余りにも巨大な外観とは裏腹に、屋敷の中は天井の高さも通路の横幅も通常の建築物と大差なく、それほど違和感はなかった。
ただ一点――――廊下の長さを除いては。
「……奥が霞んで見えないんだけど」
ノアの呟きに誰もが同調したが、誰もが言葉を返さない。
これから27階まで歩いて行く現実を改めて認識し、全員が顔を引きつらせていた。
「道理でラシルさん、下りてこねぇ筈だよなぁー」
「いやァーン、ダイエットになりそうだけどちょっと遠スギィィィ」
シャハトとウンデカが比較的余裕のある悲鳴をあげる傍らで、割と深刻に現状を捉えている人物が二名。
「あたくし、長距離を歩くの苦手なのですけれど……移動は基本、馬車でしたし……」
「チトルも階段登るの苦手ですにがー」
お姫様と鎧娘にとっては、移動というより苦行。
しかし、そんな理由で待機していても仕方がない。
今回の依頼は、この広すぎる館が舞台なのだから。
「ここでグダグダ言ってても仕方ないでしょ。とっとと行きますよ」
誰より早く気持ちを切り替え率先して歩を進めたのは、やはりユグド。
その背中を眺めつつ、ユイとセスナは顔を見合わせ"やれやれ"と首を左右に振った。
「ユグド、ああいうトコあるっしょ。体力ないクセに妙に先導力とか推進力があるっしょ。誰かさんとは違うっしょ」
「実質、アクシス・ムンディのリーダーってユグドだよにゃー。あのポンコツにはチームを引っ張る力なんてにゃーっはっはっは」
そうぼやきつつ、ユグドの後を追う。
散々な言われようのシャハトは暫くぷるぷる震えていたが、突然その二人の背中へ向かって吠えだした。
「う、うるせぇなぁー! 俺様はなぁー、どっちかってーと"やるときゃやる"タイプのリーダー目指してるんだよぉー! 昼行灯の方が渋いしカッコいいだろぉーがよぉー!?」
「そういうのって、他人に言って貰わないと滑稽なだけだと思うけど」
「だよなー。自分で言うのカッコわりーよ。リーダーのそーいうトコ、ダッセーよな」
両手をワキワキさせ佇むシャハトを哀れな目で眺めつつ、スィスチとトゥエンティが追い越して行く。
「そもそもそもそも、リーダーはあんまり見せ場がない気がしますみせー」
「そのような事を言うでない、チトル。事実であろうと他者を傷付ける言葉は名誉毀損の対象となるのだ」
「あら、クワトロは中々博識ですのね。あたくしの国でもそのような法律になっていますわ。ただし、大抵の場合は言われる側の問題の大きさに比べれば些末な事ですけれども」
その後ろをゾロゾロとクワトロ、チトル、フェムが続く。
「お、お前らぁー……揃いも揃ってリーダーを何だと思っ――――」
「いやァーン! みんな待って待ってェェェェェ!」
更にその後ろをドスドスと走るウンデカに、シャハトが轢かれる。
巨体を誇るウンデカは、全力で走ると周りが見えなくなる悪癖があった。
「な……なんでいっつもいっつも俺様がこんな目に……やるせねぇーよぉー……」
この僅かばかりのやり取りに、アクシス・ムンディの人間関係や立ち位置の全てが詰まっている気がして、一人部外者たるノアはその縮図を興味深げに眺めていた。
そして一つの疑問を抱き、廊下に倒れ込み泣き崩れているシャハトへと近付く。
「おぉー……ノアちゃん、心配してくれたのかぁー? 俺様は大丈夫だから先に行って……」
「あの、前々から思っていたんですけど……シャハトさんってもしかして、マゾ、なんですか?」
晴天でありながら、その瞬間何処からか雷鳴が聞こえた。
「な、な、なぁーんで……」
「だって、リーダーなのにいっつもメンバーの人達にボコボコにされているし、ケチョンケチョンに言われてるし……もし貴方が肉体的、精神的苦痛を受け快楽を得ているのであれば、私、それは気持ちが悪いと思います」
も一つ雷鳴が聞こえた。
「でもそういうの、セイヘキっていって治らないんですよね? なら仕方ないですよね。それじゃ、お先」
なんのフォローもなくパタパタとウンデカの後を追うノアの足音を聞きながら――――シャハトは暫く生きるという意味について考えていた。
それから30分後。
「遅いっしょ、リーダー! もう全員待ちくたびれて体力回復してるっしょ!」
「うるせぇーよぉー……俺様のひび割れた心は一生回復しねぇんだよぉー……」
半ば廃人と化したシャハトが27階、第18応接室の手前に到着。
そこで待っていたラシルとの合流を果たした。
「……何があったんですか? 今にも死にそうですけど」
「ほっといてくれよぉー……どうせ俺様はお飾りリーダーだよぉー……ポンコツリーダーだよぉー……うえっへっへ」
