主人公サイドが敵と闘うと言うのは、ジャンルを問わず、物語におけるスタンダードな構図。
例え日常ものであっても、多くの物語には敵が存在する。
それは、心の底から憎むべき相手の場合もあれば、互いに切磋琢磨するライバルの場合もある。
近年では、主人公側とは異なる哲学を持ち、壮大なバックボーンを元に、主人公以上にキャラ立ちした敵も少なくない。
例えば、【祈りのセシル】の宿敵として描かれた、悪魔使いフォビアもその一人だ。
彼は、紛れもない人間だった。
だから、人間を愛した。
その未来を安寧を願った。
何よりも――――娘の将来を案じていた。
しかし、娘には呪いにも似た、凶悪な能力が備わっていた。
『寿命と引き替えに、癒やす力』。
厄介なのは、そこにあるのは献身性ではなく、ただの前借りだと言う事。
自分の寿命を差し出すのではなく、回復する本人の寿命が消費される。
何故、このような能力が、娘に備わったのか。
フォビアはそれをずっと探していた。
そして、探索の果てに答えは見つかった。
それは、決して突然変異によって身に付いた力ではなかった。
人類の、更なる進化。
種の頂点は、人類ではなく、更にその先があった。
それは、生命力を制御を出来る力を身に付けた『新人類』。
他者の生命力を、別の力に変換する応力を持った、新たな種。
神に一歩近付く進化だと、フォビアはそう聞かされた。
だが、もし本当に、人間が皆そんな能力を身に付け、『新人類』と言う種へと進化したならば。
誰もが、他人の生命力を奪い、そして自らに有用な別の力へ変換するだろう。
生命力の奪い合い。
すなわち――――殺し合い。
『新人類』は、生まれながらにその火種を内包している種と言う事になる。
フォビアは一つの決意をした。
その進化への芽を摘む事を。
その兆候を持った能力の持ち主を淘汰する事を。
悪魔に魂を売ってでも。
殺戮者と蔑まれようと。
娘を。
誰より愛しい我が子を、その手に掛けるとしても――――
そんな【祈りのセシル】の最終局面で語られる一幕を、忍はなんとなく思い出していた。
敵には敵の哲学があり、事情がある。
そう言う風潮が、この作品によって流行化した――――かどうかは、定かではない。
ただ、それによって、本作は称賛を受けた。
同時に、『完全な悪が少なくなって、倒した時の爽快感が減った』と言う、業界全体に対する不満の矛先ともなった。
いずれにせよ、大きな影響力を持った作品だった。
同時に、忍の原点であり、様々な人生哲学を学んだ作品。
拠点とも言える物語だ。
そして、今しがた忍が訪れたのも、やはり拠点と言うべき場所だった。
そこは、視聴覚室。
先日設立した刹那コーポレーションの前身、【主な登場人物】の拠点となっていた場所だ。
高校入学後の、忍を主人公とした一連の物語の拠点であり、原点。
そんな場所を生徒会が指名して来たのは、偶然――――ではなかった。
「朝の件で、周囲の目が過敏になっててね。人が寄りつかない場所がかなり限定されてるんだよ。だからこそ、ここだ。君達が来るまで、人の立ち入りは殆どない、半ば死んだ教室」
何処かナルシズムを感じさせる物言いで、甲乙高校生徒会長、犬井我王(仮)は静かに微笑んだ。
一見、最終ボス並の威厳。
しかし、接点の少ない忍にとっては、存在自体が各所でネタになっている『ポッと出のラスボス』にしか思えなかった。
「では早速交渉に入ろうか」
生徒会側の出席者は三名。
いずれも特に負傷している様子はなく、初期の兎沢と、3Dブレーカー所持者の候補に挙がっていた猫屋敷若庵(仮)の姿もある。
相変わらずの猫毛で、人を食ったような軽い雰囲気。
そこに、これから人を脅そうと言う様子は微塵もない。
そんな面々を眼前にした忍と朱莉は、無言で椅子に腰掛けた。
当然、出水は来ていない。
「そちらの要求は、那由他名夕の身柄の確保と、君達二人の退学処分の取り下げ……それで良いのかな?」
「取り敢えずはな」
忍の返答に、生徒会長は満足げに数度頷いた。
「こちらの要求は、堂園出水率いるASCの情報。君達が知っている全てを正直に話す事だ。ちなみに、我々も既にある程度の事は調べている。少しでも嘘が含まれていると判断した場合は、交渉は決裂だ」
