――――10年後。
「妙だ」
高級な石材で作られた厚壁に背中を密着させながら、空を見上げポツリとユグド=ジェメローランは呟く。
ここは、要塞国家ロクヴェンツとその隣国である侵略国家エッフェンベルグとの国境。
侵略国家――――というと物騒に聞こえるが、実際には多数の侵略行為をした過去を持っている国家ということで、そう揶揄されているだけだ。
少なくとも今は表立ってケンカを仕掛けるようなことはしていない。
けれど、過去の経緯が尾を引いているのか、ロクヴェンツとエッフェンベルグは現在、微妙な緊張感の中で隣り合っている。
そんな中、国境の警備を委任されているのが――――
「何が妙だってぇ? 言ってみろよぉー。悩みがあるならリーダーのこの俺に相談しろっていつも言ってるだろぉー。遠慮なんてするなよぉー」
このやたら粘着質な喋り方が癪に障る、シャハト=アストロジー率いる国際護衛協会『アクシス・ムンディ』だ。
国際護衛協会という組織は民間の護衛集団で、特定の国に肩入れすることなくルンメニゲ大陸のあらゆる国家において護衛を派遣するという、ギルドとも違った特殊な機関だ。
なので、それなりに費用はかかるものの、中立色の強さから余りトゲなく登用できるというメリットがある。
尤も、信頼の面においては絶大とは言い難い。
まだそこまでの歴史を積み重ねていないのと、妙に若い女性が多い点が不安材料として挙げられている。
あと、リーダーが粘着質なのも。
「なぁー、何が妙なんだよぉー。言ってみろってばぁー」
「……独り言にまで粘着しないで下さいよ、リーダー。単に、ここでこうしている今の自分が妙だと思っただけです」
心底ウンザリした顔で、隣にいるシャハトに向けてユグドはそう吐き捨てた。
「なんだよぉー、その顔はよぉー。酷ぇヤツだなお前はよぉー。忘れたのかよぉー、一年前に金がなくて困ってるお前に救いの手を差し伸べた俺の優しさをよぉー。お前あの時捨てられた子豚みてぇーな顔してたからよぉー、俺すっげー優しくしてやったじゃんよぉー。それなのによぉー、上司で恩人の俺をそんな邪険に扱うなんてお前、それ外道じゃねぇかよぉー」
「……せめて口数を三分の一に減らしてくれれば、もう少し違った対応になるんですけど」
「無理だよぉー。これが俺だもんよぉー。俺のアイデンティティをお前は何の権限があって奪おうってんだよぉー。ちくしょー、どいつもこいつも俺を軽んじやがってよぉー。特にアイツがひでぇんだよぉー、新入りの女がよぉー。名前はトゥエンティとかヌカしてたけどよぉー、アレ絶対偽名だよなぁー」
いちいち話を広げる上、話し方自体が間延びしているシャハトの情けないタレ目に辟易しつつ、ユグドはこの男の口車に乗った一年前の自分の決断を全力で後悔した。
――――事の発端は、今から十年前まで遡る。
当時まだ七歳だったユグドは『とある事件』を契機に、周囲の人間から疎外されるようになった。
それだけならまだしも、謂われのない誹謗中傷を毎日のように浴びせられた。
仕事で忙しい親を心配させないようにと、一人で抱え込んでいた。
そんなユグドの少年期、支えとなったのは――――
『守る』
そんな短い言葉。
これが何を意味するのか、ユグドは一切わからない。
ただ、頭にこびりついて離れないこの言葉の意味を探ろうとすることで、ユグドは辛い生き甲斐を見出していた。
守る、とは何か。
危機や害から防ぐという意味だけなら、ここまで頭には残らないだろう。
もっと別の意味があるのでは――――そう探っていく内に、ユグドはちょっとした哲学的思想にのめり込んでいった。
そして、15歳になったある日、一つの結論へと辿り着く。
それは――――守るとは『人間らしさ』そのものだということ。
人間は誰しも、何かを守って生きている生き物だ。
自分の命は言うまでもなく、例えば家族、主君、約束など。
生きていればその間、意識的、無意識的に関わらず、何かしらを守っているものだ。
ただ、自分や家族の命を守るだけなら、動物、或いは植物でさえも本能として身につけている概念に過ぎない。
しかしながら人間は、自分とは関係のない他者までも守ろうとする。
