絵空との話を終えた忍は、一つ大きな嘆息を落とし、あてもなく廊下を彷徨いながら、頭の中の整理に務めた。
実際のところ、余り他人の事に構っていられる状況でもない。
なにしろ、退学を言い渡されているのだから。
尤も、仮にその原因を教頭あたりに問い質して、何らかの回答を得たとしても、それで退学が取り消される事はない。
それよりも、建設的な行動を取らなくてはならない。
それは――――3Dブレーカーの持ち主の特定だ。
出水の見解通りなら、その持ち主が『忍を退学に追いやった』事になる。
この日のシナリオは、その人物が描いているのだから。
3Dブレーカーが、忍の知る『リアライザー』と同様の制限を設けている事は、出水の口から聞いた通り。
『実現性の薄いエピソード』はその制限で却下される筈だが、退学に至る理由は、その範疇からは外れているようだ。
つまり、尤もらしい理由で、忍は退学を命じられた事になる。
逆に言えば、退学の却下、或いは復学と言った事も、理由さえしっかり描けば、3Dブレーカーで『退学なしよ』と言う内容のエピソードを描く事で、十分可能と言う事だ。
「問題は……その持ち主、だよなあ」
心中で独りごち、再度息を漏らす。
出水が容疑者として割り出している六人の内、三人は近しい人物。
その内の二人は現在、行方不明と来ている。
出水からは、彼女等を探すように言われているものの、手がかり一つない状況では、探しようもない。
特に名夕に関しては、最近日中姿を見る機会も少ない。
「那由他……か」
彼女もまた、3Dブレーカーによって描かれている存在。
そう言う意味では、仲間とも言える。
しかも、こっそり彼女候補。
そんな女子を容疑者扱いするのは、気が引ける――――
「……いや、待てよ」
描かれていない、としたら?
元々、名夕は忍に一度『自分が貴方を描いている』と宣言した。
しかし、実際には彼女も何者かに描かれている――――と言う事実が判明した、と言う流れがあって、現在に至る。
だからこそ、忍の中で、彼女に疑いの目は向いていなかった。
もし。
もし、それが――――フェイクだとしたら?
当然、名夕が再び最有力の容疑者となる。
しかしそれは、名夕が所持しているリアライザーに、3Dブレーカーと同等の機能が『本当に』備わっている場合だ。
忍の所持している羽根ペンも同じだ。
あくまでこれ等は、何者かが3Dブレーカーによって生み出した、『3Dブレーカーの模造品』。
そして、作中だからこそ、その効果を発揮できる。
その加護とも言うべき恩恵がない現実では、単なる羽根ペンに過ぎない――――と言う可能性が高い。
断言できないのは、試していないからだ。
「……なんて厄介なんだ」
トコトンまでねじ曲がった事態。
果たしてこの胡蝶は、誰の夢なのか。
改めて、忍は自分が巻き込まれた状況に、絶望を覚えた。
そもそも、出水の言う『3Dブレーカーが壊れた可能性』と言うのも、前提として語れるほど可能性が高い訳ではない。
『忍が3Dブレーカーを記憶に留めているのに、不可思議な事が起こっている』と言う状況は、確かにそれを示してはいる。
だが、こうも考えられる。
3Dブレーカーの持ち主が、『この日、忍はどう言う訳か、3Dブレーカーの事を記憶に留めていた』と言うシナリオを用意している、と。
無論、何の理由付もなければ成立しないシナリオ。
今のところ、忍の身にそれを示すイベントは起こっていない。
だが、これから起こる可能性はある。
3Dブレーカーは、理路整然としたシナリオでなければ、具現化しない。
だが、その説明部分を一日の後半に持ってくる事で、前半は各キャラクターにとって『一見』不可解に思える事を幾らでも起こす事が出来る。
これは――――物語を考えるシナリオライターにとって、別に珍しくもなんともない、普通の手法だ。
だからこそ。
だからこそ、忍は考える。
「やっぱり、那由他が持ち主なんじゃ……」
彼女もまた、物書きを目指す人間。
ならば、この手法を用いる事は、決して難しくはないだろう。
だが、肝心の当人は行方不明中。
何処にいるのか、見当さえ付かない。
高校に入学して以降、最も親しく話した相手。
それでも、プライベートな事は一切わからない。
他人との交流を苦手とする者通しならではの、上辺だけの付き合い――――
「……いや」
確かに、大半はそうだった。
しかし、確かに通じ合うものはあった。
同じ夢を持つ者同士の共鳴。
ならば、自分の立場に置き換えて考える事が出来る。
忍はそう確信し、考えた。
自分がもし、彼女の立場なら、どうするか。
まず考えるのは、『自分がコントロールできない相手から逃げる事』。
