この世界には、どうしてもお互いに相容れない物と言うのが確実に存在する。
 ありきたりな表現で言えば、磁石のS極とN極。
 或いは、白と黒。
 多少捻くれた表現を用いるなら、政治と正義。
 これは、相性や理念の問題ではなく、生まれた瞬間からそうなる事が前提と言う
 構造上の問題と言える。
 よって、その二つが合わさる事は、ゲシュタルト崩壊を引き起こす原因となるだけで、
 何ら生産性を持たない愚行と言われている。
 だが、実際にはそうではない。
 磁石だって立派に役に立っているし、パンダだって人気がある。
 政治にしても、正義を謀って成り立つようなもの。
 実は、相容れない物同士と言うのは、お互いに利用価値を存分に含んでいるものだったりする。
「店長。お話とは一体何でしょう」
 そして――――この町にあるペット喫茶【ワンわんニャンにゃん】もまた、
 その原理を利用して作られた商業施設だ。
「いやあ、大した話じゃないんだけどね」
 通常、喫茶店と言う飲食を提供する施設では、犬や猫などの獣類は絶対に
 入れてはいけないし、従業員は触れる事も許されない。
 店にペットが入れば、抜け毛で汚れ、吠える声で騒がしくなり、店内で粗相をする
 可能性もある。
 そして、ペットの身体に付着している雑菌、細菌が従業員を介して食事の中に
 入ってしまったら、最悪のケースにもなり得る。
 ペットと飲食店。
 それは、決して相容れないもの同士だ。
「実は、今年のクリスマスイブに、ちょっと外せない用事が出来てね」
 しかし、実際のところは、そうではない。
 実は、法律上でペットの立ち入りを禁止している項目は存在していなかったりする。
 飲食店に関する衛生面での法律と言うのは、食品衛生法がその範疇となるが、
 この食品衛生法に記されているのは、極端な話『各都道府県にお任せ♪』と言う
 なんとも投げやりな文章だ。
 そして、各都道府県においては、それぞれに食品衛生法に関する条例が定められて
 いるのだが、基本的には『作業場』、すなわち調理場等の料理をしたり材料を管理したり
 する場所への立ち入りを禁止すると言う定義はあるものの、客席への立ち入りを制限する
 文章を設けている都道府県は、ない。
 よって、賽は飲食店のオーナーや店長に預けられる事になる。
 そうなってしまうと、やはりそこにあるのは倫理よりも利益。
 現在、ペット同伴可の飲食店が増えている。
「で、ボクその日ちょっと出張しなくちゃならないんだ。でも、かき入れ時の
 クリスマスに休むと、この店もう立ち行かないんだよね。経済的に」
 ペット喫茶【ワンわんニャンにゃん】も、その一つだった。
 コンセプトはズバリ『ペットショップでお茶しよう』。
 オープンカフェではなく、室内にテーブルを構えたこの店は、
 仔犬と仔猫、更にはウサギやモルモット、フェレットなどが自由に床を
 歩き回る、開放的――――と言うよりはフリーダム過ぎる空間を形成している。
 臭いは、ン十万もする最新のオゾン発生装置で強力消臭。
 しっかり躾けているので、ペット達が客席付近で粗相やおいたをする事もない。
 小動物好きには夢のような空間。
 秋葉鈴音がここで働くようになったのは、ごく自然な事だった。
「だから、君がその日マスターやって。一日マスター」
 しかし――――それは完全に不自然だった。
「……はい?」
「いや、だから、一日マスター。一日署長みたいなの。来週の24日、ボクはいないから、
 君が店を仕切ってね。じゃ、そゆことでー」
 秋葉が反論する前に、マスターは消えた。
 フェレット並の素早さで。
「……え?」
 人がいなくなった喫茶店内で、秋葉は絶句する。
 この喫茶店は、従業員二名。
 昔ペットショップを経営していたと言うマスターと、秋葉の二人のみ。
 それで十分回る程度の集客力だった。
 マスターは、ペットの躾や管理に関しては、完璧。
 彼がタクトを振れば、全ての動物を意のままに躍らせる事が出来る。
 そして何より、自身が無類の動物好き。
 その点において、秋葉はマスターを信頼していたし、尊敬もしていた。
 だが、人間的には決して褒められたものではない。
 秋葉は絶句したまま、視線を床に落とした。
 そこにいるのは、怯えた目の動物達。
 秋葉は――――余りペット達に懐かれていない。
 この店にいる仔犬や仔猫は、基本的に人間に懐きやすい種類のものばかりと言うのに。
 特に、チワワとマンチカンは、来店する殆どの客に対して、ちょこちょこと近付いては
 脚に頬ずりをする。
 ペット喫茶と言う、余り普及していない飲食店と言う事、衛生上の問題で
 人を選ぶ事から、客数こそ少ないが、一度固定客になった人間は、例え別の県に
 引っ越してしまっても、週末に数時間かけて訪れるほどの中毒性がある店として
 何気にこの辺りでは結構名の知れた喫茶店となっている。
 ただ、その店員である秋葉は、多数のペット達に距離を置かれている。
 マスターに負けず劣らずの動物好き。
 特に猫は、試験勉強もそっちのけで両親を説得した結果、"りお"と言う
 野良を飼うに到ったという武勇伝まであるくらいの愛好家だ。
 その"りお"には懐かれる事に成功したが、この店の可愛らしいペット達には
 どうしても懐いてもらえずにいる。
 特に、ウェルシュ・コーギーの"コンスタンス"には、明らかにナメられており――――
「ワン! ワンワン! ワッハッハ!」
「うあっ」
 結構な頻度で、高笑いのような鳴き声と共に体当たりをされてしまう。
 しかし、秋葉は怒らない。
「ダメですよ、もう」
 天使のような笑顔で、諌める。
 人間に対しては絶対にしないような殊勝な態度だが、それが報われる事は今のところ、ない。
 そして、そんな状況で、一日マスターをする事になってしまった。
「……うう」
 秋葉は不安の余り、カウンターに突っ伏した。
 遠巻きに眺めるペット達も、不安げ。
 この日、ペット喫茶【ワンわんニャンにゃん】は、かつてない悲壮感に包まれていた。