そこには様々な思惑や計算があるのだろうが、それも含め、他人を守るというのは人間に特化した行為と言えるだろう。
であるならば、他人を守ることに特化した人生を歩むのは、自分が人間として生まれ、人間として生きている証明と同義ではないか。
なら、それこそが自分の生きるべき道なのではないか――――
そうユグドは考えるようになった。
漠然とではあるが、人生の道標を得た少年の行動は実に迅速だった。
まずは、自分が守護すべき対象の探索だ。
なるべくならば、主目的だけではなく副次的な目的も欲しい。
人間である以上、そこには心があり、幾ら目的が強固であっても揺らぐ可能性は否定できないのだから、求心力の強い要素は幾つあってもいい。
それは、自分の欲求に素直であればあるほど望ましい。
ユグドは男だ。
まだ青年と呼べる時期は遠いが、いずれそうなるのは明白なのだから、青年としての自分が望むものがいいだろう。
そう判断し、出した結論は――――『男は女を守るものだ』という一年前に読んだ英雄譚の一説を模倣することだった。
15歳という少年期に位置していた当時のユグドは、まだ異性に対する具体的欲求が芽生えていない。
好奇心に留まる程度だった。
けれど、これが2年後、3年後となれば話は変わってくるだろう。
世の中の殆どの17、18の男は、積極的に女性を欲するという。
特に、グラマラスな女性を欲するという。
その感覚は、若干わからなくもないと考えていたユグドは、守るべき女性の設定を『同い年の胸が大きい女の子』に決定した。
同い年なのは、自分の寿命が尽きるまで同じ歩幅で人生を歩み、ずっと守り続ける――――という意思表示だ。
そして、幸いにも設定した『守るべき女の子』は直ぐに見つかった。
同じ街に住み、けれど一度も話したことのない女の子。
同い年で、けれど出自が不明で一度も遊んだことのない謎多き女の子。
若干15歳ながら『龍騎士』という世界に数人しかいないと言われている階級に属している、自分とはかけ離れた存在の女の子――――
ラシル=リントヴルムだ。
ラシルという名は、500年以上前に数多の戦果をあげ『龍の巫女』と呼ばれ英雄視されていた女性騎士ラシルに肖って付けられたという。
灰色の長髪と少しおっとりとした目が印象的な美少女だが、その外見からは想像もできないほどの猛者で、ハイドラゴンと呼ばれている翼の生えた巨大なドラゴンの背に乗って天を翔る様は、龍の巫女の再来とさえ言われている。
ただ、ユグドが着目したのはそこではない。
胸だ。
ラシルは15歳とは思えないほど胸が大きい。
尤も、その大きさを知る人物はごく僅か。
何故なら彼女は、常に胸を細長い木綿の布で圧迫しているからだ。
鎧を装着する為には、胸は邪魔なのだろう――――そうユグドは解釈していた。
で、何故ユグドがその事実を知っているのか。
答えは明瞭。
見たからだ。
街外れの森にある湖のほとりでドラゴンを休ませ、彼女は水浴びをしていた。
それを偶々、実家の武器屋『ジェメローランの破壊力』の手伝いの為に森で薪となりそうな木材を拾い集めていたユグドは、見てしまった。
確かに、ラシルの胸は大きかった。
衝撃的だった。
その一方で腕や脚、太股はそれほど太くはなかった。
鎧を身につけ、ドラゴンの背で槍を構える龍騎士の腕が細いというのは奇妙なことにも思えたが、ラシルの扱う槍はレイピア並に細く、鎧もかなり軽い物を付けているんだろう――――そう自己完結した時点で、ユグドは自分が既にラシルを守ると決めていたことを自覚した。
街の英雄とさえ言われている龍騎士を守ることができたならば、自分の人生は人間として健全だったと胸を張って言えるだろう。
ただ、問題が一つある。
ユグドは15歳男子の平均より華奢な身体であり、そこにとある身体的特徴も関与し、特に際立った戦闘技能はない。
魔術士でもないので、無類の強さを誇る龍騎士を闘いの場において守る術は皆無だ。
しかし、守るという言葉の定義は闘いに限定されるほど狭くはない。
最終的に、彼女が満足のいく人生を全うできれば、守り抜いたと言っていいだろう。
ラシルは龍騎士。
なら、龍騎士として多くの功績を残し、たくさんの人に感謝されるような人生を彼女が歩む為の補助をすればいい。