現状で言えば、3Dブレーカーの持ち主を追っている出水ら三人だ。
そして、今日限定で言えば、忍も該当する。
例え『3Dブレーカーを覚えている』忍が、名夕によって描かれていて、後に説明が入るとしても、辻褄が合う必要がある。
『3Dブレーカーの支配下にある状態なのに、3Dブレーカーを覚えている』と言うのは、確実にその制限に矛盾する。
どんな超展開でも、そこは覆せない。
つまり今、忍は自由な状況下にある。
だからこそ、身を隠した――――そう考えれば、やはり辻褄は合う。
と、なれば、名夕の行き先は無論、忍の目が届かない場所。
出水達よりも忍を警戒しているからこそ、今日敢えて失踪しているのだとしたら、忍を最優先に警戒する筈だ。
「退学処分にしたのも、その所為なのか……?」
だが、忍や朱莉が学校を去るとなると、本末転倒だ。
名夕がこの一連の物語を描いていると言う保証はないが――――もしそうならば、彼女の目的は、あくまでも『自分の物語を最後まで描き切る』事。
そのエンディングが、主要登場人物の『唐突な退学』というのは、余りに無理があり過ぎる。
となると――――退学の取り止めを視野に入れたシナリオを進行中、と言う可能性が出てくる。
「……待てよ。それなら……」
忍の頭の中に、一つの可能性が浮かび上がった。
その刹那。
「コラ、そこの男子生徒! 今は授業中だぞ! 何をしている!」
教師と思しきドスの利いた男声が、背後から急襲して来た。
忍の記憶にはない声。
別の学年の教師だ。
授業中も何も、現在の忍は退学処分を受けている身。
授業を受ける資格もない。
「組と名前を言え!」
「一組、遠藤忍です」
「遠藤……忍」
それでも律儀に答えた結果、あからさまな語調の変貌が生まれた。
怪訝に思い振り返ると――――その見知らぬ強面の教師の表情は、明らかに曇っている。
『チッ、腫れ物に触っちまった』
そう言いたげに。
「……何か、問題でも?」
色々あって、精神的に追い詰められている忍は、教師相手にも怯む事なく問い質す。
担任がアレな所為で、教師への印象が悪化している、と言うのもあるが――――以前の忍であれば、考えられない事だった。
「何でもない。教室へ戻れ」
だが、そこから何らかの情報を得る事は叶わず、教師は足早に立ち去った。
尤も、『教師が忌避する存在』になっている、と言う有用な情報は得たので、収穫はあったと言える。
「退学の理由と、あの教師の態度が関係してる、って事か……ん」
心中でブツブツと呟く忍のポケットが、忙しなく揺れる。
携帯のバイブ機能だ。
モニターに表示されているのは――――見知らぬ番号。
一瞬、名夕の電話を期待した忍は、乱暴に通話ボタンを押した。
「もしもし」
「機嫌が悪いみたいだね」
その声は、やや肉声とは印象が異なるものの、出水のもので間違いない。
「別に。何の用だ」
「億川絵空への聞き取り調査、終わったかい?」
「聞き取り調査、って言葉は気にくわないけど、終わった。彼女は持ってない」
早く会話を終わらせ、名夕の捜索を再開したい忍は、簡潔に結論を述べる。
しかし――――それに対するレスポンスは、その目論見を許さないものだった。
「それは妙だね……ボクの見解では、彼女が持ち主なんだけどな」
「……はあ?」
断言に近いその物言いに、忍の携帯を持つ手に自然と力が籠る。
そして、即座に最寄りの空き教室へと入った。
「どう言う事だ。ちゃんと説明しろ」
「必要かな? 君だって、心の奥の方ではそう思ってる筈だよ」
「必要だから言ってんだ。下らない見透かし発言は良いから、とっとと説明しろ」
明らかに気が立っている忍に対し、微かに苦笑を漏らした後、出水は咳払いを一つ落とした。
「状況を考慮すれば、彼女が3Dブレーカーを使用している可能性は極めて高い。根拠は三つ。一つ目は、彼女自身が今日になって突然言葉を発し出した事だ」
「それは……」
「今になって突然、前触れもなく話が出来るようになる……あり得ると思うかい? ボクにはそんな都合の良い話、信じられないね。次に二つ目。これも『今になって』の話だけど、ボクを襲った事だ」
「お前は襲われて当然の事をしてるんだぞ?」
そんな忍の棘のある言葉に、出水は肯定の笑い声を返す。
「とは言え、何故今日、それも校長室で? ボクが今朝、あそこへ行く事なんて、彼女が知る術はないよね?」
「それはそうだけど……アンタは3Dブレーカーの支配下にはないんだろ? それが何で根拠になる?」
「根拠にはならないね。でも、校長室になんて学生が朝に足を運ぶ事はまずない。あるとすれば、そうだね……『退学になった理由を聞きに行く』とか、かな?」
