邪教、という概念に普遍的な意味合いを求めるのは困難を極めるが、余りにも宗教団体が多く密集状態にあるベルカンプ内における邪教の定義は『世の中に害毒を与える邪な宗教』が最も一般的だ。
では、慎ま乳教団の何が邪教なのか。
慎ま乳を愛でるだけなら、少なくとも他人に迷惑は掛からないのだから、邪教と呼ぶのは横暴なのではないか――――そう思っている人間も多いようだ。
ならば、邪教の定義をもう少し具体化してみるとしよう。
例えば『世の中に害毒を与える邪な宗教と密接な関わりがある宗教』ならどうか。
間接的ではあれ、世の中に害毒を与える存在と言えるだろう。
慎ま乳教団に限らず、宗教国家ベルカンプに集っている宗教団体の中には、邪教と呼ばれる有害な宗教と関わりを持っている連中が少なからず存在する。
そしてその中には、邪教という括りすらも生温い、恐るべき有害性を持った集団もいた。
その団体は――――ドラウプニル教団。
かつて大陸征服を目論んだとされる、まさに『劇薬』とさえ呼べる教団だ。
このドラウプニル教団が残したとされる22の遺産を集めている人間および勢力は、ルンメニゲ大陸において多数存在している。
思惑は人それぞれ、各勢力によって異なっているが、慎ま乳教団はドラウプニル教団と同じ宗教団体。
その意思を継ぎ、大陸を支配しようとしていると見なされても不思議ではない。
もし本当にそうなら、間接的ですらなく真の邪教と言えるだろうが、慎ま乳教団の目的は大陸征服ではなかった。
では何故、22の遺産を集めているのか。
彼らが欲しているのは、遺産の中の一つ――――
女神の首飾りブリーシンガメンのみだった。
「ククク……ついに、ついに我が手中に収めたり」
慎ま乳教団の教祖、グライム=ベノワルンの恍惚とした声が響きわたる中、数人の教徒に押さえ付けられ石畳に伏したノアは険しい顔で目の前の教祖を睨みつけていた。
油断は一切なかった。
この慎ま乳神殿に潜伏してからは常に気を張っていた。
自分に注意を惹きつけて、三人を逃がす。
それはある程度上手く行った。
あとは自分が抜け出せば解決――――そのはずだった。
誤算だったのは、慎ま乳教団の狙い。
彼らにとって、メンディエタの王族はノアをおびき寄せるためのエサでしかなかった。
「道理で、簡単に逃がすことができたはずよね……」
「没落した王家など眼中になし! この神秘溢れる首飾りこそが唯一無二の目的物なり!」
グライムはすっかりハイになっていた。
ノアが解放を目指していた三人が監禁されている部屋は、神殿の奥の更に奥にあった。
見張りが常駐していた為、抜け出すのは不可能。
そこで、ノアはあるイベントに着目した。
慎ま乳女王決定戦――――誰が最も優れた慎ま乳かを決める、年に一度のビッグイベントだ。
当初は、ティラミス王女が最有力とされていたらしい。
やたらチヤホヤされていたし、王女も満更ではなかった様子。
だがノアが護衛団の一員という名目で教団内に出入りするようになってからは状況が一変した。
ティラミスがどれだけアピールしても、皆の目はノアの胸部に向けられるようになってしまった。
誰も自分を見てくれない。
居たたまれない。
もう、ここにはいられない。
そんな心理と、幸か不幸かティラミスへの注目が一切なくなったこともあり、ティラミスは簡単に逃げ果せることができた。
余談だが、その後ノアは慎ま乳女王に満場一致で選ばれ、賞品の『ベニヤ板一年分』をゲットした。
問題はその次。
ティラミス以外の二人をどうやって逃がすか。
そこでノアは、見張りの連中が無力化するよう画策した。
慎ま乳女王奪取を記念した挨拶回りだ。
自分を支持してくれた教徒に、お酒を持って挨拶に回る。
実に礼儀正しいこの振る舞いは教祖から許可され、ノアは沢山の支持者にお酒を振舞うべく自ら神殿内を歩き回った。
そしてその支持者の中には、見張り役の教徒もいた。
あとは、見張り役に過剰に酒を勧め、ベロベロに酔わせ前後不覚にしたところで二人が脱出。
見張りだけではなく、多くの教徒が酒に酔い朦朧としていたこともあり、作戦は成功。
――――ノアはそう思っていた。
「貴女は意外とお強い。乱暴な人種のいない我が慎ま乳教団が正面からブリーシンガメンの奪取を試みれば、逃げられてしまう恐れもあった。そこで、機を狙っていたのだよ」
今のノアは、酒を勧めながら自分も飲んでいた為、足元が覚束ないほどの酩酊状態ではないものの、かなり酔っている。
