秋も深まる最中。
高校二年生と言う時期を、睦月冬は【フェイス】シリーズ最新作【フェイス4】に捧げていた。
【フェイス】シリーズとは、RPGの中でも近年急激に人気を上げて来ている、
かなり勢いのあるシリーズ。
特徴としては、登場人物の表層的な一面、つまり『上っ面』の部分を【フェイス】と
呼ばれる外殻に具現化し、敵と戦うと言う点だ。
上っ面。
即ち、外面。
例えば、主人公の悪友である蛟(みずち)と言う男は、内面こそコンプレックスの
塊のような男だが、外面はかなり明るく、ムードメーカー的な振る舞いをしており、
その性質が具現化した彼のフェイス『レオ』は、非常に勇猛果敢な『獅子』を象徴
するかのように、派手で見栄えがいい。
しかし、その実非常に脆く軽い外殻で、戦闘においても、防御力は低い。
【フェイス4】は、このような外殻をまとった主人公達が、街そのものをフェイスで
覆って光のないエリアにしようと企む敵『シャングリラ』と闘う物語となっている。
世界を救う、等の規模の展開はなく、街という狭い中に限定している点で
賛否が分かれているが、冬はその点に惹かれ、のめり込んでいた。
「……でも、意外よねー。睦月って、こう言うRPGあんまり好みじゃなかったのに」
そして、そんな冬と知り合って一年半が経過し、その嗜好もほぼ熟知している
神楽未羽もまた、このゲームにはハマっていた。
「【フェイス】シリーズは、元々は硬派なゲームだったんだけどな。前作から
急に路線変更して、誰かさんの好みの路線になったんだよ。だから、昔の
作品もチェック済みだったりする」
「え、そうなの? じゃあ昔はこう言うキャッチーな感じのゲームじゃなかったの?
ビジュアルも暗かったの?」
「そう。でも、これはこれで面白いよね。って言うか、こっちの方がいいかも」
睦月家の一室、冬の部屋にて、二人はテレビの画面の中で視線を合わせながら、
この作品に対する討論を重ねている。
もう、何度も、何日も行われてきた作業。
それでも全く飽きない。
それを口に出すことはないが、継続こそがその証だった。
そして――――ゲームオタク同士の活発な雑談は続く。
「やっぱり、RPGって世界観が大事だよな。ローファンタジーでも、ファンタジーの
入り込み方に説得力って言うか、一つしっかりしたものを作ってるのとそうじゃないのとで
全然入り込める感じが違ってくるし。これが【クライム・クロック】みたいなのだと
ちょっと苦手なんだよね」
ちなみに、ローファンタジーの定義はかなり広く、いろいろな解釈がある。
冬は、その中でも最もよく使用される『現実世界の中で超常現象が起きるタイプ』
という意味で使っていた。
いわゆる『エブリディ・マジック』と似ているが、実際にはそれぞれに狭義的な意味合いに
おいて相違点があり、ディテールは異なる。
尚、【クライム・クロック】と言うのは、2年ほど前にアニメ化されたライトノベルで、
剣と魔法の世界から現実世界に召喚されて……という、よくあるタイプのお話だ。
有名メーカーが昨年ゲーム化を実現し、RPGとしてリリースした。
メディアミックスを前提としたRPGは、弱小メーカーがその作品の名前だけを売りにして作った
粗雑な作品と言う印象が根強いが、実は意外と良作もある。
元々ADVだった作品がアニメ化され、その後にRPGとなる、などと言うややこしい経緯を辿って
RPGとなったゲームもあるが、こういうケースの場合に代表されるように、クリエイターが
その作品のファンだったり、強い感銘を受けていたりする場合においては、力が入っている作品も多い。
だが、この【クライム・クロック】のゲームに関しては、全くそう言った事はなく、
世界観においても冬の好みとはかけ離れていた。
購入後、2週間で中古屋行き。
ゲーマーにとって、そう言う作品との出会いは不幸であるのと同時に、良い刺激にもなる。
「ローファンタジーは、バランスが難しいんだよね、多分。ファンタジーって時点でリアリティなんて
ないって切り捨てると、入り込めなくなっちゃうし、かと言ってリアリティばっかり追求して
説明的な作品になっちゃってると、やっぱりゲームに集中出来ないし。【フェイス4】はその点で
すごく入り込みやすいから、そこが相性良かったのかな」
「評論家気取りうざー」
「うざーって言わないで……嫌な事思い出すから」
冬は依然として、『キモい』、『ウザい』と言った言葉が苦手だった。
「あはは。でも、私はそういうの気にしない方だから、あんまり共感出来ないしー。
やっぱり、キャラが良くないと楽しめないもん。そういう意味では、コレは当たりだったねー。
特にコイツ! もう愛しくて悶えそう」
ビシッ、と神楽が指差したキャラクターは、『黒士琉河』と言う名前の女性――――と
見せかけた男。
要するに、女装している男、と言う事になる。
今時珍しくないどころか、割と頻度の高い設定。
ただ、このキャラクターは性同一性障害ではなく、それを演じていると言う点において
一捻りあった。
そう言った事を行う背景には、複雑な生活環境が由来としてあるのだが、ここでは割愛する。
兎に角、RPGに多くの物を求めたがる冬とは対照的に、神楽はとてもシンプルだった。
キャラクターデザイン。
キャラクターの性格。
シナリオ。
この三点セットが大半を占める。
世界観や操作性、全体のバランス、戦闘システムなどは余り気にしていない。
一見、ADVでもよさそうな嗜好なのだが、RPGだからこそ表現できる人生観とか、RPGだからこそ