「……」
それは――――ハッタリの可能性が高い脅しだった。
幾ら生徒会に権力があるとは言っても、3Dブレーカー等と言うオーバーテクノロジーを管理するような組織の情報を簡単に入手できる筈がない。
だが、生徒会側は『それをわかってて』言っていると忍は踏んだ。
何故なら――――1%でも真実の可能性があるなら、それは立派な危険地帯。
例え一つだけだとしても、地雷が埋まっている荒野を渡り歩くのは、誰だって嫌だ。
「まずは、こちらが退学処分取り下げの手続きを行おう。次に、君等が情報を提供。それが正しいとこちらが判断した時点で、那由他名夕を解放する。これで良いかな?」
「彼女は……那由他は何処にいる?」
「それは言えないよーん。切り札だもんね、こっちの。にゃはっ」
キャラ作りなのか、小馬鹿にしているのか、猫屋敷若庵の場の空気を無視した物言いに、忍は思わず血管を露見させた。
だが、直ぐに頭を振り、冷静さを取り戻す。
ここは、自分の人生が掛かった重大局面。
一時の感情で台無しには出来ない。
しかし、一方で手詰まりなのは事実。
もしこの展開を受け入れれば、刹那コーポレーションは、事実上『生徒会の犬』だ。
仕事仲間の情報を売る、最低の負け犬。
忍は別にそれでも良いと考えているが、朱莉は断固として認めようとしない。
「刹那コーポは、私の作った会社。それを一瞬で転落させるような真似は、絶対にしない」
ここへ来る途中、朱莉は断言した。
つまり、本当の情報は売らない、と言う事になる。
だが、現状でそれに変わる代案はなく、まして一発逆転の妙案など、欠片も見当たらない状況。
嘘の情報を嘘と見破られない事だけが、唯一の抜け穴だ。
よって、試案を練るのはそこ。
『どんな風に騙すか』
その一点だ。
だが、失敗が許されない中で、生徒会がASCの情報を全く把握していない事を前提をする訳にはいかない。
よって、重要となってくるのは、『真実に近い嘘』ではなく、『尤もらしい嘘』だ。
生徒会が情報を握っていない場合は、正解を知らない事になり、その判定は専ら主観、整合性、直感などに起因する事となる。
だが、もし何らかの情報を握っているのなら――――その指摘にも対応できる柔軟性が必要となってくる。
これから忍達が行うべきは、何ら破綻のない、それでいて常識の範囲を出ない、綿密な物語を描く事。
そして、予想しない展開になった際に、焦らず騒がず対応し、それまでの話と辻褄を合わせた対応を行う事。
つまりは――――リアライザーを使用してきた日々そのものだ。
「ええ、それで良いわよ」
突然、朱莉が肯定の言葉を紡ぐ。
しかしその目は、生徒会の面々ではなく、隣に座る忍の表情をはっきり捉えていた。
「では、まずはお二方の退学処分の取り消しを行います」
会計の有馬妃嬪(仮)がスムーズな動作で携帯を掛ける。
その相手は――――
「理事長でしょうか? 今朝の退学勧告の件、取り消しでお願い出来ますか。ええ。校長は留守なので、教頭に……そうです、はい。それでは宜しくお願い致します」
そんな短いやり取りで、通話は終わった。
「明日になれば、処分の取り消しが発表されます。ご希望であれば、退学勧告と言うイメージダウンを回復させるダミーの情報を生徒の間に流しますが」
「結構よ。その程度でイメージが崩れるほど、安い生き方はしてないわ」
朱莉は腕組みしながら、堂々とそう言ってのけた。
その態度が、少なからず信憑性を上げる事になる――――そう見越して。
「宜しい。では、次は君達だ。情報を提供したまえ」
生徒の身分で、学校を半ば牛耳っている人物。
その目はやはり、権力にまみれた人間特有の、三白眼とも少し違う、人を見下す為に白目を広くしたような、腐った目だと忍は感じた。
「わかった」
小さく告げた返事に込められたのは、大きな決意。
目には目を。
歯には歯を。
物語には、物語を。
自称『シナリオライター志望』と心の中で唱え続けた日々が、今――――力となる。
Ch.5 " a castle in the
air
”
「それじゃ、何から話そうか……」
既に、忍の中ではある程度のストーリーは固まっていた。
だが、それを描いて表現する事は出来ても、話術で伝える技術はない。
