けれど、ここでまた問題が一つ浮上――――
「……こんな封書が届いたよ」
本の編集を始めようと報告書をまとめていた際、ジャンがポツリと呟いたその一言が発端となった。
俺と、手伝いの為に残ってくれたエミリオちゃん、そして印刷の為の準備をレクチャーしに来ていたルカの三人が同時にジャンの方を見る。
ここんとこ、彼女達二人と会話する機会が多かったせいで、俺の女の子苦手意識はこの二人限定でかなり和らぎつつあった。
「読んでもいいのか?」
「ああ……読んでみてくれ」
妙に憔悴しているジャンから手紙を受け取り、広げてみる。
当然、そこにはカメリア語の羅列。
「……ダメだ。聞くのと読むのとでは全然違う。まるで頭に入ってこない」
英語なら、聞き取りより読み書きの方が慣れてるんだけど、カメリア語の場合、そもそも字に全くなじみがないからな……
「どれどれ……ふふ……ふふふ……これは悲惨……悲惨……」
「ひああ……酷いですっ」
な、なんかルカとエミリオちゃんの反応が怖いんだけど。
これはもしや……苦情か?
〈絵付き報告書〉への苦情なのか?
「俺の絵への苦情だとしたら! 俺は一切その手紙を見ないと誓おう!」
「……違う……これはジャンへの苦情……『絵は可愛くてステキだけど、エミリオ君の健気さが文からは伝わってこない。残念だ』……だって……ふふ」
何!?
絵じゃなくて、文章へのダメ出しだったのか……?
よかった……俺への苦情じゃなくて本当によかった。
「……」
多少、ジャンの視線が痛いけどそれは仕方ない。
自分の描いたモノが叩かれるのは辛いからな。
俺も元いた世界では、ツイッターやら感想サイトへの書き込みやらで散々叩かれたもんだ。
まあ、手紙ってのはそれらとはまた破壊力が違う気がするけど。
「まだ……続きが……『報告書の文章からは事務的な冷たい印象を受ける。美しい言葉でも流れるような文面でもなく、ただの記号に過ぎない。これではせっかくの温かい絵が台無しだ。文を書いた人間は死ねばいいと思う』……ふふ」
「ひああ! 死ねなんて、そんなっ……! なんでそんな事言うんですかっ!?」
エミリオちゃん、憤慨。
俺は言われ慣れてるけどねー。
「ふふ……いいんだよ、エミリオ君」
ジャンが爽やかな笑顔でそう諭す。
ただし、目は完全に三白眼になっていた。
ゲッ、これヤバい時のジャンだ!
「全ての責任は僕にある。僕は……僕はまた、やってしまったんだよ。僕はまたやってしまったんだ僕は僕は僕はまた失敗してしまったのさああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
案の定、病的な言い回しで叫び出したぞ!
リチャードにネチネチ過去の事を言われた時と同じだ!
「そ、そんなことありませんようっ! ジャン様の書いた報告書、とっても読みやすくてわたしは好きです!」
ジャンを尊敬しているらしいエミリオちゃんは即刻フォローを入れたが――――
「……あたしは……その手紙の感想に賛成……絵が図抜けてるだけに……ジャンの文章力じゃ……全然……全然……全然追いつけてない……」
ルカは執拗にジャンの報告書にダメ出し!
引き合いに出された俺の絵が持ち上げられてるだけに複雑だ……
「そうだよね、ルカの言う通りだよ! 僕の文章力じゃユーリの足を引っ張るだけさ! 何が『君は絵を描いてくれればそれでいい』だ! 何が『ただし失敗は許されない』だ! 僕は恥ずかしい! 過去の自分が恥ずかしくて死ぬ! いや死んだ! 僕はもう死んだ! 死んだのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」
「ジャン様っ!? ジャン様が口からカニのような泡をっ!?」
この世界にもカニはいるらしい。
まあ、人間がいるくらいだからカニだっているだろう。
にしても、ジャンの文章ってそんなに下手なのか?
