「僕はもう下りた。王都を去った日に、弓への信心を捨てた。君はまだ、戦い続けている」
本人の発言は勿論、スティレットに付き従っている事が、何よりの証。
彼女の護衛である限り、ヴァールの挑戦は終わらない。
魔術の簡易化という時代の流れへ刃向かうヴァールの反抗は終わらない。
しかしそれは同時に、諸刃の剣でもある。
もし、スティレットが荷担している『花葬計画』が、歴史に残るほどの悪事だとしたら――――?
「君は……それでいいの?」
フェイルの短い問いに、ヴァールは顔をしかめる。
その質問の中に含まれている真意に気付いて。
「一つ間違えば、君の行動は君の一族の名誉を傷付ける。再起不能になるくらい。
それでも、君は今のままでいるつもりなの?」
責めるようなフェイルの言葉に、ヴァールは押し黙ったままで正面を凝視していた。
視界にはマスターの巨躯。
無論、彼女はそれを見ている訳ではない。
視野に入れているのは――――自分自身。
その自分へ問いかけるかのように、ヴァールは酒を煽った。
「そのリスクを見て見ぬフリするほど、君が無責任だとはどうしても思えない。
君は本心から、あの女性に従っているの?」
「……何が言いたい?」
「君は、花葬計画の全容を知らされていない。だから保留にし続けている。違う?」
フェイルのその指摘に、ヴァールの顔色が変わる事はない。
だが、一笑に付すような事もない。
それが何よりの返事だと、フェイルはそう解釈した。
「自分がどんな悪事に荷担しようとしているのか、その全体像が見えない。だから迷いがある。
さっきの戦いにはそれが見えた」
「私が敗れたのは、その所為と言いたいのか?」
「違うの?」
一歩、フェイルは踏み込んだ。
勝算十分の接近戦。
もしヴァールが花葬計画について多くを知っていれば、反論の為に情報を落とすかも知れない。
そうでなければ、ヴァールから花葬計画の情報を引き出すのは不可能という区切りに出来る。
アルマの行方が花葬計画と関係している以上、出来れば前者であって欲しい――――
「……そうか。私は迷っていたのか」
そう願ったフェイルは、意外な方向に出た成果に思わず眉をひそめた。
ヴァールの表情が、驚くほど極端に変貌していた。
常に冷徹、無に徹していたその表情が、まるで叱られた子供のようにシュンと沈む。
頬や耳にも赤身が指している。
今度は明らかに、酒に酔っていた。
不審に思ったフェイルは、ヴァールが飲んでいたグラスを掴み、その匂いを嗅いでみる。
「……」
思わず渋面になり、グラスを置きながらマスターの方を見た。
明らかに、蜂蜜酒のアルコール濃度ではなかった。
「誰に肩入れする立場でもないが、アルマだけは別でな」
二人の会話を聞いていたマスターは、事情の大半を理解したらしい。
決して意図してはいなかったが、共同作業という形でヴァールを酔わす事となったフェイルは
苦笑を禁じ得なかった。
「ま、その女がどんな酔い方をするのかはわからんがな。口が軽くなるのならいいが……」
「眠ったり無口になったりされると厄介だね。でも、普段無口な人って大抵――――」
そんな会話の途中、突然カウンターを叩く音が店内に響きわたった。
他に客はいない。
来客の様子もない。
犯人は、二人の視界の中にいた。
「……私は、一族の恥晒しだ!」
いきなりそんな事を叫び、更にもう一度カウンターを叩く。
「高祖父の生み出した概念を曾祖母が実用化に漕ぎ着け、祖父がより実戦向きに改良し、
母が完成させた『転移魔術』を使っておきながら敗れるとは……生き恥だ! 死ねばいい!」
「随分と説明口調になったな……」
「恐らく、頭の中で理論を組み立てるタイプなのだろう。頭の中の言葉がそのまま出る酔い方か」
マスターの言葉に、フェイルは戸惑いつつも色めき立つ。
もしそうなら、彼女の持つ情報の多くを引き出せる可能性大だ。
「えっと……アルマさんを連れ去った実行犯が誰か、わかる?」
「だが私はまだ死ねない! 私が死ねば、一体誰がこの魔術を世に広めるというのか……!」
フェイルの質問が、跡形もなく霧散する。
完璧に無視された。
「理論で固める人間の多くは、本質的に他人の話を聞いていない。世の常だ」
「弱ったな……」
「私には、このヴァール=トイズトイズには使命がある。使命を果たさずして命を落とすのは
無能の極み! 私は故に生きる!」
今度はグラスに拳を振り下ろし、粉々に砕く。
幸い、欠片は飛び散らずにその場で崩れたが、先程まで充満していた緊迫感まで消え去り、
フェイルは困惑を隠せない。
酔わせる事が出来れば、という願望はあったが、こんな酔い方は流石に計算外だった。
「それはお前もわかっているだろう、フェイル=ノート」
「……え?」
「だが、時代は変わった」
ついには、支離滅裂な発言を始めた。
「雨の降らない空を誰が見上げる? 貴様の意図は知れている。次の魔術で終わりだ」
「……過去の自分の発言を復唱し始めたんですけど」
「酔った人間によくある行動だ」
冷静にそう見極めるマスターとは対照的に、フェイルは落胆を禁じ得ない。
これでは有意義な情報など、とても掴めそうにない――――
「私が陽動、貴様が隙を突きアルマ=ローランの身柄を確保。作戦は以上だ」
「!」
不意に出現した、聞き覚えのない言葉。
それがアルマ邸襲撃前の彼女の発言である事に、疑いの余地はなかった。
フェイルは再び緊張感の漂う酒場で、神経を尖らせて続きの言葉を待つ。
すると――――
「奪われた人間の権利。高稀なる死。貴様の目的には興味がない」
やはり支離滅裂な言葉の連続の中に、聞き覚えのある物が混じった。
「高稀なる死……」
誰が、素の言葉を発していたか。
『フェイル=ノート君。君はこの定義を説明できるかな?』
それを思い出すのに、時間はかからなかった。
「カラドボルグ=エーコード……」
医学の権威であり、フェイル自身何度か対面している人物。
スティレットと親しい間柄である事も判明している。
その男が実行犯であるならば――――
「どうすればいいんだ……?」
心中で自問するも、手がかりとすべきものが何もない。
今から地上へ出て、ヴァレロン・サントラル医院へ向かったところで、
彼の痕跡が残っているとは思えない。
他に、医師が立ち寄りそうな場所――――
「……あそこ、か」
心当たりは一つ。
とはいえ、そこで見かけたのはカラドボルグではなく別の人間。
ヴァレロン・サントラル医院の院長グロリア=プライマルの秘書、
ファオ=リレーだった。
とはいえ、彼女のいたあの施療院はヴァレロン・サントラル医院、地下支部。
アルマがそこに捕らえられている可能性はない訳じゃないし、
例えそうでなくてもカラドボルグに関する情報が得られるかもしれない。
「目処が立ったようだな。行くなら早くしろ。この女は俺が見ておく」
フェイルの表情で全てを悟ったらしきマスターが、一つ頷く。
「あの子は不憫な子だ。お前が救ってやってくれ」
憂いを帯びた顔でそう話したマスターに頷き返したフェイルは、
ほろ酔いのヴァールをそのまま放置し、迷う事なく単身で施療院を目指した。
その中で待っていたのは――――
「驚いたな。もう辿り着いたのか」
血にまみれた手を隠そうともせず、背を向けたまま顔だけ振り向いた
カラドボルグ=エーコードの緩んだ口元だった。
「でも一足遅かったな」