「取り敢えず、これで第一段階は終了です」
謁見の間を後にしたユグドは、一歩後ろを歩くラシルとグルートへ向けて、欠伸混じりにそう宣言した。
まだ睡眠時間は十分ではない上に寝起きな為、眠気は完全には消えてくれず、意識は半分ほど夢の中。
それでも一応道筋を作り終えた事への満足感――――は微塵もなく、これからの事を考えるとこのまま眠ってしまいたい心境だった。
「どうやら見抜いていたようじゃな。あのボンクラが稀代の臆病者だと」
だが、背後から聞こえて来るそのラシルの発言は、眠気覚ましの効果を有するものだった。
幾ら目の前に本人がいないとはいえ、傍には将軍のグルートがいる。
国王へのあからさまな侮辱は、それこそこのエッフェンベルグへの宣戦布告に等しい行為だ。
「おいコラ、仮にも、あんなでも一応、不本意極まりないが、アレはこの国の王だぞ。不穏な発言は控えろ自由騎士」
しかし、驚いた事にグルートは最低限の戒めこそ口にしたが、怒気を含む様子はなく、寧ろ自国の王を『アレ』呼ばわりする暴挙に出た。
このやり取りを流すのは難しく、ユグドは立ち止まり困惑気味に振り向く。
――――二人とも、気持ちのいい程の笑顔だった。
「やはり本当だったようじゃな。"無冠の愚王"が自国民はおろか直接の部下にすら求心力を失っているという噂は」
「チッ、ロクヴェンツにまで国の恥が広まってるようじゃ、いよいよシャレにならねぇな」
グルートのこれまでの発言や外見から受ける印象を考慮すれば、歯に衣着せぬ物言いとサッパリした気性に不自然さはない。
が、それでもこの男は将軍という地位にあり、国王を支える身。
他国、ましてライバル関係にある国の騎士を前に、王を『国の恥』とまで罵るのは余りに異常だ。
ラシルが言うように、ユグドはエッフェンベルグ王との対話の中で、彼が相当な小心者なのは見抜いていた。
侵略行為を勧めた際には、露骨に狼狽え怯えていた。
侵略国家の王であるにも拘らず、複数の国へ戦争を仕掛ける度胸など、あの男には一切ないと断言出来るほどに。
しかも、その気になれば一撃で首をへし折れるであろう体格差のユグドに対してすら、しっかり目を見て話す事すらままならない自信のなさ。
外見の厳つさ、言葉の過激さとは裏腹に、かなり心が弱い。
その意味では、ウンデカと似たところがある。
「……そこまで愚王なんですか?」
「破天荒でも剛胆なら文句はねぇ。道徳がなくとも信念がありゃ人は付いてくる。だが、ありゃダメだ。威嚇と陰口だけは達者だが、度胸も度量もまるでねぇ。そのクセして税制に関しちゃ歴代の王もビックリの奔放ぶりで、豪遊資金確保の為に『武装税』なんてワケわかんねぇ税金まで作りやがった」
「あの身体も、オナゴにモテたいという理由で鍛えたようじゃな。どっちかと言えば、弱き自分を強く見せる飾りのように思えるがの」
こういった国王の悪評は、普通に生きている限り耳にする機会は滅多にない。
愚痴や現王政への不満自体は、どの国でも、どの家庭や酒場にでも転がっているが、その殆どは想像の域を出ないもの。
国王に仕える側近クラスの口から語られる非難は紛れもなく真実であり、生々しいほどにダメっぷりが伝わってくる。
「若くして王位を得た所為で、下らねぇ方へ増長しちまったんだよ。この国は『武政分立制』なんで、俺が口を挟む訳にもいかねぇ。アレの周りは肯定野郎ばっかりだ」
武政分立制――――軍事に携わる人間が政治に干渉しないという制度を指す。
通常、各国家はめざましい戦果を挙げた兵士に対し、国家において重要な地位を与える。
そしてその地位に就いた人間は、国政にも何らかの形で携わる。
軍事、国防も政治の一分野なのだから当然だ。
だがエッフェンベルグでは、兵士と政治を完全に分離させている。
その為、将軍という兵士の最高地位であっても、国政に関しての発言権はなく、国王が税を使い贅の限りを尽くそうと、国政を大臣任せにして遊び惚けようと、それが政治的判断だと言われれば反論の余地はない。
例え政治に関連しない部分で『真面目にせよ』と訴えたところで、『国王の人格は国政・統治に反映される』と言われれば黙るしかない。
「わかるか? 家ではカビだらけの干しイモ出されても文句言えねぇ、城では図体ばかりデカいビビり王のクソつまらねぇ陰口にウンウンと頷かなきゃならねぇ将軍職の悲哀が、ガキにわかるか? わかるってのかオイ!?」
