「某も、ビューグラス殿と同罪なのだよ」
――――剣聖ガラディーンをして、自身に向ける剣の切っ先が鈍い事など決してない。
たった一言の回答だったが、フェイルはその言葉の重みを意味ではなく、彼の生き様から感じ取っていた。
ビューグラスが父としてハルに愛情を注げなかったと自覚しているのは、容易に想像出来る。
エチェベリアという国を武力で統率してきた存在なのだから、家庭を顧みるのは困難を極めただろう、と。
尤も、それでも尚、ガラディーンという男が不誠実な人生を歩んでいる姿は想像が出来ない。
ハルも父親と距離をとっている様子はあったが、かといって嫌悪しているような印象もない。
親子関係としては、破綻しない程度には成立している。
寧ろ、国家最高峰の地位を持つ父とその息子という視点を踏まえれば、
例えそれが望まないものであろうと、絶妙な距離感なのではないかとフェイルは睨んでいた。
だが、ガラディーンは罪という言葉を使った。
国家を背負う立場である以上、軽々しく自嘲出来る人間ではない。
必然的に、言葉には相応の根拠が伴う。
ガラディーンは――――
「フェイル。罪とは、人間の業とは、果たして……」
何かを言いかけ、そこで口を閉ざした。
言い淀んだ訳ではない。
彼の視線は、自然と扉の方に向けられていた。
「誰か来ますね。新しいお客さんでしょうか?」
「あ? 気配なんか微塵もないぞ?」
リジルとカラドボルグの意見は割れたが、答えは直ぐに出た。
ガラディーンの視線の先、そしてフェイルの視界にあったこの部屋の入り口の扉が、
ゆっくりと開かれていく。
フェイルもまた、その気配を感知する事は出来なかった。
しかしその顔を見た瞬間、納得した。
「クラウ=ソラス……?」
「お久しぶりですな。余り、自分を倒した人間の顔など見たくはないのですが」
言葉とは裏腹に、クラウは真っ先にフェイルへと声を向ける。
メトロ・ノームでの戦い以来の再会。
その際、既にフェイルに対し敵視はしていないという話だったが、それでも警戒を解く訳にはいかず、
身構えるだけでも加減が難しい。
そんなフェイルに、クラウは淡々とした口調で――――
「貴殿の連れの魔術士が重傷を負いました故、ここまで運んで来た次第です」
「……え?」
寝耳に水。
寧ろ熱湯をかけられた心持ちで、フェイルの身体が瞬間的に熱を帯びる。
誰がやった?
お前か?
そう叫びたくなる衝動を抑えるのに必死だった。
冷静に考えれば、悪意をもって負傷させた相手を病院に運ぶ道理などないのだか、
そんな当然の判断さえも一瞬見失うほど、フェイルは動揺した。
「らしくないな、フェイル君。自分の弱点を曝け出してるようなものだぜ?」
「……僕を買い被り過ぎだ」
「ま、そこで激高しない時点で大丈夫、過大評価はしてないつもりさ。
にしても旦那もリジルも感度エグいな。幽霊の気配でも感じ取れるんじゃないかい?」
この街でクラウ=ソラスの実力を知らない者はいない。
彼がどれほど気配を消す能力に長けているかも。
「与太話をしている場合ではない。君の本職は何だね? カラドボルグ」
「わーってるって。でもな旦那、ここは俺の領分だ。少し黙ってな」
空間が――――歪む。
そう錯覚するような一瞬が、唐突に出現した。
元とはいえ剣聖を相手に、若手医師が利くような口ではない。
かといって、嘗めている訳でも、まして嘗められている訳でもない。
カラドボルグもまた、相応の矜恃をもっての発言だった。
「……人道を外れた交渉は許さぬ」
「流石旦那。わかってるね」
"交渉"――――その言葉の意味を、フェイルは瞬時に理解した。
彼が何をしようとしているのかを。
そして、この場において『それでも医者か』と罵る事も、医師の本分に訴える事の無意味さも。
「さて、クラウ=ソラス殿。重傷との事だけど、具体的には?」
「矢が脇腹に刺さった状態です。薬で止血はしているのですが、一時的なものに過ぎませぬ故、
緊急を要しますな」
「成程。そういう訳でフェイル君。取引だ」
