「何者……なんです? 貴女は」
冷や汗を問いながら問うユグドに対し、ラシルの姿をしたその女性は満足げに頷き、笑みをより濃くする。
屈託のない笑顔でありながら、邪悪さも兼ね備えているその表情には、年季のようなものが見え隠れしていた。
「ラシル=リントヴルムで相違ない。むしろ、この妾こそがラシルじゃ。先程まで貴様と会話していたオナゴは妾であって妾ではない」
「どういうことか、わかりかねますが……」
「話してみるがよい。貴様が今、妾と先程の朴訥なオナゴをどう感じているのか」
あからさまな値踏み。
ユグドは内心苛立ったが、守るべき相手が意味不明な存在でい続けるというのも困る。
まして、状況も切迫している。
切り替えの早さは、交渉術を身につける上で手に入れた副産物。
今のラシルの状態を、あらためて思慮してみる。
明らかに、口調が違う。
雰囲気も全く違う。
別人に切り替わった、というのが一番妥当な答えなのかも知れない。
問題は、それがどのような方法、仕組み、カラクリで行われているのか。
物憑きのような状態なのか。
特殊な薬や力を用いているのか。
少なくとも、判断できるような材料は全くない。
果たしてそれを口にして、目の前のラシルと名乗る女性が納得するのか――――
「……女性?」
ポツリと、思わず口にしたその言葉が手がかりとなった。
今のラシルの口調は、女性というより老婆。
それを指摘すると、スィスチのように憤慨してしまうかもしれないので敢えて声にはせず、思考を重ねて行く。
目の前の、ユグドと同い年の少女が老婆ということはあり得ない。
だが、よくよく考えてみると、15歳の時点で龍騎士として世界中にその名を知らしめていたという実績もあり得ないもの。
いくら天才であっても、戦争もないこの平和な時代に、15歳でそこまで名を売る機会に恵まれる可能性は極めて低い。
けれど、あり得ないこともまたあり得ない。
現実に起こっている以上、あり得ることが複雑に絡み合って、あり得ないように見えているだけに過ぎない。
なら、一度分解してあり得ることを見つけなければならない。
ラシルは15歳の時点で有名になり過ぎている。
なら、15歳という前提がそもそも誤りなのではないか?
現在は17歳の彼女の顔は、当時も今も年齢相応。
身体に関しては成熟しているように見えるが、それもあり得る範囲だ。
妥当ではある。
あるが――――それだけに納得してしまう。
違うとしたら?
彼女が15歳ではなく――――実は口調通り老婆の年齢だとしたら?
とはいえ、これだと外見が余りに若々しすぎるし、先程まで話していた言葉が途切れ途切れの少女は一体なんだったのか、という根本的な疑問が浮上してしまう。
特に前者はあり得ないことだ。
若い身体をした老婆など、あり得ない――――
「……あり得ない、のか?」
「なんじゃ。妾に聞いておるのか?」
「いえ……永遠の命とか、不老不死とかを信じている訳じゃないんですけど。若い身体を保ち続けるというのは、可能なのかどうかと疑問に思いまして」
この回答が正解だと思っている訳ではない。
それでも敢えてユグドがそれを口にしたのは、ありきたりな内容ではないと判断したからだ。
ラシルは今、ユグドを値踏みしている。
なら、ありきたりでない回答を期待しているに違いない。
重要なのは、核心を突いているかより、それ。
そう考え、ユグドが紡いだ言葉は――――
「ほう。この短時間でそこに辿り着いたか」
確かに、ラシルを満足させるものだった。
「妾にも事情がある故、全てを話す訳にはいかぬが、その着眼点は正しいと云っておこうかの」
「……」
情報は小出しに。
その小出しの情報で、有効な情報を釣る。
交渉の基本だ。
ユグドはしてやられたと内心嘆くのと同時に、自分の守る対象がとんでもない相手なのではないかという不安に駆られた。
尤も、それで揺らぐほどユグドの信念は弱くない。
「この件に関しては、保留にしておきましょう。それより問題はこの状況です。結構、切迫してると思いますよ?」
「うむ、そうじゃの。どうやら妾は謀られたようじゃ」
「謀られた……? ああ、そういうことですか」
直ぐにピンときたユグドは、筋道を立てて理解を深める。
龍槍ゲイ・ボルグを手に入れたいラシル。
彼女の元に『ゲイ・ボルグを売っている武器屋がピンチ!』という情報が届く。
