黒い空。
  黒い群集。
  黒い心。
  黒い余白。
  そもそも、アウロス=エルガーデンを名乗る研究者を形成する物に、輪郭はない。
  その中枢を埋める記憶が、例えどれだけ鮮明だとしても、そこには
  陰と対極にある光によって、やはり輪郭を失う。
  つまりは、極端なのだ。
  絶望などと言う言葉すら溶け込むような深淵の黒に身を焦がした、遠い過去。
  希望などと言う言葉すら迷い込みそうな深遠の紆余に目を回した、近い過去。

  そして、現在。
 
  街を彷徨うアウロスの耳に、黒い声が届く。
  その声は、言葉を持たない。
  少なくとも、輪郭はない。
  明確な意味を持たない雑音は、鼓膜を揺らす事なく脳へと侵入し、
  ゆらぎにも似た刺激を送る。
 
  ――――残念だったね

  言葉ではない思念。
  まるで雨音のように、やけに耳に馴染む。
  まるで雑音のように、どこか遠くに聞こえる。
 
  ――――ここまでだったね

  その音ではない筈の、空気の振動ではありえない筈の声は、
  アウロスの歩を進める原動力となっていた。
   
  ――――でも、良く頑張ったね
 
  しかし、その活力とは言い難い原動力には、やはり輪郭はない。
  何故なら、それはアウロス自身の声だから。

  ――――偉いね

  認める。
  アウロス=エルガーデンを名乗る研究者は、それを認める。
  自分の声が、自分を癒す最低の手段であると。
  自分を根差す唯一の手法であると。

  ――――疲れたよね
 
  その声は、確かにアウロス=エルガーデンの声だった。
  輪郭なき記憶の、おぼろげな声。
 
  ――――ねえ、もう休んでよ

  自分にとって、唯一の存在。
  唯一人、同じ目線で、同じ場所に立って笑った相手。
  そして、今も尚見える、その最期の顔。

  ――――早く、返してよ

  それが、言葉を生む。
 
  ――――その名前を

  アウロス=エルガーデン。
  借り物の名。
  許可なき借り入れは、社会性に関連せずとも規律違反。
  だが、そうしなければ、彼が生きて行く事は適わない。
  何故なら、それは彼にとって、聖水を納める器だからだ。
  どのような高価で高質の聖水だろうと、器がなければ存在し得ない。
  どのような優れた功績であっても、名前がなければ後世に残りはしない。
  それを言い訳にし、彼は名を得た。

