長い沈黙に深い理由はなかった。
話を聞く事にのみ集中していた、ただそれだけに過ぎない。
だが一つ、気に掛かる表現があった事で、問い質す必要が生じた。
「若者というのは余の事……と捉えて良いのだな?」
エチェベリア次期国王、アルベロア王子は自分に対して敬語を用いない老人に対し、それを非難する事は一切なく、自身を"若者"と表現した事に対し薄い笑みを浮かべる。
それに対するビューグラスの反応もまた、
「儂から見れば、殿下の年齢はまだまだ若者という事」
「フン……本来は青二才とでも言いたいのだろう? 余は不敬罪などに頼らずとも、誇りを傷付ける言葉か否かの審判は出来るつもりだ」
言葉とは裏腹に、アルベロア王子に怒気はない。
「とってつけたような丁寧語もここでは不要。そうでなければ無法地帯とは言えまい」
寧ろ明らかに上機嫌だ。
当然だった。
彼にとっては長年の夢がようやく形になって来たのだから。
「話には聞いていたけれど……本当に王子サマと仲良しだったのねン♪ 本当に油断ならないオジサマだコト♪」
「君とて、各国の首脳と懇意にしているだろう。庶民たる我々が事業を大成するならば、王族の庇護は必須。それだけの根回しが出来ぬようなら、最初から舞台に上がるべきではない」
「全く、恐ろしい年寄りだ。余を前にして、余を利用していると言っているようなものだろうに。貴様には怖いものはないのか?」
やはり苛立ちなど微塵もない様子で、アルベロア王子は心底楽しそうに問う。
彼にとって、ビューグラスとの会話は刺激的だった。
そして同時に、最高の娯楽でもあった。
「無論、ない筈もない。この年まで生きて、生の全てを捧げた研究……それがなんの意味も成さない結果に終わるのは、耐え難い恐怖だ」
薬草学の権威として――――ではなく、薬草を愛した一介の人間として、長年積み重ねてきた研究。
あらゆるものを犠牲にして、身内さえも実験台にして、ようやく辿り着いた実証までの道。
ビューグラスもまた、高揚を隠せずにいる。
「それで、お二方の馴れ初めとか聞いてもいいかしらン? やっぱり教皇がらみなのン?」
「その通りだ、流通の皇女よ。こ奴は前教皇ゼロス=ホーリーの使いとして、余の父の前に現れた。しかしまさか、我が国の国王が代々教皇とあのような密約を交わしていたとはな。国王になるまでに知る事が出来て何よりだ」
「その情報提供が、勇者計画と花葬計画の後ろ盾になる条件……ってところかしらねン♪」
ビューグラスの口元が弛む。
それは肯定の証。
彼が、大量殺人を含む非人道的な実験に着手する最後の箍を外したのは、アルベロア王子の存在――――そう認めた。
「今や義理立てする教皇も、もういない。現教皇は先の密約に対しては余り関心がないようだ。自国の改革が第一と公言している。実に健全だ。ならば、もう必要のない盟約だろう」
次期国王であるアルベロア王子が密約について知るのは、然程問題ではない。
早いか遅いかだけの違いだ。
そしてアルベロア王子は、それをより早める選択をした。
「でも、本当に王子サマがここにいてよろしいのかしらン? 一応確認しておくけど……」
スティレットは唇に一差し指を当て、親指で顎を擦る。
愛撫するように、滑らかに。
「私達がこれからしようとしている事は……他国、それも大半の国の恥部を覗く事ですの。封印が解かれた瞬間、この場にいる全員が容疑者。誰が犯人だろうと、漏れなく口封じの対象になりますのよン」
――――そう。
ビューグラスとスティレットの共通の目的は、アルマ=ローランの封印を解く事。
彼女の居場所はまだ完全に特定出来ていないが、封印を解く手筈は整った。
先に解いておけば、後は彼女を見つけ、彼女の中に封じられた『世界の恥部』を暴くだけだ。
「オジサマもあたしも、その中にある知識を欲しているの。それを得る為なら世界を敵に回しても構わない。全ての名誉を汚して、未来永劫あらゆる国で俗悪の象徴と罵られる事も。その覚悟があって、初めて舞台に上がれるの。王子サマ、貴方はどうなの?」
スティレットの口調が変わった。
彼女には"まだ"、それだけの理性が残っていた。
それは、彼女の右腕であるヴァールでさえも知らなかった。
「……見事な覚悟だ。流通の皇女よ、余は貴様を侮っていたようだ」
「質問にちゃんと答えない男はモテなくてよ」
「成程、では率直に答えよう。余はエチェベリアに冠を乗せる為に生きている。国王の座も、国王の矜持も、その為に犠牲にして一向に構わぬ」
刹那、凄まじいまでの覇気が施療院内の空気を一変させた。
王としての威厳など、当然備わっている筈もない。
彼はまだ王位継承順位一位の立場に過ぎないのだから。
故に、その覇気はアルベロア王子個人が育んできたものだった。
「流通の皇女。貴様がここに至るまで膨大な財を投げ打った事は聞いている。ならば、余がこの場に相応しいか否か貴様が判定するが良い。余が何故、この薬草学の権威の後ろ盾となったかをとくと聞くが良い」
この場に、王族も庶民もない。
聞き手が畏まる事もなければ、語り手がそれを無礼と断じる者もいない。
「『究極の自由とは、不自由が夢見る自由』。それが余の出発点であった」
アルベロア王子は、一片の曇りもなき眼でそう切り出した。
「宮廷が抱える吟遊詩人の多くは、王族を称える為だけに存在する。だがその詩人は違った。余の前で堂々と皮肉を詠いおった。クックック……今思い出しても痛快だった。究極の自由とはすなわち、夢想家が『自由とはこういうものだ』と語った理想だと、そう言い切ったのだ」
それは、決して自由にはなれない王族の運命を、そして国家をも嘆いた詩。
その詩をいたく気に入ったアルベロア王子は、エチェベリアの新たな冠として『自由国家』を提唱した。
「余はそれから、この国がいかに自由であるべきかを説き、同時に自由とは何かを追い求めた。生まれた瞬間から王となる運命を背負い、それ以外の何者にもなれぬ余だけが、自由の答えを得られると信じてな」
アルベロア王子は饒舌に語る。
その瞳孔は開き、声は時折上ずっていた。
それでも声を荒げないのは、抑圧されてきた人間とは一線を画す王族の証でもあった。
「余がこのメトロ・ノームと引き合ったのも、運命の導きと言えよう。ここはまさに自由国家の象徴。不自由にもがいた者達が、己が夢を見続けた場所なのだからな」
ここは、余の庭。
余の為にある空間。
アルベロアの目は、確かに据わっていた。