「――――魔力の正体は」
そこまで話したところで、剣聖ガラディーンは刹那の選択に迫られた。
勝利は目前。
いや既に勝利しているとしても不思議ではない。
自身の折れた剣は、確実にデュランダルの腹部を裂いた。
内臓まで達した確実な手応えこそなかったが、戦闘不能の状態に陥った事は確実。
ここからの反撃はない。
ならば――――迷うまでもない。
それがガラディーンの下した結論だった。
意を決して剣を振る。
彼を一瞬硬直させた原因に向かって。
逡巡はデュランダルに対する追撃に対してではない。
彼の反撃を警戒した訳でもない。
第三者の介入。
僅かに開いた扉から、殺気が射出されていた。
迷いがあったのは、その殺気に覚えがなかったから。
だが同時に、僅かに感じた気配には馴染みすらあった。
紛れもなく知人。
そしてその得物は――――弓矢。
「破!」
剣先が折れている為、普段通りとはいかない。
尤も、普通の剣士であれば自分に向かって放たれた矢を剣で払い落とすなど、折れていない剣でもまず不可能。
しかしガラディーンにとっては『若干の困難を伴う防御』程度の認識だった。
そしてその通り、矢は弾かれる。
矢の中央付近を斬れば先端の方はそのまま自分に向かってくる為、防ぐには剣の腹で弾くのがベスト。
ガラディーンによって防がれた矢は、天井へと飛びそのまま突き刺さった。
常人の腕力ではこうはいかない。
ガラディーンによって弾かれた矢は、弓で放たれた時の数倍の速度だった。
隙も作らない。
剣で飛来する矢を弾きつつも、デュランダルへの警戒は一瞬たりとも怠らない。
だからこそ、彼は剣聖たり得た。
そんな彼が嫉妬する才能――――デュランダルもまた、この唯一無二の機会を逃す男ではない。
「ぬ……!」
依然、ガラディーンは警戒は全く緩めていない。
腹部に致命傷を追わせても尚。
特に彼の生物兵器を埋め込んだ右腕は、何があっても目を離すつもりはなかった。
生物兵器による変質。
人間の範疇を逸脱した動き。
それを実際に体験したガラディーンは、だからこそ、それを完璧に使いこなすデュランダルに無限の敬意と羨望を抱いた。
やはりこの男は選ばれた人間というべき存在。
そう認識した瞬間、ずっと押し殺していた感情が溢れ出てしまった。
勝つ。
この男に勝つ事だけが、残された最後の愉楽。
そして、己を剣聖と認める最後の関門。
剣を極めた頂点だからこそ、求めるものは完璧以外になかった。
日々の鍛錬は最早、技術と肉体の維持でしかない。
これ以上自分を引き上げる動力が残されているとしたら、それは――――勝利。
デュランダル=カレイラを完封した時の心の情動に他ならない。
ガラディーンはとっくに、渇望に溺れていた。
強さを求め、完璧を求め、剣の真髄を求めた彼は、本来なら修練の果てに全ての人格を削ぎ落としていただろう。
それでも彼は感情を抱き続けた。
自分自身を保持していた。
最後の瞬間、満たされた瞬間に達成感を得る為だ。
その人間味が――――明暗を分けた。
デュランダルの反撃は、右腕ではなかった。
左腕でもなかった。
脚でも頭でもない。
顔。
銀仮面と呼ばれ、いつ如何なる時も不変の表情が――――哀れみの笑顔を浮かべていた。
「デュランダァァァァァァァァァァァァル!!」
ガラディーンの精神が汚染される。
自分がとてつもない大罪を犯したような感覚に見舞われる。
仮面が嗤うとは、そういう事だ。
あり得ない屈辱、そして痛烈な否定。
誰に何をされるより、例えば全身裸にされて市中を引きずられるよりも、遥かに恥辱を覚える。
耐えなければならない。
この嘲笑を振り解けば、勝利は得られる。
――――本当に?
ガラディーンにとって、それは果たして願っていた勝利なのか?
恋い焦がれてた瞬間なのか?
あのデュランダルから嘲笑われた時点で、もう望んだ勝利は得られないのではないか?
そう自分自身が詰め寄ってくる。
剣聖としての完成を望んだ。
だからこそ、自分を越える存在になり得るデュランダルを屠り、自分以外の誰も相応しくないと認められる自分を手にしたかった。
ただ倒しただけで、それは得られない。
国王に背いて、国家に背いて、それでも尚、切願した筈の勝利はもっと高潔で――――
「……見事だ」
思考が止まる。
口ではなく心でそう唱え、噛みしめる。
ガラディーンはここに至ってようやく、自身の歪みを理解した。
それは思考の歪み。
思想の歪みではない。
『高潔』などという言葉が脳内に出て来た事で、自分が如何に俗物的な思考に囚われてしまったかを自覚しただけだった。
「某はまだまだ未熟という事だな。そしてお前を過小評価していた。完封するなど、お前を相手に叶う筈もない。まして今の某を笑われ侮辱と感じるなど……思い上がりも甚だしい」
国家に背く騎士など、存在価値はない。
当たり前の事だ。
最初に全て捨てた筈の誇りが、たった一度の嘲笑によってまだ残っていたと痛感させられた。
「ここでお前を殺したところで、完全な剣聖など程遠い……か。だが最早引き返せぬ」
心の声を鎮め、躊躇していた剣を無言で振り下ろす。
デュランダルの右腕は動かない。
この後に及んでマークを外す筈もない。
少しでも肩や肘が予備動作を見せれば、反応出来るだけの用意はしていた。
戦闘前に見抜いた、何かを仕込んでいるであろう左手に対しても。
ずっと握ったままにしたその手に何が仕込まれていようと、決して――――
「……?」
視界が揺らぐ。
ガラディーンは一瞬、意識の自由を失った。
同時に、微かに鼻腔を擽るような香りが嗅覚を包込んだ。
「貴方の敗因は、勝ち方に拘ったからではありません」
剣聖が見せた明確な隙。
手負いであろうと見逃す訳がない。
デュランダルの右腕は、躊躇なくその場でオプスキュリテを縦に薙いでいた。
「非情になりきれず、一対二の戦いである事を放棄してしまった」
矢が自身を襲った時点で、そう認識するのが普通だ。
けれど、ガラディーンは奇襲を仕掛けて来た相手を重要視しなかった。
侮っていたからではない。
理解していたからだ。
その青年は自分にとって敵ではない。
そしてその青年は決して、この戦いをそれ以上邪魔しないと。
これ以上の介入は、自分に"殺させてしまう"とわかっている筈だ――――と。
「致命的な負傷、他者の援護、そして……愚策」
デュランダルの左手から、緑色の葉が落ちる。
磨り潰す事で、人間の意識を微かに遠くする成分を出す薬草。
麻酔に使用する類のものだ。
「構いません。貴方を退けられるのなら、十分な代価だ」
ガラディーンの足下には、四本の指が落ちていた。
折れた剣も。
誇りと――――未来も。
「……これでも届かぬのか」
利き手の指を失った。
機能的な問題ではない。
剣士にとっては、心臓を貫かれるのと同じだ。
「きっと届いていたのでしょう。貴方なら」
腹部から流れる血は、自身の服が吸い続けている。
既に深紅に染まり、次第に床を汚すだろう。
「貴方は優し過ぎたのです。我が師よ」
その前に、デュランダルは去った。
自分が斬った上司を、そして宿敵を、一度も振り返らずに。