カメリア語はかなり勉強したし、今や日常会話には不自由しないくらいになってきたけど、今の俺に読み物として上手いか下手かの判断は無理。
そもそも、イラストレーターの俺に文章の善し悪しはよくわからないし。
「こうなったジャンは……しばらく使い物にならない……」
「誰のせいだよ、誰の」
「半日くらいしたら……収まるから……それまで編集作業を進めておきましょう……おー……」
爛々とした目でルカが右手を高々と上げ、そう促す。
一方、エミリオちゃんはジャンの豹変した姿に涙目でアワアワ。
そりゃ、憧れの男がこんな錯乱したんじゃ動揺もするわな。
「ひああ……だ、ダメよっ、ダメダメっ。これしきで挫けちゃダメダメっ。こういう時こそ、わたしが献身的に支えないとっ……」
「なんか……打算が見えた気が……」
「それは俺達の心が荒んでるからそう見えるだけだ、きっと」
俺とルカは顔を見合わせ、どちらともなく編集作業を再開した。
翌日――――
「手紙の指摘やルカの言う通りさ。このままだと僕一人が足を引っ張りかねない。かといって、今更僕の文章力が上達するとも思えない」
冷静さを取り戻したジャンは、ギルドホールのカウンター席でクマをこしらえた目を擦りながら淡々とそう語った。
なお、ルカとエミリオちゃんも同席。
エミリオちゃんはジャンが正気を取り戻した事に心から安堵している様子だ。
「そこで、ユーリ」
「ん? 何か思いついたのか? 小説家や吟遊詩人を雇うとか」
「生憎その心当たりはないし、時間もない。だから、僕達がこれから作る本は君の絵をもっと前面に出すべきだと判断した」
俺の絵を前面に……?
絵を重視した本ってーと……まさか。
「これまでの〈絵付き報告書〉は、報告書に一つの絵を付けるだけだったけど、報告書の内容を全て絵で表現する、っていうのはどうかと思ってね」
「文章は……最小限……状況説明程度に留める……そういう意味……?」
「いや、ルカ。それだけじゃ生ぬるいよ。いっそ、物語の内容を細かく分けてそれを絵で描写して、文章は人物の話した内容だけに留めるのがいい。絵も一つ一つを小さくして、一枚の紙に幾つかの絵を敷き詰めて……うん、これがいい。その分ユーリに負担がか――――」
「断わぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーる!」
俺は反射的に日本語で拒絶を示した。
そう、拒絶だ。
今までジャンの案には素直に従ってきた俺だけど、これは完全拒絶しかない。
「そ、そっか……そうだよね。ユーリの描画速度なら十分可能だと思ったけど、幾らなんでもユーリに頼りすぎの案だものね」
「それは問題ないけど、案は却ぁっ下! 絶対にイヤだ! 絶対にだ!」
「ひああ……」
「今日は……ユーリが爆発……」
俺が女子二人をドン引きさせるほど拒否反応を示している理由は、言うまでもないだろう。
ジャンは今、地雷を踏んだ。
というのも――――ジャンの案はすなわち、マンガを描けって事。
マンガの概念がないこの世界で、その基本構造を思いついたジャンには拍手を送りたいし、本来ならその発想力に敬意を表し一肌脱ぐのが正しい人間のあり方かもしれない。
でも――――
「イラストレーターになんの下調べもなくいきなりマンガを頼むのは軽率過ぎる! 最低の行為だ!」
「……ま、マンガ?」
「今お前が説明した本は、俺の母国ではそう呼ばれてるんだ! そしてそれを描くのはマンガ家! マンガはイラストレーターの仕事じゃない! だからマンガが描けなくても恥じゃないんだ! マンガが描けないからイラストレーターに逃げた訳じゃないんだーーーーーーーーっ!」
一頻り吠え終え――――俺の魂は我に返った。
「……ま、まあ、とにかくジャンの言うような絵とセリフでストーリーの大半を表現する技法ってのは確かにあるけど、それは専門外なんだ。悪いな」
「いや、なんというか……こっちこそ、触れてはいけない所に触れてしまったみたいで悪かったよ。絵の世界は奥が深いんだね。気を付けるよ」
そうあらたまって謝罪されると、こっちとしても胸が痛い。
実際のところ、イラストレーターの中でもマンガを描ける人は沢山いるし……な。
逆に、マンガ家なら誰でもイラストは描けるだろう(そもそも表紙=イラストだし)。
けどそれは『イラストレーターなら誰でもオチなし四コママンガ一本くらいは描ける』ってのと同じで、ただ"描ける"のと"一定水準以上のモノを描ける"のとは全然意味が違う。
確かに親和性は高い。
けれど、同じ職業じゃないって事は声を大にして言いたい。
まして、イラストレーターは決してマンガ家の下位互換じゃない。
マンガ家を挫折した人の受け皿じゃない……とまでは言えないけど。
実際、俺はそのクチだし。
俺には、一定水準以上のマンガは描けなかった。
描けないと悟った以上、描く訳にはいかない。
ジャンが求めているのが一定水準以上のマンガじゃないとわかっていても、描く訳にはいかない。
それが俺のイラストレーターとしての本分、そして意地だ。
……決して自分のショボいマンガを他人に見せたくないとか、そんなちっちゃな見得の為に拒否してる訳じゃないのですよ!