 R.P.G. 〜I need you〜

 LAST WORK


 - Do you know Mystery Petroom? -




 秋の気配もすっかり消え、肌を刺激する空気の張りを恨めしく思いながら
 目覚める12月下旬。
 冬は、17回目の自分の名前と同じ季節を、嘆息交じりに感じながら、
 今年最後の登校の用意を始めた。
 そして、ふと思う。
 何故、自分の名前が冬なのだろう、と。
「……誕生日、夏真っ盛りだよね、俺」
 朝の食卓にて、それを親に問う。
 実際、ずっと気になってはいた事だった。
 家族が上手く行っていない時期には、自ら親に対して発言する事を拒否していたし、
 ここ二年弱の間は逆にその間積もりに積もった話題を優先していたので、
 敢えて聞く機会もなかったが――――この日は、ちょっとしたきっかけがあった。
 雪が降っている。
 最近では珍しい事だ。
 その冬の象徴とも言える自然現象を眺めながら、冬の母親はやけに神妙な顔つきになって
 首を小刻みに振っていた。
「良いの? そんな事聞いて……覚悟は出来てる?」
「いや、そんな大層な事だとは夢にも思ってないけど。ただ純粋に、疑問に思っただけで」
「そう言や、ヘンよねえ。何で冬? 夏に生まれてんのにさ」
 冬の隣に座る妹の千恵も、小首を傾げて話題に乗る。
「ま、良いか。もう冬も17だしね。そろそろ話しても良い頃かな」
 妙にあっけらかんと、しかし語句自体は仰々しく、母は呟く。
 そんな親の物言いに、冬は思わずこめかみに青い線を作った。
「まさか……7月が冬の国で生まれた貰われっ子、とか言わないよね」
「何言ってんの? アンタ外国人の要素ゼロじゃない。しかも父さんに性格そっくりだし」
「似てるよねー。どっちも直ぐ逃げる所とか、そっくり」
 突然矢面に立たされた父が、表情を隠すために新聞を読み始める。
「で、違うんなら結局どう言う事なんだよ」
 頬を掻きつつ、再度問う。
 そんな息子に対し、母は毅然とした顔で――――
「睦月、って苗字だからよ」
 断言した。
 外気よりも寒々しい空気が、食卓を包み込む。
 睦月――――1月。
 つまり、そう言う事。
「……かわいそ」
 妹にポツリと言われた一言が、冬にとって一番悲惨だった。