隙を突いたはずが、実は突かれていた。
その事実は癪に障るが、ノアにとっては悲観すべき状況でもない。
最大の目的である王女の奪還には成功したのだから。
できれば自分も無事に脱出し、アルカディア家の責任を最後まで果たしたかったが――――それは欲張りすぎだと自覚し、覚悟を決めた。
「ククク……ついに念願成就の時は来た。長らく、長らく待ち侘びたぞッ!」
ハイなままのグライムの言葉にも、最早興味はない。
アルカディア家の末裔、そしてメンディエタの女神と呼ばれた偉大な母フライヤの娘として、メンディエタ王家再建の為に尽くし、朽ち果てていく自分の生き様に後悔は――――
「これでついに我も慎ま乳を持つ女性となれるのだッ!」
――――
「……は?」
全ての現実に諦観の念を傾け、死をも受け入れようとしたノアも、今の発言は無視できなかった。
「睨下、おめでとうございます!」
「我ら慎ま乳教団一同、万感の思いです!」
ノアを取り押さえている数名の教徒が、涙声で祝福を叫ぶ。
その中に、ノアの元部下らしき声も混ざっていた。
だが、今はそれどころではない。
「……女体化……する気? う、嘘でしょ? 貴方、どう見ても老齢でしょ? 女体化してどうするのよ?」
「無論! 自ら慎ま乳となり教団のシンボルとなるのだッ!」
クワッと円らな眼を見開き、グライムは吠えた。
仮に、この教祖がブリーシンガメンを身につけ、女体化したとしよう。
出来上がるのは、慎ましい胸をしたギョロ目の――――老婆。
「そして、このベルカンプを拠点とし、我の魅力で大陸全ての国に慎ま乳教を布教するのだッ! 全ての国の全ての市町村に我の銅像を建てるのだッッッ!」
「い……いやあああああああああああああああああああああああ!?」
ノアは戦慄を覚えた。
それはそうだろう。
自分が命を賭けて紡いだメンディエタの未来像に映り込んだ慎ましい老婆の銅像に、絶望を見出さないはずがない。
「心配するな。ノア、とか言ったな。貴殿も立派な慎ま乳の持ち主。決してその死は無駄にはせぬ。我が銅像の隣に、貴殿の銅像を立ててやるとしよう」
「いっやあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
ノアは発狂した。
それはそうだろう。
自分が命を賭けて紡いだメンディエタの未来像に映り込んだ慎ましい老婆の銅像の隣に自分の慎ましい銅像がそびえ立つ未来に、永遠の闇を見出さないはずがない。
「だ、ダメ……それだけはダメ。死ねない。そんな未来を残して私、死ねない……!」
グライムの野望は、ノアに生への渇望を湧き出させた。
とはいえ、数人の教徒に押さえ込まれている現状で何ができるのか。
それに、武器も防具も今は装着していない。
今回の作戦のため、ユグドが保証人となって宿からは取り戻すことができたが、今は神殿内の自分の部屋に置いてある。
幾ら強いとはいえ、彼女は侍女。
闘いの専門家ではないのだから、武器がなければ多くは望めない。
とはいえ、まさか挨拶回りを行うのにアームブレイドを装着する訳にもいかず、選択の余地はなかった。
「さて、銅像を造る為に正しい体型を把握しておかなければならぬ。安心せい、我は胸の大きさを手で測ることが可能。だからこそ教祖なのだ」
手をワキワキさせながら、グライムが近づいてくる。
「くっ、来るなーーーーっ! まだ誰にも揉まれたことないのにーーーーっ!」
「よいではないか、よいではないか。慎ましいその乳、撫でるように、円を描くように測ってやろうぞ」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
絶体絶命。
ノアが思わず目を瞑ったその時――――
「俺様もよぉー、いずれは銅像になるくらいの大物を目指してるけどよぉー。そんな測り方はねぇーよなぁー」
広い神殿内に、間延びした語尾が特徴的な低い声が響きわたる。
グライムが顔をしかめ振り向くと、そこには――――
「貴殿は……!」
「どうも睨下。お久しぶりです」
中央のシャハトとユグドをはじめとした、アクシス・ムンディの面々が横一列に並んで立っていた。
「……感動っしょ。こういうカッコ良い登場、一度はやってみたかったっしょ」
「伝説の七英雄とか、そういうノリだにゃ」
「興奮しますふんー!」
「いや、七人いねーし」
両翼のセスナ、ユイ、チトル、トゥエンティが楽しげに雑談している為、緊張感は余りないが――――
