それはある種、クラウの呪いだった。
もし彼のフィナアセシーノが、最初から手を切り落とすつもりで振り抜かれていたら、確実にデュランダルは回避出来た。
だがその攻撃は、デュランダルの手を深く抉るには到底及ばない、浅い軌道を描いていた。
だからデュランダルは別の可能性を考慮した。
途中で軌道を変え、首や頭部など他の急所を狙うかもしれない。
或いはフェイントで、自分の攻撃を誘導し躱すのが第一目的なのではないか――――とも。
デュランダルに生じた一瞬の逡巡は、常に完璧な彼の動作を僅かに遅らせた。
故に、クラウは肘を僅かに伸ばせた。
その分、フィナアセシーノはデュランダルの手を彼の想定より僅かに深く抉った。
そしてその大鎌は、デュランダルの動脈へと達した。
死神の呪い。
つまりは――――致命傷だ。
「ビューグラス! 早くデュランダルを止血しろ! 出来ないとは言わせぬぞ!」
負傷した本人より遥かに取り乱しているアルベロア王子の叫声は当然、ビューグラスに届いている。
王族の命令なのだから、それは全てにおいて最優先される。
それがエチェベリアに住む者の義務だ。
「……」
だがビューグラスは動かない。
血を流し続ける自身の手首をじっと眺め続けているデュランダルを、黒の眼で眺めたまま。
そんな薬草学の権威の姿に、スティレットは確信めいた笑みを浮かべていた。
「何をしている!? このままでは取り返しの付かない事になるのだぞ!?」
「生憎、儂は薬草士であって医者ではない。医者が必要だったのなら、カラドボルグは生かしておくべきだった」
「な……!」
無論、薬草士だから止血が出来ない、等という理屈が通る筈もない。
明確な拒否。
次期国王に対して、ビューグラスは反逆の意を示した。
「この地下では全てにおいて自由が許される。ならば、儂が殿下の命に背くのもまた自由。違うかな?」
「フザけるな!! 貴様何を考えている!? 我が国の至宝を見殺しにする気か!?」
「彼はそれを望んでいるようだがね」
その言葉は、夥しい流血にもまるで動じず立ち尽くしたままでいるデュランダルに対し、穏やかに贈られた餞だった。
「何を訳のわからない事を……」
「王子よ、何故その気高き男が自らの身体を生物兵器に汚染させたのか、わからないのかね」
ビューグラスの声は、到底王族に対して向けられるような口調ではなかった。
同時に、これまでほぼ接点などなかった筈のデュランダルへ、確かな敬意を示すものだった。
「決まっている……! 奴はエチェベリアの騎士。その行動と思考は全て、エチェベリア王国の為にある。我が自由国家の構想が成就した暁には、自由を奪う様々な外からの干渉があろう。その脅威からエチェベリアを守る為に……」
「それが貴方の敗因ねン。王子サマ」
全てを察した。
そんな含みを持たせ、スティレットが妖しく声を漂わせる。
「敗因……だと?」
「王子サマだから仕方ないけど、貴方は絶対に自分は裏切られないと決め付けているのよ。そもそも裏切られるって発想がないのよね。だから一番大事なところで裏切られる。今みたいにね」
裏切り――――そう表現しながらも、スティレットの声にビューグラスを非難するような含意はない。
「王子サマにとっては、デュランダル=カレイラの存在は最重要。世界の恥部を土産に、次期国王と次期剣聖のコンビでお父サマに引導を渡し、国民の支持を得て、早々にこの国を手中に納める算段だったのよね? でも残念。オジサマにとって、デュランダル=カレイラは『出来ればいない方がいい人』の一人なのよね」
「……!」
ビューグラスはこれまで一度も、自身にとってデュランダル=カレイラがどのような存在かを語った事はない。
接点がないのだから、語る必要性もないし、聞く理由もなかった。
アルベロア王子にとっては完全な死角――――盲点だった。
「王子サマだから、国民が自分に協力するのは当たり前だって思っていたんでしょ? それも残念。オジサマには貴方とは違う目的があって、その為にここまで来たのよ。勿論アタシも。そして……デュランダル=カレイラもね」
「バカな! デュランダルが余と異なる目的を持っていると言うのか!」
アルベロア王子の怒号にも似た叫喚が響き渡った刹那。
デュランダルの身体が、力なくその場に崩れ落ちた。
「デュ……ラ……!」
それが何を意味するか、理解するのは余りに容易い。
デュランダル=カレイラとは、他者に決して弱みを見せてはいけない人物なのだから。
「ビュゥゥゥゥグラァァァァァァァァァァァァァァス!!!! 治療だ!! その為の薬草学ではないのか!!!」
「残念だが、聞けない願いだ。何故なら、奴は死を望んでいるからだ」
或いは、憐れみ。
床に横たわる銀仮面の姿を、ビューグラスはゆっくりと視界から外した。
「花葬計画の前身……鎮魂計画の根底にあったのは『安楽死』だった。その男は、安楽死を望んでいる。故に、花葬計画の責任者たる儂に止める事は出来ない」
「貴様の美徳など知るものかァァァァァァァァァァァ!!! デュランダルを治せ!! 奴は余の……
余の"憧れ"なのだッ!!!!!」
――――その魂の叫びは、ビューグラス、そしてスティレットすら予想もしないものだった。
あのスティレットが目を見開き、呆然とアルベロア王子を見つめる。
無防備に。
「……殿下」
沈黙を守っていたデュランダルが、全く似合わない、弱々しい声をかける。
アルベロア王子の顔は、先程まで威容を放ち続けた彼のものと同一とは思えないほど乱れ、涙でずぶ濡れになっていた。
「私は……エチェベリアの騎士……故に陛下も……殿下も……裏切れない身……」
「喋るな! その出血ではッ……!」
最早、助からない。
そうとは限らない。
この場にいるスティレットやクラウ、ハイトのように、不死型の指定有害人種ならば、命は繋ぎ止めるかもしれない。
だがそれは同時に、元々の人格が生物兵器によって浸食されるのを意味する。
仮に命は助かっても、最早デュランダル=カレイラではなくなるだろう。
尤も――――
「残念だけど、銀仮面サマは私達とは違うわね。生物兵器の気配が弱過ぎるもの」
「生物兵器をもってしても、彼の魂は喰らう事が出来なかった……のでしょうね」
スティレットの解釈を、ハイトもまた押し潰されそうな劣等感を抱え、同意した。
絶望に包まれる空気に、沈黙が折り重なる。
それをデュランダルが、弱々しく破った。
「私には……指定有害人種の殲滅という使命が……ありました……が……どうやらそれは……」
「果たせないね」
――――傍観状態だったアルマの意識が、大きく跳ねる。
つい先程まで近くで聞いていた声。
けれど、もう何年も聞いていなかったような、そんな錯覚さえ抱くほど、アルマは懐かしく思っていた。
「……結局……ここまで来たのか」
「仕方ないよ。頼まれ事もあるし、止めなきゃいけない肉親もいるし、ケジメを付けなきゃいけない相手もいる。助けたい人も多い。ちょっと不用意に首を突っ込み過ぎたのかもね」
アルマだけではない。
デュランダルもまた、その声が聞こえた瞬間、張り詰めたものが弛んだように見える。
「目が見えないからって、サボってる場合じゃないからさ。来たよ」
「なーにを偉そうに。俺様が運んで来てやったおかげだろ?」
ハルに背負われたその青年を、この書庫にいる全員が迎え入れた。
揃うべき役者の一員として認めていた。
フェイル=ノートという存在を。