すっかりやさぐれ、泣きながら自嘲の笑みを浮かべるシャハト。
特に珍しい光景でもないので、ユグドはそれ以上の言及はせず、ラシルへ顔を向けた。
「で、これからどうするんです? この応接室で詳細を話すとか?」
「うむ。ただし話をするのは妾ではない。此度の依頼を出した館主、オライワン=ベイグランドの娘、ウインデー=ベイグランドじゃ」
「娘……? 本人じゃないの?」
「館主はもう一組の依頼先と会っておる。貴様等の担当は娘の方じゃ。普段はこの館の管理をしておる」
それが意味するのは――――もう一組の依頼先の方が格上である、という事。
尤も、依頼先が何故二組あるのか、そしてそのもう一組の方がどんな連中なのかをユグドは既に知っており、怒気は一切湧かなかった。
「了解しました。それじゃラシルさん、紹介をよろしく」
「うむ」
ラシルは頷いた後、応接室の扉をゆっくりとノックする。
「ウインデー、入るぞ」
返事はなかったが――――特に気にする様子もなく応接室の扉を開け、ユグド達アクシス・ムンディの面々に入室を促した。
真っ先に入室したユグドがまず目にしたのは、応接室でありながらまるでホールのように広々とした空間。
奥の方に応接用の机とソファーが見えるが、余りに広い為かなりアンバランスな配置となっている。
「やっと来た。予定より遅かった。待ちくたびれたと言わざるを得ない」
その部屋の中央に、一人の女性が立っている。
どうやら彼女がウインデーという人物らしい。
立ったままでずっと待っていたらしく、少しイライラしていた。
「仕方なかろう。わざわざこんな階層で打ち合わせをする方が悪いのじゃ」
「私は高い所が好きだから一番高い応接室を使いたかった。私の自己中心的な決定が原因。なら仕方ない」
「うむ。わかればよいのじゃ」
そんな奇妙なやり取りに、ユグドをはじめアクシス・ムンディ+ノアの全員が呆気にとられる中――――
「そっちの人達がラシルの推薦した護衛団の皆様がたと推察する。正解であるならば奥へどうぞ」
「は、はあ」
翼を揺らし、ウインデーがユラユラと奥へ案内してくれる。
年齢は二十歳くらい。
長めの黒髪を襟足の辺りでまとめ、サイドは鎖骨の辺りまで伸ばしている。
その大人びた髪型と、何処か気怠げな表情は気品に溢れており、どこぞの王女と言われても不思議でないほどだが――――問題はその格好。
水色を基調としたエレガントなドレスはともかく、その背中には漆黒の羽根で構成された翼が生えている。
勿論、本物の翼ではなく作り物のようだが。
「えっと……あの翼は一体?」
「趣味、との事じゃ。妾にも理解出来ぬので聞かれても困る。『輝かざる堕天使〈ルシファー〉』がどーのこーの言っておったが、ようわからん」
「今後一切触れないと誓います」
ユグドは即座にそう決断し、他の面々にも目配せで早々に意思を共有させた。
そんなやり取りを経つつ、応接用のソファに到着。
「あらためて紹介しよう。マニャンの民間護衛団、アクシス・ムンディじゃ。貴様の要望通り、全員を連れて来たぞ」
「胸いっぱいの感謝を貴女に伝える。その上で依頼内容は何処まで話したのかを確認したい」
「触りだけ、じゃな。詳細は貴様の口から語るといい」
「面倒だから嫌だと意思表示したい。だけどそれが私の責任。なら仕方ない」
微妙に回りくどい言い方で納得し、ウィンディが上体を揺らしながら視線を泳がせる。
尚、揺れる度に背中の翼がわっさわっさと音を立てる為、風が強い日の街路樹のようだった。
「私はウィンディ=ベイグランド。はじめましてなのは間違いない。以後よろしく」
そして、誰にともなくそう名乗る。
本当に誰にともなくという感じで視線は虚空を彷徨っていたので、ユグド達は誰が返事すべきかで困惑した。
だがそれ以上に、ラシルの紹介と発音が違うその名前に困惑した。
「え、えっと……はじめまして。ウィンディ……さん?」
「ウィンディ=ベイグランド。そういう名前のか弱い女子だと認識して貰う。ラシルの発音は無視の方向で」
「むう」
不満そうに口を尖らせるラシルを軽く窘めて、ウィンディはユラユラとアクシス・ムンディの面々を一瞥した。
ソファに腰を下ろす気はないらしい。
背もたれで翼が潰れるのを嫌っての事と思われる。
「では早速依頼内容を説明したいと思う。貴方がたにお願いしたいのは訓練への参加。この館に賊が侵入した時の対処法を確認する為の合同戦闘訓練」
それは――――事前にラシルから聞かされていた内容と同じものだった。
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