「ウチの隊員が何か粗相をしでかしましたか? 随分と乱暴な押さえ付け方をしてますけど」
「いや、これは……」
ユグドとグライムの間にだけは、痺れるような空気が漂っていた。
「言い難いことではあるが、言わねばなるまい。確かに粗相があったのだよ。貴殿の組織の者が捕えていた賊を不注意で逃がしてしまって……」
「確かにそれは失点ですね。とはいえ、数人に押さえ付けられている理由としては不可解です。何より不可解なのは……その首飾り」
ユグドが指差したのは、グライムの右手。
ブリーシンガメンの握られた手だ。
幾らミスがあったとしても、自分の部下でもない人物の装備品を取りあげるというのは――――あり得ない。
「納得いく説明を願えますか? グライム教祖。できなければ、この件はルンメニゲ連合に報告します。あそこには、知り合いのノーヴェ=シーザー氏もいますので」
「ノーヴェ……!」
露骨に、そして唐突にグライムの顔色が変わる。
ヴィエルコウッドの若き皇帝である彼が、22の遺産を集めていることは多くの人間の知るところ。
もしこの件が報告されれば、ブリーシンガメンが取りあげられてしまうのは時間の問題だ。
「貴殿は……全てを知っていたのだな。いや、この登場のタイミング……最初から全て仕組まれていたのかッ!」
「いえいえ。仕組んだのはそこに這いつくばってる女性です」
そんなユグドの唐突な指摘に、ノアは目を丸くした。
それが単に、例の『22の遺産奪取計画』を指している訳ではないのは明らかだったからだ。
「ティラミス王女ですが……暴走王女というだけあって、確かにトリッキーな行動をする方なんでしょう。でも、だからといってアクシス・ムンディに逃げ込むのはおかしい。地理的にここからは余りにも遠いし、そもそも幾ら国際護衛協会とはいっても自称ですから。知名度もないし、王女が知っていたとは思えない」
「自称だったの!?」
丸くなっていたノアの目が更に拡大し、皿のようになった。
「つまり、ティラミス王女にオレの所へ行くよう指示したのはノアさんです。でも、ここで一つ問題が。ティラミス王女は暴走王女でありポンコツなので、指示しても言う通りに行動しない可能性が高い」
「あら、うふふ。照れますね」
ちゃっかりついて来ていたティラミスは何故か顔をしっとりと赤らめていた。
「回避方法は一つ。あらかじめ、すべき行動を紙に書いて渡していたんでしょう。それなら大丈夫だという証言も聞いています。あれ? ってことはです。そもそも全ての計画を最初から紙に書いて渡しておけば、暴走王女も暴走なんてしなくなるんじゃないですか?」
少々芝居じみた、諧謔を弄するかのようなユグドの言葉に反応したのは――――
「王女の暴走そのものが、罠だった……?」
ノアを抑えていた中の一人。
彼女こそが、ティラミスを誘拐したノアの部下であり――――ノアを裏切ったつもりが逆に利用された、哀れな女性だった。
「ノアさんの計画に参加した面々を仮に『メンディエタ亡命軍』とでも名づけましょうか。メンディエタ亡命軍の構成は、ノアさん、国王、王妃、ノアさんの部下二名、そしてティラミス王女。彼らの目的は当然、メンディエタの王族およびその侍女として返り咲くこと。その為には22の遺産が必要でした。ノーヴェさんにメンディエタを乗っ取った魔王の討伐を依頼する為に」
グライムは明らかに顔色が悪く、ユグドの説明を聞いているのかいないのか不明瞭だったが、構わずユグドは続ける。
「既に22の遺産はノアさんの首に掛かっていた。でもこれは、彼女の生命線。ノアさんはそれをも差し出す覚悟だったかもしれませんが、他の人たちが断固反対したんでしょう。そこで、22の遺産を集めている慎ま乳教団に目を向けた。ブリーシンガメン以外の22の遺産を入手できれば返り咲ける。そこで一計を案じた」
「22の遺産をかすめ取る作戦じゃな」
そんなラシルの言葉に、ユグドは首を振った。
――――横に。
「いえ。慎ま乳教団をぶっ潰す計画ですよ」
「……!」
ずっとうつむき加減だったグライムが、驚愕の表情で顔を上げる。
ノアを抑えていた彼女の部下も目を見開き、驚きを隠せずにいた。
「ノアさんは、部下の中に慎ま乳教を信仰している人間がいると知っていた。彼女が他の部下を誑かしていることも知っていた。だから、それを利用しようと考えた。ティラミス王女を慎ま乳教団内に送り込むため、敢えて拉致させた」