見せられる戦いの中での個性とか、RPGだからこそ感じ取れる省略されたと思しき描写とか、
そう言うものが堪らなく魅力的――――と言う事だった。
中々にディープ。
深さと言うのは、何も特異的である必要はない。
例えば、変態嗜好が必ずしもディープであるとは限らない。
それと同じで、取り立てて珍しくない嗜好の中にも、ディープな精神は存在する。
神楽未羽は、一人でずっとRPGに興じていた。
深くなっていくのは必然だったのだ。
その点において、冬は強い共感を覚えていた。
「ま、人気は出そうなキャラだよね」
「何? 私の事を『人気投票で1位になるようなキャラにばっかり目が行くミーハーユーザー』
とでも言いたい訳? あー、そうよ、私はどっちかってゆうとミーハーな方よ。悪い?」
「悪い」
「えっ!? まさかの肯定!?」
雑談は、概ね盛り上がっていた。
他人が聞けば、恐らくは少し奇妙で、何処か排他的な内容。
それでも、当人達が面白ければ、何ら問題はない。
冬と神楽は、そう言う話で日常を楽しく彩っていた。
「ちーす。邪魔してごめんねー」
そして、そんな中に 不穏分子とも言うべき、非ゲーマーが混じる。
佐藤夏莉。
一見、ごく普通の女子高生。
その実、普通の女子高生。
少し言葉遣いが悪いのも、現在の高校生においてはその範疇だ。
そんな人間が、ゲーマーのゲーマーによるゲーマーの為の空間を訪れるようになって、
もう一年以上が経過していた。
主に、テスト前に。
「別に邪魔じゃないしー。鈴音は今日バイトの日?」
佐藤は首肯しつつ、二階まで上ってくる際に疲弊した身体を労わるように、
冬のベッドに飛び込んでいた。
「……俺の寝る場所を乱すなよ」
「いーじゃないの。にしても、いつ匂ってもフツーの匂いしかしないし。
あんた等さ、いい加減……ま、良いけど」
「?」
冬が訝しげに眉を顰める中、神楽はこっそり赤面した顔を隠すように伏せていた。
「それは置いといて。睦月、お茶持ってきて。冷たいの」
「はいはい。全く……」
習慣になっているので、断る事なく冬は部屋を出て、一階へ向かう。
もう数えるのも面倒なくらい、この家では勉強会が行われている。
ただ、最近は芸能活動が忙しいとか言っている如月幸人と、ペットショップでバイトを
始めた秋葉鈴音は余り頻繁に来る事はなくなっていた。
必然的に、今のメンツで行う事が一番多い。
尤も、勉強会と言うよりは、冬の講習を他が聞くと言うスタイルに終始しているが。
「……ただいまー」
お茶を用意し、トレイに乗せたところで、玄関から千恵の声が聞こえてくる。
冬は一年半前まで、この妹を大の苦手としていた。
苦手と言うより、ほぼ接する事を拒否していた。
ゲームオタクと、今時の女子中学生。
絶対に相容れない、絵本と実用書くらいかけ離れていると思われていた両者だったが――――
最近は、ごく普通の兄妹と言う関係性に落ち着いている。
「お帰り。麦茶飲むか?」
「飲むー」
一旦冷蔵庫に仕舞った麦茶ポットを再び取り出し、妹専用のコップに注ぐ。
「ほれ」
「ん。あんがと」
それを受け取った千恵は、一気飲みでそれを空にした。
「また勉強会?」
「ああ。すっかり溜り場に定着しちゃったな。煩くないか?」
「別に……って言うか、未羽ちゃんとゲームしてる時の方がよっぽどウルさいし。
夏莉さん来てる時はゼンゼン静か」
千恵は神楽の事は『ちゃん』付けし、佐藤の事は『さん』付けで呼ぶ。
その区別に関して、冬は特に何も知ってはいない。
そもそも、名前で呼ぶようになったのも、いつの間にか――――と言う認識だった。
「それは悪かった……気を付ける」
「別に、そんな言うほどじゃないから。って言うか、そんなにゲームって面白い?」
突然。
千恵の発したそんな疑問に、冬は思わず目を丸くした。
ゲームに関して、千恵はこれまで殆ど話題に出した事はない。
せいぜい、音に関する事くらい。
全く興味がないと言うスタンスを貫いていた。
冬も、幾ら話せるようになったとは言え、或いは多少打ち解けてる感が出てきているとは言え、
この現代っ子に進んでゲームの事を話す事など全く選択肢になく、共通の話題となる事は
一度としてなかった。
それだけに、何か裏があると瞬時に悟る。
「……何を企ててる」
「あ? クワダテテル、って何?」
根本的な言葉の意味を聞き返され、更に目が丸くなる。
中学三年生。
企ててる、と言う意味くらいは知っておきたいところ。
「何を考えてそんな事を言ってるの、って聞いてるんだ。裏があるんだろ?」
「あ、そういう意味。って言うか! 裏なんてある訳ないじゃん。相談したい事とか特にないし」
相談したい事があるらしい。
冬は妹の珍しい接し方に対して多少混乱しつつも、それは大事にすべきだと感じていた。
妹に媚び諂う気など更々ない。
ただ、折角修復された関係を再び悪化させるのは、避けるべき。
何より、もし自分が頼りにされるような事があるのなら、力になりたい――――
そう思うようになっていた。
ゲームと向き合ってばかりでは、得られなかった感情。
RPGには沢山の教訓や綺麗な思想、言葉が詰まっているが、こればかりは現実で
同じ世界の人間と対話していかなければ身につかない思い。
この一年半で、冬はようやく人並にそれを内包するに至った。
「で、面白いの? ゲームって」
「んー……だったら、実際に一度見てみる?」
そんな、感慨すら交えての冬の言葉に、千恵は小さく頷いた。
「って訳で、今日はゲームの勉強会をする事になったんで」
