同時刻――――
「お、おのれ……」
苦虫を噛み殺すかのような苦悶な表情で、館の玄関口の前に立つクワトロは睨――――まれていた。
片や、クワトロの表情には余裕すら窺える。
眼前の敵、すなわち訓練相手に対し、その顔はある種の確信を抱いていた。
「どうしたのだ? もう終わりかね」
クワトロは重く沈みゆくような声でそう告げ、愛用する銀剣・雪月花を構える。
柄を握る両手を顔の右側まで上げ、剣先を敵側へと向け半身になる〈右オクス〉。
攻防どちらにも瞬時に移行できる、非常に応用の利く構えだ。
「我等はこの館を守護する身。そちらが仕掛けぬ限り、我が動く事はない。が……」
剣先を向けられた標的が、クワトロの見開かれた目の虹彩に映る。
その顔は明らかに疲労困憊といった様子だ。
「仕掛けてくるのならば、いつでも相手をしよう。我が名はクワトロ=パラディーノ。果たして何度目の口上かね? まだ戦意は残っておるかね?」
そう淡々と告げるクワトロの姿を前に、館への侵入を試みる兵士達は――――動けない。
身体ではなく、精神が攻め入る事を拒否しているかのように。
日は既に沈みかけ、次第に景色はオレンジの光に飲み込まれていく。
その様子を、ユグドは館の三階の窓から真剣な眼差しで眺めていた。
なんとかもってくれ――――その一心で。
――――半日前、早朝。
「それでは作戦のおさらいをします。なるべく手短に話すんで全員ちゃんと聞いて下さい」
まだ日が昇る前、玄関前に集まったアクシス・ムンディの面々に対し、ユグドは全員の目を順番に指差しながらそう命じた。
流石に仕事本番とあって、ユイやセスナも茶化しはしない。
ノアも含め全員が真面目な顔で頷いていた。
「ウィンディさんは先入観を持たずに臨んで欲しいと言ってましたけど……現時点での判断材料だけで十分訓練相手が予想出来ます。オレ達がこれから対峙するのは遥か格上。恐らくロクヴェンツ軍を登用してくるでしょう」
「……え?」
ユグドを除く全員の目が一斉に点になる。
「ロクヴェンツの龍騎士、ラシルさんが一枚噛んでいる時点でそう判断出来ます。何より『外国の護衛を参考にしたい』とか言ってる時点で自国の護衛を代表している立場にあるのは明白ですから」
「ちょ、ちょっと待ってよ。って事は、依頼主のオライワンさんは……」
「少なくともロクヴェンツのお偉いさんと何かしらの繋がりがあるのは確実です。オライワン氏本人が大臣か何かの可能性もあるでしょう」
口をパクパクさせるノアに、ユグドはキッパリそう答える。
昨日一日を費やし、今回の依頼を自分なりに解釈した結果、その結論が出た。
「依頼人でありながらオレ達に一度も会わなかったのは、身バレを防ぐ為だったのかも。軍を動かす準備もあったんでしょうが」
「ってコトはァ、今からワタシ達、一国の軍を相手にここを護らないといけないノォ?」
「そうです、ウンデカさん。人数はこっちに合わせて来るでしょう。大人数で仕掛けても訓練にならないですし」
少人数、すなわち少数精鋭。
もしそうなれば、格上というより遥か雲の上の存在だ。
「ちょっと待つっしょユグド! そんなヤツらとあーし等が訓練しても、あんまり意味ないっしょ! ボロクソにやられて終わりっしょ!」
「そ、そんな事ねーよ。おれ達だってちっとは……」
「無理に決まってるっしょ! 軍の精鋭が相手じゃ普通に戦っても手も足も出ないっしょ! まして今回は圧倒的にこっちが不利な条件っしょ!」
反論を試みたトゥエンティにセスナが吠えるように、護衛対象となる〈民間要塞〉は余りに侵入経路が多すぎる。
全28階、そのどのフロアにも武器庫となっている部屋がある以上、たった11人で護るのは不可能だ。
「いえ。前準備さえ万端なら条件は決して悪くありません。敵の攻め方が予想出来るからです」
興奮するセスナを鎮めるべく発せられたユグドの言葉は、その場の全員をキョトンとさせた。
「向こうは必ず玄関からのみ仕掛けて来ます。それも正攻法で」
「ど、どうして断言できるのですかどうー」
「そうですわ。そんな保証どこにもありません事よ?」
「フェムさん。貴女の国の軍がもし、友好関係にある他国の国民を相手にセコい手を使って勝利したら、どう思います?」
突然の問いかけに、フェムは――――間髪入れず断言した。
「当然叱りつけますわ。美術国家ローバの国軍ともあろう者達が、そのような恥知らずな……」