「そういえば恐妻家なんでしたっけ……」
唾を飛ばしながら涙目で訴えてくるグルートは紛れもなく世界屈指の強者なのだが、そんな人物でも生活の大半を抑圧され過ごしている。
夢も希望もない世の中だと、ユグドは痛感せざるを得なかった。
「とまあ、あんな性格の腐れ王じゃ。恐らくロクヴェンツ一国に宣戦布告する勇気もあるまい。だからこそ、妾を何度も呼びつけ『家宝を返せ』と馬鹿の一つ覚えの如く訴え続けたのじゃろう。いい加減、辟易しておった」
「……まさか、戦争の危機ってのは嘘で、面倒事をオレに押しつけたんじゃないでしょうね」
「妾がそんな嘘を吐く訳なかろう。偶々エッフェンベルグから流れてきた野党崩れ共がマニャンに現れたのを好機と見なし、貴様等の拠点に逃げ込むよう誘導し、『こ奴らの親玉を捕まえる為に力を貸せ』との理由で貴様を連れ去ろうとしていたなど、あろう筈もない」
「け、計画的犯行だったのか……」
実際には『親玉を捕まえる為』ではなく『逃げた盗賊を追いかける為』と誤解していたが、結果的にはどちらでも同じ。
ユグドは急に身体に重しを乗せられた気分になり、その場に膝から崩れた。
「いや、戦争はあながちないとも言い切れねぇな」
そんな二人のやり取りに、グルートが介入してくる。
「確かにそこの自由騎士の言うように、あのヘタレ王に戦争する勇気はねぇ。だが、他国へ協力要請して、それが受理されれば話は変わってくる。例えば、帝国ヴィエルコウッド」
帝国――――ルンメニゲ大陸で最も巨大な力を有する国。
こと軍事面においても例外ではない。
「ふむ。鳳凰騎士団が世界で有数の力を持つと言えども、帝国には同等の水準を誇る騎士団が最低五つはあるの。それだけの戦力が後ろ盾となれば、あのボンクラは気を大きくするじゃろう」
「でも、わざわざ帝国が手を貸すとは思えませんけど。何のメリットもない」
「ところがある」
余りに巨大な斧を抱えている為、城内の雰囲気には一切溶け込めてないグルートが、更に浮くような凄味を利かせた声で言い放つ。
「紛失した国宝は"22の遺産"だ」
ユグドはその理由を、言葉足らずのその答えで十分に理解した。
22の遺産は、皇帝ノーヴェ=シーザーが集めている。
幾ら帝国の長といえど、他国の国宝を報酬代わりに要求する事は出来ないが、足がかりにはなる。
或いは――――協力する過程でこっそり奪い、偽物とすり替える等の方法も考えられる。
介入する動機としては十分だ。
「その国宝、なんて名前なんですか?」
「【金環ドラウプニル】。呪われし金の腕輪だが、効果については聞かされてねぇ。一応、他言無用で頼む」
金環ドラウプニル――――それはオサリバンから貰ったリスト内に存在していた名称であり、遺産を産んだドラウプニル教団の名を付けられた、リスト内でも特に目立った存在。
22の遺産である事は間違いないらいし。
「了解しました。それじゃ質問ついでにもう一つ、誕生日に招待した国……つまり今回の件で疑いを持たれている国は全部で何ヶ国あるんですか? そこに帝国は含まれていない、って事ですよね」
「そうだ。招待国は全部で六ヶ国。シーマン、ローバ、ホッファー、シェスターク、ブラン、ロクヴェンツだな」
商人国家シーマン。
美術国家ローバ。
音楽国家ホッファー。
迷宮国家シェスターク。
伝説国家ブラン。
そして、要塞国家ロクヴェンツ。
シーマンとローバ以外は、エッフェンベルグの近隣にある国ばかり。
エッフェンベルグ王の浅薄な狙いが透けて見えるリストだ。
「仮にどの国の王族が盗んでいたとしても、帝国が協力すれば確実に勝利出来る。戦争が起こる可能性、ないとは言い切れねぇ」
「武政分立制があるから、貴方は協力要請にも宣戦布告にも口を出せない……ですか。厄介ですね」
「面倒な政治活動には一切関わらなくていいのは楽なんだがな。何事も良いトコ取りは出来ねぇってこった」
半笑いで肩を竦めるグルートに人生の悲哀を感じつつも、ユグドはこれまで得た情報をまとめる事にした。
侵略国家エッフェンベルグの国宝が盗まれた。
この国宝は22の遺産の一つであり、帝国の介入が危惧される。
もし介入すれば、エッフェンベルグ王は気を大きくし、疑いを持った国へ宣戦布告しかねない。
ユグドにとって大きな問題なのは――――万が一エッフェンベルグとロクヴェンツが戦争状態になった場合だ。
