「次はユグド=ジェメローラン」
「ん、オレですか」
とうとう名前を呼ばれ、ユグドは上げた視線を落とす。
その視線と、自分へ集中する約一名の血走った視線が絡み合って奇妙な緊張感を生んだ。
「な、なんですかリーダー」
「ふっふっふぅー……まずはそっちからかよぉー」
そこでようやく、ユグドは勝負について思い出していた。
シャハトが勝手に言い出した事だし、ユグドには特に何のデメリットもない勝負だったが――――
「……まずいな。緊張してきた」
その心臓はみるみる内に鼓動を早めていた。
もしシャハトに負けるようなら、今後他のメンバーからどんな扱いを受けるか。
想像するだけで頭痛が生じるほどの精神的負荷がのし掛かる。
「くっ……乗り越えないと……オレはこんなところで失墜する訳にはいかないんだ」
ユグドには目的がある。
ラシルをあらゆる害悪から護るという目的が。
そしてその為には、世界一の護衛団が必要。
アクシス・ムンディの世界最高の護衛集団にしなければならない。
その為には、リーダーが優秀なのは寧ろ歓迎すべき事なのだが、ユグドの頭の中にそんな考えは一切なかった。
「ふぅ……」
呼吸を深くし、心を整える。
人生の局面において重要なのは、何が起こっても動揺を最小限に抑える強い意志力。
それがあれば、事前に心が乱れたりはしない。
だが、精神というものはそう簡単に制御は出来ない。
だからこそ数多の人間が道を間違える。
「……よし」
ユグドはかき乱されそうな心を抑えるべく、静かに目を見開き鬼のような形相を浮かべ、必死で、そして無理矢理恐怖をねじ伏せた。
「な、なんかそこまで本気になられるとよぉー、こっちも燃えてくるよなぁー。ユグドがそこまで俺様を意識してたとはビックリだぜぇー」
「ライバル視とはちょっと違うような気がするけど……」
ジト目で正確な指摘をするスィスチの声は、シャハトには全く届いていない様子。
全身に炎をまとわせているかのような熱を帯び、薄ら笑いを浮かべている。
熱血の――――刻。
「完全に他人事だけど、ちょっと興味が出て来たにゃー。どっちが勝つかにゃ?」
「そりゃ流石にユグドっしょ。っていうかリーダーに負けるヤツ、ここにはいないっしょ」
「いや……ユグドの身体能力の貧弱さは相当なもの。この勝負僅差と見た」
「チトルもリーダーが健闘するかもって思うですおもー」
周囲の面々も盛り上がり、にわかに活気付いてきた中――――
「よくわからないけれど勝負をするというのなら同時に発表する方が好ましいと判断する。ユグド=ジェメローランとシャハト=アストロジーの査定については一項目ごとに両者の偏差値を同時に読み上げるようにする」
「あ、意外とノリいいんだ」
驚きの声をあげたノアを一瞥し、ウィンディは書面上の結果を読み上げ始めた。
「まずは瞬発的戦闘能力。ユグド=ジェメローランは27でシャハト=アストロジーは28」
「よぉぉぉっしゃぁぁぁぁぁーっ! 俺様の時代! 俺様の時代が来たぜぇーーーーー!」
「ぐ……っ」
数値で下回ったユグドが胸を押さえながら膝を折る。
片やシャハトは両手を掲げ恍惚の表情で狂喜していた。
「っていうかレベル低すぎだにゃ。ゴミ扱いのセスナ以下にゃん」
「ゴミって言うなっしょ! でも確かに低レベルっしょ……まあ、リーダーってあーしにケンカで負けるくらいだから当然の結果っしょ」
「それに負けるユグドって……どれだけ運動神経ないの」
ノアが同情の目を向けるも、ユグドは下を向いたまま微動だにせず。
両者とも非戦闘員とはいえ、余りに酷い結果だった。
「次は持久的戦闘能力。ユグド=ジェメローランは29でシャハト=アストロジーは31」
「うぉぉぉぉぉ大差ついたぜぇーーーっ! この勝負もう貰ったなぁーーーーーっ! 天下取ったなーーーーーーーっ!」
「危機察知能力ユグド76シャハト19判断力ユグド90シャハト9。よって総合評価はユグドの勝ち」
「うわぁぁぁぁ急にぃぃぃぃ! そんな急にぃーーーーーーーーっ!」
