かつて積まれていた大量の書物は、やがて全てが王城へと持ち運ばれ、元々本棚のないここは何もないただの部屋と化した。
それは単に、不要な物を取り除いただけではない。
ここに以前の名残を留めるのは、記憶を封じる際に邪魔な情報になりかねないと判断された結果だった。
「素朴な疑問ですが……」
既にこの場における自身の勝ちがない事を知っているハイトは、感情を凍結したかのような声で静かに問う。
それでも魔術士としての好奇心を捨てられない、そんな目で。
「ここでアルマ=ローランが自身の内部に『世界の恥部』を封印した筈。その知識は何処で得たのですか? ここにはエチェベリア国内の恥部しかなかったのなら」
誰に問いかけた訳でもない。
それでも、ハイトには誰が答えるか想像がついていた。
「懺悔よん♪」
その短い回答を発したスティレットは、指を唇に当てたおやかにほくそ笑む。
「ここは元書庫、そして"元懺悔室"。メトロ・ノームに来て、人道に背くような研究を行った人間や、非道な手段で国を追われた人間が、自分と国家の罪を独白するお部屋だったのン♪」
彼等とて――――何の罪の意識も持たずに人体実験や大量殺人の遠因となる生物兵器の発明を行っていた訳ではない。
何の蟠りもなく、理不尽な口封じから逃がれて来た訳ではない。
人間は、罪や憤りを自分の内部だけに留めておく事に辛苦を抱いてしまうもの。
まして絶対的な密室であるこのメトロ・ノームであれば、自然と解放を求めてしまう。
メトロ・ノームの中でも特に密室性が高く、他人が聞く事などあり得ないこの空間は、良心の呵責に押し潰されそうになった数多の者達によって利用された。
ある者は己を責め、ある者は未来を嘆き、そしてある者は自国を嘆いた。
その全てが世界の恥部。
『私の国では国防と称し、何もかも溶かす邪術を他国の軍勢へ使用しようと目論んでいる』
『各国にバラまいている間者を殺害し、その罪を該当国になすりつける事で戦争の発端にしようとしている』
『蘇生術の研究をすべく、小規模の村を壊滅させ、鮮度の高い遺体を約100体調達した』
『他国の王族を洗脳する為に、寄生型の生物兵器を模索している』
そんな呪いの言葉の数々だった。
「それを知っているのは、貴女が懺悔を聞く司祭の役目を担ったからですか」
アランテス教会においても、自罪を聖職者に告白し、神からの赦しを得る信仰儀礼は存在する。
その場合、聖職者は幹部位階7位である司祭が行う。
ハイトの役職だ。
「貴女なら知っているだろうけどン、他人に自分の罪を洗い浚い吐かせるのって結構大変なのよン。だってみんな、自分に都合の良いように事実を歪曲するんだものン。罪の告白で楽になるって主旨なのにねン。人間がどれだけ弱い生き物か、まざまざと見せつけられるって感じがして快感だったわン♪」
「……そうですね。良く知っていますよ」
本心から全てを吐き出そうとしても、何処かに保身が混ざる。
無意識に自身に都合の良いように記憶を改ざんしている者も少なくない。
教会に足を運び、ハイトに己の罪を告白した者の中には、話の整合性がないケースも多く、中には『俺は悪くない』と連呼する者までいた。
神の御前ですら、人は嘘をつく。
真実を引き出すのは極めて困難だ。
「だから、ちょっとだけ素直になれるお薬を調達してもらったのよン。使用法も専門家から聞いたし、司祭経験者から話術のコツも聞いたわン。これでも結構勤勉家なのよン♪」
「神への冒涜、ここに極まれり……ですね」
懺悔と称し、行われていたのは自白の強要。
その内容を書に記したのか、或いは記憶を失う前のアルマ本人に直接聞かせていたのか――――アルマ自身は知る由もない。
「つまるところ、この場で行われてたのは一方的な搾取ですな。メトロ・ノームを『何をするのも自由な場所』と位置付け、世界各国から暗部の情報を入手。だがこれだけでは価値がない。相手が王族であろうと教皇であろうと裏付けを行える者でなければ、到底扱えない案件なのですから」
扱える人間は、世界中を見渡してもごく僅か。
そして、ここにいる流通の皇女であり経済学の権威こそが、それに該当する。
「自由という名の光に誘われ、彼等は自由を失った……いや、自由などそもそも存在しないのでしょうな。それを掲げた途端に自由ではなくなるのですから」
「それは、自由国家を謳う余の方針に対する皮肉か?」
「無論。賢王と呼ぶに相応しき理解力、感服致しましたぞ」
そのクラウが発した痛烈な皮肉は、先程のアルベロア王子の開戦宣言に対する明確な返答だった。
「デュランダル。この憐れな貴族のなれの果てに引導を渡してやれ」
「……御意」
静かな怒りを命令に乗せ、アルベロア王子は――――その場から動かない。
戦場となるよう宣告したにも拘わらず、彼は留まった。
人質としての自身の価値を当然、理解しながら。
「ふむ……」
その王子の選択を、クラウは冷静に分析し、重大な結論を得る。
既に心の折れているハイトをどう使うか。
或いは――――
「我が国の次期国王は存外、銀仮面殿を信用していないようですな」
選択は、単身での戦闘。
フィナアセシーノを下段に構え、その涼しげな目をデュランダルに向けながら――――懐かしむ。
「さて。貴公と一対一でこうして相見えるのは闘技場の控え室以来ですな。当時は一矢報いる事さえ出来ずの惨敗を喫し、お恥ずかしい限り。上塗りとならぬようにしなければいけませんな」
「……」
デュランダルは察している。
あの時のクラウは、自分が殺される事を視野に入れていたと。
クラウはあの一瞬の戦闘でカウンターを狙っていた。
下手に抵抗して全身に致命傷を負うより、一つの致命傷で済ませておこうと判断した上で、無防備な状態を作った。
攻撃のタイミングと箇所をデュランダルに絞らせ、その初撃にフィナアセシーノの閃きを被せようとしていた。
だが、デュランダルの圧倒的速度は、そんなクラウの目論みが表面化する前に戦いを終わらせた。
そしてデュランダルはクラウの絶命を確認したのち、彼が生き返るかどうかを検証すべく、その場を後にした。
案の定、クラウは蘇生した。
尤も、生物兵器の再生を『蘇生』と呼ぶかどうかは議論の余地があるところだ。
「私のような希少種を大事にしたいその意向……いや執念ですな、その執念には同情の念を禁じ得――――」
殺意の閃き。
クラウの言葉を、そしてその首を切断する為の一振り。
オプスキュリテの残像を誰一人目で追えないまま、その斬撃が空を切った事を理解した。
仕留めにいった筈のデュランダルの攻撃は、クラウに届かなかった。
「……やはり貴公は壊れている。最早、あの時のようには行きませんな」
嗤うでも驕るでもなく、クラウは淡々とそう告げた。