「はあ? 何でそんな事になってんの? 私の宿題は?」
「いや……俺に言われても、俺の宿題じゃないし」
麦茶をストローで飲む佐藤の非難を適当に収めつつ、冬はユートピアの隣に腰を下ろす。
かつては、その発言すべてが苦手だった事を考えると、随分と慣れたもの。
その姿に、千恵はひっそり驚いていた。
「ったく……で、何で今更ゲームのお勉強会? っていうか、ここに私がいる意味あるの?」
「興味がないなら、千恵の部屋で自習してても良いよ。出席は強制しないし」
「へーえ。仲間外しなんてナマイキな事するようになったのねえ。あの睦月が」
微妙に攻撃性を含んだ言葉の応酬。
その様子に――――千恵は思わず眉尻を下げ、動揺を顕にしていた。
「あれ? どしたの?」
その様子にいち早く気付いた神楽が問うと、千恵は驚いたような顔を見せる。
そこで、冬もその様子に気付いた。
「ん? あ、そっか。ゴメンゴメン。勝手に部屋使わせるとか言っちゃったな。
お前が嫌なら使わせないよ」
「そりゃそうでしょ。嫌がる年下の子の部屋を使うって、どんだけ悪者なのよ、私」
「大体イメージ通りじゃないのー?」
テンションの低い佐藤の言葉に、神楽が笑う。
そんな空気を周囲にまとい、千恵は一人俯いていた。
「……別に、嫌じゃないです。使って下さい」
「そ? でもま、偶にはゲームの話を聞いてみるのもいっか。未羽の趣味の話って、これだけ
付き合い長い割に、全然聞いた事ないし」
気楽な返答の後、佐藤は視線を神楽へと向ける。
神楽は、ゲームの話は女子に対して一切しない。
全くしない。
これっぽっちもしない。
家庭用ゲーム機が普及して25年。
それでも尚、ゲームと言うものに対しての偏見は、根強く残っている。
寧ろ、ゲームをする側に対して。
「それじゃ、講師は神楽にやってもらう?」
「へ? 講師?」
「ゲームの説明。佐藤さんが聞くなら、千恵と佐藤さんの二人にその魅力を語って。
ソフトはどれ使ってもいいから」
冬の無茶振りに、神楽の黒目が昼間の猫のように収束していく。
「何でそんな事私がすんの? え? どう言う事?」
「そう言う事になったんだよ、話の流れで。じゃ、宜しく」
面倒事を自然な流れで押し付ける事に成功した冬は、反論される前に自身の
ノートと向き合った。
ちなみに、宿題は既に休み時間に終わらせているので、今からはじめようとしているのは
中間テスト対策の問題作り。
冬は基本、自分で問題を作って自分で解くと言う勉強方法を試験前には用いている。
この勉強法の利点は、なんと言っても覚えやすい事。
既存の問題集や教科書の練習問題を解くより、自分で問題を作ってみる方が、遥かに
その問題および回答を覚えやすい。
更に、自分で作った問題を自分で解く事で、確認も行える。
勿論、解くのは試験前日。
どの教科にも利用できる、万能の方法だ。
勿論、自分で問題を作るというのは、結構な手間が掛かる。
テストに出る問題を予想し、作る――――というよりは、重要なポイントをほぼ
全て抑える形で作成するからだ。
結果、通常のテストの5倍〜10倍の問題量になる。
それを作るのは容易ではないが、それくらいの事をしないと、高校ではいい点数は取れない。
「ちょ、ちょっと! そんな無責任な話ある!? 私、アンタ以外にゲームの話した事ないんだってば!」
「せんせー。はやく授業始めてくださーい」
狼狽する神楽に対し、佐藤は獲物を発見した肉食動物の顔で、手を上げながら促した。
「はじめてくださーい」
その隣の千恵も、ようやく落ち着いたのか、それに乗る。
「お、覚えてなさいよ……ったく、やればいいんでしょ。それじゃ、ゲームの魅力について
私なりに解説してあげるから、耳の穴かっぽじって聞いてなさい」
ムスッとした顔で、神楽は冬のゲームソフト収納箱の中から、三つのソフトを取り出し、
その中のひとつを『ユートピア3』に入れた。
最近買ったばかりの新品ハード。
ブルーレイディスクも見られる高性能なハードだが、その用途を満たした事は一度もない。
そんなUT3に、神楽は無表情で一枚のディスクを入れる。
暫くして、ホームメニュー画面が現れると、慣れた手つきでゲームメニューに合わせ、
今しがた入れたソフトを読み込ませた。
【ロビンフットグリーンの海原で】
まるで何処かの国の映画のようなタイトルだった。
ジャンルは直球の恋愛SLG+RPG。
一国の王女と、その王女を守る騎士との身分違いの恋を描いた壮大な物語。
ローマの休日以降、或いはそれ以前から使い古され過ぎて尚、王道中の王道を
揺るがないこの手のお話を、神楽は躊躇なく選んだ。
「えっと……何から説明すればいいの?」
「何からって、そりゃ全部よ。私達一般人にわかるように」
「って言ってもねえ。とりあえず、プレイヤー……要するにゲームする人が、
このコントローラーを使って操作するって言うのはわかる?」
神楽の掲げるそのコントローラーに対し、佐藤と千恵は目を細めて凝視し始めた。
「何この丸いの。飾り?」
「スティックよ。これで色々な物を動かすの」
「じゃ、そっちの、左にある上下左右にあるボタンは?」
「十字ボタンよ。これで色々な物を動かすの」
「……どっちか要らなくない?」
佐藤のそんな指摘に、神楽は早くも驚愕の顔で絶句を余儀なくされた。
そして、助けを請う目を冬に送る。
「昔は十字ボタンだけだったんだよ。で、その後にそっちのスティックが出来て、
十字ボタンに慣れてる人とスティック使いたい人の両方のニーズに合わせるために
共存させてるの。ある程度複雑な操作をするゲームは、それぞれに違う役割を