「そう。どの国も多分似たようなものです。一国を代表する国軍には相応の格を求める。オレ達みたいな民間の護衛団を攻略するのに、正攻法以外の選択肢はありません」
まして敵対する国ではなく、良好な関係の国の組織。
ただでさえ『弱い者いじめ』の構図なのに、相手の不利な条件を利用し勝利を得るようでは、百害あって一理なしだ。
「自国最高峰の兵が同国の護衛団を相手に訓練するのも、格を下げる行為に該当します」
「そっか……だからわざわざ外国のおれらに話が回ってきたのか」
「ええ。外国の護衛団が相手なら、異文化吸収の名目も出来ますからね。実際には、要塞国家のエリートが中立国家の民間組織から学ぶ事なんてなさそうですが」
ずっとその件を気にしていたトゥエンティが納得したように何度も頷いていた。
一方、22の遺産絡みだと訴えていたノアは不満顔。
ユグドの推論が正しければ、彼女にとって余り実りのない依頼になりそうなので無理もないが。
「あくまで推定です。でも、可能性は十分あると思います。そこで作戦その一。護衛は正面玄関のみに集中する」
「極端だにゃ!」
そう叫びつつも、ユイは何処か楽しげだった。
久々の戦闘とあって、血が騒いでるようだ。
「作戦その二。日が沈むまでの長期戦になるので、単純に護衛するだけじゃなく、相手の戦意や集中力を削ぐ方法を試みる」
「戦意を削ぐぅー? どういう事だよぉー」
「例えば……そうですね。リーダーは武器を置いてる部屋から弓矢を持って来て下さい。で、特定の窓からずっと敵を狙っていて下さい」
「はぁー? 俺様、弓矢なんて使った事ねぇーぞぉー?」
「演技で構いません。実際には一度も矢を射ないように。そうすれば『敵の大将が誰かを探って狙いを定めているスナイパー』の出来上がりです」
当然、それを発見した時点で敵はそのスナイパーを気にしなければならない。
狙撃を気にしながら戦うのは、相当な精神の消耗を強いられる。
「あと、セスナさんは演奏を。相手が攻めてきた時にスローな曲をお願いします。自分の心境と全然違うテンポの曲ほどイライラするものはないですから。こっちは耳栓で対応しましょう」
「な、中々の嫌がらせっしょ……それならフルートがいいっしょ」
「フェムさんは敵の視界に収まるギリギリの場所で優雅な舞を。目立っちゃダメですよ。あくまでチラチラ映るくらいの場所で」
「あたくしには不似合いな役目ですけれど、これも団員の務め。了解しましたわ」
「作戦その二はこんなところですね。次は作戦その三。スィスチさん、攻めてくる敵を二階の窓からチェックして、身長順にメモして下さい。負傷状況、疲労状況を添えて」
「長期戦に備えて敵の情報収集って訳ね。了解」
「お願いします。あとは戦闘員の皆さんに頑張って貰いましょう。その為の作戦その四」
そのユグドの声に、まだ役割を貰っていないクワトロ、ユイ、トゥエンティ、チトル、ウンデカ、そしてノアの六人が一斉に顔を上げる。
「六人の中の誰か一人を"絶対的な強者"に仕立てます。他の五人はその人の支援に徹する。絶対的な強者の役になった人が、決して傷付けられないように」
「……どういう事?」
意図がわからず、ノアを筆頭に全員が首を傾げる。
それに対するユグドの説明は、当初の宣言通り手短だった。
「ルンメニゲ大陸の現在と同じですよ。帝国ヴィエルコウッドという絶対的な強者がいる為に、他国は警戒心を過剰に持って中々仕掛けられない。それと同じです」
つまり――――絶対的護衛をでっち上げる事で、相手に必要以上の警戒心を抱かせ尻込みさせる作戦だ。
格上を相手にする場合、実力行使で来られたらお手上げ。
罠を仕掛けるという方法もあるが、"事前に"用意するのはウィンディの意向に反する。
「絶対的な強者であるか……ならばその役、我が引き受けるとしよう」
「ええ。実力、見た目の両面でクワトロさんが一番相応しいと思います。"お前達より遥かに強い"オーラを日暮れまで出し続けて下さいね」
「了承した。どのような攻撃も涼風を受けるような表情で対応するとしよう」
そう不敵に笑むクワトロの顔は、既に最強剣士の雰囲気をまとっている。
あくまで雰囲気だけだが。
演技が上手いタイプでは決してないが、自分が強いと思い込み、それに酔う人物像が彼の中にあるらしい。
戦闘ナルシストとでもいうのか――――ユグドはそんな事を思いつつも、一方でアクシス・ムンディ随一の剣士に頼もしさを覚えていた。