ロクヴェンツには実家の武器屋【ジェメローランの破壊力】がある。
しかも、今の拠点である中立国家マニャンはエッフェンベルグに隣接している為、幾ら不可侵の中立国家であっても、巻き添えを食いかねない。
幸い、そうなる前にユグドは王との交渉の末、今回の事件の調査権を得た。
面倒事を押しつけられた感はあるものの、無関係とは言い切れない。
加えて、関係なしと言えない理由が更に一つ。
「……仕方ありませんね。ちゃちゃっと片付けましょう」
それ等を加味し、ユグドは正式にラシルに助力する事を決めた。
「うむうむ。ユグドならそう言うと思っておったぞ。何しろ妾に首ったけじゃからな」
「ま、マジかよ。おいガキ、女の趣味に口挟むのはどうかと思うけどな、コイツは止めとけ。年の差五〇〇は無謀だろ」
「何が五〇〇差か! たわけた事をぬかすな、四九〇切っておるわ!」
「変わらねぇよ!? 寧ろ生々しさが増すだけじゃねぇか!」
妙な方向でヒートアップする二人を尻目に、ユグドは先程グルートから聞いた六つの国名を頭の中で反芻し、腕組みしながら立ち上がった。
「まずはローバに行きましょう。もし本当に盗まれたのなら、そこが一番可能性が高い」
その宣言に、掴み合いになりかけていたラシルとグルートが同時にユグドへ顔を向ける。
「何故、そう思うのじゃ? 金の腕輪だから美術国家が盗んだ、等と短絡的な発想をする貴様ではあるまい」
「単なる消去法ですよ。まずロクヴェンツはラシルさんが証明してくれてるんで、除外。次にシーマンですが、商業国家は盗みへの嫌悪が人一倍大きな国ですから、ここも消えます」
「成程な。ローバ以外の残りの三国はエッフェンベルグの近くの国だ。直で攻められるリスクがある。それでローバってか」
「ええ。ローバ単独ではなく、複数国が結託している可能性はありますけど、いずれにせよローバが関与している可能性が一番高いという事です」
そう結論付けたユグドに対し、二人の反論はなかった。
これで行き先は決定。
美術国家ローバだ。
「ローバは大陸の最北東端ですけど……リュートなら二日あれば行けますよね?」
「うむ。途中休憩は挟むが、十分じゃろ」
「二日か……弁当作って貰わねぇとな」
本人はごく自然に会話に混ざっていたつもりだったらしいが――――そのグルートの発言は明らかに浮いていた。
というのも――――
「……何しれっと付いてこようとしてるんですか?」
「なんでって、仲間外れはダメだろ。ロクヴェンツではそんな事も教えてねぇのか?」
「ユグドはそういう事を言っているのではないわ! 貴様、将軍じゃろが! 将軍が自国を最短で五日は空ける事になるのじゃぞ!?」
自由騎士の称号を持つラシルは兎も角、エッフェンベルグの中枢とも言える将軍がすべき仕事でないのは明白。
しかし当の本人に冗談めかした様子はない。
「いいか。さっきも言ったが、この国は軍人が政治に関与するのを禁じてんだ。そして今、世界は平和だ。なら将軍の仕事はなんだ?」
「言われてみれば、全くないの」
「おう、つまり超ヒマなんだよ。それにこの件は戦争の可能性を孕んだ重大案件だ。将軍が遠征する理由としちゃ十分だろ?」
「……そんなバカな」
そう言いつつも、ユグドは既に自由気ままに動き回る皇帝や王族を見てきているので、実のところそこまで驚いてもいなかった。
平和過ぎる時代というのも、それはそれで歪なのかもしれない。
そんな哲学めいた事が頭を過ぎる程度には眠気も消えていた。
「わかりました。でも鳳凰騎士団全員で乗り込むとかは止めて下さいね」
「ったりめぇだろ。この三人で十分だ」
心なしか、グルートは妙に高揚していた。
或いは日頃のストレスを発散させる旅行か何かと勘違いしているのかもしれない。
そう思いつつも、断ったところで時間の無駄になりそうな空気を察し、ユグドは諦観の念を抱き歩行を再開した。
「……グルートさん。一応、聞いておきたい事がもう一つだけ。なんとなく想像は付いてるんですけど」
「なんだ?」
「ローバから誕生会に呼ばれた王族、誰だかわかります?」
「ああ。王女のフェム=リンセスだな」
それは、ローバという国名を聞いた時から頭の中にあった名前。
ユグドはラシルと顔を見合わせ、同時に大きく溜息も吐いた。
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