結果、一度頭の中でその物語を文章化し、それを読むと言う方法を採った。
「俺等の前に、連中は突然現れた。ASC……確か、合資会社とか言ってたっけ」
「そうだ。その話は我々も聞いている」
生徒会長の顔に、期待感が混じる。
まずは、なんて事のない真実を提示し、信頼を一つ積み重ねる――――第一関門はクリアした。
「で、連中は俺等に『この学校の事について、詳しく知りたい。報酬は弾む』と持ちかけて来た。当然、最初は断った。不気味な事この上ないからな。でも、困った事にウチの部長は、『面白そうだ』の一言でそれを承認しやがった」
忍はその言葉の直後、朱莉にジト目を向けた。
朱莉はそれに対し、そっぽを向いて舌を出す。
明らかな過剰演技だったが――――
「成程。で、続きは?」
生徒会長には、自然な反応に映ったらしく、事なきを得る。第二関門も突破した。
「で、この学校の事を面白おかしく語ってる中に、アンタ等の話題も出てきた」
表情を変えず、凛然と言い放った忍に、生徒会一同の顔色――――は、変わらない。
「そうしたら、ものすごい形相で詰め寄られたんだよ。『もっと詳しく聞かせろ』って。それから暫く、連中はアンタ等の事ばっかり聞いてきたよ。つっても、こっちはアンタ等の事なんて殆ど知りもしないから、答えようもなかったけどな」
「……それはそれは。興味深い話だな」
生徒会の面々は、一様に表情を崩した。第三関門突破。後は――――本丸へ攻め込むのみ。
「アンタ等の参考になりそうな話は、それくらい……あ、あと一つあった」
「聞こう。何だい?」
「今日の朝だったか、堂園が言ってた。『生徒会の連中が、この部室に盗聴器を仕掛けてるかもしれない』って」
そんな、一見訳のわからないリークに、朱莉は思わず忍へ不安な視線を向ける。
それは、先程よりよっぽど自然な動作だった。
忍の額からは、一滴の汗が滲んでいる。
その汗は拭われる事なく、頬へと伝って行った。
誰も、何も言わない。言葉を発しない。
沈黙が続く。
それはまるで、時が壊死したかのように、長く、長く続いた。
そして――――
「それは興味深い情報だ。どうやら、我々は今後も上手くやっていけそうだ。なあ、皆」
沈黙は、生徒会長の破顔によって破られた。
握手を求め、手を伸ばす。
つまりは――――交渉成立。
忍はその手に手を重ねる事なく、朱莉に視線を向ける。その意図を察したらしく、朱莉はニッコリと満面の笑みを浮かべ、生徒会長の手をスナップの利いたスイングで払った。
「人質を取るような連中と馴れ合う気はないの。これはあくまでも、仲間を助ける為の超法規的措置。わかる? 勘違いしないで欲しいものよね」
朱莉は、それはもう満足げに、フフンとせせら笑った。
「じゃ、なゆなゆを返して貰いましょうかね」
「良いだろう。彼女は体育倉庫にいる。六度ノックすれば、一緒にいる有馬君が開けてくれるだろう」
どうやら、罠ではなかったらしい。
安易な推測で名夕を危険に晒さずに済んだ事に、忍は内心で安堵しまくった。
「面倒な事やってるのね。ま、いーわ。用事は済んだし……とっとと出て行って貰おうかしら。ここは私達の部室なんだからね」
朱莉の手で払う動作に、生徒会の面々は特に怒る様子もなく、何処か不気味な顔で、視聴覚室を後にした。
暫しの沈黙の後――――
「はぁ〜」
忍は思いっきり脱力した。
「お疲れ。主人公としては、取り敢えず合格点の態度だったわよ。で……何でアレで連中納得したの?」
朱莉が問い掛けたのは、忍の最後のリーク。
「今日の朝だったか、堂園が言ってた。『生徒会の連中が、この部室に盗聴器を仕掛けてるかもしれない』って」
実はこれには、幾重にも張り巡らした、忍の罠があった。
そして同時に、自分達の身を守る結界でもある。
この罠には、三つの伏線があった。
生徒会の面々は、忍達の行動に関して、表立ってのチェックはしていない。
盗聴器も一度外されている。
その為、活動内容は勿論、『情報処理教室Cが新しい部室』という事実も、本来は知る筈がない。
又聞きしようにも、忍達の中に外部へ情報を漏らす者はいない。
友達いない生徒ばっかりだから。
忍は『部室』と言う言葉だけを用いた。