当然、全速力で武器屋へ直行(その際に不法入国)。
犯罪者となり、疑いの目を向けられやすくなったところで、辿り着いた武器屋には荒らされた跡と血染めのゲイ・ボルグ。
加えて武器屋の主人は行方不明。
そこへ、警備の仕事をしている人間が駆けつける。
よって――――
「犯人はお前だ!」
突然、ユグドは右手人差し指をビシッと伸ばし、そう叫んだ。
「……と、濡れ衣を着せる為ですね」
「そういうことじゃ。妾はよほど誰かに嫌われているのかのう」
少し寂しげにため息を吐くラシルは、まるで茶飲み友達の家で口を言っている老婆のようだった。
ただし、外見は紛れもなく少女。
その意味不明なギャップが痛々しい。
「そういう訳で、妾は無実じゃ。夕刻に一度訪れた際には主人は不在じゃったが、中は荒れてはおらんかった。所用で一旦離れ、夜になってもう一度駆けつけてみれば、このザマというワケじゃ」
「……証拠はあるのかね?」
目を回しているチトルの傍で腰を落としてたクワトロが、睨みつつ問う。
それに対し――――
「愚か者めが。貴様等を殲滅させなんだが、何よりの証拠じゃ」
しようと思えば、今すぐにでもできる。
ラシルの全身から、そう主張するような殺気が漲った。
笑顔のままの顔も、どこか禍々しく歪んで見えるほどの殺気――――
「説得力はありますね」
「じゃろ? 昔から迫力あるオナゴと言われてきたものじゃ」
何処か満足げに、ラシルはユグドの頬に自分の手を乗せ、そこに浮かんだ冷や汗を指で拭ってやった。
「そういう訳で、この件は貴様等に預ける。疑いの目を向けられている以上、これを持ち去る訳にもいかぬしのう。アクシス・ムンディとやらがどの程度の規模の組織化は知らぬが、国際護衛協会と名乗るのであれば官憲への連絡くらいはできるであろう」
ラシルはクワトロへ向けて血塗られたゲイ・ボルグを差し出しながらそう告げ、魔女の如く微笑んだ。
相当な実力者であり、40手前のクワトロをまるで子供扱い。
ユグドは内心、確信に近いものを得ていた。
ラシル=リントヴルムと名乗る今の彼女が、自分と同い年ではないということに。
「ところで、武器屋の倅」
「オレですか……?」
眉を潜めるユグドに、ラシルは頷きつつ再び近づく。
そして、吐息の音が聞こえるまで顔を寄せ――――
「貴様、妾にホレておるな?」
そう囁いた。
「……は?」
「惚けずともよい。貴様の熱視線はこの場で常に感じておった。妾の人生経験は豊富なのでな、その手の感情は直ぐに感知できるのじゃ。我ながら罪作りな女よの。かっかっか」
一頻り高笑いしたのち、ラシルは半眼でユグドを見つめ――――
「身の程知らずめが」
それだけを吐き捨て、再び笑い出した。
「……」
ずっと守ると誓ってきた相手が性格に難のある老婆だと知り、ユグドのイライラは頂点に立とうとしていた。
が――――
「……私の祖母が……失礼をした……」
突然、ラシルの口調が先程までの少女のものに戻る。
入れ替わった、ということか。
だが、それより気になる言葉があった為、ユグドはその一点に着目した。
「祖母?」
「そう……祖母。おばあちゃん」
「いや、それは言い直さなくてもわかるから。さっきまでの君は祖母なの?」
コクン、というよりカクンとラシルが頷く。
「祖母は既に他界したけど……私に乗り移って……私であるかのように振舞う悪癖が……」
「随分ハタ迷惑な悪霊だな」
「……そんなことない……多分」
ラシルは首を振って否定したが、ユグドにとっては守ると決めている相手に老婆――――しかも身内の老婆が乗り移っているとなると、ハタ迷惑以外の何物でもない。
尤も、この祖母の件はとても無条件で信じられるような話ではないが。
「それじゃ……私はこれで……」
「待つがいい。不法入国、そして傷害罪の現行犯たる君を逃がす訳にはいか……」
足早にその場を去ろうとするラシルを、クワトロが引き留めようとした――――その刹那。
「キュルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル!」
突然、耳を劈くような咆哮。
というより異音。
思わず身をビクッと震わせたクワトロの手を引きはがし、ラシルは武器屋を出て、そして――――
「あ……」
いつの間にか外に来ていたハイドラゴンの背に乗り、追ってきたユグドを見下ろしていた。