与えられる事もある。あと、回すだけじゃなくて押す事もできて、右のボタンの
代用も出来る。どのボタンと同じ役割になるかはゲームによって違うけど」
冬はシャカシャカとシャーペンを走らせながら、スラスラと解説を口にした。
「……どう考えても、適任者はそっちじゃない。何? 私を困らせて楽しんでる?」
「そんなつもりはないけど……」
神楽の極寒の地の雪のような白い目に、冬は思わずペンを止める。
「俺が説明すると、オタク臭くなるから」
「確かに。睦月、自分知ってるねー」
佐藤は笑いながら毒を吐く。
そんな毒に対し、言われた当人は特に反応をしなかったが――――再び千恵が身を竦ませた。
「……」
萎縮。
大きい目が、やけに細くなってしまっている。
「あれ? 気分悪いの?」
そんな千恵の様子に、最初に気付いたのは――――佐藤だった。
「ま、アレだけイミフな話されたら、頭も痛くなるかもね」
「いや、それを希望したのはそいつなんだけど……具合悪いの?」
冬の言葉に、千恵は無言で首を横に振る。
実は、千恵は人見知りが激しい。
普段、携帯で友達と話をしている際には想像も出来ない事だが、それは極めて親しい相手に対してのみ。
それ以外の人間がいると、余り喋らなくなる。
親戚付き合いが殆どない家庭で育ち、兄弟も殆ど話をしない冬一人、父もつい最近まで深夜に
帰宅する事が多い――――という環境が、そんな人格を作り上げていた。
そして、その人見知りは、神楽や佐藤にも発動している。
話を振られれば会話くらいはするが、自発的に言葉を発する事はない。
その為、神楽、佐藤、そして秋葉の間では、千恵は『大人しい子』と言う印象で固まっている。
「とりあえず、部屋に戻る? それとも俺のベッドで寝ながら続きを聞く? どっちでもいいけど」
「……寝る」
冬の言葉を受け、千恵は空いたベッドにその身を委ねた。
斯くして、説明再開。
「って言うか、初心者相手にいきなり【ロビンフット】はないよ。他のにしたら?」
「そ、そう? 私的にはスタンダードなんだけどな」
「それは話の内容でしょ。RPGって時点で敷居高い」
当然とも言うべき冬の指摘を受け、神楽は別のソフトを探した。
「……殆どRPGかSLGなんだけど、ここのソフト」
「最近、どっかの誰かさんが持ってきた【ジ・エンド・オブ・ストラグル】があっただろ」
「あれは……ゴメンね、本当ゴメンね。私が悪かったからもう思い出させないで。
ジエンドシリーズの黒歴史を思い出させないで」
「いや、結構好きだけどな、俺」
ちなみに、【ジ・エンド・オブ・ストラグル】とは、RPGとしてかなりのマザーシップタイトルを
輩出してきた【ジエンド】シリーズの何周年かの記念作品として作られた、格闘アクションゲーム。
その出来に関しては賛否両論激しいが、それは差して重要事項ではないので割愛する。
「……イチャつきたいなら、二人きりの時にやればー」
その話をネタにして、専門的知識を羅列しながら盛り上がる二人に対し、佐藤が
ニヤニヤしながら冷やかしの言葉を入れる。
瞬間、冬は顔を赤くし、神楽は手にしていた【ジ・エンド・オブ・ストラグル】のソフトを
佐藤に投げつけた。
「そう言う事言うなって言ったでしょ!?」
「恥ずかしがらなくても良いのに……今時珍しいよね、そう言う感じ。からかい甲斐あるなー」
「あーっ、もーっ!」
ソフトが飛ぶ飛ぶ。
「あああっ! 壊れたらどうすんだよ!」
「もーっ! もーっ! もーっ!」
結局、3分間で14タイトルが宙を待った。
「……とりあえず、あーるびーしーじーとか、そう言う専門用語を解説してよ。意味わかんないし」
「RPGね。はいはい、その辺からしっかり解説しますよ」
散らばったソフトを嘆息交じりに集める冬を尻目に、神楽は息を切らしながら説明を再開。
ゲームのジャンルは、基本的には決して多くはない。
ある程度固まって以降は、その複合であったり、範疇の中で細分化させたりしているので、
実質的な数は増えてはいないと言うのが現状だ。
解説する上では、割と助かる仕様。
しかし――――
「RPGっていうのは、つまり……ロールプレイングゲームの事よ」
基本的に説明がド下手な神楽には、あまり関係なかった。
「つまり、って言われても全然わかんないし。ロールプレイングゲーム、って何なの?
巻くの? ロールケーキみたいに巻いてるゲーム?」
「ゲーム巻いてどうすんのよ! アレよ、ホラ、冒険? 旅行? そんな感じ」
「旅行するゲームね。ああ、それならわかるじゃん。最初からそう言ってよ」
実際に、完全に間違ってないとは言い切れないところが厄介だ――――と思った冬は、
介入しても面倒臭そうなので、スルーしつつソフトを集め続けた。
「で、アドベンチャーゲームは……」
「アドベンチャーだから冒険じゃないの?」
「それが、ちょっと違うのよねー。アドベンチャーゲームは、コマンド形式って言って、
カーソルを動かして色々選びながらお話を進めていくゲーム。例えば、自分が行く場所とか、
相手の質問への回答とかを選ぶのよ。RPGもそう言う部分はあるけど、基本は自分で
キャラクターを動かして進めていくから、ちょっと違う」
神楽の説明は、微妙にわかり難かった。
「で、次ね。次はシミュレーション。これは、あれよ。チェスとか将棋とか、そういうカンジ」
どんどん説明がお座なりになっていく。
「あとは、アクション。ぴょんぴょん飛び跳ねてゴール目指すやつ。スポーツ。野球とかサッカーとか