それがすなわち、彼女を守るということ。
ラシル=リントヴルムという女の子の人生を守る、ということに繋がる。
ラシルは器量が良い。
それに胸も大きい。
そんな15歳の女の子を狙う敵は、何も龍騎士としての敵ばかりではないだろう。
あらゆる意味で守り抜く必要がある。
知り合いになるべきかどうかは、現在も思案中だ。
親しくなった方が守りやすいという考えと、陰からこっそりと支援する方が守りやすいという考えが、毎日のように入れ替わって堂々巡りとなっている。
何にせよ、重要なのはラシルとの関係性などではなく、守るという意思をしっかりと実行すること。
そう結論付け、ユグド=ジェメローランは自分の人生を定義した。
同じ街に住む、龍騎士ラシルという少女を守る為に生きよう――――と。
守る相手が決まったなら、次は手段だ。
当然、同じ騎士として並び立ちラシルを敵のあらゆる攻撃から守るというのは現実的ではない。
そもそも、それを必要とする存在でもない。
ラシル=リントヴルムには数多の武勇伝が存在する。
最新のものを紹介しよう。
たった一行で終わるような簡易な物語だ。
山賊団を三日で壊滅させた。
補足するなら、この山賊団とはユグドやラシルの住む要塞国家ロクヴェンツに巣くう最大規模の盗賊集団を指す。
一箇所に留まっている訳ではなく、国の到る所に拠点を構え、数多の街や村に甚大な被害を与えていたクズ共だ。
ロクヴェンツの面積は、近隣にある他の国――――魔術国家デ・ラ・ペーニャやエチェベリアとほぼ同じくらい。
大陸の中では標準的な面積の部類に入る。
その中に点在していた山賊を、たった一人と一匹で、たった三日で駆逐したという訳だ。
最早それは、強さがどうとか、機動力がどうとかいう次元の話ではない。
未来永劫伝説に残る英雄の圧倒的実行力だ。
要塞国家と呼ばれるほど他国からの侵略に対しての防衛に長けている、すなわち防衛する為の戦力が整っているロクヴェンツにおいて、若干15歳で龍騎士の階級を得ているのは、単にドラゴンに乗れるからという訳ではない。
国内屈指の純粋な戦闘力と実行力を有しているからだ。
国家もこの実力にはこれ以上ない評価を与えている。
ラシルが王宮に留まっていないことが何よりの証拠だ。
ラシルは『自由』という特権を得ている。
これは騎士としては極めて例外的であり、通常ならば実力に関係なくあり得ないことだが、龍騎士という階級の性質上、ある意味最も妥当な特権でもある。
他国や自国民へのアピールという意味合いも重ね、国内屈指の実力を誇る少女は今日も故郷であるこの街、リンベルの上空をドラゴンに跨がり舞っている。
街を守る為だ。
つまり、ユグドは街を守る少女を守るという目的を持って、この街にいることになる。
勿論矛盾は何処にもない。
ただ、100人中100人が「滑稽だ」と答えるだろうが、それはユグドにとってどうでもいいこと。
重要なのは、目的の為の手段だ。
前置きが長くなったが、ユグドはその手段に心当たりがあった。
武器屋の息子、という自分の生い立ちを最大限に活かした手段だ。
『世界最強の武器をラシルに譲渡する』
守る為に武器を渡すというのは一見矛盾しているようにも思えるが、実際の戦闘において武器は防具以上に身を守る手段となり得る。
敵の武器を防ぐのは、大抵の場合自分の武器だし、強い武器であればあるほど敵を一早く無力化し、戦力を殺ぐことができる。
攻撃は最大の防御、という兵法の常道があるが、これは何時の時代も正しい。
ならば、世界最強の武器を入手することが、ユグドの人生を全うする為の副次的な目標となるだろう。
武器屋の倅だけに、武器には少なからず愛着と造詣がある。
実に求心力溢れた目標だ。
当然、英雄となるであろう美少女を守るというのも、心躍る目標だ。
異性にそれほど強い執着がなくても、その点においてはユグドは強い魅力を感じていた。
斯くして、ユグドは旅に出る決意を固めた。
世界最強の武器を手に入れる為の、雄大かつ困難な旅だ。
主目的は明らかにせず、世界最強の武器を手に入れたいという副次的な目的のみを両親に告げると、特に父親は涙を流して喜び、ユグドの旅を祝福した。