「同郷の……人……」
そして、最後にユグドへ向かって訴える。
「……私を……拘束するのは無駄……私は龍騎士……自由の騎士だから……」
淡々と、しかし切々と。
ユグドの返事は決まっていた。
「あらゆる罪と罰から、君を守る。それがオレの生きる意味だ」
「……?……」
「こっちの事情だ、気にするな。今回の件はオレらが適当に処理しておくから、お咎めはなし」
ヒラヒラと手を振り、無罪放免を保証したユグドに、ラシルはおっとりとした目をそのままに、軽く会釈した。
「また……いつか……」
そして最後にそう言い残し――――ドラゴンと共に空へと飛び立った。
ユグドは、雲の切れ間に吸い込まれていくその後ろ姿を、いつまでも眺めていた。
その後。
クワトロが官憲に報告したことで、侵略国家エッフェンベルグの国境近くにあった武器屋で起こった店舗荒らし事件は明るみに出ることとなった。
しかし、その後の調査でも証拠は何一つ見つからず、行方不明中の武器屋主人が見つかることもなかったため、武器屋は自然と店じまいとなってしまった。
問題は、その武器屋にあった龍槍ゲイ・ボルグだが――――
「……なくなった?」
ルンメニゲ大陸中央に位置する、中立国家マニャンの中心都市『バルネッタ』。
その校外にひっそりと構えられたレンガ造りの建物――――国際護衛協会アクシス・ムンディの拠点『守人の家』で、ユグドは怪訝そうな顔をシャハトへと向けた。
「そんな顔すんなよぉー。俺はただ、お前が関わった事件だから情報下ろしてやっただけじゃんかよぉー」
「いや、別に怒ってる訳じゃないんで、そんなビビらないで貰えますか? そもそもリーダーには威厳というか、威厳というべきか、威厳という抽象的な表現で申し訳ないんですが、要するに威厳が不足しています」
「威厳威厳うるせーよぉー。威厳がなんだってんだよぉー」
「事実だにゃー。リーダーは迫力なさすぎだしビビリだし、全然リーダーらしくないにゃー。っていうか、ぶっちゃけザコキャラみたいだにゃー」
ユグドの傍でにゃーにゃー鳴いているのは、猫格闘家のユイ。
あらゆる素性が謎な格闘家だ。
「う、うるせーなぁー。俺だって気にしてんだよぉー。リーダーらしくしてぇって思ってんだよぉー。でもよぉー、人間23歳を超えたら中々性格は変えられねぇって言うしよぉー、もうこのままでいいんじゃないかって思ったりもしてよぉー、考えがグルグル回って毎晩うなされてるんだよぉー。だから寝不足で迫力がないように見えてるんだよぉー」
「うるさいし、しつこいし、粘着質だし、面倒なリーダーだな……」
迫力がないのがその所為なのかどうかはともかく、寝不足なのは健康にもよくないので、なるべく早く解消すべきです。
「ユグドよぉー、思考と言動があべこべになってるんじゃねぇかよぉー?」
「そんなバカな」
「こ、こいつ、リーダーを一笑に付しやがったよぉー。なんて恩知らずだよぉー」
やれやれと肩を竦めて、ユグドはテーブルの上に出ている朝食に目を向けた。
山菜のサラダと山菜のソテーと山菜の煮っ転がし。
使用されている山菜は複数種あるが、正式な名称は全て誰にもわからない。
「山の幸は天の恵みよォン。美味しく頂きましョウ、頂きまァス!」
アクシス・ムンディの面々の一部は仕事がない期間、この守人の家で衣食住を共にしている。
スィスチのように家を持っている者はそちらで優先的に寝泊まりするが、偶にはお泊まりにくることもある。
仕事だけのドライな関係をリーダーが嫌った結果、こういう形になった。
尚、食事の号令を掛けたのは、家事全般を担当している元傭兵王のオカマ、ウンデカ(21)。
アクシス・ムンディ随一のパワーと家事能力を併せ持つ化物だ。
ついでに顔の大きさも随一だ。
「で、リーダー。ゲイ・ボルグがなくなったというのは……」
「やァン! ゲイなんてそんなフ・シ・ダ・ラな言葉使わないでェン!」
「……」
ユグドは想像の中でオカマ傭兵王をこれでもかと言わんばかりにこん棒で殴り倒した。
「き、気の所為かしらァン? 何だか蹂躙されたキ・ブ・ン」
「スィスチさんの言ってたことは間違ってなかったのかも……それよりリーダー」
「本当だよぉー。クワトロが官憲に預けたんだけどよぉー、いつの間にか紛失しちまったらしいんだよぉー。あのゲスども、クワトロを最初に疑ったんでシメてやったらよぉー、白状したんだよぉー。まったくよぉー、ウチのメンバーにドロボウするヤツなんているはずないのによぉー」