そういうのをゲームですんの。で、パズルは、落ちてくるのをハメてキレーにすんのよ。あとは……
シューティングはピコピコ。いじょ」
最終的には擬音で解説していた。
そんな神楽、何故か表情は満足げ。
とても充実した顔で麦茶を飲み干していた。
「……いや、そんな顔されても全然理解してないから、こっちは」
「いーのいーの。説明なんてテキトーで。百聞は一見にしかず。やってみればわかるから」
と言う訳で――――今度はハードを変更。
携帯用ゲーム機としてすっかり定着した【ユートピア
モバイル】略してUTMを取り出し、
それにソフトを入れる。
そのタイトルは【蒼空のワルキューレ】。
今微妙にブームが来てる、シミュレーション+シューティングと言うジャンルのゲームだ。
飛行ユニットに乗って、敵を倒すと言う内容だが、シナリオはかなり奥深く、異種族同士の
戦争など、重いテーマも含まれている。
各ユニットに個性や成長要素があり、それぞれのキャラを上手く使って、適材適所の起用を
行わないと、中々クリア出来ない。
ただ、『シューティングモード』と言うモードがあり、そのモードでは単純にバトルだけを
抜き出してるので、敵との打ち合いをシンプルに楽しむ事が出来る。
神楽はそのモードを選択し、佐藤にゲーム機を預けた。
「これを押せば、発砲ね。このスティックで自分を動かして、敵の攻撃を避けるの。
ここに障害物あるでしょ? これも上手く利用してね」
「え? 私がやんの?」
「ゲームの魅力を知るには、実際にやるのが手っ取り早いからね」
ニッコリ微笑み、神楽はそう断言した。
以前は、女友達にゲームの話をするには絶対的な抵抗があった神楽だったが、徐々に
日常会話の中にも『ゲーム』と言う単語が出て来てる事もあり、そういった意識は
かなり薄れて来ている。
そう言う意味では、二人、およびここにはいない秋葉との関係性は、1年半前より
深まっていると言えるかもしれない。
そんな様子を、冬は微笑ましく眺めていた。
「ま、いっか。それじゃ、未羽がハマッたゲームの魅力を教えて貰いましょ」
斯くして、佐藤の人生始めてのゲーム体験、開始。
――――終了。
「チョーつまんねー」
1分で結論が出た。
「ちょっ、何でよ!」
「だーって、何かチカチカしてて訳わかんねーしー。目が痛くなったー」
佐藤夏莉。
ゲーム適正ゼロ。
「睦月妹ー。あんたもやる? つまんねーけど」
「つまんなくないもん! 【蒼空のワルキューレ】は傑作だもん!」
神楽が涙目で激昂する中、佐藤はUTMを千恵に手渡した。
「……」
凝視。
まるで、猫が始めて見た餌を警戒しているかのように、じっと眺めている。
「お前、ゲームやった事なかったっけ?」
「ないけど……特に興味もないし」
兄の言葉に対し、千恵はそっぽを向き、小さい声で呟く。
わかり易い、天邪鬼の仕草。
ただ、ゲームがどうこうと言うよりは、他の人が盛り上がっている事に
対して興味を持っている――――と言う印象を、冬は受けていた。
「ま、試しにやってみてよ。一般人の2例目がどんな感じになるか。
もう一つくらい客観的な感想がないと、私が悪者になるし」
背中をバシバシ叩きながら非難している神楽を適当にあしらいつつ、
佐藤が促す。
暫時の後――――千恵は小さく、本当に小さく頷いた。
"
群像の拾遺集 "
睦月千恵が、進路について担当の教師に問われていたのは、10月の半ば頃だった。
中学生の進路検討としては、かなり遅い部類に入る。
通常、全国に目を向ける大学進学のケースとは異なり、高校と言うのは余程頭の良い人間を
除けば、家から近いエリアの中で、自分の学力に見合った所を選択すると言う、かなり
シンプルな選び方で決める。
その為、自然と選択肢も少なくなり、大体の生徒は夏休み前、或いは二年生の段階で
何処に行くか決めているケースが多い。
しかし、千恵はその大多数には属していなかった。
「早く決める事が良いって訳じゃないが、余りにも遅いと対策も遅れるぞ。
とりあえず、どの高校に行きたいか、仮にでも決めておいた方がいい」
よって、進路指導を担当している教師がそう懸念するのは、無理もない事だった。
本格的に秋に差し掛かってきた時期に、進学組の世話を焼くと言うのは、
実はそれほど珍しい事ではない。
多感な思春期。
高校を決める理由が揺れ動くのは、良くある事だ。
そんな中で、千恵は理由を明言せず、ただ『わかんねーし』の一点張りを決め込んでいた。
教師に対しての口の利き方も知らない生徒と言うのは、このご時勢、やはり珍しくはない。
とは言え、一定のレベルの高校に行かせるには心許ない――――そう言う心配が
進路指導の教師にはあったが、進路が決まらなければ、それどころの話ではない。
「そうか、わかった。お前の人生だ、お前が答えを出すまで待つとするよ。
わからない事があれば、何でも聞いてくれよ。先生はお前の力になりたいんだからな」
そんな激励に対し、千恵は特に返事はせず、進路指導室の席を立ったと言う。
不貞腐れている訳ではないし、無視した訳でもない。
ただ、励まされる事に慣れていなかったので、対応がわからない。
睦月千恵は、そう言う何処にでもいる不器用な10代女子の一員だった。
いわゆる、今時の女子中学生。
確固たる自己主張を鼻で笑う世代。
でもそれは、そう言う暑苦しいモノに対して、心から侮蔑を覚えている訳ではない。
単に、『他の同世代の子がそう言ってるから』と言う理由である事が殆どだ。
必死である事がカッコ悪いと言う価値観は、結局の所、本気を出して跳ね返されたり