罪悪感は特にない。
嘘を吐いている訳ではないし、真実を話すことが全てでもない。
ユグドはその点、割と大人だ。
長く厳しい旅になると、両親が手渡してくれた餞は『ぼうきれ』と『袖の長い布の服』。
これで身を守れ、ということらしい。
どうも、両親とは『守る』という定義において価値観の相違が見られると嘆きつつも、熱い交渉の結果、ユグドは『こん棒』と『袖の長い旅人の服』を得て、世界最強の武器を探す冒険に打って出た。
すると意外にも、出発から僅か一ヶ月で最強候補の一つとなり得る武器を発見することができた。
――――龍槍ゲイ・ボルグ
稲妻を帯びた槍で、使い手の突きの速度を大幅に増加させるという伝説の槍だ。
数百年も前からその存在を確認されておきながら、歴史上表舞台に現れる機会は殆どない、幻の槍でもある。
武器屋の倅であるユグドは、武器に関する知識はそれなりに豊富。
実在するかどうかさえ怪しい武器だったが、外見の特徴が文献と一致したことから、間違いないと確信することができた。
決め手は装飾。
槍頭と柄の接合点に施されている彫刻細工の中央に、龍の目を模した真っ赤な石が飾られてある。
この石の赤は単一色ではなく、まるで炎が揺らめいているかのように無数の橙色と絡まり合っていて、これは他のあらゆる鉱石や宝石と一線を画したものだ。
女性への贈り物としては最適の武器だろう。
比較的細身で、女性でも扱えそうな点も重要な点だ。
ただ、発見することと入手することは必ずしも同義ではない。
実際、ユグドは在処を見つけることはできたものの、この槍を手にすることは叶わなかった。
理由は極めて単純。
龍槍ゲイ・ボルグは売り物で、買えるような価格ではなかったからだ。
売っている店は、侵略国家エッフェンベルグの田舎町『メラー』にある武器屋。
決して流行っているとは言い難い。
そんな武器屋に世界最強クラスの武器が売っていることに、ユグドはモヤモヤしたものを感じる一方で、これ以上ない好機だと値段を確認したところ――――8500万マルツという額だった。
エッフェンベルグとロクヴェンツの通貨は異なるものの、この数字がとんでもない金額だというのは想像に難くない。
実際、巨大馬車付きの豪邸が3つは買えるくらいの額だった。
武器一つでその非常識な値段設定ということは、逆に言えば本物の龍槍ゲイ・ボルグだという有力な証であり、その武器屋がゲイ・ボルグの価値を知った上で売っているとわかる。
事実、この武器屋には世界各国からゲイ・ボルグの価値を知る人間が『もっと安く売ってくれ』と足繁く通っているらしいが、武器屋の主人は一向に首を縦に振らないそうだ。
理由は、聞いてはみたものの詳細は教えてはくれなかった。
ただ一言『この値段で買える人間を探している』と。
今のところ、龍槍ゲイ・ボルグに8500万マルツの価値を付けた買い手はいない。
ユグドも、この槍が世界最高峰の贈り物になると半ば確信してはいるが、それでも8500万マルツは余りに高すぎると思っている。
一生かけても稼げない可能性が極めて高い額だ。
とはいえ、これ以上龍騎士ラシルに似合う武器はそうそう見つかりそうにない。
どうにかして、安く、或いはタダでゲイ・ボルグを入手できる方法を模索する方が建設的だと判断し、一年の歳月を掛けて交渉術を磨いた。
元々、実家の武器屋で店番をする機会も多く、商品の仕入れを手伝うこともままあったため、交渉は慣れたもの。
その上、色んな街を渡り歩き、色んな場所で色んな職業の人々と話をすることで、人心掌握の術や知識を増やしていった。
そして、その結果――――路銀が尽き、途方に暮れるハメになった。
先程シャハトが話していた『救いの手を差し伸べた』というのは、この時期だ。
『守る』という行為を自分自身の存在証明と位置づけたユグドにとって、国際護衛協会という冠は魅力的に聞こえた。
守ることを仕事にしている専門家たちが、どんな仕事をし、どんな生き方を実行しているのか、興味が湧いた。
その結果、アクシス・ムンディの一員として世界中を飛び回ることとなった――――
【Yggd & Rasill ; RHAPSODY】
前へ 次へ