――――と、そんな宣戦布告を受けた夜。
俺は再度アニュアス宮殿に足を踏み入れていた。
一応、アルテ姫の客人という扱いなんで、立ち入り禁止区域以外は自由に行動出来る。
当然、アルテ姫への指導が優先事項なんだけど、彼女も王女という立場上暇ばかりではないらしく、夜間は疲れ切って早めに就寝する為、俺は結構フリーに動ける。
そんな時間を利用してここへ来た理由は一つ。
"彼女"の絵を見る為だ。
若手宮廷絵師三名との出会いを終えた後、アルテ姫の部屋へ戻る間、俺は姫からその三人について、そしてこの国の美術事情についての話を頼みもしないのに散々聞かされた。
カメリア王国は、リコリス・ラジアータの中では小国の部類に入る。
特に資源に関してはかなり乏しい国らしい。
その点では日本と似ている。
ただ、日本とハッキリ違うのは、この国が王制という点。
絶対王制ほど独裁的な権力を握っている訳ではないものの、どういった方針で国を動かしていくかの最終決定権は国王だけにある。
よって、国の主要産業にしろ貿易にしろ、国王の好みが少なからず反映されるって訳だ。
ヌードストローム家は先祖代々芸術愛好家で、美術品、特に絵画において他国よりも秀でた物を輩出する事にかなりの力を注いでいるらしい。
なので、ジャンも言っていたように、自然と国内における画家の地位も高くなっている。
どこぞの宗教は神様が芸術を好んでるって教えているらしいが。
で、この国の現国王、つまりアルテ姫のお父上であるヒューゴ陛下も例外ではなく絵画好き。
国王の好みは、既存の技術に囚われない変わった絵、だそうな。
アルテ姫もその好みを受け継いでいるらしい。
だから本来は、国王の好みに合致した幻想派と呼ばれる人達の絵が覇権を握りそうなものなんだけど――――話はそう単純じゃないらしい。
カメリア王国の芸術分野を牛耳ってきた多くのベテラン画家さん達は、古典派に属している。
そして彼らが現在は国政における要職に就いていたり、影響力を持っていたりするもんで、国王も中々自分の好みだけを押し通せない。
更に、一般市民には一番わかりやすい写実派の絵が受けている為、三つの派閥はそれぞれに強みを持つ一方、抜きん出る事が出来ないでいる。
こういった事情もあって、王族でもどの派閥の絵を推すかは意見が割れている為、各個人で勝手に支援しているらしい。
最も新しい分野である幻想派は国王の好みとあって、国王が直接支援している。
最も一般人に親しまれている写実派は、第一王女であるメアリー姫が中心となって支えている。
そして、最も長い歴史を持ち、文化的な価値の高い古典派の絵については、国王の甥にあたるゴットフリート=カミーユ=サージェントが後ろ盾となっているそうだ。
一見すると、国を割っての三すくみ状態って感じだけど、お三方が表立って対立している訳ではなく、権力争いや王位継承問題も発生していないという。
ただし、彼らの下っ端……というと失礼だけど、要は各派閥の宮廷絵師達は己の存在価値を主張すべく、バチバチで競い合っている。
そんな状況下にあって、アルテ姫だけが蚊帳の外。
だから俺の絵を掲げ、"第四の勢力"となろうとしているのかもしれない。
日中、ここでアルテ姫が語っていた内容を思い出し、俺はそんな推察を描いていた。
「ユーリ先生?」
すると不意に、凛とした女性の声が聞こえてきた。
この人の声もそろそろ聞き慣れてきた頃合いだ。
「リエルさん。どうしてここに?」
「見回りです。この宮殿は使用人の皆さんは入れませんので、私が」
騎士が見回りって……幾ら王宮の知識がない俺でも、それが異常なのはわかるぞ。
「殿下の付き添いで来ていたのが、いつの間にか習慣になってしまって。芸術って柄でもないのはわかっているんですけど」
「ああ……そのついで、ですか」
そう言いながら、リエルさんは小首を傾げ苦笑した。
凛然とした雰囲気の中にも、こういう少女っぽさがある。
なんか、また描きたくなってきた。
「……どうしました?」
「あ、いえ。なんでもないです」
変態と思われかねないんで、流石に自重。
気を使ってくれたのか、リエルさんもそれ以上の言及は控えてくれた。
その代わりに――――
「この絵、気になりますか?」
俺がずっと見ていた絵画に話題を振る。
ああ、気になる。
この絵が目当てで、俺はここへ再訪したんだから。
イヴ=マグリット――――あの女性が描いた絵だ。
モチーフは、なんと亜獣。
宮殿内の絵に関する記録を記した書類をアルテ姫から借り、彼女の作品がどれか確認した事で判明した。
俺がルピナスで見たフクロウみたいなのとは違う、耳の長い……ウサギに近い外見の亜獣が描かれている。
ただし、元いた世界のウサギのパブリックイメージみたいに丸まっている訳じゃなく、ホッキョクウサギの立ち上がっている姿のように、割と長い脚で今にも跳ぼうとしている様子が描かれている。
彼女以外にも亜獣を題材にした絵を描いている幻想派の画家はいる。
けど、蜘蛛っぽい亜獣をやたらホラーテイストに描いていたり、コウモリっぽい亜獣が全身血だらけで飛んでいる姿を描いていたりと、全てホラーテイストの仕上がり。
イヴさんの絵だけ、まるで印象が違う。
「〈黒の画家〉イヴ=マグリット。彼女はそう呼ばれています」
黒の画家――――その表現は確かに、彼女の絵に相応しいものだった。
描かれている絵は全て、墨か黒炭で描かれいるらしく黒一色。
けれど、濃淡を最大限に活かしている為、とても黒だけの色彩には見えない。
