その魔術は炎を模してはいない。
そういう意味では赤魔術の中ではやや異彩を放っているが、かといって特殊な魔術でもない。
【灼熱閃】――――凄まじい熱を帯びた赤色の閃光。
威力・消費量共に【炎の球体】や【鬼火】などの初級魔術を大きく上回る、中級に属する魔術だ。
最大の特徴は閃光ならではの放射速度で、黄魔術の【紫閃雷滅】や【審判の終】などには及ばないものの、赤魔術の中ではトップクラスの速度を誇る。
当然、回避は容易ではなく、結界での防御さえも反応が遅ければ間に合わない。
その魔術を眼前に、フェイルは――――構わずに前へ踏み込んだ。
それは果たして"信頼"か、それとも"賭け"か。
考える暇もないまま、【灼熱閃】はフェイルの前髪が焦げる直前に霧散した。
アルマの結界によって。
自分ではなく他者に限定した結界は、制御がやや難しい。
発動位置の指定が極めて困難な上、自分との距離が離れると魔力の供給が制限される為、相当な技術が要される。
それを、アルマは事も無げにやってのけた。
しかもフェイルの前方のみに発生させた、円形の比較的面積の小さい結界で。
トライデントがどの魔術で攻撃してくるか、読み切ったかのような選択だった。
「素晴らしい」
それらの様相を一瞬で把握し、クラウが呑気に拍手を送る。
ほぼ同時に、その音はフェイルの弓とトライデントの槍がぶつかる音でかき消された。
フェイルにとって、接近戦の選択は必然。
魔術が使える相手に矢で対抗しようとしても、明らかに分が悪い。
放った矢を魔術でかき消される展開になれば直ぐに底を付くし、何よりアルマへのリスクが高まる。
トライデントは明らかに自分と戦いたがっている――――フェイルはその確信を得ていた。
この場でまずアルマでもクラウでもなく、自分を消そうとしたのがまず一点。
病院の破壊活動を再開しなかったのが二点目だ。
もし、何か最優先すべき目的があって破壊活動を行っていたのなら、フェイル達に構っている暇などない。
まして三人を相手に戦う選択肢などない筈。
何かしらの魔術を活用し、逃げの一手を選ぶのが最善だ。
しかしトライデントはそうしなかった。
しかもフェイルに標的を絞っていた。
にも拘らず、クラウが何故トライデントに接近を試みたのか、そして即座に戦うのを止めたのか――――それは容易に推察可能。
先程の両者の会話が"取引"だったのは明白だ。
クラウは何かを聞きたくて、或いは得たいが為にトライデントと交渉した。
締結したのか決裂したのかは、二人の表情からは推し量れないが、『クラウがこれ以上この戦闘に関与する気はない』のはその後の動きからも明らかであり、交渉が終了した事実を示している。
ならば、トライデントにもまたクラウへの戦意はないと考えるのが自然。
そうなると、彼の意図は二つに絞られる。
フェイルを始末しようとしている。
そう見せかけて、アルマを始末しようとしている。
後者の場合、クラウの戦闘参加がない時点でトライデントが最も忌避すべき展開は、フェイルとアルマの共闘。
それを避ける為、まずはフェイルを標的にし、フェイルがアルマを守る為にアルマの戦闘参加を断れば、自ずと一対一の構図が生まれる。
その戦闘中、隙を見てアルマを攻撃するのは十分に可能だ。
闇雲にアルマだけを狙うより、遥かにアルマを殺しやすい。
ただ――――フェイルはその可能性を限りなく低いと判断していた。
最大の根拠は、この場にアルマが来る事をトライデントが想定していたとは思えないから。
『驚いたな。メトロ・ノームの管理人をここに残したか』
この言葉を演技で言えるほど、トライデントという人物が器用だとフェイルは見なしていない。
けれどそれは王宮にいた頃の印象。
それ故に、可能性をゼロには出来なかった。
「ふーっ……」
半ば強引にトライデントとの距離をほぼ無にしたフェイルだったが、まだ迷いはあった。
ここからどう戦うか。
アルマの安全を確保する為には、どう戦えば良いか――――
「その男がアルマ様を狙うと判断したならば、私がその男の首を撥ねて差し上げます」
そのクラウの声は、フェイルに更なる迷いをもたらす。
先程の二人の交渉の中に、今の一言でフェイルの隙を誘うという項目が含まれているのだとしたら――――
「フェイル君」
背後から、名を呼ぶ声が聞こえた。
決して大きな声ではなかったが、フェイルの耳を貫くような、問答無用の一言が。
「此方をお荷物扱いしたら、怒るよ」
気遣いか、それとも誇りか――――
どちらにせよ、心に反響する言葉だった。
騎士を気取るな。
自分の戦いをしろ。
眼前のトライデントの目が、そう語っている。
悟らざるを得なかった。
トライデントが敢えて鍔迫り合いを続けている意味を。
『早く決断しろ』そう訴えているのだと。
トライデントが何を成す為、どのような人生観の果てにこの場所にいるのかは、フェイルにはわからない。
彼が心酔しているガラディーンを追ってきたのか、王宮に復帰する為に【銀朱】に尻尾を振り『あの方に届き得る矢』を折ろうとしているのか――――
その迷いが、一瞬で晴れた。
「あの日の続きを」
トライデントの声なき声が、そう呟いた。
あらゆる状況証拠が、目の前の男の顔が、目が、魂が、フェイルにそう聞こえさせた。
「わかった」
それもまた、声ではなかった。
鍔迫り合いによる反作用を使ってのバックステップ。
その行動が、フェイルなりの返答だった。
この日の為に、生きてきた訳ではない。
ただ、納得していた訳でもない。
弓矢の可能性を、自分の可能性を完全に絶たれたあの日の――――御前試合。
当時とは目的も生きる意味さえも変わってしまったが、それでも尚、フェイルの中には燃えたぎる何かが残っていた。
『始めっ!』
幻聴に耳を澄ませる。
残り火が"あの日"の光景を写し出し、ここにはない青空と観客の声援を模している。
不思議と、違和感はなかった。
フェイルの口元が引き締まる。
トライデントの眉が吊り上がる。
ヴァレロン・サントラル医院のエントランスホールが、円形闘技場に姿を変えて――――フェイルの身体が宙を舞った。