アルマも、ヴァールも、デュランダルも去ったスコールズ邸は、
先程までと打って変わって、沈痛な静寂に支配されている。
その静けさの中、トリシュの身体はフランベルジュとリッツによって
屋敷内に保管されていた棺へと収められた。
建物内で最も広く、最も人の出入りが多い1階ホール。
その中央に、棺を囲むようにしてリッツ、フランベルジュ、そして
魔力切れにより意識が朦朧としているファルシオンの3人は鎮座していた。
「用意が良いと思うでしょう? もうずっと……お母様の為に準備していた物ですのよ」
その言葉に秘められた重さは、フランベルジュも、ファルシオンも感じ取っていた。
「貴女が勇者計画に協力していたのは、母親を救う為だったのね?
あの状態の彼女を……解放してあげる為だったのね」
そう問いかけるフランベルジュの目は、まだ真っ赤だった。
それでも、彼女の目には既に前方へ伸びる光の束が宿っている――――
視界が不安定だからこそ、ファルシオンにはその心像が映っていた。
「果たして、そう言い切れるのか……正直なところ、自信はありませんわ」
「どうして? 何か弱味を握られて、無理矢理やらされてたとか?」
「握られているとすれば、それは弱味ではなく、運命かもしれませんわ」
リッツの表情は、先程トリシュを送った時とは違い、柔らかさを取り戻していた。
ある程度血色も回復している。
トリシュとのお別れも、既に済ませた。
本来なら、彼女達にこれ以上時間を割く必要はなく、アルマを連れて逃げた――――
或いはアルマを強奪し逃げた――――ヴァールを追いかけなければならない立場に
フランベルジュ達はある。
しかし既に時間が経ち過ぎている。
しかも追跡者はあのデュランダル。
今すぐ追いかけたところで、事態の好転には繋がらないのは明らか。
その判断から、二人はリッツから事情を聞く事を選択した。
「既に先程明言しましたが……わたくしに協力を要請したのは、スティレット=キュピリエ様。
流通の皇女ですわ」
その名を聞くのは、果たして何度目になるだろうか。
思考力の低下を自覚しながらも、ファルシオンはそこから見える全体像、
このヴァレロンの地で絡まり合う人間関係の縮図を頭の中に描いていた。
すると、やはり中心には彼女の――――スティレットの名前が浮かび上がる。
フェイルの行動は正しかった。
彼女を抑えなければこの国に、この街に未来はない。
突然自分達の前からいなくなったフェイルの目的を、ファルシオンは呼吸するように理解していた。
「わたくしは、壊れてしまったお母様を救いたかった。でも、わたくし自身も
壊れてしまっていた。自分でも信じられないような、不思議な強い力を出せる代わりに、
自分が自分でないような、不気味な高揚感に支配される時間があるのです。
しかもその時間は、年々伸びている。わたくしは……わたくし自身が怖かったのですわ」
「生物兵器の投与をされたのは……貴女の母親……トリシュさんだった筈です。
貴女の話が真実なら」
会話に参加出来る余裕などなかったが、それでもファルシオンは
口を挟まずにはいられなかった。
彼女の言う『運命』が、少しずつ見えてきたから。
「それでも……貴女の力と不調の原因が生物兵器の影響だとしたら、それは……」
「"遺伝"ですわ」
生物兵器を投与されたトリシュ。
そのトリシュの娘であるリッツ。
両者には、血の繋がり以上に、呪われた繋がりが存在した。
「生物兵器という分野において、遺伝性は現在最も注目されている研究の一つだそうですわ。
研究者にとって、わたくしは最高の観察対象なのでしょう。スコールズ家の復興と
安寧を条件に、わたくしは観察を受け入れました」
「それってつまり、スティレット=キュピリエは……生物兵器の研究をやってるって事?」
「やらせている……と言うのが正しいのでしょう……」
スティレットの本分は研究者などではない。
人と人、或いは人と金を繋ぐ交渉人。
流通とは、突き詰めればそういう事だ。
「なら、やっぱり花葬計画もあの女が主導権握ってるんでしょうね。
あれも生物兵器絡みよね? 確か」
「はい。ふう……」
通常、疲労の極地にある人間は沈黙によって頭を休める。
しかしファルシオンは、会話と思案によって脳を回復させた。
彼女の本分も、魔術士以外のところにある――――もしこの場にフェイルがいれば、
そう言ったかもしれないと思い、ファルシオンは微かに口元を緩めた。
「どうかした? っていうか、もう大丈夫?」
「はい。倦怠感は残っていますが、それ以外は問題ありません。リッツさん」
当主の名を呼びながら、ファルシオンは徐に立ち上がる。
フランベルジュの手前強がってはみたが、元々の虚弱体質も手伝い、
足腰は万全とは言えない状態らしく、今一つ覚束ない。
「私達には余り時間がありません。貴女の知っている範囲で、スティレットの野望、
花葬計画の進捗状況を教えて頂けませんか?」
それでも、震えたり崩れたりはしない。
ファルシオンはそう決めていた。
「貴女は『トリシュさんを治療出来る方法』と引き替えに協力を要請され、受理した。
ただし、それは勇者計画について。ここまでは良いですか?」
「はい」
「でも貴女はさっき、スティレットが『勇者計画と花葬計画について教えてくれた』
と言っていました。花葬計画についても聞かされているのを不自然とは言いませんが、
少し引っかかります。これは仮説ですが――――」
これまで自分が体験してきた事。
耳にしてきた情報。
各勢力の構図。
それらを総合し、ファルシオンは一つの結論を得た。
「勇者計画と花葬計画は、密接な繋がりがある……という次元ではなく、
一つの計画として準備され、実行されている。どうですか?」
「一つの……?」
リッツの返事を待たず、フランベルジュが怪訝そうに首を捻る。
勇者計画。
花葬計画。
二つの計画を、異なる勢力がそれぞれの目的の為に遂行しようとしていたからこそ、
この厄介な状況が出来上がっている――――
そんなこれまでの見解を完全に覆す発言だったからだ。
「私達はこれまで、二つの計画がお互いの都合で結びついていると思って来ました。
花葬計画についても、二通りが存在しているという認識でした。
でも真相は、最初から一人、或いは数人の人物が、一つの目的へ向けて作った計画を
その都合に合わせて分離している……そんな気がしてきました」
「ちょ、ちょっと待って。勇者計画は国家権力が首謀者よ? 花葬計画もそうだって言いたいの?」
「違います。逆です」
奇妙な感覚だった。
ファルシオンの心の目には、これまで出会った多くの人達の姿が映し出されている。
その全てが――――
「国家権力をも凌駕する巨大な力……巨大な存在が、このヴァレロンで起こった全てを制御している。
私は、そう思うんです」
この場から立ち去った、"あの人物"の背中に吸い込まれていく。
そんな奇妙で恐ろしいイメージが、ファルシオンの身体を蝕んだ。