  そして、現在。

  水は聖沢を失い、唯の水となった。
  器なきは存在し得ない。
  しかし、唯の水などこの世のどこにでもある。
  有限なれど、代わりは幾らでも利く。
  器は、必要なくなっていた。
  彼に、アウロス=エルガーデンの名前は必要なくなっていた。
「……」 
  彼は、足を止める。
  そうすべきだと思っての行動ではない。身体の反射的行為でもない。
  理性が、意思を無視して稼動した。
  もう、輪郭はおろか、器すら失った筈のその存在は。
  何の事はない。それでも尚、在り続ける事を望んだ。
「動くな」
  予想よりも1秒弱早かったその声に、彼は視界を思考から切り離す。
  見覚えのある場所だった。
  繁華街【ネブル】。
  その郊外の、灯りなき路地。
  人通りは既になく、動物の声も虫の声も聞こえない。
  不自然。
  既に気付いている。
  既に足は止めている。
  次の肉声を待つだけだった。
「人違い……? いや、間違いない、か」
  彼に、その声を聞いた覚えはない。
  しかし、状況から自身に敵意を持っている事は容易に把握できる。
  それ故に、彼は対策を練った。
  その対策とは――――『彼』を、今一度『アウロス=エルガーデン』に塗り替える作業だ。
「見違えたよ。まるで死神だね」
  アウロスは、先の言を破り、振り向く。
  特にお咎めなく開けた視界には、微かに闇夜の中で一度視神経に触れた、若い男の顔だった。
  ギスノーボ――――目鼻立ちのはっきりしたその男の名を、アウロスは覚えていた。
  接点は火花のように一瞬。
  それでも、記憶は忘却を許さない。
  それだけの密度と煌きが、あの時間にはあった。
「教会上位者の召使がこんな場所に居て良いのか?」
  アウロスは言葉を綴る。
  見えない板に指を押し付けるようにして。
「俺を判別できるんだね」
  ギスノーボが意外そうに呟く。そして、それと同時に膨大な量の殺気を放った。
  殺気は、敵意と必ずしも統合では結ばれない。
  何故なら、殺気と名目上呼んでいるそれは、必ずしも『殺す』と言う意思を反映していないからだ。
  攻撃的な意思ですらない事もある。
  幾度となく本物の『殺意』を見てきたアウロスは、それを良く理解っていた。
「ククク……やはり、良い腕を持っている」
  満足気にギスノーボが呟く。その刹那、殺気は圧縮した風を開放するかのように霧散して行った。
「俺がここに居る目的が知りたいかい、アウロス=エルガーデン」
  ギスノーボが唱えたその名は、正式にはギスノーボの眼前に居る者を指すものではない。
  しかし、その投げ掛けられた言葉に、それが自分であると言う認識は、持つ必要がある。
  アウロスは、まだ器を返却してはいないのだから。
「あの司祭がどうなったかは知らないが、今でもあれがお前を手元に置いておくとは考え難い。
 失敗の象徴だからな、お前は。あの夜以降合流してすらいないんだろう。
 ここに居るのは、次の宿主を探す為か?」
「悪くない。半分正解だね」
  ギスノーボが不敵に笑む。アウロスの表情に変化はなかった。
「聖輦軍は繊細な組織故、少しの傷や痛みも許されない……と、お飾りの長は考えている。
 穢れの存在は、最初からなかった事になるらしいよ」
「典型的だな」
「わかり易くて嫌いじゃないね。もっとも、この立場を覚悟した事は一度もないけど」
  口の端を吊り上げ、ギスノーボは白い歯を見せた。
  アウロスにそれが見えるくらいの距離に二人は居る。
「一度堕ちた者は、闇に溶け込み他者とは違う領域に生きる。この世界の掟だね。
 