「……ひぇ、大胆な策っしょ」
セスナがドン引きするのも無理はない。
尤も、ティラミスが王女であることをノアの部下は知っているのだから、無茶な扱いをされないのは計算尽く。
それなら、下手に潜入するより連れ去られた方が寧ろ危険は少ない。
「そうすれば、教団のスパイ役となっていたノアさんの部下も全員一斉に消えてくれます。裏切り者が集団で開き直ると怖いですしね。早々に退場して貰いたかったんでしょう。あとは、事前に邪教にハマったという体で教団に所属していた二人と神殿で合流し、その二人のどちらかが『勧誘係』に任命されるのを待つ」
「……え?」
意外そうに声をあげたのは、他ならぬノア。
そこでノアは気付く。
ユグドが『完璧』に真実を見抜いていることを。
「勧誘係になれば、外に出られる。それなりに信頼を得ないと任命されないでしょうけど、真面目に信仰しつつ希望を出しておけばそう時間はかからないでしょう」
つまり――――勧誘係を懐柔したのではなく、元々身内だった人物を勧誘係に任命させるという計画だった。
理由は単純。
この方がより確実だからだ。
「で、邪教にハマったフリして勧誘係となった人物がノアさんの派遣した情報屋と合流して、教団内で得た『遺産の保管場所の情報』を伝達。保管場所が教団の本部なら教団内にいる三人が、本部の外ならノアさんが遺産を入手する」
「成程。それなら、22の遺産が何処に隠されてても対応できるのう」
既に話の本筋を理解していたラシルが深々と頷く。
尤も――――
「遺産を入手できれば、ノーヴェさんに22の遺産を譲渡して、見返りに魔王討伐を依頼することが可能となります。ただその場合、入手経緯の説明が必要になってくるでしょう」
ノーヴェは皇帝でありながら人当たりがよく、面倒見もいい。
亡命した王族が来たとなれば、話くらいは聞いてくれるかもしれない。
しかし譲渡した22の遺産が何処にあって、どうやって入手したかを素直に話すのは難しいだろう。
とある教団から盗んだなど、とても言えない。
それでは自分たちが強盗団だと主張するようなものだ。
かといって、ノーヴェの立場上、入手経緯を聞かず遺産を受け取り協力してくれるとも思えない。
なら、こうするしかない。
『この遺産は我々がぶっ潰した邪教集団、慎ま乳教団の所有物です』と。
邪教であるならば、潰したところでそれは正義。
咎められるはずもない。
「ただし教団を潰す前、或いは潰した直後でもそうですけど、教団の誰かに遺産を持って逃走されるのはマズい。事前に回収しておく、最悪でも保管場所を突き止めておく必要があった」
「ふむ……そこまではわかるが」
顎に手を当て、ラシルは疑問を口にした。
「実際、教団を潰すとなると相応の戦力が必要じゃ。それを期待して貴様、すなわちアクシス・ムンディに協力を要請したというのか? それは少々不可解じゃの」
「そりゃそうです。護衛協会に邪教を潰す手伝いを求める人はいません。そもそも、オレがアクシス・ムンディの一員だとノアさんが計画を立てる前に知る術はなかった」
「だったら、どうやって教団を潰す気だったのじゃ?」
ユグドはその問いかけに対し――――
「当初の予定では、元傭兵軍の人に協力を依頼する予定だったんですよ」
そう告げ、ノアに目を向けた。
ノアは観念したかのように、フッと笑みを零す。
そして――――吐露した。
「えー! そうよ! 貴方と最初に会ったあの宿屋の主人に頼もうって思ってたのよ! かつて邪教を潰してた傭兵だって、あらかじめ調べて知ってたから! その為に三文芝居打って『両陛下が邪教にハマった上に王女が誘拐されたから助けて』って頼める流れを作ろうとして、王女を探すフリしていざ宿に乗り込んだら……!」
「オレがいたんですよね。いや、邪魔しちゃって申し訳なかったです」
「邪魔どころじゃないっての! おかげで宿屋の主人には妙に敵対視されるし! 仕方ないから、先に貴方を懐柔して宿屋の主人に話を持ちかけて貰えるようにって思ってたら、なんか全然予定と違う方向に話がいっちゃうし……貴方の所為で諸々台無しよ!」
「人を騙そうとすると、ロクなことにならないという良い教訓になったでしょ」
とはいうものの――――ユグドがノアの真意、そして計画の真意に完璧に気付いたのは、ティラミスと会って話を聞いてからのこと。
悪いことをしたかな、という思いは多少あった。
だからこそ『自業自得』だとも思った。