その推論に、忍は思わず目を見開く。
「彼女は、君と会う予定だったんだろう。だけど、偶々ボクがいた。ストーリーの蚊帳の外のボクが。しかも、ボクが、3Dブレーカーの回収を行っている事を、彼女は知っている。過去の経験からね。だから、校長室へ来た理由が別途必要となった。じゃないと、疑われるからね。『どうして遠藤クンへの退学勧告を、いち早く君が知っていたのかな?』って。キミになら『クラスで話題になっていた』くらいで押し通せただろう。でも、ボク相手にはそうはいかない。少なくとも、キミほどボクは甘くないってコトを知ってるからね」
「……あの豹変は、カムフラージュだった、って言いたいのか?」
「そう。そして、根拠の三つ目が、『刹那朱莉と那由他名夕の退場』。これが一番大きいね。文字通り消去法だ」
「そうとは限らないだろ? 億川があの二人を失踪させて、何のメリットがあるってんだ」
忍のそんな問いに対し――――暫しの間、沈黙が生まれた。
「……あれ? 気付いてない?」
「何がだよ」
「あっそ。ま、良いケド……彼女、億川絵空は、キミに好意を持ってるんだよ」
瞬間――――忍の頭が真っ白になった。
「……………………はあああああああああああああああ?」
「そう言うリアクションは良いから。って言うか、わかるでしょ? 何でわざわざ、中学生の女子が、高校まで足を運んで、珍妙な部活動に勤しんでると思ってんの。他に理由があるとでも?」
「それは……あんまり気を使われないから、却って居心地が良かったから、とか」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
わざとらしい、深い不快溜息が、受話器越しに落とされる。
「そんな理由で通い続けられる程、簡単じゃないだろう? 中学生女子にとって、付属でもない高校に足繁く通うって言うのは」
それは正論だった。問答無用の。
「これだけ高いハードルを越えられるのは、恋愛しかない。中学生女子なら、初恋かもね。そして、キミ達の部の中に、男子はキミだけしかいない。好意を持つならキミだけだ」
「そ、そりゃ幾ら何でも乱暴な推論だろ」
「他の二人が消えたのが、何よりの証拠でしょ」
平然と――――淡々と、普段通りの口調で出水は告げた。
その恐ろしい内容を。
「彼女は消したんだよ。ライバルになり得る二人の存在を、ね。勿論、3Dブレーカーで殺人は出来ないし、理由もなく失踪させるコトも不可能。ただ、この日……とても重要な意味を持つこの日は、二人には表舞台から消えて貰った。そんなトコだろね。失踪の理由は、後々明らかになるだろう」
「……もうアンタの中で、シナリオは出来上がってる、って感じだな」
皮肉めいた忍の言葉に、出水は堂々とYESを告げた。
「億川絵空は、3Dブレーカーがどんな効果を生む羽根ペンかを知っている。だから、それを彼女は拾った。普通の人は、道に落ちてる羽根ペンなんて拾わないしね。そしてその後、自分の理想のシナリオを描き、現実に反映させた。自分に過剰に気を使ったり、自分を貶したりしない、ちょっと違う世界への旅立ち。彼女にとって、それが何より望むべきコトだった。そして、その舞台に選ばれたのが、少しだけ年上の人達に囲まれる日常、つまり――――この高校だ」
忍はその解説を、無言のままで聞いていた。
辻褄は合っている。
破綻はない。
出水の作ったストーリーは、その点では秀逸だった。
「……声が出るようになったのは、億川がそうなるよう描いたから、か? それで本当に治るのか?」
「治ると思うよ。彼女の失語状態は、心の問題だ。いつ治ってもおかしくない。今日突然喋れるようになっても、何一つ矛盾はないんだからね。例えば、そうだね……『キミへ告白する覚悟を決めたら、勇気が湧いてきた。声が出るようになった』なんてどうかな? ご都合主義だろうと、これで理屈は通る」
それはまるで、世の恋愛物語にありふれた奇跡を全否定するような言い草だった。
「だけど、結果として、ボクの介入によってストーリーは破綻した。当然、そこで3Dブレーカーによって描かれた世界はキャンセルされる。今は、初期設定のみが現実化しているだけで、あの羽根ペンの支配下にはない。だから、キミは3Dブレーカーの存在を覚えているんだ」
「……壊れたんじゃなかったのかよ」
「壊れたさ。彼女の描いたシナリオが、ね」
悪びれもせず、出水は得意げに告げる。
「過去の経緯から、ボク達がどう問い質そうと、彼女は決して持ち主だとは認めないだろう。だから、キミに……と思ったんだけど」
「期待外れで悪かったな」
「こっちは協力して貰ってる身だから、そんな風には思っちゃいないさ。ただ、機を見て再チャレンジして貰えると助かるな」