グレスがそうであったように」
「……」
  アウロスは、もう二度と会う事のない知人の名を聞き、微かに顔を歪める。
  それが面白かったのか、ギスノーボの口元の角度が変わった。
「とは言っても、俺達のような人間には、寧ろその方が居心地は良いからね。
 支配欲や享楽は格段に減るけども、遊びの時間はいずれ終わるものだから」
  ギスノーボの戦闘力を知るアウロスは、彼が聖輦軍の枠内に収まる存在とは思っていない。
  聖輦軍は、元々教会がメンツを守る為にこしらえた、言わば装飾のような団体。
  侵略に対する自衛手段の名目で維持しているものの、戦争時ほどの必要性も影響力もない。
  何より、アウロスに良いように振り回された事が、それを如実に表している。
  もし、ギスノーボに聖輦軍と言う足枷がなければ、アウロスに彼を攻略する手立てはなかっただろう。
  もっとも、その仮定を当てはめた時点で、二人の接点は消えるのだが――――
「俺は部隊を作る」
  突如、ギスノーボがそう宣言する。アウロスは眉一つ動かさずそれを聞いていた。
「魔術で人を壊す部隊だ。魔術士殺し、などと言う捻りもない存在が賑わせていたようだけど……
 同じようなものだよね」
「それしかない、か」
「その通り。俺が生きるにはそれしかない。戦争のない今、戦闘しか能のない者にはね」
  宿主を探すには、単に戦闘力が秀でていれば良いという訳ではない。
  社会の中で何が一番大事かと言うと、金や名誉ではない。
  才能でもない。
  信用だ。
  金や名誉は、力と継続で幾らでも手に入る。
  才能の有無は、そもそも答え自体がない。
  社会では、信用こそが力となる。
  そして、社会のない世界はない。
  それが例え無秩序な闇の領域であっても。
「存在を保つ事は容易。維持費など、その辺りを幾らでもうろついている。
 けど、生きるとなれば、それなりに理由が要る。そして、俺は強さの維持がそれに当たる」
  強者は、強者である事を魂が求める。
  そこから逸脱する者は、最早強者ではない。
  アウロスが強者ではない理由もそれだ。
  類稀な戦闘力を持つギスノーボは、その戦闘力に含有される権力や欲望の保持を望む。
  つまりそれは、社会性だ。
  名誉、そして立場。
  相対性がもたらすそれらなくして、強さはあり得ない。
  だからこそ『生きる』。
  教会から存在を抹消されている彼にとって、それを得るには、彼の存在を守る傘が必要。
  すなわち、宿主だ。
  消費すべき仕事と、それをこなす事で得る名誉。
  それらを与える宿主がいる事で、ようやく条件は満たされる。
  しかし、その宿主を見つけるには信用が要る。
  これまでの実績は既に教会から消去される事となる。
  新しい信用を組み立てなくてはならない。
  ギスノーボは、その為に部隊を作るのだ。
  個では時間が掛かる。
  集団になれば、役割は分担され、影響は大きくなる。
  効率的と言える。
「聖輦軍から切られた連中を拾うつもりなんだ。お前を取り逃がした連中だよ」
  ギスノーボの体が一瞬傾く。それは、腕を伸ばした所為だ。
「そこに、お前を迎えたいと思ってる」
  唐突。
  しかし、アウロスは動かさないよう身体に命令を下した。
  果たしてそれは遵守されたのか――――
「反応なし、か」
  どうやら、まだ生きている。
  アウロスはそう実感した。
「俺は、お前と言う人格を知らない。話に聞いている程度かな。
 けど、あの夜の僅かな接点の中で、俺には一つの確信があるんだよね」
  ギスノーボが一歩踏み出す。
  そして、ずっと保持していた口元の角度を、最も自然なものに戻し、鋭い眼光を更に尖らせた。
「お前には人殺しの素養がある」
  アウロスの耳に宣告されたその言葉が、アウロスの過去に触れる。
「お前は、自分自身すら無機質に変換できる。意思を消去できる。
 そして、理性に反射を持っている。これは、天性だよ」
  それは、アウロス自身も自覚した事があった。
  それも一度や二度ではない。
  かつて、戦争のあった数日間。
  アウロスは、周りの誰よりも人を壊した。
「十分な戦闘力も伺える。魔力が極端に低いと言う話も聞いているが、問題はないね。
 暗殺は、一瞬が命。そして全てだから」
  もし自分に武器があるとすれば、それは紛れもなく――――
「もう一度言うよ。お前には、人殺しの素養がある」
  アウロスはその言葉に、過去の光景を重ねた。
「俺と来いよ」
  その光景は、凄まじい速度で移り変わる。
  そこは、かつて長期に渡って住んでいた場所。
  その場所で、妙に強面の男から同じようにスカウトされた。
  その結果、現在がある。
  アウロスは、率直に苦しんでいた。
  ミストに切られた事を恨むと言う感情も、全くないとは言い切れない。
  ようやく辿り着けると思ったところで、突然襟首を掴まれ、
 何もない荒野に放り出されたようなものだ。
  が、そのリスクは百も承知だった筈。
  アウロスはいつの間にか、それを忘れていた。
  つい少し前までは確実に覚えていた筈なのに。
  それをミストが見抜いていたとしたら――――アウロスは、不覚を取った事になる。
  このタイミングでの解雇は、最も警戒すべき事だった。
  制御できる可能性はあった。
  ――――解雇を言い渡されてからずっと、アウロスはその後悔に苛まれていた。
  それが、今ようやく潰えた。
「興味深い話だった」
  アウロスは、決して弛緩とは違う破顔をギスノーボに向けた。
  それを肯定と取るほど底は浅くないようで、ギスノーボの眉間が忙しくなる。
「お陰で、すべき事が見つかった。礼は言わないけどな」 
「それは人殺しではない。そうだね?」
「ああ。元々やる事は一つだ。だが、少しばかり見えなくなっていて困っていた」
  アウロス=エルガーデンの名前を歴史に残す。
  それは、現状では困難を極める。
  長年温めていた物を取り上げられたのだから、当然だ。
  だが、アウロスは思い出した。
  そこにはかつて何もなかった。
  そう。本当に何もなかった。
  空虚な生活だった。
  それでも、自身の中には確かに目的への道が見えていた。
  それを思い出した。
  環境ではない。
  施設ではない。
  まして、研究ではない。
  アウロスが見失っていたものは、何の事はない、原点の一つとも言える場所だった。
  ありがちな話だ。
  アウロスは、決して良い思い出のないその地から、ずっと目を逸らしていた。