三秒天下で終わったシャハトがズシャッと床に崩れ落ちる。
その負けっぷりを見届け、他の面々は予定調和の展開に満足しつつ各々のベッドへと戻った。
「多少不安はあるが総合的に見てアクシス・ムンディはこの館を護衛する適正があると判断出来る。なので正式に仕事を依頼する事にした」
「……喜んで引き受けさせて頂きます」
膝の埃をパンパンと払いつつ立ち上がったユグドは、色んな意味で安堵し胸を撫で下ろした。
「それじゃ、詳細の説明をお願い出来ますか? 護衛の対象となる武器とか、ルールとか」
「了解した。とはいえ難しいルールはない。護衛対象はこの館にある全ての武器。貴重か否かは問わずどの武器だろうと持ち出された時点で敗北」
しれっとそう告げたウィンディに対し、ユグドは思わず顔をしかめる。
ラシルの話では、数多くの武器が貯蔵されているという。
加えてこの館の広さ。
今から全ての武器を一箇所にかき集め護り易くするのはかなり厳しい。
だが、それ以前の問題である事がウィンディの口から語られた。
「武器の配置は現在のままとする。あくまでも今回の訓練は通常時を想定してのもの。例えば予告状のようなものが怪盗から届いて護衛をするという特殊なケースでない限りは事前準備は行わないのが常」
「確かに。それじゃせめて、武器を保管してる部屋だけでも確認させて貰っていいですか?」
説明が十分納得出来る内容だった為、ユグドは一つ折れて次善案を出す。
ウィンディは無言で頷き、書類の束の中から数枚の紙を抜き取りユグドへ手渡した。
「それは館の見取り図。貯蔵部屋にしている部屋をマルで囲んでいる」
「へー。どれどれ?」
隣にいたノアがユグドの肩を掴み、背中越しに見取り図を視界に収め――――驚愕の表情で固まる。
嫌な予感を覚えつつユグドも確認したところ――――
「……何個あるんですか」
全てのフロアに、複数のマルが散見された。
「武器を貯蔵している部屋は全部で109。各部屋に置いてある武器の数は測定不能。見たいなら最寄りの貯蔵部屋まで確認をしに今から行ってもいい」
「……お願いします」
顔を引きつらせそう返事をした五分後――――
「む……これはなんと……」
施錠を外し入ったその部屋には、クワトロが絶句するほどの大量の武器が保管されていた。
そもそも部屋の広さ自体、100以上のベッドを配置した先程の休憩所よりも広い。
そんなだだっ広い空間の床が半分以上隠れるほど、大量の武器が保管――――というより放置されていた。
槍や斧、弓矢にハンマーと種類も豊富だが、最も多いのは剣。
全体の八割ほどを占めている。
その全てが鞘に収まっている訳ではなく、抜き身の物も多い。
「……」
ユグドは思わず、実家の武器屋の倉庫を思い出した。
あの場所は、ユグドとラシルが出会った思い出の場所であり、右手の親指と左手の人差し指を失った忌まわしき場所でもある。
「父は聖剣や魔剣といった極めて珍しい武器を集める為に大半がニセモノだと承知でその名の付いた武器を買い漁っている。だからここにある武器は全てニセモノ。ここはその貯蔵部屋」
「聖剣や魔剣をどっちも……?」
訝しげに眉間を狭め、ノアが問い詰める。
ウィンディは努めて冷静に、真顔のままで即答した。
「コレクターにとっては聖剣も魔剣も同じ『珍しくて魅力的な物』に過ぎない。倫理的観点で言えば魔剣を所持する事には非難の声もあって然るべきだと私も思うけれど」
「でも、それならどうしてニセモノを処分しないんですか? 珍しくも魅力的でもないでしょうに」
「本物を隠す為のカムフラージュになるからそのままにしてある」
それはある意味合理的ではあった。
これだけの巨大な館、賊の的となる事はどうあっても避けられない。
それなら少しでもレア物を盗まれる可能性を低くするのは自然であり、ウィンディの説明には一定の納得度があった。
「これらがニセモノなのはわかりましたけど……なら本物のレアな武器は何処に置いてあるんですか?」