 長年連れ添った名前が適当な理由で付けられた事に、この上ない落胆と
 ある意味自分らしくて良いかと言う諦観の念を覚えつつの二学期最終日は、
 あっという間に過ぎ去った。 
 そして、放課後。
「おう。ちょっとツラ貸せや」
 まるで二昔くらい前の不良のような物言いで、自席にて黄昏中の冬に
 近付いてくる人影が一つ。
 泣く子も嘲笑うローカル芸能人、如月幸人。
 秋頃は奇跡的に仕事が忙しかったらしく、余り冬の周りをウロチョロしていなかったが、
 冬季になってからは殆ど普通の学生として過ごしていた。
「……嫌だ。またさらって合コンに参加させる気だろ?」
 かつての蛮行が冬の脳裏に蘇る。
「ンな訳ねーだろ。つーか、暫く女は良いよ、俺。なんつーかさ、女って
 怖いよな。超コエーよ。マジ洒落になんねー。聞いてくれよ。俺さ、別に
 下心とかゼンゼンなかったんだぜ? ただ、ラジオの打ち上げでさ、偶に
 すげーテンションがハイになる日ってあるじゃん? 酒とかじゃなくてさ、
 気分的に。で、ちょっとだぜ、ちょっと肩に手を乗せただけだぜ?
 それがお前……裁判寸前まで行くってマジかよ」
 秋以降に仕事がなくなった理由を、如月は涙ながらに語り始めたがどうでもいいので
 冬は帰り支度を終えて教室を出た。
「おいーーーーーーーーっ!? それはねえだろ! 親友! もはや俺とお前は
 付き合いも結構長い親友だよな!? お前は俺を裏切らないよな!?」
「寄るなよ、本気で気持ちが悪いから」
「お前な……キモいって言われて傷付く癖に、気持ち悪いなら自ら進んで発するのかよ」
 ズカズカと、二人並んで廊下を早歩き。
 そんな中、不意に冬の携帯が震え出した。
 モニターに映る名前は、神楽未羽。
 冬の携帯電話の着信履歴において、圧倒的な件数を誇る名前だ。
『二学期おつー。って言うか、何さっさと教室出てんのよー』
『いや、ちょっと妙なのに絡まれて……』
『ま、いっか。今日はちょっと用事があるから、家には行かないねー』
 それだけを残し、電話は切れた。
 メールでも良い内容。
 それ以前に、家に『行く事』ではなく『行かない事』を伝えるその内容に、
 冬は思わず頬を掻いた。
「はー。もう夫婦じゃねーか。結婚式にはスピーチするから呼べよ」
「そう言うの止めて……話聞くから」
 冷やかしに対する耐性は皆無の冬が嘆息交じりに立ち止まる中、如月は満面の
 笑みを歪めながら、冬の肩に肘を乗せた。
「オーケーオーケー。ここじゃなんだから、場所変えようぜ。何しろ、ビジネスの
 お話だからな」
「……アムウェイとマルチ商法って、基本的には同じ意味だからな」
「誰が悪徳商法に手を染めたってんだよ! 俺はそこまで落ちぶれてねえよ!
 つーか、これから飛翔すんだよ!」
 和気藹々と言葉遊びをしつつ――――二人は近場の喫茶店に入った。
「いらっしゃいませ」
 出迎えるのは、ネコミミとイヌの尻尾を付けた店員。
 ちなみに、秋葉だった。
 ペット喫茶【ワンわんニャンにゃん】にとって、冬や神楽、その友人佐藤夏莉は
 数少ない常連客となっている。
 尤も、学生なので余り高額なメニューは頼まないが。
「って言うか、学校今終わったばかりなのに、当たり前のようにいるよね」
「そう言うシフトなので」
 こともなげに呟く秋葉の額に若干、汗が滲んでいる。
 特に暖房が効きすぎていると言う事もないのに。
「……これで時給は幾ら?」
「900円です」
 微妙なラインだった。
 尤も、お金で選んだアルバイトではないと言う事を、冬はいやと言うほど知っている。
 大の動物好き――――なんてシンプルな言葉では片付けられない動物愛好家。
 加えて、無類の甘い物好き。
 秋葉鈴音は、こう言う職場に就く為に生まれてきたかのような女の子だった。
「じゃ、とりあえず……いつもので」
「俺も、いつもの」
「承りました。注文を繰り返します。ワンバーグセットと、芸能人の癖にコストパフォーマンス
 第一のニャま盛りポテトフライを一人前ずつですね」
「……俺さ、お前らにそんなに恨み買うような事、したか?」
 店員の秋葉は特に返答をする事なく、スタスタと奥に引っ込んでいった。
「ったく。アイツ、あんなに無愛想でよく客商売なんてやってるよなあ」
「人気ないのに芸能人続けてるよりは……あ、そう言えば昨日でっかい蜘蛛見た」
「そこまで言って話題変えてもムダだろーがよ! つーか酷いッ!」
 如月がメソメソ泣き出す中、冬はペット喫茶の窓から覘く景色を眺めていた。
 雪は朝ほどの勢いはないものの、依然として降り続けている。
 ゆらゆらと、まるで意思があるかのように、風に流されながら。
「……出会った頃のお前は、もっと朴訥としてたのに。あーあ、女に毒されやがって。
 すっかり垢抜けちまったなー、あー?」
「お前はもっと垢抜けろよ、芸能人なんだから」
「ひっ、酷いッ! 何言ってもより辛辣な言葉でザックリ! お前アレか、切れたナイフか!?」
 意味のわからない如月の咆哮は無視し、冬は暫し年に一度の景色を楽しんだ。
 そして――――程なく、注文した品が届く。
 加えて、ドリンクが二つ。
「あれ? 飲み物は……」
「常連客へのサービスです。ご心配なく。ソフトドリンクの原価率、低いですから」
 秋葉は店員が決して漏らしてはならない飲食業界の命綱をあっさり漏らした。
「ありがと」
「……」
 小さく微笑む冬に、秋葉は無表情で小さく頷き、カウンター前に戻る。
 その通り道にいたペット達が、彼女の接近に伴いコソコソと離れている姿を
 冬は何となく不憫に思いながら見ていた。
「アイツ、良いヤツだよな……サービス業をなんたるか心得てるよ」
「そう言う、掌を返す事に一切の躊躇がないところは、芸能人向きだよな」
 呆れつつも、ちょっとした褒め言葉を投げつけ、タダで貰ったドリンクの 
 ストローに口をつける。
 甘さ控えめのサイダー。
 冬季なのでホットの方が好ましいが、コーヒーの方が原価率が高いのだろうと
 納得しつつ、その甘みで口を満たす。
「さて、んじゃ本題に入っか」
 その対面で、ポテトフライを3本同時に口に含んだ如月が、鼻息荒く身を乗り出した。
「お前、町おこし知ってっか? この町内でやる」
「あー、確かそんな話があるって神楽が言ってたような……」
「何? お前、まだアイツの事苗字で呼んでんの? タリー奴だな。
 ビシッと名前で呼び捨てにしてみろってんだ。その方が向こうも喜ぶぞ?」
「う、うるさいな! 話を逸らすなよ」
 冬の弱点を熟知した如月は、ようやく一矢報いた事に大満足し、満面の笑みで
 続きを口にする。
「で、その町おこしな、ウチの事務所が一枚噛む事になったんだよ。つーか、
 実質ウチが取り仕切るみたいな?」
 実質。
 それは、何故か上から目線の物言いとみなされる事の多い禁句の一つ。
「お前、そう言う話し方をテレビでするの止めろよな。見てて不快」
「今ダメ出しすんなよ! つーかマジでそれ昨日社長に言われたよ! 
 思い出させんな。で、今ウチって、ゲームとかアニメに力いれてんのよ。
 勿論、自分等で作るってワケじゃねーよ? そう言う企画とかタイアップに
 って意味な」
「随分とバラエティ豊かな事務所だなあ」
 実際――――この不況下にあって、ゲームやアニメのタイアップと言うのは、
 大手ですらかなり注視している。
 ドラマ主題歌なら簡単に100万枚売れる、と言う時代はもう遥か昔の事。
 今は、月9ですら大した視聴率も取れないし、タイアップ効果も薄い。
 そもそも大ヒット曲自体、殆ど出なくなってしまっている。
 そんな中で、アニメ主題歌は安定した効果を生むというのが、業界の常識となって
 来ているらしい。
 グッズ感覚で買うアニメファンも多いが、近年は声優のCDセールス力も増加するなど、
 アニメファンが音楽に関してお金を使うようになって来ているのも事実。
 そこに金脈があると判断するのは、ある意味必然だ。
「つーか、もう二年前の時点で力入れててな。俺も、CDは専らそう言うタイアップで、
 しかも宣伝の時にちょっとアニメオタク受けしそうなフレーズ言うとウケまくるってんで
 色々ベンキョーさせられてさ」
「いや、お前の芸能生活はどうでもいいから、本題続けてよ」
「へいへい。で、声優の育成始めたんだよ。俺もその方向でやってくとかになって」
「だから、お前が声優になるとかどうでも……声優?」
 思わず、冬は目を丸くする。
 芸能人、しかもローカルタレントとして活動していた人間が、声優になる――――
 実は、そんなに珍しい話でもない。
 そもそも、ローカルタレントは、それだけで長年生活していくのはかなり困難。
 地元で大人気の、何年も続く長寿番組の司会や、名物コーナーのMCクラスになって
 ようやく生計が立てられるくらいだ。
 例えば、かつて全国区で名を売っていたタレントならば、ラジオのパーソナリティや
 イベントの司会など、仕事は十分にある。
 でも、タレント力皆無の深夜ローカル芸能人は、次のステップを踏まないと
 先はないし、生活も出来ない。
 だから、同じ芸能界でも別の分野に進むケースは多い。
 裏方スタッフ。
 構成作家。
 そして、声優。
 実際、ローカルタレントから声優として大成した例も存在している。
「おおよ。ま、それ一本って気は更々ねーけど、今はホラ、タレントでも
 アニメの声優結構やってるし、そう言うスキルもいずれ必要になると思って
 OKしたんだけどさ」
「色々手を出して全部する典型的なパターンだよな、それ」
「ンな事ねーよ。ねーって。ねーねー。ねーよ。で、話を本筋に戻すけどよ、今丁度ウチと
 懇意にしてる会社から、ちょっと変わった企画の話があってな。それが町おこしに
 丁度いいってんで、トントン拍子で話が進んでんだ。その企画ってのが……」
 如月はドリンクを一気に飲み干し、わざとらしくコップを爪で強く弾き
 大きく音を立て、何かを演出した。
「実在する町のゲーム化。ようするに、この町を舞台にしたゲームってこったな」
「……へー」
「そこはもっと良いリアクションしろよ! 何だその反抗期のガキみたいな反応!」
 実際は――――かなり驚いていた。
 ひとつの町を舞台にしたゲームと言うのは、決して珍しくない。
 寧ろ多いくらいだ。
 夏休みを満喫すると言う目的の、スローライフ系ADV『さまーばけーしょん』や、
 渋谷の街を舞台にしたノベルゲーム『迷える街の子羊たち』など、実在する街を
 モチーフとしたり、そのまま舞台としてしようしているゲームは数多存在する。
 ただ、自身の住む町がゲームに――――となると、そんな前例に然したる意味はない。
 冬は自分の中に湧き出てくる感覚を抑えられず、思わず口元を隠した。
「で、その企画書が昨日事務所にFAXで届いたんだけどよ」
「メーカーは?」
「セイントアームズ」
 割と有名な会社だった。
 基本的にはアニメ作品を題材にしたゲームが多いが、偶にオリジナルのRPGも製作している。
 この会社がリリースした『マグニフィセンス』は、冬のRPG人生の中でも指折りの名作として、