「ただ、幾らクワトロさんが雰囲気を出していても、一斉攻撃を受ければひとたまりもありません。それを防ぐには各戦闘要員の位置取りが重要です」
その対象となるのは、クワトロ以外の戦闘要員五名。
全員が身を乗り出し、ユグドの話に耳を傾ける。
「館の入り口を背に戦うとして、最後尾に威圧感のあるウンデカさん、その前方にクワトロさん、持久的戦闘能力の高いチトルさんとノアさんが不動の盾として左右に。瞬発的戦闘能力の高いユイさんは敵の動きに応じてクワトロさんをフォロー。トゥエンティさんは――――」
――――と、そんなやり取りを経て起案されたユグドの作戦その四は、確かに奏功していた。
特に重要なのはファーストコンタクト時の印象。
その為に、日が昇る直前まで練習が行われた。
玄関口を護る為にという体で配置した六人の戦闘要員は、実はクワトロに対し正面からの攻撃しかされないような配置にして、確実にクワトロが防御出来るように全員でフォローする形をとった。
非戦闘員による陽動や支援も、全てクワトロへの攻撃を最小限、最少範囲にするような動きに特化させた。
クワトロにも、より強者に見えるような演技の指導をユグドが指南した。
そんな数回の予行練習を経て――――ついに訓練開始。
ユグドの読み通り、軍と思しき連中が正攻法で攻めてきた為、作戦は見事ハマった。
チトルやノアは勿論、本来は攻撃が得意なトゥエンティやウンデカも館内への侵入を防ぐ為の防御に特化――――するように見えつつ、その実クワトロへ攻撃され難いポジションを確保。
それでも全ての襲撃は防げないのだが、いずれもクワトロの正面から襲わざるを得ないようクワトロの左右斜め前方をしっかり固め、誘導するよう徹底した。
敵の実力はアクシス・ムンディより遥かに上。
もし一対一で戦えばトゥエンティなど問題にならず、クワトロですら遅れを取るような相手ばかりが10人ほど襲いかかって来る。
その中に一人、弓兵がいた。
それほどの使い手ばかりを相手にしながら、遠距離攻撃までケアするのは通常不可能だが、クワトロへの正面以外の攻撃は物理的に不可能という状況を作り出していた為――――
「フッ……」
自分へ向かって飛んで来た矢を、クワトロは余裕の表情で切り落とした。
幾らクワトロが実力者でも、他の強者数名と戦いながら不意に放たれた矢を切り落とすなど、普通なら到底出来ない。
危険察知能力の高いユイがチョンチョンとクワトロの背中をつつき、矢の来襲を報せた事で可能となった芸当だ。
クワトロの死角となる角度をノアとチトルがガードしていたのも大きい。
戦闘要員全員の連携が実を結んだ結果だ。
だが敵にはそんな裏事情など知る由もなく、クワトロ個人がその達人級の防御を飄々と行ったように映る。
あの男、想定外の強敵だ――――
「退却だ! 一時退却せよ!」
そう判断してからの撤退は実に早く、そして円滑だった。
それも一流の兵士ならではだが、ユグドはそこも想定済み。
直ぐにスィスチが観察、メモした先程の襲撃兵の情報を頭に入れ、次の指示を出す。
向こうがクワトロを過大評価している事を前提に、更なる過大評価を生み出し、強敵クワトロを倒すにはどうすればいいか――――という思考回路に相手を落とし込む。
そうすれば館への侵入は二の次となり、護衛は非常にし易くなる。
後はその繰り返し。
疲労やダメージが増えた戦闘要員にはいち早く回復して貰えるよう、セスナのフルート演奏で睡眠へといざなう。
防御面では右に出る者のいないチトルを軸に、消耗戦を乗り切り――――
「あと……30分くらいか」
クワトロ以外の五人が戦線離脱するほど追い込まれながらも、今やクワトロは敵にとって戦神レベルに見える程までになっており、双方の睨み合いが続いている。
敵の人数は当初の10人から変化がない。
それでも攻め入れないほど、クワトロが恐ろしいらしい。
剣捌きが異常に早く見えるよう、ユイが陰でこっそり剣を振る音を模した声色で騙すなど、あらゆる工作を尽くしてきた効果だった。
尤も、仮に何処かの局面で一度に斬りつけられれば、そこで終了。
薄氷を踏む思いで、ユグドは戦況を見守っていた。
「正直感服したと言わざるを得ない。ここまで皆様がたが"もつ"とは思わなかったとここに白状する」
その背後からウィンディが近付いてくる。
相変わらず背には漆黒の翼。
足音以上に羽音が目立つので、接近してくると直ぐわかる。