「それにしても、最終的に王女を派遣してオレにまた介入させようとしてる時点で、しつこいというか、執念深いというか。王女が逃げ出す前、アクシス・ムンディを訪ねるよう紙に書いて渡してたんですね」
「う、うるさい! 私だってねー、覚悟はしてたのよ!? 自分の身を犠牲にして王女を助けられたのなら悪い気分じゃないし! でも、諦めるくらいなら恥を忍んで貴方に頼る方がマシだって思って……!」
「その覚悟は気に入った。だからここに来たんですよ」
ユグドは穏やかに微笑み、そう告げる。
いきり立っていたノアはそんなユグドに、驚いた顔で――――
「茶番だッ! 何が覚悟だッ!」
刹那、グライムの怒号が神殿内に響きわたった。
「そもそも、そこに転がっている女! 22の遺産を盗もうとしていたのだろう!? 我らは何も悪くないではないか! 降りかかる火の粉を払ったに過ぎん! 邪教など、名誉毀損も甚だしいわッ!」
「確かに、慎ましい胸を愛でるだけの教団なら、邪教と呼ばれるのは少しだけ気の毒ですが……」
「生憎、それだけとは思えんのじゃよ」
ユグドが答える最中、ラシルがそれに割り込んできた。
「貴様等、常習的に拉致、誘拐を行っておるな?」
「なッ……! なんの根拠があって……!」
「ここベルカンプの隣国にあたる、侵略国家エッフェンベルグや伝説国家ブランから調査の要請があってのう。定期的にベルカンプの上空を飛び回っておったのじゃ。すると案の定、証人を見つけての」
「証人なのです!」
そう勢いよく返事したのは、当然――――実際に誘拐されたティラミス王女。
彼女をラシルが見つけ、拾ったのは決して偶然ではなかった。
「最早、言い逃れもできまい」
「お、おのれ……慎ま乳に仇をなす横暴乳めが……斯くなる上は、道連れに……!」
老人、ご乱心。
グライムは涎を撒き散らしながら、凄まじい形相でラシルを襲う!
苦々しい顔をしながらも、ラシルは構え――――
「うごっ!?」
愛槍に手を添えた瞬間、その手を止める。
必要がなくなったからだ。
グライムは――――ユグドの何処から出したのか不明なこん棒のフルスイングによって、顔面を沈没させ崩れ落ちた。
「睨下……! そんな……」
ノアを押さえ込んでいた教徒の一人が、グライムへと駆け寄る。
一方、ノアの部下だった人物は――――女性はその場を動かず、ガクッと項垂れた。
「……どうして裏切ったの?」
その元部下へ、ノアは優しく語りかける。
裏切ったことを責める論調は一切なく。
「この先、生きていくのが不安で……」
無理もない話ではあった。
没落し、亡命中の王族についていったからといって、明るい未来が待っているとは限らない――――
「この胸でこの先、生きていくのが不安で! だって、全然ないんです! 平らなんです! 男の視線が語ってくるんです! ああ、スベスベだね……って! 私、私……!」
「いいの。いいのよ。わかってるから。私は貴方のその不安、全部わかってるから。大丈夫よ」
「ノア様……! 私……!」
――――訂正。
無理のある話だった。
「ところでよぉー、ユグドよぉー」
感動的な抱擁が行われている中、シャハトがユグドの背中を突っつく。
「俺様たちよぉー、来る意味あったのかぁー? お前と龍騎士殿で全部カタがついたじゃねーかよぉー」
「何言ってるんですか。この神殿の奥に来るまでに何人もの酔っ払った信者をブッ飛ばしてくれたの、シャハトさん達じゃないですか」
「その割に、なんか活躍した気がぜんぜんしないにゃー。仕事した気がしないにゃん」
「気の所為ですよ」
ユイのぼやきを適当にいなし、ユグドはこん棒を何処かへとしまう。
そのユグドに――――
「もしや、妾を守ろうとしたのか? その必要はなかったのじゃが」
ラシルは若干不満げに肩を竦める。
彼女も活躍し足りなかった口らしい。
「命の危険、身体の危険って意味でならそうでしょう。それでもオレは守らないといけなかったんですよ」
ユグドはすました顔で微笑みつつ、告げる。
守りたかったのは――――ラシルの武人としての誇り。
「こんな自分勝手な老人、貴女の槍を汚すまでもない」
「む……」
そして一足早く、幕の下りた舞台に背を向け歩き出す。
身体を包むのは、今回は仕事したという満足感と、倦怠感。
明日は筋肉痛になりそうだ――――そう心中で嘆息しながら、ユグドは右肩を二度回した。
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