「正気とは思えない行動だ。ファルシオン=レブロフ」
その声は――――これまでのアロンソとは明らかに質の違う、意図的な冷淡さを含んでいた。
明らかな苛立ちと怒気。
ここで敢えてそれを明瞭にしてきたアロンソに、ファルシオンは微かな安堵を覚えた。
間違っていない。
これで正解だ。
そう自分に言い聞かせ、眼前の二人の敵と対峙する。
本来なら戦う必要のない相手と。
「君達の中で最も戦闘に長けた人物は、あの女だった筈だ。経験の豊富さ、身のこなし、操る魔術の性質……全てにおいて抜きん出ている」
「随分詳しいのね。調べ物が趣味なの?」
「ある意味正解だよ、フランベルジュ=ルーメイア。君の事も良く知っている。"僕等"は常に最新の情報を知らなければ天命を全う出来ない職種なんだ」
「だから【ウエスト】と手を組んでいたんですか?」
フランベルジュとアロンソの会話に、ファルシオンは半ば強引に切り込んだ。
既に一度、フランベルジュから釘を刺されてはいるが――――今は先程とは明らかに状況が異なる。
ヴァールが離脱した事で、アロンソは露骨に苛立っているのだから。
彼等の目的はヴァールの命。
それは最早疑う余地がない。
問題は、アロンソが見せたクラウ=ソラスへの執心が目的遂行の為のカムフラージュだったのか、それとも真実の一片なのか。
「残念ながら的外れだ。【ウエスト】は元々、僕等の傘下なのだからね」
アロンソが『僕等』という言葉をどんな意味で使っているのか、ファルシオンは測りかねていた。
少なくとも、今この場にいるオスバルドと彼の二人を指すものではないし、所属ギルドのウォレスを指していないのも明白。
それ以外の特定の集団・組織に属しているという推察は成り立つが、その勢力範囲はかなり広く、そう簡単に推し量れるものではない。
何より――――先刻の言葉と同時に、アロンソが安直とさえ言える殺気を向けてきた為、思考に集中する環境下ではなくなった。
「雑談はここまでだ」
「フラン! あの男を行かせてはダメです! ここに留まらせないと!」
「……みたいね」
痛み止めが効いているものの負傷中、そして魔力も既に底を付きかけているファルシオンは、ほぼ戦力外に等しい。
ただ、アロンソ達はその事実を知らない。
少なくとも、怪我していると悟られるような素振りは全く見せていないし、見せるような痛みが全くない。
フェイルが作った痛み止め――――ナタルは完璧な薬だった。
もしこのような騒動が起こらず、何の干渉も不正行為のない普段通りのエル・バタラが開催されていたら、フェイルの作った薬は重宝され、瞬く間にエチェベリア全土に知れ渡っただろう。
彼は優秀な薬草士として讃えられ、その後の人生は裕福なものになったのかもしれない。
一瞬だけ、ファルシオンはそんな未来を想像した。
不憫には思わない。
不幸とも思わない。
この厄災にも等しい騒動がヴァレロンの地に降りかかったのは、自分の責任でもあると痛感しているから。
尤も、騒動の中心にメトロ・ノームがある以上、それが自意識過剰で烏滸がましい自嘲なのも承知している。
ファルシオンはただ、自分の過去の愚行を――――
誰かに叱って欲しかった。
「彼らの機動力を奪って下さい。私も援護します」
「了解」
その心理が昇華される事はない。
そう自覚しながら、ファルシオンは覚悟を決めた。
事実上一対二。
今のフランベルジュなら、例えアロンソやオスバルドがまだ底を見せていないとしても、瞬殺される事はない。
無論、勝てる要素は何処にもない為、彼女達の戦いは如何に二人を追わせないか、時間を掛けさせるかが着地点。
命を賭けても、それ以上はない。
「下段は……あんまり好きじゃないんだけどね」
フランベルジュは頬に滲む汗をそのままに、不敵な笑みを零し剣を腰より下に構える。
頭部と心臓を無防備にする下段構えは、一流の剣士であっても簡単には極められない程に難しい。
だが、アロンソ達の機動力――――脚を狙う上では最適な構えだ。
「……」
本来なら一刻も早くヴァールの後を追いたい筈のアロンソとオスバルドは二人ともその場を離れず、それぞれ中段の構えでフランベルジュと対峙する。
不可解ではない。
彼等はファルシオンを戦力と見なしているのだから、魔術での遠距離攻撃がある以上そう簡単に背は向けられない。
フランベルジュを躱し、ファルシオンに致命傷を追わせ、その瞬間に追跡を開始。
アロンソ達の狙いを、ファルシオンはそう解釈していた。
だがそれは幅の狭いこの通路において、簡単な事ではない。
二人同時にフランベルジュへ切り込めばファルシオンの魔術が襲ってくるし、ファルシオンへの攻撃中にフランベルジュから脚を斬られれば、仮に二人を殺せたとしてもアロンソ達にとっては最悪の展開となる。
結界を使われた場合の事も考えなければならない。
結果――――暫しの膠着状態。
ファルシオンは考える時間を得た。
アロンソは、国家ともスコールズ家――――引いてはスティレットとも浅からぬ繋がりがある。
その彼がヴァールの命を狙っているという事実は、極めて重大だ。
国家にとってヴァールが邪魔という可能性も、スティレットが右腕たる彼女を『裏切り者』と判断し消そうとしている可能性も、第三の勢力がヴァールの命を所望している可能性もある。
最も辻褄が合うのは、二番目――――スティレットの依頼だ。
スティレットがこれから花葬計画の総仕上げをしようとしているのなら、裏切り者の始末は早いに越した事はない。
自分に関する様々な情報を持っている人物に他ならないのだから、他の勢力と組まれれば厄介な事になる。
辻褄は合う。
だからこそ、ファルシオンはこの可能性を最初に捨てた。
アロンソの後ろにいるのはスティレットではない、と。
そもそもスティレットが本気でヴァールを消そうとしているのなら、アロンソに依頼する必要などない。
全く顔を知られていない暗殺者の方が余程成功率は高いだろう。
一方、国家にとってヴァールが邪魔という荒唐無稽な仮説は――――実のところ十分にあり得る。
根拠は彼女が使う魔術だ。
ヴァールの使用していた、薄弱とはいえ意思を持った人間らしきものを模した魔術は、明らかに普通の魔術ではない。
魔術国家と戦争をした経験のあるエチェベリアにとって、その魔術は脅威となり得る。
そう判断した場合、国家――――王家が暗殺命令を下す事は考えられる。
第三勢力の可能性も当然、ある。
そしてそれは、ファルシオンにとっても他人事ではない。
魔術国家デ・ラ・ペーニャがヴァールの魔術を正式な魔術と認める可能性は、ほぼ皆無。
魔術士であるファルシオンは、かの国の歪んだ保守主義の有り様を知っている。
異分子を消そうとするくらい、馬小屋の建設より簡単に許可を出すだろう。
ならば――――
「アロンソ様。自分が先行します。許可を」
「……わかった。任せる」
その声が聞こえた刹那、ファルシオンは思わず息を呑んだ。
敵に対してではない。
オスバルドが攻め入ろうとするその刹那、相棒のフランベルジュの横顔が――――見た事もない修羅の貌を形成っていた。