打ちのめされたりする事への恐怖。
子供ならではの未熟さであり、子供だからこその正しい考え方。
決して間違ってはいない。
子供なのだから。
「チエー、オツ。どーだった?」
千恵が教室に戻ると、際立って濃い茶色に髪を染めた女子が話しかけてくる。
朝起きてから登校するまでずっとアイライナーを手放さず、インサイドアイラインを
鬼のように強調して、まるでコントの幽霊のように仕上げた目に、つけ睫毛もしっかり常備。
最近流行のメイクで、完全にフル装備しているその顔は、個性の半分以上を消す事に
成功している。
「あー、テキトーテキトー。進路とかどーでもいーし? つーかあの進路指導マジ
ムカつかね? イチイチ上から目線マジヤバイ」
「あいつマジハンパねぇよなー。死ねばよくね? アハハハハハハハハ」
大声で笑うその女子に、千恵も合わせるように笑う。
そして、そこに後2人ほど加わり、輪が出来る。
更にそこから、その進路指導の教師を揶揄する言葉が間断なく並べられ、
嘲笑が飛び交う。
何一つ、珍しくない光景。
悪口、中傷、誹謗、罵倒なんて、日常会話の中に幾らでも混じっている。
しかしながら、その対象の殆どは、その場にいない同級生や、目上の教師、或いは芸能人等の
強く言い返される事を想像出来ない相手に対してのもの。
目の前の相手に対して、反抗とは違う意味で敵意をむき出しにする機会は少ない。
よって、千恵がこれまでに聞いてきた悪口の殆どは、ただ『その場を繋ぐ為に使うツール』に過ぎない。
悪意がない訳ではない。
尤も――――その悪意と言うのは、人間なら誰しもが抱える不平不満。
少し研いだ鉛筆で書いた落書きのようなもの。
そこに、主張や信念がある訳ではない。
しかし、割と形は整っている。
幼児の振り回す鉄製の道具と表現しても、差し支えないだろう。
近寄れば怪我をする。
でも、その行為に明確な計算はない。
敵意はあるかもしれないが、それも曖昧。
要は、内に抱えている誰しもが持つ問題を、最も無責任な方法で発散しているだけだ。
千恵は、自分が日常の中で交わす雑談の中で、そう言う行為をしていると言う事を自覚していない。
殆どの同世代の人間がそうであるように。
だから、会った事もないような人間や、身内であっても、全く躊躇なく貶す。
それが当たり前だから。
「あ。今日、放課後空いてるヤツー」
そんな中、目をパンダにしているリーダー格の女子が、挙手を促す。
「はーい。はいはーい」
手を挙げたのは――――千恵一人。
「あれ? ヤッちんもゆんこも用事?」
「あ、うん」
「ちょっとねー」
それ以外の二人は、明らかに目を泳がせながら断りを入れていたが、
リーダー格の女子は特に追及する事なく、視線を千恵に向ける。
「じゃ、チエだけでいーや。ちょっと付き合えよ。いいっしょ」
「ゼンゼンヨユー。で、何すんの?」
「んー? ま、フツー」
フツー、とは何を指すのか、千恵は全く理解していない。
曖昧な表現で濁すのは、子供と言うよりは、大人の常套手段。
それを理解している訳ではないが、自然にそれを使いこなしているその少女を、
千恵は心の支えにしていた。
千恵にとって、その少女は流行の発信源であり、憧れ。
彼女に話を合わせておけば、自然と自分が最新の中学生になり切れている
気分になれる。
最新とは、すなわち正解。
多くの中学生が持っている価値観を、千恵もまた抱いていた。
そして――――放課後。
少女に先導されるまま、千恵は生まれてから一度も離れた事のない街の中で
一度も通った事のない『靴下通り』を歩く。
形状が靴下に似ている事と、南側に靴の専門店がある事からそう呼ばれている
この通りは、家と学校の間にはなく、また中央通りとも隣接していない。
有名なショッピングモールやショップがある訳ではないので、敢えて
出向く機会もなかった。
そんな靴下通りを抜けた先の、ビルの密集地。
その中にある小さな階段入口の手前で、少女が立ち止まる。
半地下になっているその場所がどんな空間なのか、千恵は全く知らない。
しかし、いつかドラマで見た『クラブ』の入り口と、その入り口は
かなり似ていた。
「千恵、こっちこっち。早くしろって」
「……え」
ニッコリ笑いながら、少女は手招きする。
そんな様子に、千恵は狼狽を隠せない。
彼女と知り合って、慕って、つるむようになってからこれまで一度も
このような場所に来た事はない。
学校でファッションの事を聞いたり、整形している芸能人を教えてもらったり、
隣のクラスの女子や教師を罵倒したり。
放課後は、ハンバーガーショップやショッピングセンターに寄って
和気藹々とテレビや雑誌の話で盛り上がったり。
そう言う日々を、共に過ごして来た。
その少女が――――今はやけに遠くに見える。
これまで、千恵はずっと背伸びをしていた。
少女と付き合うには、背伸びをするしかなかった。
そして、どんどん爪先立ちになって行った。
でも、それでも――――あの場所には届かない気がしていた。
「早く。何してんの? あんまここにいるとヤバイって」
少女の声に、険が混じる。
千恵は困惑と同時に、焦燥を覚えた。
嫌われるのはマズい。
この少女は、千恵にとって生きていく上での指標。
それを失うことは、夜の砂漠や冬の海原に投げ出されるようなもの。
順応しなくては。
もっと、高く。
めいいっぱい背伸びをすれば、きっと届く。
何より、見捨てられるのが怖い。
少女の目が、徐々に苛立ちを見せていく事が、怖い。
千恵は、呼吸が苦しくなっていくのを感じていた。
