むと確信しているかのように、徹底的に。
「それで、推進派の方々が張り切ってるのはわかりましたけど……実際、どうなんです?
お金の臭い、します?」
「ええ、それはもう、バッチリ♪ この計画は『当たり』だわ。準備段階でも
結構いろんな所から仲介の依頼が来るもの。本番が始まったら、もっと大きな流れが
できるわよん♪」
そんな中で、経済学の権威は舌を出しておどけてみせていた。
「でも実際、国王の『頭脳』は人心をわかっていますよね。このやり方は有効ですよ」
その姿を見る事はなく、生物学の権威はテーブルにおいてあった花瓶を手に取り、
自分の目線の高さから下へそれを落とした。
鈍い音が響く。
だが、絨毯がその衝撃を吸収した事で、割れはしない。
その花瓶を緩慢な動作で拾い上げ――――今度は同じ高さから、天井へ向けて放った。
花瓶は徐々に速度を失い、天井に当たる事なく、ある地点でその揚力を失う。
そして、落下。
まったく同じ場所へ着地したにも拘らず、今度は盛大に砕け散った。
何処か心身を清めるかのような、爽快な破壊音が、室内に響く。
「そ、有効。カバジェロちゃんがこの街で警吏として信用を得ている事も、
スムーズに事が進んだ要因よね♪ あたし、もっと褒められてもいいんじゃない?」
「そうかもしれませんね。『呪いの人形』事件の解決だけでは、恐らく失敗だったでしょう。
再訪した事で、全てが上手くまとまった。仕向けたのは……確か僕と同じで中立だった
筈ですよね、あの人」
「そうね。そうだったと思うわ」
「……」
この日、初めて会話のリズムが狂う。
とは言え、それは雨音の中に紛れ、殆ど歪さを感じさせるには至らなかった。
「ま、いずれにしても。もう少し準備は必要でしょう。でも、そろそろ教会も動きますよ。
積極的に、って訳にはいかないでしょうけど。今、デ・ラ・ペーニャも結構大変みたいですし」
「そうね♪ 後はヴァレロンの人達にお任せするわ。持ち駒もある事だし。って言うか、
あんまり目立てないのよね、あたし。有名人って辛いわん♪」
「……そうですね」
嘆息が漏れそうなのをどうにか堪え、生物学の権威は再び窓の外に視線を送った。
代わり映えしない光景。
それが崩れる瞬間、人はカタルシスという名の快楽を得る。
「一つ引っかかるとすれば。『勇者計画』……随分と安易ですよね。これ」
「そう? わかりやすくてあたしは良いと思うけど。ビューグラスのオジサマのアレより
よっぽど」
「いやいや、そうじゃなくて。ネーミングの問題ですよ。もっと捻ってたら、僕は
賛成派になってたかも」
「ああ、だからオジサマには協力的なの。でも意外と、そう言うものなのかもね♪」
「ええ。貴女のように、悪趣味な嗜好でいたいけな少女を弄ぶような人間とは違いますから。
同じように、あの家族の味方をする立場であっても」
静かに――――――――流通の皇女が笑う。
その微笑は、口の歪みのみで形成られていた。
黒目が極端に狭まり、その周囲が真紅に染まる。
「フフ……」
雨脚は更に勢いを増し、次第に二人の会話もその音に飲み込まれていった。
小さく、しかし美しい街【アルテタ】。
まるで、その街を永遠に愛でるかのように。
或いは、陵辱するように。
遥か遠く。
そして何よりも速く。
水滴の群れは――――間断なく落ち続けていた。
rhythm of the rain
sounded the town far and fast indefinitely.
the sound soaks to the soil, becomes a springwater, and flows to the river.
and, it drifted to another town.
who dipped rain first in
the town?
Either it...
...or only
it――――
"αμαρτια"
#2
the
end.
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