――――ファルシオン=レブロフには、魔術を誰よりも親しい存在のように感じる時期があった。
解き放つ瞬間に溢れ出る、美しく温かな光。
改心のルーリングによって出力された魔術には、まるで幼少期に母親に隠れて飼っていた小鳥のような愛おしさを感じていた。
ただしそれは、ファルシオンだけの感覚ではない。
魔術士であれば一度は体験する、異様な、それでいて心地良い錯覚。
『空想の魔力』と呼ばれる現象だ。
原因は既に研究されている。
覚えたての時期特有の慢心と執着心が魔術を現実以上に大きな存在として誤認識した結果、そこに自分の理想を重ねてしまう――――というのが有力視されている説だ。
例えば剣術であれば、剣をまるで自分の手足のように感じる事がある。
それと同じように、魔術が自分自身の一部として認識されてしまう事で、必要以上に親しみ――――要は自己愛の対象としてしまうという訳だ。
その説を目にした時、ファルシオンは二割の納得と八割の猜疑を覚えた。
確かに、全く的外れとは言い切れない。
だが決して、自己愛の対象という感覚はない――――そんな持論を抱いた。
何故なら、ファルシオンは自分自身を常に嫌悪しているから。
子供の頃から、母親に迷惑をかけ続ける存在だった。
自分がいなければ、この人はもっと楽な人生を送れたのに。
自分が消えてなくなれば、負担は半分で済むのに。
そういう自虐は最早、固定観念でさえあった。
そんなファルシオンが魔術を愛おしいと感じるのは、決して魔術と自分自身を混同している訳ではない。
少なくとも本人はずっとそう確信していた。
だが、その意識は少しずつ薄れていった。
リオグランテと出会い、フランベルジュと出会い、彼等を監視する為に共に旅に出て、そして――――フェイル=ノートと出会った。
いつの間にか、魔術は攻撃の手段、防御の手段となっていた。
それも、頼りない技術として――――
「……ファル! ちゃんと聞いてる?」
「あ……」
移動中に考え事をするのは、ファルシオンの悪い癖だった。
時間を少しでも無駄にしない為、思考は常に稼働させておく。
ただそれは、自分よりも強い人間が傍にいる事が条件だ。
「すいません……」
「もしかして傷が痛むの? だったら……」
「いえ、痛みは全くありません。フェイルさんの薬が効いているみたいです」
「私達も協力してあげた、みんなの結晶だしね。それくらい効いてくれないと割に合わないでしょ」
屈託なく笑うフランベルジュの周辺に、以前のピリピリした空気は存在しない。
切迫した状況であっても、常に余裕をもって行動している。
日に日に成長する親友の姿を、ファルシオンは少し眩しく思っていた。
「なら、まだリオの事を気にしてるの?」
「……いえ。私は薄情な人間ですから、今はその事は頭には入れていません」
「いーのよ、それで。あいつだって私達の油断の材料になったら不本意でしょうよ。『僕の所為にしないで下さいよ!』って怒るんじゃない?」
「かもしれませんね」
二人にとって、この戦いはリオグランテの弔い合戦。
一時的に意識から消していても、根本は常にそこにある。
勇者計画の発案者、そして実行者に然るべき報いを――――そんな復讐心を否定する事は出来ない。
「随分と感傷的だな。この状況で呑気な事だ」
心底呆れたという声で、しんがりのヴァールが後ろから声で刺してくる。
実際、そう言われても仕方のないやり取りではあった。
彼女達は今、逃避の最中にあるのだから。
「さっきの爆発が何者の仕業なのかは知らないが、誘導って線は捨てられないだろうな。どうする? このままバカ正直にメトロ・ノームに向かうか?」
今度は先頭を歩くカラドボルグが、振り向かず誰にともなく問う。
今、ファルシオン達四人がいるのはヴァレロン・サントラル医院の二階。
院内の部屋割りに詳しいカラドボルグの案内で、メトロ・ノームの柱に繋がる最寄りの部屋へ向かっている。
移動は駆け足ではなく早歩き。
走りながらではもし敵が待ち構えていた際に察知・対処が遅れるからだ。
「……正直、少し時間を使って考えたいところです。病院を爆破した人達……さっき私達に敢えて顔を見せたアロンソというギルド員の目論みも気になりますし、彼等がアルマさんをどうしたいのかもわかりません」
「そんな時間はない。どうしても考えたいなら移動しながら考えろ」
「なら貴女が話し相手になって下さい、ヴァール」
ファルシオンは歩幅を狭め、最後尾のヴァールの手前に位置を変えた。
「病院の爆破は陽動だと思いますか?」
「さあな」
「真面目に考えて下さい。貴女にはそれが出来るでしょう。流通の皇女の懐刀に考える力がないとは言わせません」
傷の痛みはない。
だが明らかに体力は通常時より低い。
息切れしそうな苦しさを覚えながら、ファルシオンは強い口調でヴァールを攻めた。
「貴女は何故私達と行動を共にしているんですか? その方が貴女の目的達成に都合が良いからでしょう。なら協力すべきです」
「……チッ」
舌打ちは図星の証。
先頭を歩くカラドボルグが肩を竦めて歩を緩めた。
「アロンソ=カーライルは元銀朱……宮廷騎士団の所属だ。しかしクラウ=ソラスに憧れて【ウォレス】に入り、部隊の長になった」
「流石に情報通ですね。スコールズ家と彼が懇意にしている事も?」
「当然知ってる。奴は国家とこの街を繋ぐパイプ役だろう。普通なら表には出てこない人間だ」
「でも現にギルド員としてじゃなく、別の……本来の顔で出て来た。だったら……」
「私情だな」
とうとう歩を止めたカラドボルグが、強い口調でそう吐き捨てる。
何かに思い至った――――そういう声だった。
「スコールズ家と仲良しなのはパイプ役として……だったんだろうが、もしかしたら別の感情が生まれてたかもしれないな」
「リッツ=スコールズの事情を知って……?」
ファルシオン達がスコールズ家で聞いた悲劇。
『生物兵器の被害者』という彼女自身の言葉に偽りはない。
もし、アロンソが同情したとするならば――――
「スコールズ家はこのヴァレロン・サントラル医院を私物化してたからな。ウォレスとの繋がりもある。単なる客人って訳じゃなさそうだ。ま、それ以上の事は……」
歩を止めた理由は、彼の眼前にある。
「本人に聞くのが一番だな」
アロンソ=カーライルの歪んだ口元が、緩やかにほつれていった。