 ハードを使わなくなった今尚、ソフトだけ所持しているくらい思い入れのある作品だ。
「それで、そのゲームの声優を俺も含めたウチのタレントがやらせて貰う事になってさ。
 ついでに、町の事も資料としてどんどん送ってくれ、って頼まれてんだと。ま、ギブ&テイクだな」
「ジャンルは何?」
「まだ決まってないみてーだ。で、これに関して頼みたい事があんだけどよ。そのゲームの
 企画書作ってくれ」
「……はぁ?」
 突然の懇願に、冬は思わず目を丸くした。
 気付けば、雪も止んでいる。
「別にプロの作るようなしっかりした物じゃなくていいんだけどよ、町おこしの一環で、
 このゲームに制作に町の住民が関わりました、ってのが欲しいんだと。資料やればその時点で
 協力した事にはなるんだけどよ、それだけだとちょっと弱いから、企画に協力して欲しいんだとさ。
 例え全没でも、協力した事にはなるから、作ってくれりゃ何でもいいってよ」
 つまり――――こういう事だ。
 如月幸人、芸名『YUKITO』が所属する芸能プロダクション事務所『ルーフ』が、中堅ゲーム
 メーカー『セイントアームズ』と共同で、町おこし企画を立案。 
 その企画と言うのが、この町を舞台としたゲームの開発および販売と言う訳だ。
 ゲームの舞台となる事だけでなく、そのゲームの宣伝、販売キャンペーン等で町の名前を出す事により、
 知名度は飛躍的に上昇すると予測される。
 近年、人気アニメの舞台となった地域には、そのアニメのファンが大勢押しかけ、モチーフとなった
 様々な場所を巡ると言う『聖地巡礼』現象が見受けられる。
 地域側も、たくさんのお金が落ちるその聖地巡礼を歓迎し、ツアーを組んだり、グッズを作ったり、
 アニメのキャラクターを祭りの御輿にしたりなど、積極的に商売根性を見せ、結果的に10億円以上の。
 経済効果を生み出した例もある。
 それを、この町でやろう――――と言うわけだ。
「もし大ヒットすれば、アニメ化もされるしな。そうなりゃ一粒で二度も三度もおいしい訳だ。
 今回俺が主題歌担当すんだけど、アニメ化したらそっちのタイアップも貰える可能性あんだよな。
 こう言うのって、途中で主題歌を歌う奴が変わるの結構嫌がられるだろ? ウチは弱小だから、
 でかいコンテンツにいきなり割り込むのは無理なんで、コンテンツを育てないとダメなんだ。
 そういう意味でも、今回の企画は大勝負なんだ。協力してくれ、頼むぜ親友」
「お前……変な方向に垢抜けたな」
 すっかりゲームやらアニメやらの事情に詳しくなった如月に、冬は涙した。
「泣くなよ! 俺だってホントはウイッシュ! とか言ってチヤホヤされてーんだよ! でも俺が
 今後生きていくには、アニメやらゲームやらに寄生するしかねーんだよおおおっ」
 そして、如月も泣いた。
 男二人、ペット喫茶で泣く。
「くぅーん、くぅーん」
「ななななあーう」
 そんな中、冬の傍にいたペット達が慰めるかのように足元にじゃれ付く。
 猫に至っては、冬の座る椅子をよじ登り、冬の頭に乗り出した。
「お前、やけに動物に好かれてんのな」
「そうなんだよな……何でだろ」
「本当、何でなんでしょう」
 突然、秋葉が割り込んでくる。
「うわっ、ビックリした! って言うか、お仕事はどうしたの」
「お客、来ません」
 そう悲しい現実を言葉にしつつ、秋葉は冬の頭の上に乗った猫をじーっと眺めていた。
「……私には全然懐かない『アメリア』が、そんなに甘えて……一体どんな手を?」
「いや、そう言われても俺は何もしてないし。な?」
「みゃーーーーーう」
 まるで言葉を解しているように、鳴く。
 十年連れ添ったかのようなその連携に、秋葉は絶句した。
 そして、試しにそのアメリアに対して手を伸ばす。
「うぎゃう!」
 一喝。
 そして、不機嫌な顔でその猫は遠くへ逃げて行った。
「受け入れ難い現実です……」
 秋葉も泣いた。
「何て言うか……ほら、相性もあるしさ。後、あんまり好かれようってすると、
 こいつ等も重く感じるんじゃないか?」
「うう……そうなんでしょうか」
 必死の冬のフォローも届かず、秋葉は泣き続ける。
「私は毎日、自腹切って豪華な餌を与え続けてると言うのに。どうして、どうして
 睦月さんだけ。ズルいです。何か動物に好かれるエキスを注入しましたね?
 私にもそれ、紹介してください。50万円までなら出します」
「いやいやいやいや。落ち着け、な?」
 冬が秋葉鈴音と知り合いって、一年半。
 そう言えば、初対面から大体こんな感じだった――――等と思いつつ、目の前の
 同級生の女子に対し、苦笑いを浮かべた。
「……なあ。ここって、ゲームの舞台によくね?」
 そんなプチ修羅場の中で、突然如月が空気を読まない発言を唱える。
「ここって、このペット喫茶の事か?」
「ああ。割と名物だし、ここ。ま、ここを舞台にするってよりは、幾つかあるスポットのひとつとして
 登場させる感じになると思うけど」
 如月の発言を受け、冬は改めて店内を見渡した。
 何処にでもある、普通の喫茶店とは確実に一線を画している。
 ペット主導のお店や憩いの場は多数あるが、これだけの数のペットを放し飼いにしている
 飲食店となると、ちょっとした異例スポットだろう。
「……そうだな。ここを拠点にして、毎日野良犬や野良猫を探して回る、ペット育成スローライフ
 シミュレーションゲーム。そこにRPG要素を追加して、ペット同士を戦わせたり、オンラインで
 ペット同士のお見合いをさせたり……」
 冬はまるで何かに覚醒したかのように、目を光らせてブツブツと呟き始めた。
 自分の中に眠っていた願望が、突然目を覚ましたのだ。
 何でもいい、RPG要素のあるゲームを自分で作ってみたい。
 そういう、子供のころからの願望が。
「お、いい感じじゃねーか。よし、じゃ企画書は任せたぜ。期日は再来週の頭な。ヨロシク!」
 面倒事を上手い具合に擦り付けたと言わんばかりの弾ける足取りで、如月が店を出る。
 そんな事は構いもせずに、冬は自分の頭の中に浮かんでいる情景を、少しずつ整理していた。
「睦月さん」
「うーん、でもRPG要素が邪魔にならないようにしないと……どうすれば……」
「睦月さん」
「待てよ。逆に考えればいいのか。この際RPGをメインにして……」
「わんっ!」
 いきなりの鳴き声。
 思わず身を竦ませた冬の目には――――僅か一瞬だけ大きく口を開いた秋葉の顔があった。
「え? 今の秋葉さん……?」
「お話があります」
 驚愕の表情で問う冬を無視し、秋葉は自己の主張を述べた。
「明後日の24日、ここでクリスマスパーティーがあるんですけど、未羽に聞いてますか?」
「いや、聞いてないけど」
 クリスマス――――それは、冬にとって一昨年までは『テレビ番組がちょっと豪華』
 くらいの意義しかない日だった。
 尤も、幼少の頃には『ゲームソフトを買ってもらえる日』だったのだが、
 その頃の記憶は余りないと言うのが本音。
 近年は、プレゼントは勿論、家族で一緒にクリスマスケーキを食べる、などと言う事すら
 なく、ごく普通の日と同じように過ごしていた。
 しかし、去年はちょっとした変化があった。
 なんと、父親がケーキを買って帰って来るという、ちょっとした事件が勃発。
 12時を回った深夜に、家族全員で食卓に集まるという、睦月家にとっては
 かなり異様な光景の中で、なんとなくケーキを貪っていた。
 違和感とむず痒さとちょっとした幸福感が入り混じった、ヘンな日だった事を
 一年後の今も記憶している。
 そう言った経緯もあり、今年も何となくそう言う展開になるのかなと思っていたのだが――――
「聞いてないんですか?」
「うん。聞いてない」
「そうですか。と言う事は、あの子なりにもったいぶって……」
 秋葉のそんな言葉の途中で、冬の携帯が鳴る。
 メール受信のサイン。
 神楽からだった。
 普段は無題で統一している筈のそのタイトルは――――
『あさって、何の日か知ってる?』
 明らかに、もったいぶった題名だった。
「……何か重大な犯罪を犯したような気分です」
「秋葉さんは悪くないよ……でも、俺もひどく重大なネタバレを見た気分。
 そう言うの滅入るんだよな……」
 何となくメールを開くのが怖くなり、冬はゆっくりと携帯を閉じた。
「兎に角、そう言う事なんですけど、参加出来ます?」
「時間は?」
「夜の8時からです。ちなみに、貸切です」
「え!?」
 流石に驚く。
 幾ら流行っていない喫茶店とは言え、貸し切るには相応の費用が掛かる筈。
 一方、秋葉の方は無表情のまま、ネコミミのついた頭を小さく傾けていた。
「実はその日、私は一日マスターなんです。一日店長でもあります。
 ですから、貸切も自由なんです」
「い、一日マスター……なんでまた」
「本来のマスターがその日不在らしくて。ですから、マスターの権限で
 クリスマスイブには好き勝手出来るんです。とは言え、流石に常連さんを
 締め出すような時間には出来ないので、常連さんが来ない時間帯を狙って」
「へえ……なんか凄いな」
 町おこしやこの町ゲーム化の件でも驚きを覚えたが、こちらの
 クリスマスパーティーもかなり興味をそそる内容。
 冬は心が躍る自分自身を自覚しつつ、少し驚いていた。
 お気に入りのRPGに興じている際に感じるワクワクとは少し種類が違う、
 ちょっとした緊張感の混じった、酸味の効いた炭酸ジュースのような甘味。
「参加してもいいんなら、喜んで」
 特にスケジュールが入ってる訳でもないので、即答した。
 尤も――――現実のイベントに積極的に参加するなど、一年半前までは
 考えられない事だったが。
「はい。では、未羽にも同じように答えてあげて下さい。私も、この会話は
 なかった事にして、未羽から『睦月出席』の連絡が来た際には、あの子が
 上手く誘い出した事に対して感心と驚きをもって接しますので」
「……まあ、良いけど」
 眼前の女子のワイルドな気遣いに、冬は思わず戦慄を覚えた。
「夏莉が全力を出してケーキを作るらしいので、期待して下さい。
 夏莉の全力は滅多に見られません。私もとても楽しみです」
「パティシエ予備軍の全力かあ。確かに楽しみかも。こいつらにも
 何か作ってやるの?」
「うにゃあ?」
「わふわふ!」
 冬の頭の上で猫が鳴き、足元で犬が鳴く。
 実に楽しそうに。
「……あの、本当にエキス、教えてくれませんか? 60万円までなら」
「だからそんなのないってば」
「おかしいです。同じ生き物なのに……この子達の食べ物は、私が作ります」
 報われない愛に生きる女の子に、冬は同情を禁じえなかった。
「"りお"も連れて来るので、可愛がってあげてください」
「あ、そうなんだ。久々だから、大きくなってるんだろな」
 りお――――かつて助けた仔猫の名を呼び、冬は暫し感慨に耽った。
 様々なお楽しみ要素が詰め込まれているクリスマス。
 そういう経験は、冬にとっては初めてだった。
「……うん。これは使える」
 そして、同時に――――そう言うゲームにしようと、心に誓っていた。