案の定、カラドボルグは無条件で治療する気はなかった。
「今、この院内にいる医師は俺だけ。他はみんな地下に隠れちまったからな。だから、
君の連れを今治せるのは俺しかいない」
「……ファルを治療する代わりに、僕に従属を強いるつもり?」
「協力、だよ。何にせよ決断は早くした方が良い。院内とは言え菌が傷口から体内に侵入する可能性は
ゼロじゃない。そうなれば重症化するし、最悪死にかねない」
それは医師として、余りにも下劣極まりない脅迫行為。
だが、ガラディーンに口を挟んでくる様子はない。
フェイルは――――
「ファルを治療して欲しい」
どちらにせよ、既に回答を決めていた。
「了解。患者の元へ案内願おうか、クラウ=ソラス殿」
「こちらですな」
扉の傍で佇んでいたクラウが、足音なく通路へ向かう。
フェイルも直ぐにそれに続いた。
「では、僕とガラディーンさんは一足早く地下へ行きます」
「おう。じゃ、ここまでだな」
「祈ってますよ。貴方の願いが叶う事を」
そんなリジルとカラドボルグのやり取りを背中越しに聞きながら――――
「……バカです。フェイルさんは」
ヴァレロン・サントラル医院には、複数の霊安室が存在する。
その一つは、フェイルがリオグランテを射貫いた場所の直ぐ近くにあった。
「そうかな」
その霊安室でファルシオンに事の経緯を説明し終えたフェイルは、あらためて自分の行動を顧み、
そして確信を得ていた。
「でも僕は、何も後悔してないよ」
そう躊躇いなく告げ、後悔の要素を担う一つ――――リオグランテの身体に目を向ける。
リオグランテは呼吸をしていない。
先程のフェイルの矢を受けたからか、或いはそれ以前からなのかは定かではない。
いずれにせよ、今のリオグランテを"生きている"と言う訳にはいかない。
「僕は、リオにとどめを刺したのが僕で良かったと思ってる。ファルの治療を優先したのも、
正しいと思ってる」
「私の事なんて放っておけば良かったんです!」
しかしファルシオンは、切実極まりない声で吼える。
「この怪我じゃどの道、戦力にはなれません。それなら、リオに……騙し続けた報いを受けたかった。
楽にして欲しかった」
殺されても良かった。
そんな悲痛な叫びが、フェイルの耳ではなく心を突き刺す。
けれどそれは、決して――――
「そんなの、ダメに決まってるでしょ」
陰鬱とした霊安室の空気を吐き出すように、扉が開かれる。
そこにはフランベルジュが鬼の形相で立っていた。
「フラン……? 今まで何処に……」
「そんな事はどうでもいいの。それより貴女、何を血迷った事言ってるの?
リオを仲間殺しにしたいワケ?」
「どうしてそれを……?」
「立ち聞きしてたからに決まってるでしょ? そんな事もわからないくらい混乱してるのよね。
だからあんな下らない事を言えるのよ」
入って来るなり、フランベルジュはズカズカとファルシオンへ歩み寄り、そのローブの胸元を掴む。
勿論、怪我人である事を重々承知している上で。
「でも……リオは私を襲ってきました。私を……殺したいって思ってたから」
「だったら何? もしそうだったとしても、リオに貴女が殺されれば、リオは殺人者よ。しかも仲間殺し。
勇者から重罪人への転落。それがあの子の結末になる。わかってるの?
貴女が殺されるって、そういう事なんだからね」
「……」
普段とはまるで逆の構図。
口調こそ厳しいが、理をもって諭すフランベルジュに対し、フェイルは何一つ口を挟む余地なく
黙って頷いていた。
そのフェイルに、フランベルジュの視線が映る。
「何?」
「……ありがとう」
それは――――信じ難い光景だった。
フランベルジュが、深々と頭を下げている。
あのフランベルジュが。
「ファルを止めてくれてありがとう。リオを止めてくれてありがとう。貴方のおかげで、
私達はなんとか勇者一行でいられた」
暫くそのままの体勢で感謝を告げ、そして一礼を止め――――
「この街で、貴方と出会えて良かった」
澄み切った笑顔を覗かせた。