「あれほど小馬鹿にされていたリーダーも長時間にわたり見事に陽動を続けている。頼りない姿ばかりを見ていただけに驚愕を禁じ得ない」
「リーダーは目立とうとするとダメなんですよね。暗躍させておけば一流なんです。適正テストの結果では計れない部分ですね」
「適正を見る上でこちらに不足があった事を素直に認める私は潔い」
「……まあ、否定はしませんけど」
自画自賛なのか自虐なのか微妙なウィンディの受け答えに、ユグドは半笑いを浮かべるしかなかった。
「一人の優秀な剣士をその数倍の実力者に仕立て上げる擬態には特に驚いた。あのような手法を毎回用いているのかと疑問に思う」
「まさか。今回は訓練だから、ですよ。向こうもこっちの戦力を量りながら戦ってるみたいですから、強引に攻め入る事はないという判断です」
もしこれが本当の盗賊相手の護衛であれば、警戒心ばかり煽っても意味がない。
館へ侵入し武器を手に入れるのが真の目的ではないからこそ通用する手段だ。
「訓練なのを前提とした作戦はそちらの意向に反するかもしれませんが」
「意向はあくまで意向。大事なのは皆様がたの護衛の仕方を見る事。その目的は果たせたのだから問題ないと判断する」
意外と話がわかるらしく、ウィンディはユグドの懸念を特に問題視しなかった。
「ロクヴェンツの護衛は定型的な手法を重視する。相手に合わせ柔軟に対応する方法を良しとしない。それはそれで間違いではないと私は思う」
「オレもそう思いますよ。ただし、それはあくまで強者の理論。オレ達はあらゆる手を尽くさないと中々上手くいきませんから」
「だからあのような個性的な面々ばかりを集めているのかと得心がいった」
「……ウィンディさんより個性的な人はいない気がしますけどね」
外見と服装と口調のアンバランスさに酔いそうになりながら、ユグドは苦笑した。
「今回はとても有意義な時間を過ごしたので感謝したい。ありがとうと言う事に私は何の躊躇もしないだろう」
「そ、そうですか」
「何かを護る為に何かを隠す。そんな事を私以外にも実践している人がいるというだけでも心強いと感じた次第なのであった」
「……え?」
意味のわからないウィンディの締めの言葉に、ユグドが眉をひそめ聞き返そうとしたその時――――
「う お お お お お お お お お …… !」
勝鬨のような声が、外から聞こえてくる。
どうやら訓練相手が"無敵護衛"の幻想に打ち勝ち、思い切って攻め入った結果、クワトロを倒したらしい。
よほど精神的に追い詰められていたのか、泣き叫び歓喜を表している兵もいる。
ロクヴェンツ軍の誇りが後一歩で崩壊しそうなほど追い詰められていたのだろう。
「最後の最後で意地を見せた。それはとても重要な事。ロクヴェンツ人の私も納得顔」
「こっちとしても、ここまで粘れたのは収穫ですね。クワトロさんがあんなにハッタリ上手だったとは」
実際にはハッタリというより『子供の頃から考えていた戦場でやってみたいカッコいいふるまいの幾つか』をノリノリで実践していただけのようだが、いずれにしても今後活かせそうな特性が判明した。
「勝負はついたようなので訓練はこれで終了とする。その旨を伝えに――――」
「いえ。あと20分。彼らが武器を持って脱出出来るかどうか、見守りましょう」
ユグドに背を見せ一階へ向かおうとしたウィンディの足が止まる。
「出来ない可能性があるという含みと受け取った。それはつまりまだ何かある事を意味する。何をした?」
「事前準備は出来なくても、館の前で半日も粘って貰えば色々仕掛けられるって事です」
肩を竦めそう答えたユグドの階下では――――
「なっ、なんだこのネバネバした床は! 足が取られ……」
「ひぃぃぃぃぃ! 取れねぇ! 取れねぇよぉぉぉ!」
「落ち着け! 靴を脱げば問題ない……うわあああああ! 一体どこまで続くんだこのネバネバの床は!?」
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていた。
「正面玄関から100mくらいの範囲で廊下にネバネバの罠を仕掛けてます。出入りは裏口か、ネバネバのない範囲にある窓からどうぞ」
「アクシス・ムンディ恐るべしと肝を冷やす私であった」
ウィンディの締めの言葉がそう変更され――――20分後、アクシス・ムンディの勝利が確定した。
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