これは――――各界の権威が集結して行われる、主要国首脳会議のようなもの。
ただ、王族がこの中にいる訳でもないし、公的なものではない。
寧ろ真逆の、到って私的な集い。
薬草学。
医学。
魔術学。
生物学。
経済学。
兵学。
その六つの学問において、とりわけ造詣の深い、そしてその最先端の情報を握る六人が、ここにいる。
目的は、それぞれの分野の発展。
ただし、必ずしも全員の利害が一致している訳ではない。
全員の思惑が理路整然としている訳ではないし、道徳的に正しいとも限らない。
それでも、彼らは今日も集う。
無論、質と鮮度の高い情報を求めている側面もあるが、それはあくまで副次的な理由に過ぎない。
まして、仲間意識など微塵もない。
彼らが何よりも欲しているもの。
それは――――
我欲。
つまるところ、普通の人間と何一つ変わらない。
当然だ。
彼等は神でも悪魔でもなく、この世界に生まれ育ち、それぞれの時代でもがきながら今の地位に就いた者達なのだから。
「好奇心の持続、ですかね。僕の場合は。発想力とか想像力って、好奇心が涸渇したらなくなっちゃうと思うんですよ、きっと。年を取れば取るだけ実感します。刺激を貰わないと立ち行かないんですよね」
生物学の権威であるリジルは、決して茶化すような物言いではなく、至って真剣に誰にともなく訴える。
この中に、世の中をどうにかしようと志している者はいない。
自分を中心に据え、自分をどう求めていくか――――それだけの為に動いている者ばかりだ。
「……自分は、あの方がここで何を見て、何を学び、何を持ち帰ったのかを知りたい。それだけだ」
兵学の新鋭、トライデント=レキュールもまた己の為だけにここにいる。
トライデントが今自分で言った事を実現させたとして、それが"あの方"の役に立つ訳ではない。
あくまでも、彼自身の欲を満たす為に過ぎない。
「私はあくまで暫定的な位置付けとしてここに籍を置かせて貰っています。魔術国家にとって、決して無視できる面々ではないので」
そう主張する彼――――ハイト=トマーシュもまた、自分自身にとって重要な情報を欲してこの場にいる。
暫定的という言葉はあくまで、自分の立場がこの会合に相応しくない、魔術学の権威という立場が自分に釣り合っていないという謙遜に過ぎず、誰かに席を譲るつもりは今の所ない。
何故なら、彼には『命ある限り勇者候補だった少年の輝きを伝え広める』という使命があるからだ。
「若き天才を失った傷は今だ言えぬが……この老骨にその埋め合わせが出来るのなら、多忙な身なれど喜んで差し出そう」
かつてこの会合に顔を出していたカラドボルグ=エーコードの死を巡り、ヴァレロン・サントラル医院はその調査を進めている。
非常勤とは言え、彼が最後に務めていた病院なのだから、不審死で終わらせる事は出来ない。
そういう名目で、院長グロリア=プライマルは参加している。
彼には、医師会のナンバー11の肩書きが新たに加わっていた。
「本来なら、儂もそろそろ次世代を育てる為に教鞭を執る立場となるべきなのだろうが……流石にそれは叶うまい。儂の墓場はここと決まっている」
リジルと並び、古参の域に達しているビューグラスは、何処か満足したように呟く。
彼は現在、生物兵器の研究を凍結させ、しかしその記録を誰に譲渡するでもなく保持し続けている。
この場に残り続けている事も含め、真意を他人が推し量るのは困難だ。
ただ、彼の家には娘がいる。
決して仲は良好とは言い難く、本人もまた距離を縮めるつもりはない。
それでも、独り立ちするその日まで、責任を持って彼女の生活の基盤を守る責務が彼にはある。
父親だからではない。
それが条件だからだ。
「アタシは……そうね。付き合いの良さ? こう見えて、人との縁は大事にする方なのよ。人と人とを繋ぐ仕事だから、当然なんだけどね」
彼女――――経済学の権威であり流通の皇女でもあるスティレット=キュピリエの出した条件。
現在、薬草学の権威は彼女によって生かされているようなものだった。
「……」
「なあに? リジルちゃん」
「いえ、すっかり僕の知るスティレットさんではなくなったなあ、と思いまして」
「あたしはいつだってあたしでしょ? 不純物が混ざったとしても、今となってはそれもアタシの一部。ちょっと時間はかかったけど」
世界の恥部を覗き、スティレットは夥しい量の知識を得た。