 12月24日。
 クリスマスイブと呼ばれるこの日、親類が絡まない用件で出かけるのは初めてのこと。
 冬は隠せない高揚感をそのままに、一つの袋を鞄に入れ、『招待状』と銘打ったメールを
 読み返しながら、ペット喫茶【ワンわんニャンにゃん】へと向かった。


 睦月冬様

 クリスマス・イヴの早朝、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、私達は本日24日、町のイルミネーションよりも地味ながら、
 ちょっとしたパーティーを企画しました。
 甘いケーキと上品なティー、そしてかわいい動物達。
 着飾る必要はありませんので、カジュアルな服装でお越し下さい。
 お待ちしております。

 日時 12月24日 午後8時
 場所 ペット喫茶 ワンわんニャンにゃん

 追伸
 来なかったら10号サイズのケーキをあんた名義で注文するから、そのつもりで♪


 神楽から届いたこのメールは、ある意味一生モノの記念品。
 何しろ、去年の春までは、友達すらいなかったゲームオタクだった訳で。
 それが今年は、女子からこんな招待状をもらっている事に、恐怖すら覚える。
 それは過度な幸せと言う意味ではない。
 自分に期待されている役割を、自分が果たせるかと言う点において、怖さはあった。
 盛り上げ役と言う訳ではないだろうが、少なからずその場の雰囲気を壊す事なく
 楽しい因子の一つとして存在する必要はある。
 それを、しっかりとこなせるのか。
 現実での交友経験をこの一年半でかなり積んだとは言え、その不安が冬の中から
 完全に消えた事はない。
 周囲からの失望に、いつも怯えていた。
 例えば――――オンラインRPGに興じているユーザーの場合、その世界では
 カリスマ的な人気を集め、周囲に羨望や尊敬を集めているものの、現実では
 冴えない人間として寂しく暮らしている。等というケースは、割とありふれている。
 そこまでは行かなくても、オンライン上では周囲に上手く溶け込めているけれど
 現実では……と言うユーザーは、かなり多い。
 しかし、1人でプレイする純粋なRPGを愛遊する冬には、そう言う格差は存在しない。
 一見、特に問題のない事のように思われがちだが、オンラインではあっても
 一応は人との会話を成立しているオンライン派と違い、オフライン派は
 プログラミングされたキャラクターの会話を眺めるだけ。
 勿論、プレイ中は感情移入しているから、その科白一つ一つには生気を感じているが、
 如何せん殆どがファンタジー作品なだけに、現実とはどうしても遠離している。
 よって、会話の形式が確立されていない。
 それはそれで一長一短ではある。
 オンライン派は、そのオンライン上でのやり取りを現実にも持ち運んで
 痛い事になってるケースもあるし、逆にそれを恐れる余り無口になる事も多い。
 その点、オフライン派は、無の状態の分、会話は性格に依存する。
 冬は、典型的な内向的人間。
 かなり苦戦しているのが現状だ。
 尤も、その内面とは裏腹に、最近は佐藤辺りから「垢抜けてきて詰まらない」
 等と言われているのだが――――
「ん……?」
 そこで、追伸の下にも何か文章がある事に気付く。


