自律魔術は、魔力の自我を覚醒させるものではないし、魔力に自我を植え付けるものでもない。
元々存在している自我を、自我のまま魔術化するだけの事。
だからこそ、魔力と化しているアルマに対し、魔術化する事が出来る。
魔術の種類は少ないが、攻撃魔術以外にも『制約系魔術』『解約系魔術』が存在している。
制約系魔術は何らかの要素を制約する魔術で、敵の攻撃に干渉し『軽減』や『無効化』などの制約を与える結界などが該当する。
これは、攻撃系魔術同様、人間の『弱さへの抵抗』が色濃く出た魔術だ。
それに対し、解約系魔術は異質だ。
制約系魔術をキャンセルするという、特定の種類の魔術にのみ効果を発揮する魔術。
これは明らかに自然発生したものではなく、制約系魔術に対するカウンターとして生み出されたものと言える。
魔術に対抗する魔術。
それは攻撃魔術に対する結界と同じ構図に思えるが、結界をはじめとした制約系魔術が魔力の本質である『人間の業』、すなわち弱さへの抵抗に関連していると解釈出来るのに対し、解約系魔術はその限りではない。
このカテゴリーに関してのみ、他の魔術と一線を画している。
解約系魔術は、『鍵』をモチーフに作られた魔術に違いないと、ヴァールの姉エデンは提唱していた。
鍵は閉める役割と開ける役割があり、どちらかに特化していては使い物にならない。
必ず両方の性質を備える必要がある。
だが制約系魔術は、結界によって攻撃を防ぐ、或いは特定の空間を閉鎖する、封印するといった、鍵で言うところの『閉める』のみに特化した魔術。
だったら『開ける』魔術も必要じゃないかと、誰かが考えたのだとエデンは訴えた。
制約系魔術の出発点は空間の封鎖、すなわち『閉める魔術』だったと言われていて、なのに『開ける魔術』を同時に作らなかった無責任さそのものが人間の業だとも。
人間は、他者に隠し事をする生き物だ。
何も隠さず開示する者もいる事はいるが、それは極少数。
殆どの人間は、心の何処か一部に開かずの間を作り、一方的に閉ざしたままでいる。
だから制約系魔術はその形のまま生み出された。
でもそれだと、制約系魔術は鍵の役割を果たせない。
この魔術を鍵と同じであるべきだと考えた誰かが、開ける魔術――――すなわち解約系魔術を発明したと、エデンは考えていた。
ヴァールは当時、まだ幼かった事もあって、エデンの主張を正しく理解は出来なかった。
しかし覚えてはいた。
彼女と別れ離ればなれになっても、その記憶はずっとヴァールの中に残り続けていた。
エデンは何かを開けたかった。
自分の中に生まれた幾つもの人格を解放したかった。
だから、そのような着想に及んだのだと、今になって姉を理解した。
「……条件がある。事が終わったら、アルマ=ローランに無限に質問をする権利を私に与えろ」
ヴァールは確信していた。
天才魔術士だった姉エデンとアルマは、同じタイプの人間。
余りにも常人離れした才能を持っていた為に、常人の範疇から逸脱した世界を内界に広げた存在なのだと。
なら、アルマだけが唯一、数多の人格を生み出した姉を救う方法を知っている。
そこにヴァールは希望を抱いていた。
「アルマさん。どう?」
『知ってる事しか答えられないけど、それでいいなら構わないよ。断る理由もないからね』
「了承したそうだ」
「……貴様の都合で勝手にそう言ってるだけじゃないだろうな」
「僕が自分の都合を優先するのなら、今頃自分の店で好評な新薬を売ってるよ」
説得力のあるフェイルの言葉に、ヴァールは表情を崩さないまま、小さく頷く。
そして、その視線を一瞬――――ファルシオンに向けた。
「……」
「……」
直ぐに視線は戻り、フェイルの方に歩を進める。
そんなヴァールの様子を、ハルに拘束されているビューグラスは目を細めながら見つめていた。
自分でなくてもいい。
薬草士が世界の恥部を覗く役割を担うのであれば、それこそが悲願だ――――と言わんばかりに。
尤も、そんな彼の思惑も表情も、今のフェイルには一切見えてはいなかった。
「通常、自律魔術は自分の魔力を自律化する。この表現も便宜上のもので、実際には『表に出ない魔力の自我を表面化させたまま魔術にする』が正しい」
「それを、アルマさんを自律化する形で封印を解くんだね」
「そうだ。自分の魔力じゃなく、ここに漂っているというアルマ=ローランの魔力を魔術にする。その際に自律化する事で、そいつの意思が魔術に顕在化する。それが、封印を解く"鍵"になる」
ヴァールは既にルーンを綴っていた。
攻撃魔術のように、数文字や十数文字といった数ではない。
ほんの十秒足らずで、既に三十以上の文字が綴られているが、まだ指は止まらない。
「封印を解く為に、解約系魔術を使うとする。でもそれは、特定の魔術に対しての解約効果しかもたらさないから、効果はない。でも自律魔術による解約魔術だったら、アルマ=ローランの自我が解約系魔術に芽生える。解約系魔術そのものが人格を得る。そうすれば、彼女の意思次第で封印は解ける筈だ」
「えっと……ファル、あいつが何言ってるか翻訳出来る?」
「難しい事は言っていません。彼女達一族は、魔力にはその人特有の人格が宿っていると考えていて、だったら自律魔術っていうのはその人格ごと魔術化する技術と言えます。ここまではわかりますか?」
「……わかるような、わからないような」
「なら続けます。次に、本来魔術は自分の魔力をエネルギーにして出力しますが、今ヴァールは他者の魔力……アルマさんの魔力、というかアルマさんは魔力になっているので、アルマさんそのものを使って魔術を出力させようとしています」
つまり、他人の魔力を消耗して魔術を使うという事。
「そんな事出来るの?」
「普通は出来ませんし、自律魔術であってもやはり出来ないのが普通です。ただ――――」
「魔術を行使するのがアルマさん本人だったら、出来る」
ファルシオンの発言を遮るように、そう答えたのはフェイル。
だが決して邪魔する意図はない。
「アルマさんは封術士だから、当然制約系魔術のスペシャリストだし、解約系魔術にも明るい。彼女なら、ヴァールが今綴っているルーンと全く同じ編綴を行える……だって」
アルマ本人の言葉を、フェイルは代読した。
「自分の意思だけでは、世界の恥部の封印は解けない。そういうふうに厳重に封印されているからね。でも、彼女の魔力の中に封印されている以上、解き方も魔力が知ってる。その魔力の自我を、ヴァールの自律魔術で顕在化する」
「……なんかもうよくわかんないんだけど。兎に角、アルマがヴァールの真似すれば封印は解けるって事でいいの?」
「それだけ理解出来れば上出来です」
決して皮肉ではなく、ファルシオンは素直に感心した。
実際、フランベルジュの理解で間違いない。
そしてこの方法は、ヴァールではなく――――
「……」
未だ俯いたままのスティレットが考案したものだった。
「……よし。これで最後だ」
『覚えるのが大変だね。それに、ルーンに込める魔力も複雑だし。これは無理かもしれないよ』
「なんか弱音吐いてるけど、多分大丈夫っぽい」
『信頼して貰えてもあんまり嬉しくないよ。でも頑張るよ』
アルマの声は、フェイルにだけ聞こえる。
弱音も、奮起も。
『自分の為だからね』
巨大な地下空間メトロ・ノームを管理し、そこに通じる扉全てを封鎖してきたアルマは今、自分の中に眠る禁忌を開放しようとしていた――――