しかし人間は決して、自分の限界を越える量の記憶を有する事は出来ない。
無意識下で選別し、必要な記憶だけを残すように出来ている。
スティレットは――――自分自身を補完した。
過去のあらゆる世界の悪行から、そこに繋がる自分自身の人間性を組立て、中には本当に過去の自分が関わっていた事件や凶行を見つめながら、かつて自分がどんな人間だったかを客観的に認識し、人格を寄せた。
生物兵器の影響で変質した自分自身を矯正した、と言える。
「まさかそんな目的で世界の恥部を覗こうとしていたなんて、想像も出来ませんよ。しかもあの流通の皇女が」
「そう? あたしにとって一番大事で、何より失いたくないのはあたし。なら当然、それを奪い返すのが最優先でしょう?」
「確かに……ブレない人ですよね。恐怖すら感じますよ」
生物兵器を生み出した主要スタッフの一人であるリジルにとって、現在のスティレットは天敵に等しい存在だった。
ある意味、誰よりもハッキリと生物兵器をねじ伏せたようなもの。
正攻法でないとはいえ、その衝撃は小さくない。
「でも、だったらそれをカラドボルグさんにも伝えておけば良かったのに。あの人、最後までずっと貴女を元に戻す為に頑張ってたんですよ? まあ、貴女にこんな事言っても意味はないでしょうけど」
「……」
「スティレットさん?」
「なーんでもない。早く今回の議題を言えば?」
六人中三人が、まだこの集いに参加し始めて間もない面々。
しかし初々しさなどなく、古参の二人のやり取りを或る者は興味深そうに、或る者はしかめっ面で眺めている。
緊張している人間など一人もいない。
「それじゃ、会議を始めましょうか。今回の議題は二つ。一つ目はグロリア先生、貴方の持ち込みですね」
「先生、などとは勿体なき御言葉。どうぞ呼び捨てにして頂きたい。我々にとって、貴方は神にも等しい存在なのだから」
かつて、メトロ・ノームにて生物兵器の研究を行っていたアマルティアの生き残り。
そのグロリアにとって、リジルは自分達の遥か上を行く存在であり――――人生を決定付けられた"宿命"そのものといった人物。
言葉通りの敬意など微塵もなく、リジルは内心ほくそ笑んだ。
「こう見えてそこそこの年齢ですけど、流石に貴方よりは年下です。ではグロリアさんと呼びましょう。それで、元秘書のファオ=リレーについて何か進展があったとの事ですが」
「ええ。長らく逃亡中の身でしたが、ようやく連絡が取れましてね。何度も国王暗殺の機会を窺っていたようですが、結局断念せざるを得なかったようです。余程、厄介な護衛がいるのでしょうな」
現国王のヴァジーハ9世がまだアルベロア王子だった頃、彼女は後一歩で暗殺が実現するところまで彼を追い詰めた。
だが、奇跡的に一命を取り留めた事で、逃亡し潜伏する身だったファオは再び決起せざるを得なかったが――――実現できないままついに心折れてしまった。
「彼女を如何致しましょうか」
元秘書である彼女の存在は、既に袂を分かったとはいえ、グロリアにとって毒となりかねない。
それ故の情報開示だった。
「つまり、誰か利用できそうな人がいたら紹介しますよ、って解釈で良いんですよね?」
「無論。指定有害人種としての能力は然程高くはありませんがね」
「わかりました。僕が引き取りますよ。ハイトさん、構いませんか?」
リジルがそうハイトに問いかけた理由は、彼もまた生物兵器に汚染された人物だからに他ならない。
ただ、ハイトはリジルを微塵も恨んではいないし、最早自分自身に対する興味すら消失していた。
「ええ」
短く答えたハイトに一瞬、リジルは表情を崩す。
しかし直ぐに立て直し、もう一つの議題を口にした。
「次ですが……」
「アルマちゃんの件でしょ?」
進行役のリジルを差し置いて、スティレットがその名を出す。
メトロ・ノームの元管理人。
今は代役もおらず、地下空間からは夜の概念が消えてしまっている。
「その一件なら、自分も把握している」
無口なトライデントも、この件については率先して声を上げた。
彼にとっても――――そしてこの場に全員にとって、無関係ではない。
「そう言えば、ここにいる全員と接点がありますね。彼は」
何処か楽しげにリジルはそう呟き、改めて声にした。
議題というより、これから起こる奇跡の時間への称讃を込めて。
「フェイル=ノートおよび彼の仲間が、メトロ・ノーム管理人アルマ=ローランを元の姿に戻す方法を見つけたようです」