「そこまでダメって言うのなら……代案を立てるべき……それが社会人としての最低限の礼儀……」
うっ、正論だ。
ルカの言う通り、断わる以上はそれに代わる案を出さないと。
考えられるのは――――
「このギルドの経営者を頼ってみる、ってのはどうだ? ツテもありそうだし」
多くの市民から失望されている今のジャンを受け入れ、雇っている訳だからそれなりに協力は期待出来るはず。
それに、ギルドの経営者なら吟遊詩人の知り合いくらいはいるかもしれない。
「いや……それは無理だね」
「何でだよ」
「ここの経営者は、ここを潰したがってるから」
……何だそりゃ。
やる気がないのは受付のジャンに丸投げして一切姿を見せない時点で予想出来たけど、潰したがってるってのは穏やかじゃないな。
「別に不思議な事じゃないよ。ここの経営者はハイドランジアの経営だけじゃなく、他にもいくつかの事業を抱えている大富豪の人でね。元々はハイドランジアの成功で成り上がった人なんだけど、そこで得た信用とネームバリューで他の事業が大成功して、そっちに入れ込む余りハイドランジアの経営には力を入れなくなったんだ」
「何でまた……」
「冒険者ギルドは……国営に近い運営形態だから……利益を出しにくい……。だから金に目が眩んだ……ここらじゃ有名な話……」
ルカが肩を竦めながら補足した内容は、なんとも締まらない話だった。
要するに、用済みになった事業からさっさと撤退したいって訳か。
国が冒険者ギルド廃止の方向で動いてるから、他の事業者に託そうにも貰い手がいない。
だから、落ちぶれたジャンを敢えて雇ってギルドの人気を更に萎め、潰れるか他のギルドに吸収されるのを待ってる……そんな状況なんだろう。
……腐ってるなあ。
「そういう訳だから、運営者には期待出来ないんだ」
「みたいだな。悪いジャン、今度は俺が触れちゃいけないトコに触れたみたいだ」
「はは、おあいこだね」
思い出したくない事まで思い出しただろうに、ジャンは爽やかに微笑んでいた。
例の発作はともかく、精神的な根っこの部分はかなり強いヤツだと再認識。
ジャンの抱えている闇に比べれば、俺のコンプレックスのなんてショボい事か。
イラストレーターとしての意地はある。
でも、意地は意地でしかない。
困っている恩人を手助けするより大事かってーと、そこまで崇高なモンでもない。
「わかったよ。俺、やるよ。絵の枚数を増やして、文章の負担を減らそう」
「……いいのかい?」
「ああ。意地だのこだわりだの言ってやらないのは、結局逃げてるだけって気がしてきたしな……やるだけやってみる」
俺とジャンは再起の為に戦ってる。
過去の自分への報復の為に戦ってるんだ。
なら、俺は『マンガを描けなかった俺』へ報復する必要がある。
それが、運命共同者としての責任だ。
上手くいくかどうかはわからないけど、静かに俺はそう決意した。
「そのう……わたし、ユーリ先生なら出来ると思います。きっと出来ますっ」
ここに来て唐突に先生と呼び始めたエミリオちゃんに若干の魔性を感じつつも、俺は素直に煽てられることにした。
よーし、やってやる!
この世界を震撼させるようなマンガを、俺は描いてやる――――
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