 会費 10,000円


「……」
 ぼったくりバーに引っかかったかのような衝撃を受けつつ、冬は重い足取りで歩を進め――――
 喫茶店に着く。
 本当に1万円支払う事より、それに対してどう言うリアクションをすべきか
 と言う事に神経を使いつつ、入り口のドアに手をかけた。
 木製のドアプレートが『CLOSED』の向きになっているのは、特に問題なし。
 貸切と言うのは既に聞いているからだ。
 しかし――――冬は、一つの不可解な事に気付く。
 扉の向こうに光が見えない。
 ドアはガラス戸ではないものの、一部にすりガラスが使われているので、
 中の様子までは見えないが、光の有無はわかる。
 そのガラスが、真っ黒だった。
 時刻は現在19時48分。
 早過ぎると言う事もない時間だ。
 これが冬の誕生日だったら、サプライズ演出と言う事も考えられるが、
 本日はキリスト教の信者もそうでない人間も平等にお祝いをするクリスマス前夜祭。
 特定の参加者にそんな仕掛けをする理由はない。
 冬は訝しがりながらも、I型のノブを回し、扉を開く。
 すると――――案の定、電気はついておらず、人の気配はない。
 ちなみに、電気のスイッチの場所は知らないので、つけられない。
 仕方なく、携帯を光源にして、狭い視野の中で状況の把握に努める。
「なーう」
 猫が一匹いた。
「わおっ」
 犬も一匹いた。
 猫の方は、冬によく懐いていたノルウェージャンフォレストキャットの仔猫。
 もっさもっさの毛が特徴的だ。
 名前は、ボニー。
 犬の方は、日本スピッツのロビンソン。
 更に、ウサギに関してはそこかしこにいる。
 ちなみに、ウサギは臭いとよく言われるが、実際にはウサギ自体の体臭ではなく、
 フンが臭いというだけの事なので、犬や猫と比べて臭うと言う事はない。
「……他に誰も来てない?」
「わふっ」
「みうー」
 ムダとわかりつつペット達に問うが、やはりムダだった。
 仕方なく、携帯の灯りを頼りに厨房へ向かう。
 そこには――――フェレットたちがいた。
 厨房には、様々な食材が並んでいる。
 それ自体は当然の事なのだが、その殆どはケーキに使うクリームや
 切りかけの柑橘系の果物などだった。
 つまり、ここでケーキを作っていた人物がいた、と言う事。
 言うまでもなく佐藤だ。
 しかし、今はいない。
 その後、他の場所も入れる範囲で見て回ったが、誰もいなかった。
 暫し途方に暮れ――――
「あ」
 気付く。
 携帯電話を使用すればいいと。
 灯りに使うより、もっとノーマルな方法。
 要は通話だ。
 普通なら誰でも直ぐに思いつくこの行為を、冬が気付くのに時間がかかった理由は一つ。
 ファンタジー世界に携帯電話がない、と言う点に尽きる。
 そう言う発想が希薄なのだ。
「……」
 こっそり赤面しつつ、神楽に電話。
 程なくして――――客席の方から、その神楽の携帯の着信音が鳴った。
『ジ・エンド』シリーズ最新作、『ジ・エンド・オブ・プレシャス』の主題歌、
『Rainy Time』。
 中々の美メロで、歌っていたのは新人だったのだが、割とヒットしていた。
 そんなゲーム主題歌のポップなメロディが闇の中延々と流れる光景は、
 中々に不気味だった。
 そして、携帯がここにあると言う事は――――
「ペットを散歩させるついでに買い物にでも行った……って線も消えたか」
「にゃうっ」
 猫のボニーに話しかけると、後足だけで立って前足で犬掻きのように
 宙を掻き始める。
 登らせろ、と言う事らしい。
「……いいけど」
 言葉が通じている筈もないのだが、ボニーはその冬の発言に従うかのように、
 脚から背中、背中から頭へと登って行った。
 そして、定位置の頭でほっこり。
 傍から見れば和やかなのかもしれないが、冬にとっては結構重い。
 それ以前に、頭の中身が重い。
 この状況を再び思案し直す必要があった。
 本来いるべきパーティー立案者達がいない。
 ペットも犬と猫の殆どがいない。
 しかし、全部いない訳ではない。
 散歩なら、この二匹も連れて行くだろう。
 携帯を置いていく理由にもならない。
 ちなみに、他の二人の携帯も、客席の上にある。
 冬は、思案と同時に、この状況にちょっとしたインスピレーションを覚えた。
「……ミステリー要素もありかも」
 ゲームの企画に対する。
 友人達の身に何かが起こっている可能性もある状況で、そんな事を発想してしまう。
 これこそ、ある意味、冬本来の人格そのものだった。
 頭の中はゲームばかり。
 幼少期の頃からずっと、そう言う生き方をして来たのだから、それが簡単に
 消えてなくなる筈もない。
 それに、これは何も悪い事ではない――――冬はそう感じていた。
 不謹慎と言われれば、そうかもしれない。
 もしかしたら、神楽達が何かの事件に巻き込まれた可能性だってあるのだから。
 だが、そう考えてしまえば、正常な判断が出来なくなる。
 冬は、敢えてゲーム脳と揶揄される自分の頭を肯定し、冷静さを保った。
 そして、普段通りの思考回路で、考える。
 バーチャル世代ならではの危機感のなさは、同時に平静を保つ武器にもなっていた。
 それを自覚し、冬は敢えて、この状況を今企画しているゲームに当て嵌めてみる。
 ここは、動物達が集う喫茶店。
 しかし、今はペットは数えるほどしかいない。
 プレイヤーの目的は、町に散らばる動物達と出会い、この喫茶店に連れて来て、
 ペット喫茶を開く事。
 ただし、警戒心の強い野良猫や野良犬は、直ぐに逃げてしまう。
 それを追いかけるか、それとも無視するか。
 また、中には町の人が飼っていた動物もいるかもしれない。
 希少価値の高い、法律に触れかねない動物もいるかもしれない。
 そう言うペット達を集め、ペット喫茶として、個人ではなく地域全体で
 動物達の面倒を見る。
 そう言うシステムを構築する。
 それが、最終目標だ。
 その為には、行政機関と掛け合ったり、獣医に地域的な取り組みを認めてもらって
 去勢手術の費用を負担してもらうなどの作業が必要。
 また、喫茶店の経営もしっかりとして行く必要がある。
 探索は、街中だけじゃなく、洞窟や川、草むらだって可能。
 そんな世界が、冬の頭の中にどんどん広がっていく。
 そして、これはその中の一つのイベント。
 ある日、ペット喫茶の動物達が忽然と姿を消した。
 しかし、中には残っている動物もいる。
 何故?
 冬は、静かに考える。
 こんなイベントを作るなら、どう言う理由付けをすべきか――――
「……もしかして」
 一つ、思いつく。
 そして、厨房へと向かい、"ある物"を手に取り、思いっきり握った。
「みうみうー」
「わふっ」
 二匹は特に反応を見せない。
 一方、厨房を走り回っていたフェレットは、突然止まって冬の方を
 じーっと眺めだした。 
 そして、確信。
 冬は頭を掻きつつ、電気のスイッチを探す事にした。