喉に何かが痞えているような感覚。
声が出ない。
でも、出さないと。
返事をしないと、捨てられる。
流れからはみ出てしまう――――
「あれ? 睦月妹じゃん」
そんな時。
聞き覚えのある声が、千恵の耳に届いた。
兄の友人。
佐藤と言う苗字は知っていた。
「こんなトコで何してんの? ま、別に良いけどさ。何処で何をするのも
当人の自由だし。でも、ここらはあんま良い事ないよ。なんか、ムダに顔の黒い
連中がウロウロしてるし。知らないでココにいるんだったら、とっとと
離れた方が良いんじゃない?」
矢継ぎ早。
佐藤の有無を言わせない言葉には、圧迫感があった。
当人の自由と言っている割には、命令のようにも聞こえ、千恵は思わず
頷いていた。
「何? 誰? 知り合い?」
そんな中、一人蚊帳の外にいた少女が、その場を動かないまま大声で
問い掛けてくる。
声は明らかに苛立っていた。
「あ……」
「そーだけど。そっちは友達? で、そこがどう言う場所で、何をするのか
知っててコイツを誘ってんの?」
千恵を遮るように、佐藤は声を少しだけ大きくして、問い返す。
その制服で高校生と言う事はすぐに理解できたらしく、少女の顔は少し
強張っていた。
「たりめーじゃん。つーか、いきなり出てきて何スか? ウチらに
何か文句でもあるんスか?」
「……ま、別にアンタが何をしてようが、私の知ったこっちゃないけど。
説明してないんでしょ? この子、明らかに動揺してたし。それってさ、
自分が今からヤバイ事に巻き込むよ、って言ってるようなもんだけど……」
「別にカンケイねーし! 何? 説教? 説教すんの?」
苛立ちは更に増していく。
千恵は、今まで見た事のない少女の歪んだ顔に、恐怖を覚えた。
一方――――佐藤は、笑っていた。
「ハァ!? 何がおかしーんだよ! マジテメェムカつくな!」
「おかしくて笑ってんじゃないんだけどね。別にアンタを笑った訳じゃないし。
って言うか、どうでも良いし。知らない人だからね。でも、こっちのは知り合い
なんだよねー。だから、放ってはおかないの。雑に生きるのは自分だけにしろ」
さりげなく――――佐藤は毒を発した。
まるで、突然石を拾って全力で投げつけたかのように。
実際、そうだったのかもしれない。
それまで激昂していた少女が、突然黙る。
特に強く何かを言われた訳でもないと言うのに。
「んじゃ、ご勝手に。妹ー、私ちょっと用事でアンタん家後で行くから。いい?」
「あ、は、はい。どうぞ」
「オッケー。じゃ、アンタも早く帰って来れば? 未羽も来るしさ」
そんな少女からも、千恵からも視線を外し、佐藤は踵を返した。
結果として。
佐藤のちょっとした苦諫は、少女を黙らせた。
決して納得した訳でもなければ、改心した訳でもないだろう。
ただ、黙った。
けれど、その事実が、不毛な背伸びを強要されていた千恵を救った事は間違いなかった。
その後、千恵は一人で帰宅し、兄に言われるがままに兄の部屋に入った。
そこには、先程自分を窮地から救ってくれた佐藤の姿もあった。
対応は、実にあっけないもの。
先程の事は全く話題にも出さない。
これが大人――――千恵は、感覚的にそう思っていた。
その後、その佐藤と兄が軽く言い合いのようなものを始め、再び狼狽える。
慣れている筈の、攻撃的な言葉。
実の所、他人同士が目の前で言い合いをしていると言う経験は殆どない。
ただ、感覚的に――――自分がよく友達相手に聞かされている他者への軽口と、
兄とその友人との間で交わされている軽口とでは、全く意味合いが違うと言うのは理解していた。
しかしながら、それを明確に区別できるほどの経験や知識はない。
何となく『違う』と言う事だけを感じ取っていた。
それ故に、千恵は誤解してしまった。
両者が、自分の知る『軽口』ではなく、本気で言い争いをしていると。
だから、身を竦ませた。
しかしすぐに、それが杞憂だと気付く。
神楽を含め、全員の表情が柔らかい。
眉間に皺を寄せていても、頬は緩んでいる。
千恵は、言葉の持つ意味を、初めて自分の力で理解した。
同じような意味の言葉でも、これだけ違う。
それは、とても重要な事だったが――――当の本人は、まだその事には気付いていなかった。
そして、なし崩しの内にゲームをする事になった。
ゲーム自体は、全く知らないわけではない。
今人気のアイドルグループが、バラエティ番組で実際にやっていたり、ゲームのCMに
出ていたりしたので、多少気にもなっていた。
ただ、それ以上に――――兄がずっとハマっているその遊びが、ずっと気になってはいた。
バーチャルの世界は、テレビで慣れている。
明日学校で話題についていく為にムリヤリ見ていた、女性が数人で恋愛感を話す
と言う下らない番組を見る時よりは、苦痛はなかった。
ただ、アニメと殆ど変わらないその『絵』は、余り受け入れられなかった。
それも、『アニメってオタク臭い』と言う先入観が原因だが、その先入観もまた
殆どの中学生が持つ価値観。
間違ってはいない。
ただ、正しい訳でもない。
そんな曖昧な領域の中で、千恵は必死になって銃を撃っていた。
結果――――初めてとしては上出来なスコアを残した。
「あれ……俺の最初のスコアより高いような気が……」
その結果に、兄が一番良い反応を見せていた事に、千恵は密かに喜びを覚えていた。
結論。
アニメ絵は抵抗あるが、ゲームは楽しかった。
「マジで!?」
「ホラ見なさい! ホラ見た事か! アンタの感覚がドマイナーなのよ! へーンだ!