シャハトのメンバー愛は凄まじい。
アクシス・ムンディの誰かが外部の人間に貶されたり傷つけられたりした場合、鬼のような強さを発揮する。
その際のシャハトの恐ろしさを知るユグドは、果たしてどちらが強いのだろう――――と、ふと考えた。
比較対象は勿論、あの武器屋の中で初めて会話をした、守るべき対象。
彼女とコンタクトをとったことが、果たしてプラスになるのかどうか、それは全くわからない。
ただ、感情論が先走りそうだという確信はあった。
『貴様、妾にホレておるな?』
あんなことを言われては、仕方がない。
尤も、ラシルに対して抱いた胸の高鳴りが果たして恋愛感情なのかどうかはユグド自身にもわからない。
もう17歳なのだから、恋とか愛とかそういうものに対しては自己管理できなければならないのだが、ユグドはどうにもその手の話が苦手だった。
原因は、自分の手にある。
人より一本ずつ少ない指に。
――――人間じゃねーよ、お前
その手の中傷を毎日のように浴び続けた子供時代。
何に対しても臆病な自分がいた。
だが、今は違う。
人間らしく生きていくべく、順風満帆な人生を歩んでいる。
きっと恋愛だって上手くできる。
今回、ゲイ・ボルグを手に入れることはできなかったが、世界最強クラスの武器はまだ他にもある。
ラシルにその武器を譲ることが、彼女を守ることにつながり、また自分の武器屋の倅としての生育歴を活かすことにもつながる。
親孝行、かどうかはわからないが、それもまた人間らしいと言えるだろう。
そんな希望を抱きつつ、山菜のサラダを口に含んだ。
「……ウンデカさん、これ本当に食べられる山菜なんですか? なんか一口食べた瞬間に目眩とかしてきたんですけど……」
「心配ないわよォン! ワタシが食べても体調ゼンゼンフツーだからァン!」
「健常な人で毒味、しました?」
「いやァァァン、失礼ネェ! ワタシ健常ヨォォォ!」
そう叫びながら両腕を振り回すウンデカ(21)の身長は、2mを超えている。
もう一度表記する。
化物である。
「……ごちそうさま」
「あにゃにゃー? ユグドっち、もう食べないのかにゃ?」
「ちょっと具合が悪くなって……あ、欲しいなら全部食べていいですよ、オレの分」
「にゃにゃにゃにゃにゃ!」
既にユイはユグドの山菜メニューに食らいついていた。
「ユグドよぉー」
自室に引きこもろうとしていたユグドを、シャハトが引き留める。
「どうもあの事件、まだ終わってない気がするんだけどよぉー。お前はどう思うよぉー?」
「同感です。チトルは知りませんけど、クワトロさんもそう思ってるんじゃないですか?」
「だろうなぁー。そういえばお前、スィスチ知らねぇかなぁー? 最近姿見せてねぇよなぁー。身が入ってねぇなぁー。この前の仕事でも伝達が遅れてたしよぉー」
「どうせまた、お気に入りの宝石が見つかってそれに夢中なんでしょ」
「ったくよぉー、仕事と趣味の区別は付けて欲しいぜぇー」
そう会話しながら山菜メニューをつついていたシャハトは、嘆息しつつ首を左右に振り、そのまま痙攣してバタンと椅子から転げ落ちた。
「り、リーダー!?」
流石にユグドもこの事態には狼狽を禁じ得ず、ユサユサと白目を剥いたシャハトを揺する。
「あらァン、どうしたのかしらリーダーァ。絶頂?」
「いや、泡吹いてますって! 明らかに山菜に当たってるでしょコレ!」
「ンモォォォォ、メンド臭いリーダーァよネェ」
「ホント、面倒臭いリーダーにゃ」
それに関しては誰一人異論を挟まなかったが、リーダーが泡を吹いて倒れているのを放置するわけにもいかないので、体力に自信のあるユイとウンデカがバタバタとシャハトを最寄りの施療院へと運んでいった。
絵に描いたようなドタバタ劇。
このアクシス・ムンディに加入してから、毎日のようにそれが続いている。
「……ま、いっか」
それでも、主目的に一歩近づけたことを満足しているユグドは、頭を掻きながらそう呟き、二度寝すべく自室へと戻った。
「そういえば……スィスチさんに宝石商との交渉、頼まれてたっけ」
そんな数日前の記憶を思い出しながら。
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