 【ヴィオロー魔術大学】

  ここが何故、研究発表会の場に選ばれたのか。
  理由は幾らでもある。無駄に多い校舎など、おあつらえ向きだ。
  しかし、そんなものはどんな場所であっても、何かしらでっち上げられる。
  この大学でなくてはならない理由は、発表会で最大の利を得る者が握っている。
  それは、発表者の誰かなのか。
  論文発表会を取り仕切るのは魔術学会の誰かか。
  答えは『いいえ』。
  発表会の会場を取り決めているのは魔術学会だが、それはあくまで
 選択肢の中から選択するだけの事。
  基本的には、会場は立候補のあった施設の中から決めている。
  もしその立候補の時点で操作出来る存在ならば、選択肢を一択に出来るならば、
 事実上その存在が会場を決めている事になる。
  つまり、利を得る者は、魔術学会に属している必要はない。
  では、実際のどのような利を得る事が出来るか。
  それは、大学の知名度を上げる事しかない。
  発表会そのものの注目度や賞レースは、会場には左右されない。
  論文を審査するのは会場の者ではないのだから。
  しかし、後に大きな反響を生む論文の発表があれば、その発表会場は自然と知名度を上げる。
  立派な利だ。
  つまり、【ヴィオロー魔術大学】は、今回『後に大きな反響を生む論文』があると言う事を
 知っていると推測できる。だからこそ会場に『選ばれた』。
  そして、アウロスには、【ヴィオロー魔術大学】とその論文を結び付ける接点が、
 はっきりと見えていた。
  アウロスの視界は、一気に開けた。
「俺に人殺しの素養があると言ったな」
  アウロスは、生気ある目でギスノーボを見据える。
「それは恐らく正解だ。実際俺は、一人の少年を殺そうとしている」
「……」
  ギスノーボには、その言葉の意味がわからない。怪訝な眼で決裂した交渉の残骸を眺めている。
「その少年の名前に死を刻む事。それが、俺の目的だ。俺は……もしかしたら、
 それを恐れていたのかもしれない」
  名前を返還すると言う事は、友人の死を世界に告げる事。
  死と言う記録を残す事。
  それが、アウロスの目的であり、全てだ。
「意味のわからない事を言って、煙に巻く……と言う顔ではないみたいだね」
「そう言う手法も嫌いじゃないが、違う」
  アウロスは戦闘体制を取った。オートルーリング仕様の魔具は、幸いな事に没収はされていない。
  それもまたミストの狙いなのだとしたら――――アウロスは苦笑せずにはいられなかった。
  これから、その思惑を叶えに行く準備をする事になるのだから。
「手に入らないのなら、いっそ壊す」
  ギスノーボの身体がゆらりと揺れ――――
「……なんて言う奴の気が知れないよね」
  伸ばした腕が、所定の位置に戻った。
  殺気も敵意も、何もない。
  そのまま――――ただ何もないそのままに、文字が綴られていた。
  ルーンの数は実に18。
「……!」
  アウロスは、決して遠くないその距離で、ギスノーボのルーリングを全く認知できなかった。
  それは、オートルーリングと見紛う程の速度。そして、余りに自然な動作。
  首筋に違和感を感じた瞬間、その正体を判別する前に、既に身体が『虫』であると判断し、
 該当箇所を叩く、その呼吸そのもの。
  つまりは、ルーリングを脳からの信号を待たずして可能としていると言う事だ。
  瞬間的な戦闘に特化した前衛魔術の究極形――――
  アウロスがそれを認識したのは、文字が霧散して眼前に膨張するエネルギーが
 視認できる頃合だった。
  常人なら、それが何なのかすらわからず、身体を潰乱させていただろう。
  通常の魔術士なら、それを魔術と判断した瞬間、消し飛んでいただろう。
  一流の魔術士なら、どうにかかわす手段がないかと模索した結果、適わずに崩れ落ちていただろう。
  一流の臨戦魔術士なら、かわせない事を瞬時に判断し、防ぐ方法を検討した結果、
 及ばずに昏倒していただろう。 

