――――些事だった。
少なくとも、デュランダルにとってそれは取るに足らない事だった。
殺さずにいた人間が、再び牙を剥く。
彼にとって、然程珍しい出来事ではなかった。
己の反応の鋭敏さや精度を磨く上で、イレギュラーな反抗は役立つからだ。
人間が兵器としての純度を上げる為には、飽くなき反復練習と実戦訓練を適度なバランスで実行する必要がある。
ただ、それを常識の外にまで押し上げるには、それだけでは足りない。
訓練をしていない時間こそが肝要だと、デュランダルは考えている。
フェイルはそういった話を彼から聞いた事は一度もない。
元々、自分に関してはほぼ全く話さない人物だった為、本人の口から聞く事は早い段階で諦めていた。
なら、盗むしかない。
トレースするしかない。
技術も、思想も。
デュランダルが意図的に自身の身体へと生物兵器を投与し、人としての尊厳と引き替えに力を得たというのならば、彼は強さを求める為ならなんでもする。
敢えて隙を作り、その隙を突いてくるものに対処する。
修練でもなければ実戦でもない、相応の安全性と同時に危険性も孕んだ、効率の良い腕磨き。
デュランダルがバルムンクに止めを刺さない理由があるとすれば、そんなところ――――フェイルはそう解釈していた。
「管理……人……ちゃ……あああああああああああああああああああ!」
床に伏していたバルムンクの雄叫びと再稼動は、デュランダルにとって計算内のものではない。
ただ、立ち上がるならばその都度対処する。
不意を突かれた回数だけ、危機の経験を積める。
それだけの事だった。
そして、その不意打ちへの反応速度にはまだ改善の余地があるという自覚の証でもある。
理想は同時。
自分に殺気が向いていようといまいと、自分に対する何らかの反抗があるならば、その芽が出たのと当時に反応し、鎮圧を図る――――それが理想。
そういう思想があるのなら――――
「どれだけ優れた感知能力を持っていようと、意識はまず理想――――己の内面に向かう」
フェイルの出したその結論は、声ではなく彼の行動となって現れた。
バルムンクが不意に立ち上がる瞬間を、ずっと待っていた。
そしてそれが訪れた刹那、大男である彼の背後に回り、デュランダルの死角に移動。
移動しながら、予備動作を済ませる。
攻撃の為の予備動作を。
「……」
それでも、デュランダルは気付く。
自分よりも素早く反応したフェイルの動きに。
バルムンクの挙動と完全同時と言っても差し支えない完璧な共鳴は、フェイルがこの瞬間をずっと待ち構えていた証左。
ならばどういった攻勢に出るか――――バルムンクの陰に潜み、死角からの攻撃。
その判断は彼にとって余りに容易だった。
同時に、クラウ=ソラスとアルマ=ローランの動きにも気を配る。
双方には何ら特殊な反応もない。
フェイルとの連携はないと判断するには十分だった。
こういった変則の事態において、どれだけ全体を見渡せるか。
それをどうやって突き詰めるかが、強さを追い求める上では必要不可欠だと、デュランダルは常に自覚していた。
彼には隙がある。
しかしその隙は自らが生み出した隙であり、真の意味での油断はない。
故に、一度読み切った手に対し当てはめるのは――――極めて現実的な思念だった。
フェイルは右肩を負傷している。
痛がる様子も耐えている素振りも見せない為、痛み止めによる処方を行っている。
ならば攻撃として考えられるのは、接近戦。
デュランダルはフェイルが接近戦に注力しているのを知っている。
弓使いが敢えて敵の傍まで接近し、戦い、そして勝つ。
その戦闘形式に命を賭けていた事を知っている。
だから、その選択肢が最も妥当だと判断していた――――が、それ以外の可能性も視野に入れていた。
弓使いである以上、矢を撃ってくる事もあり得ると。
肩の可動域が制限されていても、それを無視し、右肩が完全に壊れるのを覚悟で矢を放つという可能性もあると。
事実、フェイルは矢を撃った。
左手で投げたり、蹴ったりではなく、弓を用いて。
そうしなければ、到底デュランダルに届くような攻撃にはならないのだから、どの道選択肢は一つしかない。
フェイルの撃った矢は――――
「む……」
バルムンクの股の間を通過し、デュランダルの脚へと襲いかかった。
肩が上がらない。
上がらないのなら、上げなければ良い。
ただし、例えどのような体勢で撃とうと、矢を番える方の腕はしっかりと上げ、そして引かなければ威力と速度は得られない。
例えば下段構えのようにして腕を下げた状態で撃とうとしても、見るも無惨な射撃になるだけだ。
フェイルは――――右手で弓を固定し、左手で矢を番えた。
普段と逆だ。
弓を持つ右腕は目一杯伸ばし、けれど角度は若干下――――デュランダルの足下に照準を合わせる。
そうすれば、右肩を上げなくても良い。
後は左腕を限界まで引き、放つのみ。
フェイルの利き腕は右。
けれど接近戦をこなす以上、どちらかの腕だけしか使えないでは話にならない。
当然、左でも十分な力で弦を引くくらいの事は出来る。
起き上がったバルムンクにデュランダルの意識が何割か向くその瞬間を活用し、また巨体であるバルムンクの陰に隠れ、そして左右逆にスイッチして矢を撃つ。
奇襲の三重奏とでも言うべきそのフェイルの渾身の一射は――――
バルムンクがデュランダルへ襲いかかる寸前、彼の得物であるオプスキュリテに弾かれ、回転しながら壁に跳ね返り、力なく床に墜ちた。
奇襲は失敗。
その矢の死骸に一瞥もくれず、デュランダルはバルムンクへ向けてオプスキュリテを振りかざす。
知恵を振り絞り、負傷箇所を酷使し、放った攻撃がいとも容易く防がれたフェイルは、思わず天井を仰ぐ。
そして、心中で呟いた。
「一瞬の遅れを作るのにも全精力か……たまらないよね全く」
デュランダルは、フェイルの矢を回避出来なかった。
剣で受けるしかなかった。
それだけ虚を突かれた。
そして、その剣で受けるという動作が一瞬の遅れを生む。
矢の衝突で一瞬剣が押され、一瞬は更に伸びる。
バルムンクを仕留めるための予備動作は本来の数倍に膨れ上がっていた。
それは――――先程まで沈黙してた二人が、次にすべき事を理解し、実行に移すには十分な時間だった。