ヴァール=トイズトイズにとって、エチェベリアという国は最後の希望だった。
そして同時に、第二の故郷でもある。
彼女の一族は、魔力と魔術の進化について研究を続けていた。
停滞する魔術学に未来をもたらすのは、学術の抜本的改革などではなく、魔術という概念そのものの変革。
それくらい大きな変化がなければ、戦争の道具と成り果て、攻撃魔術に支配されている現在の魔術士達は方向性を変えようとはしない。
デ・ラ・ペーニャは衰退の一途を辿る。
そして魔術士と魔術は価値を失う。
その提唱は、しかしながら危機感を煽るには至らず、ただの世迷い言として切り捨てられた。
隣国のエチェベリアで研究が進められた背景には、そういった魔術国家の無理解があった。
ヴァールの両親は第五聖地アンフィールドで生まれ、そこで彼女を生み、そして育てた。
新たな時代の魔術士として。
ヴァールが操る魔術は、その一家の研究の結晶とも言えるもの。
例えば炎や氷の塊に意思のようなものを持たせ、法則性はあるものの術者の思惑なしに動き回らせる。
既存の魔術とは違い、疑似生命を生み出す魔術だ。
これは、皮肉にも魔術に対抗すべく作られた生物兵器と全く同じ模索。
生物兵器もまた、生物を用い擬似的な生命を作り出すことを主分野の一つとしている。
こちらは、例えばドラゴンゾンビのように、複数の生物を組み合わせたキメラの実例も存在しており、実用化に近いところまで来ている。
しかし魔術側は、あくまでヴァールの一族だけが研究を重ねているのみ。
その進捗で敵う筈もなく、またデ・ラ・ペーニャのアランテス教会からの理解を得られる事もなく、研究費の枯渇と共に研究継続は難しくなっていった。
それでも彼等が研究を止めなかったのは、天才が現れたからに他ならない。
アンフィールドの僻地に存在する、本来デ・ラ・ペーニャには存在する筈もない『城』で生まれたその天才児は、両親の研究を誰よりも見事に体現してみせた。
彼女の生み出す『自律魔術』は、炎を、氷を、雷を、風を、まるで別個の生き物のように分立させつつ、その姿を条件付きで半永久的に持続させる事も可能とした。
天才児の名は、エデン。
ヴァールの姉だった。
過去形なのは、彼女がもうこの世にいないからではない。
いるにはいる。
だが、四六時中『エデン』である事が出来なくなった。
エデンはある日を境に、全く別の人間に変わってしまった。
姿は元のまま。
しかし話し方も性格も、そして記憶も、全くの別人。
人格そのものが入れ替わったかのような彼女の振る舞いに、当時まだ幼かったヴァールは困惑した。
そしてそれ以上に取り乱したのが、二人の両親だった。
自分達の研究が、娘から人格を奪った。
本当の理由は不明だが、そう解釈せざるを得なかったからだ。
更にその後、エデンは変化を繰り返す。
一年周期で、次々と別の人格に変化していった。
そしてその都度、記憶は失われていった。
毎年別人になり変わるエデンに、両親は絶望した。
愛情を注いでも、簡単にリセットされてしまう。
そしてその度、罪の意識に苛まれる。
両親はヴァールを連れて、アンフィールドを、そしてデ・ラ・ペーニャを出た。
エデンを一人残して。
無論、家に一人放置した訳ではない。
彼女はアンフィールドの最高権力者である総大司教の子供となった。
記憶がないのを良い事に、実の娘として扱われる事になったという。
それが幸せなのか不幸せなのか、ヴァールにはわからない。
エデンがどんな人生を歩んでいるのか、エチェベリアにいる彼女には知る由もない。
ただ、一つだけ――――姉との繋がりがある。
自律魔術。
自分がそれを使用する事が出来れば、姉との共通点となる。
世界に二人だけ使える魔術という、血の繋がり以上に濃い共有。
両親の意向もあって、ヴァールは自律魔術の会得に励み、人間を模した魔術を生み出すまでになった。
自律魔術の研究の続きは、エチェベリアで行われた。
魔術研究を目立たないよう行うには、最適の空間が存在していた。
そこは、世界各国から訳アリの研究が集まる場所でもあった。
そして――――そこには彼女がいた。
エデンほどではないが、特定の時間帯において別人のようになる女性。
饒舌に言葉を発したかと思えば、一切喋らなくなる時もある。
そんな彼女の秘密を知れば、エデンに何が起こったのかを把握出来るかもしれない。
ヴァールは何度も彼女を、アルマ=ローランを調べようとした。
だが、それは許されなかった。
『ダメよン♪ あの子は大事な大事な、私の宝物なんだからン♪』
雇い主にその都度、釘を刺されたからだ。
しかもそれは比喩とは言い難いものだった。
両親はもうメトロ・ノームにはいない。
当時と現在では、余りに状況が変わってしまった。
変えたのは、ヴァールの雇い主であるスティレットだった。
ヴァールの忠誠は絶対。
そうでなければ、彼女は全てを失う。
一族の誇りも、身内も、未来の希望も。
だが、もしスティレットがアルマを亡き者にすれば、その内の一つは消失してしまう。
とはいえ、自分を生かし、チャンスを与えてくれたという恩義もある。
止めるべきか。
現状を保持するべきか。
ヴァールはずっと苦しんでいた。
『魔力の自律進化。そうか、それが魔術の未来なのか』
答えは、スコールズ家で得た。
自分達一族のやってきた事が正しかったと、その時ヴァールは解釈した。
ならば、例えスティレットに疎まれてでも、殺意を抱かれてでも止めるしかない。
一族の血を絶やしてはならない。
まして、自分よりも遥かに才能があり、自律魔術の今後を左右するであろう天才を目覚めさせる可能性があるのなら、決して潰えるような事があってはならない。
そしてそれは、スティレットの為でもある。
彼女の野望は――――毒だ。
自らをも蝕む毒だった。
「どうやら、ここらしい。この向こうにフェイル=ノートの匂いがある」
そう告げたヴァールに、後ろから付いてきていたファルシオンとフランベルジュは顔を見合わせながら、息を呑んだ。