メトロ・ノームは自由を象徴する空間。
そこで交わされる会話や発言は、法律的、道徳的、人道的にどうであれ罰せられる事はない。
フェイルの発言は、地上であれば即座に不敬罪が申告されるものだったが、この場でその指摘を行う者はいなかった。
「貴様は余に、父殺しになれと申すか」
「貴方が生き延びて自分の目的を果たす為には、それしかありません。もし貴方がほんの少しでも、親子の情をかの王に期待しているのなら、世界の恥部を覗いてきた責任者として、完全否定します」」
まるで死刑宣告のような面持ちで断言するフェイルに対し――――アルベロア王子の口元が微かに震えた。
「わかっている。父にそのような情はない。それは余が誰よりもわかっている」
「……はい」
そしてフェイルもまた、彼と同じ立場にある。
だからこそ出過ぎた真似をしてしまう。
この空間だからこそ許される、ではなく。
「一つ問いたい。もし余が父を殺して国王の座に就いたならば、良き王になれるだろうか?」
それは、スティレットやビューグラスではなく、フェイルに向けられた言葉だった。
彼もまた、フェイルに対し何らかの共鳴を抱いていた証だ。
「……欠落した親に育てられた人間はやはり、何かしらが欠落しているんでしょう。貴方も、僕も」
フェイルはビューグラスに育てられた記憶はない。
けれど、まだ物心が付く前、確かにその身はシュロスベリー家にあった。
その事実が、フェイルの中で致命的な空洞を作った。
「幸せにはなれないと思います。欲しい物も、きっと手に入らない。でも……良き王にはなれますよ。選択を間違わず、他に何も望まなければ」
「それは手厳しいな」
「正直、貴方には恨み事だらけですから」
自分を飾らず、王と話せる機会など二度とない。
だが、そんな心持ちでフェイルは話していない。
デュランダルをその手にかけた時から、既に覚悟はしていた。
だから今は、開き直りに等しい。
「フェイルさん……?」
そんなフェイルの心情を、ほんの少しでも察する事が出来るとすれば、それはファルシオンのみ。
不安な感情を隠しもせず、少し強張った声で問う。
何を?
「……大丈夫だよ。僕は」
何が?
言葉が透き通っていく。
水のように。
風のように。
「話もついたみたいだし、そろそろ解散しましょうかねン♪」
にこやかに、スティレットが告げる。
それは、長らく続いた勇者計画、花葬計画、そして世界の恥部を巡る戦いに終止符を打つ言葉だった。
「勇者計画はここで終わり。王子サマにこれ以上、勇者ちゃんの事を悪く言う理由もないでしょ? それはお父様を付け上がらせるだけだから。花葬計画は……」
「生物兵器を用いた生死の制御方法と、その手段……儂の知りたい事を、君とフェイルが知ってしまった。続けるのなら、儂はそのどちらかに情報提供を受ける必要があろう」
「つまり、ここで止めている限り国王サマの野望は果たせない訳ねン。なら保留。あたしと薬草士ちゃん、どちらかが外に漏らさない限りはねン♪」
世界の恥部を覗いた二人は、もう知っている。
生物兵器を体内から除去するには、何が必要で、どんな方法を用いれば良いのか。
生物兵器の支配から脱するには――――体内の魔力が生物兵器を攻撃し、排除するのを待つしかない。
現在、それを自然に行える人間はいない。
だが将来、出来るようになるかもしれない。
自律魔術の発達によって。
魔力が意思を持ち、体内の生物兵器が宿主を脅かす存在と認識した場合、魔力は体内で生物兵器を攻撃する。
最初はその攻撃も上手くはいかない。
だが学習を続けていく内に、有効な攻撃手段を自力で習得し、やがて撃退に至る。
自律魔術は、その手助けが出来る唯一の手段。
同時に、魔力の自律化によって、人間は更なる免疫や潜在能力の開花を実現させるだろう。
故に、自律魔術は人間の進化の鍵となる。
「フェイルちゃん」
不意に――――スティレットが名前でフェイルを呼んだ。
「あの子は貴方に預けようと思うけど、構わない?」
「……え?」
"あの子"が誰を指しているかは想像に難くない。
アニスの生物兵器を除去するという、フェイルの悲願の鍵を握る魔術士――――ヴァールだ。
「あら、そんなに不思議? あたしがフェイルちゃんの為に便宜を図るのが」
「不思議というより無気味かな……理由は?」
「失礼ね。今のヴァールは、うっかりあたしを殺しかねないから近くには置けないの」
敢えてヴァールの方を見ながら、スティレットはそう断言した。
「スティレット様! それは……」
「あたしにとって死が唯一の救済だと思ってるんでしょ? 今のあたしは昔、貴女を認めて称賛した頃のあたしじゃない。生物兵器に浸食されて性格も中身も変わったって。違う?」
「……」
二の句が繋げる筈がない。
ヴァールがフェイルにそう話した事は、フェイルと一体化した時点で筒抜けなのだから。
「今のあたしが、身体の中の生物兵器を剥がして外にポイッて捨てたら、間違いなく廃人でしょうね。それくらい根付いているのは、なんとなくだけどわかってるのよね」
「……みたいだね。今のスティレットさんは、多分素だ」
話し方が、世界の恥部を覗いていた時のスティレットに戻っている。
だがそれは、彼女が意図して行っているに過ぎない。
自己の記憶を再度見返す作業の中で、かつての自分を客観視したからこそ出来る事だ。
「でも、あたしは死なない。このあたしのまま、世界を牛耳ってみせるつもりよ。例え、あたしが誰一人知らないあたしになったとしても」
「スティレット様!」
「ヴァール。貴女はもう少し人生を勉強なさい。その後で考えが変わったら、また雇ってあげる」
彼女はもう、次に向かって動き出している。
協力者だったビューグラスも、アルベロア王子も、最早眼中にない。
自分を元に戻すつもりもなければ、正すつもりも毛頭ない。
得た情報を元に、更なる高みを目指す。
自分が自分でなくなったとしても。
歩みは止まらないし、流れは止められない。
それが――――流通の皇女だった。
「……なんなの、あの女。最後まで訳のわからない奴」
背を見せ歩き出したスティレットに対する、この場で最も相性が悪いであろうフランベルジュの呟きは、ある意味この場にいる人間の総意だった。
「実際、彼女はもうこの場に用はないんだろうね。でも僕達は違う」
ここには、アルマ=ローランの魔力が漂ったままでいる。
今すぐそれをどうにか出来る手段は持ち合わせていない。
これもまた、自律魔術の発展に賭けるしかない。
ただ、アルマの魔力が今後もここに留まっている保証はない。
魔力が消えないよう、何処かに流れてしまわないよう一先ず固定する必要がある。
そしてもう一つ。
「……力尽きた人達は、これからどうなるのでしょうか」
ファルシオンが、誰にともなく呟く。
クラウ=ソラスは蘇生型の生物兵器を宿している。
生物兵器自体が力尽きない限りは、また復元する事になるだろう。
だが、デュランダルは――――
「恐らく、この方はこのままでしょう」
そう告げたのは、同じく生物兵器を宿したファオ=リレーだった。
ヴァレロン・サントラル医院の院長グロリア=プライマルの秘書。
アマルティアの一員で、花葬計画の研究に長く携わり、今はメトロ・ノームの監視を行っている男の――――
「……!」
一瞬、背筋が凍るような悪寒を覚え、フェイルは身を竦ませた。
そして次の瞬間、目にしたのは――――
「ようやく、悲願を果たせそうです」
左腕でアルベロア王子の身体を貫く彼女の姿だった。