よって、生徒会の面々は、この言葉を『視聴覚室』と置き換えるのが自然だ。
もし、彼等がこう言った行動を一切していない場合は、忍の情報は単なるガセとなる――――かと言うと、そうはならない。
あくまでも、『出水が言っていた推測』なのだから。
生徒会一同は当然、こう思うだろう。
『出水達が情報操作をして、生徒会への不信感を更に煽っている』と。
実際、既に一度やっている行為だからこそ、信憑性は生まれるし、この図式は成り立つ。
一つ目の伏線は、『生徒会が以前、盗聴器を仕掛けた事』。
それが活きた格好だ。
だが、別の展開が生じる可能性もある。
それは――――この盗聴器の件が、偶然にも真実だった場合だ。
本当に、生徒会が盗聴器を再度仕掛けた、或いはそれを目論んでいた場合、この忍のリークは、正解と言う事になる。
無論、出水はそんな忠告は実際にはしていない。
よって、朱莉の掲げる『本当の情報は売らない』は満たしている。
寧ろ、生徒会にとっては、『どうして出水達にその事がバレたのか』と、混乱を生じさせる一手となるだろう。
よって、問題なし。
そして――――更に、もう一つの可能性も考慮しなくてはならない。
それは、『情報処理教室Cが新しい部室』だと言う事を、生徒会が知っている、と言うパターンだ。
通常なら知り得ない。
でも、例えばこう言う可能性もある。
『盗聴器は、朱莉の回収した物以外にもあった』
もしそうなら、この視聴覚室にはまだ盗聴器は存在したままとなり、生徒会は『刹那コーポレーション』誕生の際の視聴覚室での会話を全て聞いていた事になる。
『情報処理教室C……そんなんあるのか』
忍はその時、部室でこう独りごちている。
かなり印象深いシーンだったので、その事をハッキリと覚えていた。
新しい組織の誕生。
そして、この独り言。
次の拠点がそこになるのは、想像に難くない。
これが、二つ目の伏線だ。
もしこれが正規ルートなら、忍達には最悪の展開だ。
何しろ、さっき語った『出水達との馴れ初め』が、盗聴器で聞かれていた事と違っているからだ。
当然、嘘だとバレる。
しかし、そこにこそ『罠』と『結界』がある。
もしそれを追求されたら、忍達はこう言い返す事が出来る。
『やっぱりあの時、盗聴器は残ってたのか』
それが何を意味するのか。
そう――――演技だ。
『あの時は、盗聴器があるかもしれないから、わざと嘘の情報を掴ませる為に、一芝居打った』
そう言えば、辻褄は合う。
忍が何気なく呟いた、情報処理教室Cに関する独り言。
あれは本当に、何気なく呟いたものだが、独り言と言うのは客観的に見ると、何処か演技臭いもの。
それを逆手に取ってしまおうと言う作戦だ。
この展開になった場合、生徒会はこう質問するだろう。
『何故こんな演技をしてまで、情報処理教室Cと言う偽情報を漏らしたのか?』と。
そこに、三つ目の伏線が生きてくる。
それは、『あの部屋には、出水達の監視カメラが沢山ある事』だ。
もし生徒会が情報処理教室Cの事を知れば、そこへ侵入し、盗聴器を仕掛ける等の悪事を働かせる可能性がある、と言う推測が成立できる。
それを監視カメラで捉えれば、立派な証拠。
理事会の力でも揉み消せはしないだろう。
『生徒会の監視役』と言う偽の立場を満たすだけの、大きな成果を得る事になる。
完璧な行動理念。
これを嘘だと見破れる人間は、いないだろう。
つまり――――
「生徒会の連中がどう言う反応を示しても、切り返せる偽情報だった、って事」
「エラい! 今初めてアンタが主人公って思った!」
「今!? これまでお前、何回俺の事そう呼んでたんだよ! アレ全部心ない言葉だったのかよ!」
そんな魂の叫びも、朱莉には届かない。
機嫌よさげに鼻歌を歌いながら、扉の方へとスキップで向かっていた。
「じゃ、なゆなゆを助けに行きましょ」
「あいよ」
それに倣う事はなかったが、忍は気持ち軽やかな足取りで、廊下に出――――
「ご苦労さま」
それと同時に、味わった事のない衝撃が、忍の身体を蹂躙した。
「……あ?」
抵抗は勿論、身動ぎ一つ出来ず、為す術ないままに床へと崩れ落ちる。
一体、自分に何が起こったのか。
それすらもわからないままに、忍の頭は、廊下の冷たいリノリウムに触れた。