「……話はこれで終わりか?」
「そうだね。じゃ、宜しく」
最後まで飄々と、人を食ったような物言いに終始した出水の電話を、忍は思いっきり通話終了ボタンを押し、遮断した。
そして同時に、やりきれない気持ちで息を落とす。
原因は複数。
まず、自分の『名夕犯人説』を間接的に全否定された事。
次に、出水の絵空に対する態度への苛立ち。
更に、その絵空が容疑者の最有力候補となった事。
そして――――そんな中学生女子に好意を持たれているかもしれない、と言う指摘に対する戸惑いだ。
そんな覚えはないと言うのに。
「……どうすりゃ良いんだ」
そう呟きながらも、やる事は一つしかない。
絵空にもう一度話を聞く。
もし、出水の推論が正しいならば、絵空は嘘を吐いていた事になる。
尤も、それは大した問題ではない。
嘘を吐かれるくらい、どうと言う事もない。
それより、今の状態で彼女と面と向かって話をする方が苦行だ。
だが、それでもやらなければならない。
退学と言う、お先真っ暗な状況を打破する鍵を持っているのは、3Dブレーカーの持ち主しかいないのだから――――
「……!?」
一瞬、地震を思わせるような揺れが、忍の入った空き教室を軋ませる。
だが、それは地震ではなかった。
何故なら――――同時に遠くから鈍い爆発音が聞こえたからだ。
「今度は何なんだよ!」
敢えて声に出して苛立ちを発散させ、忍は教室の窓から様子を伺う。
異変は直ぐに確認できた。
現在地の二階の一つ上、三階の一室から、もくもくと煙が立ち込めている。
そこが何の教室なのかは、まだ校内の位置関係に明るくない忍にはわからない。
「これも、3Dブレーカーで描かれたシナリオ……?」
瞬間的に、そんな考えが脳裏を過ぎる。
ただ、もしそうだとしたら、『既に今日のシナリオはキャンセルされている』と言う出水の先の推論は、早くも瓦解した事になる。
だが、それを喜ぶのはまだ早い。
そもそも、何が起こったかさえハッキリとわからない状況だ。
忍は全力で床を蹴り、教室を出て階段へと向かう。
授業中と言う事で、各教室から生徒達が数人ほど廊下に出ているものの、様子を確かめに行くのは教師のみ。
都合は良かった。
「おいっ、そこの生徒! 確認は先生達でやるから、君は……」
そんな制止の声を振り切り、三階へと到着。
既に廊下にも薄い黒煙が蔓延していたが、忍は左腕の袖で口元を抑えながら、躊躇なく煙の濃い右側へと走る。
そして――――
「……生徒会室……?」
煙の源となっている教室の特定に至った。
既に数名の教員が、ハンカチで口を押え、扉の前に立っている。
その周囲を、少し濃い煙が包んでおり、非日常の空間を生み出していた。
廊下側に窓はなく、中を確認できるのはドアガラスのみ。
とは言え、それも煙によって曇り、殆ど中の様子は見えない。ただ、火が上がっている様子もない。
「開けないんですか?」
口に袖を当てたまま、忍は誰にともなく問う。
反応した教員の中の一人は、険しい顔で首を横に振った。
「今開けると、煙が一気に外へ出てくる! 一酸化炭素中毒や酸素欠乏症の可能性が……」
「だったら尚更開けないと、中にいる人がヤバいでしょうが!」
「う……」
中に誰がいるか――――それは忍にもわからない。
だが、現在の状況、そして今日と言う日の傾向を考慮した場合、ここに忍の関係者がいる可能性は、決して低くはない。
その危機感が、忍の足を扉の前まで進ませた。
「体勢を低くして下さい! 開けますよ!」
煙は上へと登る。
当然、下の方が濃度は低い。
シナリオライター志望であれば、当然知っている知識。
忍の言葉に従い、教員達は皆頭を低くした。
そして――――
「オラァァァァァァァァァァァァ!」
扉を蹴破る。
――――オカマが。
「大の大人がガン首揃えて何尻込みしとんじゃボケコラぁ! とっとと中を確認しろやカスどもコラぁ!」
担任のオカマは、黒煙をものともせず、自身が粉砕した扉を踏みながら、吠える。
忍はそんなキレた化物の足下をそーっと這い、中へと入った。
見せ場を盗られた感はあったものの、煙が外へ逃げた事で、中は次第に輪郭を帯びてくる。
そこには――――人が数人、倒れていた。
「おいっ、しっかりしろ!」
左腕で口を塞いだまま、姿勢を少し上げて叫ぶ――――が、返事はない。
忍は一番手前の、俯せに倒れた人物の襟首を掴み、横顔を確認する。
そこには――――
「……ったく!」
反射的にそう叫びたくなるような人物の顔があった。
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