 秋葉鈴音にとって、高校生活のスタートは順調とは程遠いものだった。
 秋葉家は、ペット禁止。
 それが曽祖父のもっと前の時代から続いているらしい。
 その理由と言うのが、実に前時代的で。
 昔、秋葉家の誰かが動物を飼った結果、その動物に殺されてしまった――――
 などと言う、全く信憑性もないような昔話を鵜呑みにした結果、先祖代々
 動物嫌いとなってしまったらしい。
 秋葉の父も、根っからの動物嫌い。
 犬を見れば、吠え返す。
 猫を見れば、引っかこうと爪を立てる。
 動物園を見れば、中指を立てて威嚇する。
 普段は厳格で非常にマジメな父親。
 会社の接待偏重主義を根底から覆そうとする若手と重役との間に立ち、
 少しでも会社が一枚岩に近付くようにパイプ役として尽力するその姿に、
 多くの会社員が尊敬を禁じえないと言う。
 それくらいしっかりした人間なのだが、動物の事となると、人が変わったように
 好戦的になる。
 それでも、秋葉は諦めなかった。
 秋葉家に生まれながら、無類の動物好きと言う、ある意味突然変異のような存在。
 何度も何度も、ペットを飼ってもいいかと問い質した。
 結果は、全てNO GOOD。
 何度訴えても『お前は動物の禍々しさを知らん!』の一点張り。
 禍々しさ、と言う表現を犬や猫に使われた秋葉は、父親を心から嫌悪した。
 結果、余り家庭は上手く行っていない中で、秋葉の高校生活は始まった。
 そんな中、秋葉は家で飼う以外の方法を試す事にした。
 野良の餌付け。
 家で戯れる事は出来なくても、せめて外で――――そんな、誰でも思いつく
 方法ではあったが、秋葉にとっては苦渋の決断でそれを選択した。
 しかし、その方法には大きな欠陥があった。
 秋葉は、動物に余り懐かれないと言う重大な欠陥がある。
 それでも、昔こっそり飼っていた猫には懐かれた事があった。
 その猫も、父にバレてしまい、逃がす事になったのだが――――以降、
 秋葉と相性のいい動物は現れていない。
 まして、警戒心の強い野良となると、尚更。
 毎日放課後になると、一目散に学校を出て、街中を彷徨う野良犬、野良猫を
 探していたが、結果として全て逃げられてしまい、徒労と悲泣に暮れていた。
 そんな中、秋葉は一匹の仔猫と出会う。
 その仔猫は、進んで秋葉に近づく事はしなかったが、逃げる事もしなかった。
 ただマイペースに移動しているだけ。
 仔猫としては、かなり珍しい、おっとりとした性格だった。
 最初は、逃げられる事を恐れ、余り近づけなかったものの、徐々に秋葉は
 自信をつけていた。
 この猫になら触れられる。
 抱ける。
 愛でられる。
 そう言う予感がしていた。
 しかし、いざ行動に出ようとすると、丁度その時に車の下に移動したりして
 タイミングが掴めずにいた。
 そんなある日。
 秋葉は、一人の男子と出会う。
 その男子は、仔猫の餌付けをしていた。
 秋葉が必死で追いかけていた、あの仔猫だった。
 とても幸せそうに餌を食べる仔猫を撫でるその顔も、幸せそうだった。
 嫉妬。
 凄まじい勢いで、怨念が膨らむ。
 結果、秋葉は見知らぬ男子に呪詛を振り撒き、逃げた。
 そのような行動は生まれて初めての事。
 動物の事となると、見境がなくなる――――そう言う意味では、しっかり
 父親の血を受け継いでいた。
 程なくして、秋葉はその男子と再会する。
 神楽未羽の友達と言う立場で。
 醜態を見せていた恥ずかしさもあり、一先ず初対面と言う事にしたが、
 その男子は話を合わせてくれた。
 皐月――――もとい、睦月冬。
 とても大人しい、頼りない男子。
 ある意味、ペット好きの男子としては定番とも言える男の子。
 いつの間にか、秋葉はその男子の名前を何度も神楽の口から聞くようになっていた。
 その後、友人同士で開催した妙な合コンや勉強会などもあり、なし崩しの内に
 親しくなっていった。 
 そんな睦月冬が、一つの出会いを秋葉に提供したのは、一年と少し前の事。
 そして、それをきっかけに。
 秋葉鈴音は、かけがえのないものを得た――――


「にゃおう」
 猫の鳴き声。
 冬にとって、犬や猫の鳴き声は基本、ただの声でしかない。
 何となく意思が通じているような錯覚を感じる事もあるが、人間の言葉とは
 根本的に異なる。
 ただ、内容はわからなくとも、他の声と区別が付く猫は一匹いた。
「りお。おかえり」
「にゃうにゃう」
 トコトコと、りおは喫茶店の扉の隙間から、冬の元へと向かって行った。
 久々の再開。
 尤も、秋葉がメールで何度も写真を送ってくれていたので、その姿に違和感は覚えない。
 冬がりおを抱きかかえるのとほぼ同時に、喫茶店の扉が全開し、ペット達が
 一斉に中へと入ってきた。
「あー、疲れた。あ、睦月君。来てたの」
「お帰り。逃げたペットの回収ご苦労様」
「え!? なんでわかったの!?」
 そのペット達の後ろから現れた神楽に、冬は小さく笑みを返す。
 神楽の後方には、佐藤と秋葉もいた。
 何故、ペット喫茶【ワンわんニャンにゃん】から、彼女達と多くのペットが
 いなくなっていたか。
 その理由は――――
「だから、ゴメンってば。まさか犬と猫が柑橘系の匂いが苦手なんて知らなかったんだって」
「別に怒ってません。その代わり、最高のケーキを作ってください」
「わかったわかった。あ、睦月来てんじゃん」
 ケーキ用のフルーツにあった。
 基本、犬と猫は柑橘系の香りが苦手。
 中には、あからさまに嫌い、逃げ出すものもいるくらい。
 普段、このペット喫茶【ワンわんニャンにゃん】でもフルーツは取り扱っているが、
 それらは缶詰など、シロップ漬けにしたものが殆ど。
 柑橘系の匂いはしない。
 しかし今回は、佐藤が本気でケーキを作る事になった為、新鮮なフルーツを
 用意していたのだ。
 それをまとめて切った結果、その匂いが充満し、ペットの中の一匹が
 逃げ出したのだろう。
 そうなると、それを追いかけるものも出てくる。
 結果、大脱走となってしまったようだ。
 扉は、体当たりが得意なウェルシュ・コーギーのコンスタンスが開けた可能性が高い。
 或いは、誰かが偶々開けていたかもしれない。
 いずれにせよ、その逃亡劇に気付いた神楽達が、携帯を置き慌てて追いかけるのは
 必然だった。
 作業中の佐藤は、元々携帯を体から離していたのだろう。
「……スゴ。流石272点」
「そのネタいつまで引っ張る気だよ。もう誰も覚えてないよ」
 嘆息しつつ、冬は秋葉の方に視線を向けた。
「大丈夫だった?」
「……」
 秋葉は答えない。
 何かに打ちひしがれている様子だ。
「この子が掴まえようとするとまた逃げちゃうから、私と未羽で掴まえたら
 みんな大人しく捕まってくれたんだよねー。ま、なんて言うか。下手の横好き?」
「……ひどいです」
「あー! 冗談! 冗談だから泣くなってば! ホラ、あの鈴音絶賛の
 全方位ケーキ作ってあげるから」
「約束ですよ?」
 嘘泣きだった。
 特に笑いもせず、ペロッと舌を出す。
 犬っぽい仕草だった。
「ったく……睦月もだけど、アンタも結構垢抜けたって言うか……」
 ブツブツ言いつつも、佐藤は何処か楽しそうにシャワー室へと向かった。
 食べ物を作る為には、動物を触った以上消毒が必要。
 その辺りは流石にパティシエ候補、しっかりわきまえているようだ。
「で、睦月君。持ってきた? か・い・ひ」
「あんなの悪徳商法だろ。どうしても払えって言うなら、家にある
 お前のソフト全部売るぞ」
「じょ、冗談に決まってるじゃない。そんな高い会費取らないって。あはははは」
 乾いた笑いが響く中、秋葉はいつの間にか冬の方に視線を向けていた。
 主に、りおの様子を観察しているようだ。
「……私より懐いてます」
「まあ、一番多感な時期に面倒見てたし」
「りお、りお」
 何かにすがるように、呼ぶ。
「……」
 特に反応を示さず、りおは冬の足元で丸くなっていた。
 そして、徐々に目を細め――――寝る。
 まるで、安住の地を見つけたかのように。
「……えっと」
 冷や汗をかきつつ、冬は半笑いで秋葉の顔を見た。
 案の定、嫉妬からこの世の終わりのような顔をしている――――かと思いきや。
「……」
 秋葉は、その姿を慈しむように眺めていた。
 それが何を意味するのか、冬にはわからなかったが――――
「あ、また雪」
 神楽の言葉通り、外ではいつの間にか、白い冬季の風物詩が舞っていた。
 まるで、愛しいものを包み込み、紙ふぶきのように。