  そして――――衝撃波が生れそうなほどの破裂音が、【ネブル】郊外を襲う――――

「……」
  歯を食いしばる微かな音が、自身の耳に届く。
  アウロスは、いずれにも該当しなかった。
「クク……やはり」
  放流する雷の群れが、辺り一面を焦がす。
  アウロスの遥か後方にあるパン工房の煉瓦が半円状に黒い線を描く中、
 アウロスは正面に向けて真っ直ぐ手を伸ばしていた。
  人差し指を突き出したその第二関節部には、指輪が輝いている。
  指の先を中心とした円錐状の薄い膜が、徐々にその色を消していった。
「これが【玻璃珠結界】か。噂には聞いた事があるけど……ククク」
  使い手の殆ど居ないとされるその結界に、自身の得意魔術が封じられた事を
 気にするでもなく、ギスノーボが笑みを浮かべる。
  この【玻璃珠結界】は、黄魔術対策に特化している故、使い所が難しい。
  その癖に結界の割に文字数を食うと言う事で、使い手が余り居なかった。
  しかし、その不利を無効化させる二つのものを、アウロスは持っている。
  一つは、指先に光る魔具。ルーンの数の不利をほぼスポイルできる。
  そしてもう一つは、判断力。
  敵が必ず黄魔術を使うと言う状況下でのみ、この結界は生きる。
  それをいち早く判断する力だ。
「さて、色々と確認が出来たし、納得も出来た。ここでお開きとしよっか」
「おい」
  下らないフェイクまで入れて【審判の終】と言う最高級攻撃魔術を綴って来た魔術士に、
 アウロスは白い視線を送る。
  しかい、既に――――と言うより、元々戦意はないらしく、ギスノーボは背すら向けた。
「俺はお前に敗北したつもりはないからね。借りもなければ口封じの必要性もないって事。
 取り敢えず、接線はここまで」
  延長された点は、随分と伸びた。
  しかし、ここで途切れる。
「とは言え、わかり合えるかどうかが別にして、話のできる魔術士は一人でも多い方が良いよね。
 世の中、下らない魔術士が多過ぎる」
「それは、お前の見聞が狭いだけだろ」
  持論をあっさり否定されたギスノーボだったが、感情の波は立たなかった。
「お前がいずれ、俺の標的になる事を祈ってるよ。その時に、決着を付けよう。
 その素養を是非飲み込んでみたい」
「面倒臭い話だ」
  そして、そんなアウロスの嘆息にえくぼを作り、踵を返す。待っているのは、路地裏の闇。
  ギスノーボは音もなく、その闇に溶け込んで行った。
  また一人、魔道に堕ちる。
  それを見届けたアウロスは、頭上から吹き出て来る汗を手で拭った。
  これまで、幾度となく味わった死線。
  その中にあっても、先程の一瞬は十分に色濃いものだった。
  オートルーリングとて速度限界がある。
  ギスノーボのルーリングは、その自動編綴の速度と比較し、それ程大きな差はなかった。
  もし――――初めての接点で、あの男に足枷がなかったら。
  もし――――今回の接点で、あの男の得意魔術を知らなかったら。
  虚空の闇に、アウロスは大きく息を吐く事で、その感情を表した。
  しかし、次の瞬間には思考から切り捨てる。
  目的が明確となったアウロスは、それを容易に行えた。
  やるべき事が急に増えた。
  最後の悪あがきと行った方が良いのかもしれないが。
(一応、あの教授に直接会ってみるか。反応を見れば確信も持てる)
  アウロスは歩を進める。
  一刻前とは全く逆の方向へ。
  路地裏の闇が遠ざかる。
  もしかしたら、接合点となっていたその場所が。
  同じような闇。
  同じような色。
  だが、まるで違う。
  アウロスは、次の日も、また次の日も訪れるその闇を選んだ。
  それが正しかったか否かは――――

  直ぐに判明する事となる。


 

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