【蒼ワル】は一般中学生でも面白いと感じる名作だもんねーだ!」
佐藤が大げさに驚き、神楽がはしゃぐ中、千恵はその空気を少し多めに吸い込んでいた。
特に深呼吸をした訳でもないし、意識してそうした訳でもない。
ただ、楽しかった。
学校で、周囲の言葉遣いに合わせ、周囲の話題に乗って、周囲の表情に逐一
目を配っている時間よりも、ずっと。
翌日――――
「ちーす。昨日の見たー? マジヤバかったよねー、あのラスト」
少女は、特に昨日の事を話題に出す事なく、ごく普通に千恵と接してきた。
「あー、見た。マジ最悪」
そして、千恵も、これまでと何ら変わる事なく、そう返した。
実際、この会話の為だけに、その曜日にいつも話題にしている深夜番組を見ていた。
人間、そう簡単に変われるものではない。
この少女と離れると言う事は、今のグループから抜ける事になる。
明確に集団を形成して、組織を作っている訳ではない。
何となく集まっているだけ。
でも、その集まりからハネられた女子の末路は、悲惨そのもの。
ほかのグループに入るにしても、ランクがかなり落ちる。
グループ自体も、自分の立ち位置も。
その恐怖は、全く変わらず千恵の中にある。
ただし、昨日まで持っていた価値観の多くは、既にかなり変わっていた。
憧れの対象として見る事はなくなっていた。
そうなってから、改めて見た少女のメイクは、ちょっと薄っぺらかった。
放課後。
千恵の携帯に着信があった。
佐藤の携帯からだった。
良く行くハンバーガーショップで待ち合わせる事になり、
千恵は急いでその場所へ向かった。
「好きなの頼んで良いよ。私はいちごメロンシェイク。これ、食べてみたかったんだよね。
アイツらと一緒だと、何言われるかわかんなかったから、丁度良かったー」
佐藤の屈託ない笑顔に釣られ、千恵も笑う。
愛想笑い。
ただ、そこに強制はない。
自然と出た愛想笑いだった。
その後、チーズバーガーを注文し、暫し向かい合う。
佐藤は直ぐに、昨日の事を切り出した。
「ま、ちょっと責任も感じてたしね。ああいうの、本当は年上が介入したら
良くないってのは、わかってんだけど。後々の事を考えたらね」
言葉は濁していたが、アフターケアである事は直ぐに千恵にも理解できた。
そして、やはり直接的ではなかったが、昨日千恵が入ろうとしていた場所の事を
佐藤は淡々と語った。
簡単に言えば、クラブ。
ただ、キマっている連中の溜まり場と言うような危険地帯と言う訳ではなく、
個室の多い溜まり場、と言う感じという説明だった。
「多分、合コンの頭数にされてたんじゃない? 他の女子にも声かけてた?」
佐藤の言葉に、千恵はコクリと頷く。
実際――――昼休み、その時断った二人から『アイツ、最近合コンに顔出してて、
なんかヤバイ連中と付き合ってるんだって。千恵も、ちょっと距離置いた方がいいよ。
学校だけの付き合いにしとけば? 私達みたいに』と言う証言を得ていた。
「ま、別に合コンくらい中学で経験してても問題ないけどさ。珍しくもないし。
でも、何も知らないで……ってのは、ね。気になったのはそこだけ」
そう言いつつも、佐藤はその後もさりげなく『危ない橋は渡るな』と言う旨の
話題に終始していた。
外殻は、お気楽に生きている今の時代に順応した女子高生。
でも、その中身は呆れるくらいお節介。
佐藤とある程度長く付き合っている人間は、例外なくそう言う認識を持つ。
千恵も、この日その仲間入りをした。
程なく、チーズバーガーといちごメロンシェイクが届く。
「……意外とイケるかも。ちょっと食べてみて。どう?」
差し出されたシェイクを、千恵は躊躇しながらも一口含む。
色合い程は甘さはなく、スッキリした酸味が心地よかった。
「やっぱり酸味がポイントかー。こう言うトコのデザートって結構侮れないんだよね」
佐藤は感心しつつ、携帯にメモを取っていた。
その操作速度は、千恵の比ではない。
尊敬度が増した。
「睦月妹って、無口だよね。やっぱり兄に似てんのかな」
「そんな事ない、です、けど」
「あー、喋り方がイマイチ決まらない感じ? 別にフツーにタメ口でもいいんだけどね。
年上のイトコに話す感じで」
「……」
困惑。
人生の中で、千恵は明確に尊敬語を使用した事はあまりない。
教師相手にも、曖昧な丁寧語を使ってはいるが、それは尊敬語とは明確に異なる。
目の前の、自分が心から慕っている女性にどう言う話し方をして良いか
わからずにいた。
「キッチリした敬語でも全然良いけどね。って言うか、睦月妹、腕細っそ!
ナニそれ、小枝? チーズバーガー頼む度胸あるの、わかるよなー」
「え? そ、そうですか?」
「つーか、合コン行ったらモテるタイプだねー、絶対。あれ、私何気に
余計な事したかも?」
そう言いつつも、笑う。
心地よい空気に包まれる。
昨日の、兄の部屋のような。
「合コン、興味ある?」
「別に……」
「ふーん。ま、興味があったら、お兄ちゃんに聞けばいいよ。経験者だから」
「え!? 嘘っ!?」
その日、千恵は生まれてから一番の衝撃を受けた。
夜。
「……マジで? マジで合コンやったの? 兄貴が?」
真相を確かめるべく、夕食後に兄の部屋を訪れた千恵は、UTMを手に
何度も何度も問い詰めていた。
「うるさいな、何回も。あれは自分の意思じゃなくて、ムリヤリ……」
「でも、やったんでしょ? マジかよー……兄貴に先越されるって、
マジあり得ねー。つーか、お持ち帰りとか本当にあんの? つーか
未羽ちゃんお持ち帰りしたの?」
「してねーよ! アホか!」
「でも、それで付き合う事になったんでしょ? どうやって話しかけた?
やっぱり王様ゲームとかまだやってんの?」
「知らないって言ってんだろ! ったく、一年以上前の嫌な記憶を……
どんなタイミングだよ……」
兄いじり。
それは、密かに千恵のマイブームとなっていた。
そして、もう一つ。
「じゃ、部屋に戻っかなー。あ、コレ借りていくから」
「……好きにしろよ。ソフトは神楽のだし」
「"未羽"のだし、じゃなくて?」
「あーもーうるせー! 早く出てけ! って言うか勉強しろよ受験生!
進路もう決まったのか!?」
「決まったよーだ! 兄貴とおんなじトコ!」
バタバタと、逃げるように退室。
一階からは、母親の『静かにしなさい』の声。
一年半前までは想像も出来なかったような、まるで絵に描いたような
居心地の良い家が、そこにはある。
そんな家の中で、最も慣れ親しんだ自分の部屋に戻り、千恵は
手にしていたUTMの電源を入れる。
もう一つのマイブーム。
友達にも決して言えない、秘密の趣味。
それは――――ゲーム。
タイトルは【蒼空のワルキューレ】。
本日は、ストーリーモードの方に挑戦する予定だ。
そのタイトル画面を目にしながら、兄の彼女(実質)にメールを送った。
昨日から始めた日課。
こちらのタイトルは『無題』。
そして、中身は――――
『先輩、兄貴に合コンでお持ち帰りされたってマジ?(^o^)』