黒とは、ここまで多彩な表現を可能とするのか……そう思わず唸ってしまうような見事な一作だ。
でも、俺が心を奪われたのはそこじゃない。
彼女の――――イヴさんの絵は古典派ほど重厚感はなく、写実派ほど多くの線を入れている訳でもなく、若干荒いくらいの大胆な線によって構成されている。
それでいて、やけに見やすい。
きっと子供でも、この絵が何の絵かわかるだろう。
つまりは、デフォルメとして優れた作品だ。
俺の、マンガ絵のデフォルメとは全く方向性が違うけど、これも立派な省略表現だ。
「ユーリ先生……嬉しそうですね」
「え?」
「だって、笑っていますから」
俺は――――笑っていたのか。
そんなつもりは一切なかったのに。
「イヴさんとの出会いが、刺激になったみたいですね」
俺自身、そう自覚している訳でもないんだけど、リエルさんから優しげな笑顔でそう言われると、そうなのかと思ってしまう。
他にない独特な絵。
それがこの世界での俺の唯一の売りだ。
でも同時に孤立感もある。
同じ方向を向いている人がいたと知って、嬉しかったのかもしれない。
「そういうところ、男の人って感じがします」
俺がイヴさんをライバル視していると思ってか、リエルさんがポツリとそう呟く。
「羨ましいです。迷いなく自分の道を見つけられる人は素晴らしいと思います」
「いや、思いっきり迷いまくってるんですけど」
それも、世界そのものに。
俺ほどの人生の迷子、そうはいないだろう。
「謙遜しないで下さい。ユーリ先生は素晴らしいです。どんな状況になっても取り乱さないですし。自分に絶対的な自信があるから出来る事だと思います」
ああ、またも過大評価!
こ、困る……立場ある人からの過大評価は一番困るぞ。
「殿下もそうなんです」
困惑する俺の様子に気付いていないらしく、リエルさんは話を続けた。
「第二王女というのは、実は難しい立場なんです。野心、堕落、その両方に魅入られてしまう可能性が高い地位ですから。でも、あの方はそのどちらにも目もくれず、御自身の進むべき道を見つけられました。それに引き換え、私は……生前からあった遊歩道を、ただ漠然と歩いているだけに過ぎません」
表情こそ穏やかだが、その声は少しずつ沈んでいく。
騎士という身分にありながら、リエルさんは自分の生き方にコンプレックスを抱いていたみたいだ。
この世界の騎士になるにはどうすればいいのか、俺は全く知らない。
元いた世界の中世の騎士は、元々高貴な生まれの子供が騎士の側仕え……要するに召使いのような形で下働きをした後、成人する頃に騎士となる、そんな流れだった気がする。
騎士っていうと、ファンタジー系のゲームでは戦士の上級職とか、王様やお姫様を守るボディガード的な印象が強いけど、実際には騎士といっても色々あって、イメージ通り戦闘を得意とする騎士もいれば、単に家系故の騎士も存在する。
リエルさんは前者だと思ってたけど、話を聞く限りでは後者の要素もあるみたいだ。
だとしたら――――用意された道の上をただ進むだけの人生と本人が嘆いているのも無理のない話かもしれない。
同じく生まれながらに道を準備されていても、自分の意思でその道を色々舗装しようとしているアルテ姫を眩しく思っているんだろう。
けど……
「遊歩道な訳ありませんよ」
「え?」
俺の見識は違う。
それを訴えるべく、リエルさんの目を睨むように凝視した。
「だってリエルさんは、ルピナスで自分の命を賭けて亜獣と戦おうとしてたじゃないですか。そんな危険な遊歩道、ありませんよ。リエルさんが歩いている道は、獣道ですよ。少なくとも漠然と歩ける道とは思えません。貴女は険しい道を歩いてますって」
或いは、騎士なら当然なのかもしれない。
命を危険に晒して国民を守ったり、敵と戦ったりするのは普通の事かもしれない。
でも、平和な世界で生まれ育った俺からしたら、信じられない事だ。
「だから正直に言います。俺は貴女に褒められても嬉しくないんです。だって、貴女の方がずっと凄いんだもん」
「そんな……貴方はこの国を代表する画家になる才能を持っているんです。きっとこれからも、多くの人を魅了する素晴らしい絵を生み出して行く筈です。一介の騎士に過ぎない私よりずっと、貴方のほうが……」
「仮にそうなったとしても、リエルさんの方が立派ですよ。どれだけ俺が優れた絵を描けたとしても、たかが絵。ペラペラな紙の上に描いた、血の通わない無機物です。今までも、これからもたくさんの人の命を守るリエルさんの方が偉いし、凄い」
「いえ! ユーリ先生のほうが凄いんです! 貴方はまだ自分の価値に気付いていないんです!」
「いーや! 絶対にリエルさんが凄い! っていうか、比べるまでもない!」
価値観の相違――――なのか、果たしてこれは。
俺もリエルさんも、半ば意固地になってお互いを褒め称えていた。
……傍から見たら、この上なく気持ちの悪いやり取りだよな。
でも、柄にもなく本心で他人を褒めた手前、ここはどうしても譲れない。
「……」
リエルさんもリエルさんで、これまで見せた事のない口を尖らせるような表情で眉を吊り上げ、俺を睨みつけていた。
結局、折れたのは――――
「何をやっているのかな? このような時間に」
俺でもリエルさんでもなく、突然のタイミングで現れた男性の首。
小首を傾げるように、半眼で俺達を眺めていたその人物は、三〇歳前後と思われる見覚えのない男性だった。
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