 その後。
 予定より1時間遅れで、パーティーは始められた。
「さー、食べて食べて。これ一応自信作、って言うか私の最終兵器だからね。
 これで私はフランスに殴りこむ予定だから!」
 佐藤の言う『最終兵器』とは、まるでクォーターピザのように、一つのスポンジの上で
 クリームやフルーツの種類を変えた4つのケーキが演出されている。
 オレンジを基調としたフルーツ満載のケーキ。
 甘さ控えめのマロン。
 スタンダードなイチゴ&生クリーム。
 そして、チョコ。
 秋葉は4ピースすべてを堪能していた。
「素敵です……」
 キラキラした目で、終始ご機嫌。
 その様子に、佐藤は満足げだった。
 特にプレゼント交換などのイベントはない、静かなパーティー。
 ただ、クリスマスイブの日に一緒にケーキを食べるだけ。
 以前の冬なら、そんな時間は居心地の悪さしか感じず、苦痛の中で過ごしていただろう。
 今は――――やはり不安はあるものの、一度溶け込んでしまえば、その大半が
 なくなって、楽しさばかりが残る。
 いつも、そうだった。
 実は、ゲームでも似たような感覚を抱く事がある。
 かなり気になっていたタイトルをついに購入し、いざプレイすると言う時。
 最初は、始めてしまう事に不安があった。
 しかし、いざ始めてしまえば、次からは気楽にソフトを挿入できる。
 その感覚と、よく似ていた。
 現実は現実。
 ゲームはゲーム。 
 それは、そうなのかもしれない。
 でも、冬は思う。
 ゲームだって、現実の中の一つなんだと。
 そして、この瞬間が楽しいと思う事が自分に似合わないと思う事もまた、
 おかしな事なんだと。
 そう納得し、冬は色々考える事を止めて、沢山笑った。
 突然、携帯が鳴る。
『メリクリ! 俺はこれから仕事仲間とパーティーだけど、お前はどうせ一人寂しく
 自分の家でゲームやってんだろな。寂しいな。悲しいな。何なら誘ってやっても
 いいんだぜ? さあ、YUKITO様一緒に遊んでくださいってメールしな。
 フハハハハハハハハハ』
 女子3人を囲んでの写メと併せ、返信。
 その日――――如月から新たなメールは送られてこなかった。


「……なあ。何で芸能人がヤロー共とボーリングしてキャアキャア遊んでて、
 一般人が女子に囲まれたクリスマスイブ過ごしてんだ? なあ、何でだ?」
 二日後。
 ペット喫茶【ワンわんニャンにゃん】の一席で、如月が泣きながら主張する
 その殆どの言葉を、冬は適当に聞き流しつつ、窓の外に視線を向けていた。
 特に理由はない。
 もう雪も降っていないし、景色に何ら新鮮さはない。
 ただ、ボーっと。
 その当たり前の景色が、どう変わるか――――どう表現されるのかを想像していた。
「で、完成したんだろ? 企画書。ちょっと見せてみろよ」
「ああ」
 素人だから、期待するなよ――――そんな枕詞もなく、冬は大人しくそれを渡す。
 如月は沈黙しながら、その書類に目を通していた。
 尤も、書類と言っても手書きのト書き。
 乱雑に書き散らした文章は、プロの目から見ればお遊戯程度のものだろう。
「……ほー。ミステリーと癒しの融合、ってか。で、それをRPGでやんのか?」
「そう。一応、町おこしがしやすいように、万人に受けるキャラクターを作って、
 そのグッズを作る形にはしようって思うけど」
「なるほどな。実在する施設の実在する動物を……か」
 如月は企画書を置き、周囲を見渡す。
 そこには、多数の動物がいる。
 それぞれに名前もあり、性格もあり、可愛さがある。
 それをマスコットキャラにして行く。
 ハローキティやピカチュウやアイルーとコラボレーションしてもいいだろう。
 この喫茶店は、そんな町おこしの中心となるのにピッタリの場所だった。
「じゃあ、ヒロインはアイツか。大丈夫か? あんなぶっきらぼうなの」
「心配ないと思うよ、多分」
 相変わらず人の少ない店内で、秋葉は連れて来た"りお"と共に、
 眠そうな目でボーっと立っている。
 その姿は、ある意味癒し系だった。
「で、結局、ジャンルはどうすんだ?」
「ああ。色々複合的な感じに、って思うんだけど。中心になるのは勿論――――」
 何よりも、心を躍らせる。
 何よりも、夢中にさせる。
 何よりも、楽しい時間を過ごせる。
 そう言うジャンルが、ゲームの中にはある。
 ちょっと人を選ぶ所もあるけれど。
 クリアするまでに時間が掛かるけれど。
 一から物語を作り上げるそのジャンルは、今尚あらゆる年齢層に高い支持を
 集めている。
 恐らくは、これからも。
 だから、一切の迷いなく答える。
「RPG、です」
 ――――秋葉が。
「え?」
「タイトルは『Rio Pet Girl』でどうでしょう」
「にゃお♪」
 その顔は、とても真剣で。
 そして、笑顔だった。
 





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