だが、そんな当然といえば当然のユグドの質問に対し、ウィンディの返答は若干の遅れを伴った。
これまで常にしっかりと受け答えしていただけに、違和感があった。
「……今回の合同訓練は情報管理の徹底という側面もあるので最低限の情報しか与えないよう父から言われている。なので秘密とする」
「護衛する側に先入観を与えない状態での訓練が好ましい、ですか。例の」
「その意見を肯定する。現時点までに与えられた情報を元に護衛の計画を立てて実施して貰いたい」
あくまで訓練。
仮に護衛に失敗したとしても、それは依頼人にとって痛手ではない。
とはいえ――――護るべき武器が何処にあって、それが何かもわからないというのは、護衛する上では心許ない。
「護衛期間は明日一日。日が昇ってから落ちるまでとする。以上」
しかしウィンディはそれ以上の質問を遮るようにそう淡々と唱え、一足先に貯蔵部屋から出て行った。
「どうするの? ユグド。貯蔵部屋の数、私達の人数の十倍なんだけど……」
ノアが口にする懸念は、この場にいるアクシス・ムンディの全員が同様に抱いている。
部屋の前に護衛を立たせるという最もスタンダードな方法は使えない。
この条件下においては、館に侵入された時点で敗北となるだろう。
館の玄関口は、正面と裏側に一つずつ。
だがこの館には無数の、本当にとてつもない数の窓が存在する。
一階だけでもその数は50を超えている為、窓からの侵入を防ぐのも相当難しい。
かといって、廊下を巡回するにしても、奥が霞んで見えないほどの長い長い長い長い廊下なので、やはり現実的ではない。
階段も窓ほどではないが何ヶ所にも設置されており、階段の前に護衛を配置したとしても、フォロー出来るのはせいぜい二階まで。
三階の窓から侵入された時点でお手上げだ。
もし、敵側にラシルのような翼龍を使役する人間がいたら、その時点で防ぎようがない。
実際にラシルは27階の窓からの侵入を成功させている。
また、そのような方法を用いずとも、単純に人力のみで三階の窓から侵入する事も不可能ではない。
館の壁に凸凹はないが、三階程度の高さであれば窓枠を足場にするだけで身軽な人間なら苦もなく登れるだろう。
「無理難題であるな。ユグドよ、ここは一か八か、もう一度交渉を試みてはどうだ? せめて稀有な武器の保管場所を把握しそれだけでも護れれば、最低限の面目は保てるのでは」
「チトルも賛成ですさんー。今のままだと護衛できませんごえー」
クワトロとチトルの意見は妥当なものだった。
ユグドは交渉士。
こんな時の為にアクシス・ムンディに所属していると言ってもいい。
だが――――
「いえ。この条件で護衛出来ます」
ユグドは不敵に微笑み、そう回答した。
その瞬間、ノアを除く全員が大きな溜息を吐く。
一人取り残されたノアが不思議そうに眉をひそめる中――――
「ま、お前がそう言うんだったら仕方ねぇーなぁー。それで行くとすっかぁー」
苦笑いしながら、判断力9との判定を受けたシャハトがユグドの肩を叩く。
「了解、リーダー。位置取りと主な作戦はオレが担当するんで、現場はよろしく」
「おうよぉー。任せときなぁー」
それで話はまとまった。
それから時は忙しなく流れ――――翌日、早朝。
ウィンディの指示通り、ベヒモス革の防具に身を包んだアクシス・ムンディ+ノアの面々は、まだ日が昇る前の薄暗い空を真上に、館の玄関先に集合していた。
なお、チトルだけはどうしても違和感があるとの事で、普段の鎧に身を包んでいる。
「そろそろ訓練開始の時間です。中立国家マニャンの自称"国際護衛協会"が防衛の本場、要塞国家ロクヴェンツにどれだけ通用するか。目にものをみせてやりましょう」
「おー!」
美しい朝陽が地平線を霞ませたその瞬間、アクシス・ムンディにとっての勝負の一日が始まった。
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