失恋にも、色々あると思うんだ。
校舎の裏に呼び出して気持ちを伝えたけど、今は勉強と部活に集中したいって
言って断られた次の日、別の異性と楽しそうに歩いている片思いの相手を見た時。
長年付き合った相手に『掃除の仕方がウザい』と言われて、きっとそれ以外の理由が
沢山積もり積もったんだろうなと思いながらも、穏便に済ませる為に多くは言わずに
静かに頷いている時。
3回目のデートでも手応えを感じられないで、案の定午後に立ち寄ったカフェで
溜息を吐かれて、『ゴメンやっぱ無理』とローテンションで言われた時。
或いは――――遠くから見ているだけの時を3年間過ごし、そのまま卒業式を
迎えて、結局何を言う事もなく縁が切れた――――そんな瞬間。
きっと、誰もがそれを失恋と言うのだと思う。
誰だって一度は――――よくそんな表現をされるけど、それは違う。
世の中にはきっと、一度も失恋なんて経験しないままに死んでいく幸せな奴は
きっといる。
そう言うヤツに限って、イケメンだったり美人だったりはしない、そこそこの
容姿で、学力も運動神経も普通で、取り立てて特徴のない平凡な人間だったりするんだ。
チクショウ。
羨ましい。
羨ましいぞ。
そんな平坦な人生を送りたい。
僕の尊敬するとある人物は、『植物のような心で生きたい』と言ってた。
まさにそれだ。
僕もそう言う生き方がしたかった。
タンポポの種子みたいに風に運ばれて、辿り着いた場所で静かに根付くような
穏やかな心で。
誰にも揺り動かされる事なく、穏便に、和やかに。
でも、そう思う人間に限って、そう言う生き方は出来ないもの。
わかっていても、それを回避する方法はなくて。
僕は昨日、失恋してしまった。
心は植物どころか、発情期のゴリラ。
のた打ち回ってウホウホってなもんだ。
いや、普通ならもっとダウナーな感じになる筈なんだ、失恋ってのは。
でも、僕が昨日味わったのは、色々ある失恋の中でも、とりわけ酷い部類だった。
と言うか、最低の部類だ。
最低の失恋ってーと、まず思い浮かぶのが、告白した瞬間に『え、ちょっマジ言ってんの?
マジキモいんだけど! お前他に誰か言ってねーだろな、この事。告ったとかぜってー
言うなよ! あーマジ最悪、マジ勘弁。誰も見てねーよな? 何見てんだよ、さっさと消えろよ!』
って感じのリアクションをされるパターン。
まあ、最悪だ。
でもこれより最悪なパターンもあるって事を、僕は昨日知った。
ちなみに、彼女が実は幼女とか、殺し屋だとか言うオチじゃない。
ちゃんと、高校3年生の同級生だ。
僕が想いを寄せていた人の名前は、雨夜陽菜。
大人しくて優しい感じ。
実際、とても物静かで、読書が似合う女子だ。
髪の毛は長く、太ももまで伸びている。
髪質はフワッとしていると言うほどでもないけど、ちょっと寝癖っぽい
感じでまとまっていない所が可愛い。
顔は綺麗と可愛いの丁度中間くらい。
まあ、僕の顔面偏差値が50だとすると、70くらいはあるんだろう、世間的には。
完全なる高嶺の花だ。
しかも、噂によると父親は某有名電化製品メーカーの重役らしい。
大金持ちだ。
高嶺の花と言うより、火山の花だ。
ヘリコプター使っても近寄れない。
登下校にリムジン使う……って訳ではなく、まあ普通に歩いて学校に
来てるみたいだけど、一度具合が悪いと言う理由で早退した時には
黒塗りのベンツが迎えに来ていて大騒ぎになった。
ホンマモンのお嬢様だ。
当然、一介の高校生に過ぎない僕が想いを寄せるなんて、身の程知らずも甚だしい
と言うのは理解してるけど、今は家の格がどうこうってのを恋愛に持ち込むような
時代でもない。
寧ろ、ロミオとジュリエットが永遠の名作として君臨している、そんな
格差恋愛推奨の時代だ。
と言う訳で、僕は高校三年生と言う大学受験を控えた大事な時期の、それも
10月と言う色んな意味でギリギリなこの時期に、告白を試みた。
20年前、人々は手書きの手紙を使って告白していたと言う。
僕は当然、全くこの世に存在していない古の時代。
奥ゆかしい時代だったんだな。
10年前、まだ僕が小学生に上がったばかりで、『コレクター・ユイ』と『とっとこハム太郎』と
『GEAR戦士電童』に嵌っていた頃。
何処かへ呼び出して二人きりで告白するってより、何となくなーなーな感じで
『一緒に帰らね?』って誘う感じが流行っていたらしい。
おすましな時代だったんだな。
そして、現代。
僕は時代に迎合して、メールかミクシィでの告白をと考えていた。
でも、雨夜さんのメアドなんて知らないし、ミクシィに到っては参加してるか
どうかもわからない。
結局、機会を伺って要件を聞いて貰う形で校舎裏に呼び出すと言う、30年前の
告白方法を用いる事になってしまった。
まあ、そこまでは良い。
形式なんてあくまでも物事の枠組みであって、本質じゃない。
問題は、僕の想いを伝える事。
それだけだ。
そう自分で自分を勇気付けつつ、黙って僕の後に付いて来てくれた雨夜さんに
向かって、想いの丈をぶつけた。
「雨夜陽菜さん、好きです! 大富豪の子供はフランス料理やイタリア料理よりも
インスタントラーメンに興味を示すと言いますけど、そんな感覚で構わないんで
僕と付き合ってみて下さいませんでしょうか!」
堂々たる告白。
勿論、僕だって一応は常識人を自負しているから、すんなりYESを貰えるなんて
思っていた訳じゃない。
まあ、99%ダメだろうとは思ってた。
それでも告白に踏み切ったのは、残り1%の希望に賭けて――――って言う訳じゃない。
まずは想いを伝える事。
ここでフラれても、取り敢えず知り合いにはなれる。
ええ、知り合いじゃないんです、クラスメートなのに。
幾ら片想いしている相手とは言え、流石に火山の花、そう簡単には近寄れません。
彼女は決して取り巻きがいるわけではなく、寧ろ一人でいる事が圧倒的に
多かったんだけど、その佇まいと言うか、何処か冷たい色をした瞳が、他者を
寄せ付けない魔力のようなものを宿していた……気がする。
だから、彼女に近付くには、それ相応の強い、とても強い動機が要った。
それが告白だったって訳だ。
そして、そんな玉砕覚悟の告白の結果――――雨夜さんは、震え出した。
そりゃもう、驚いたさ。
だって、震えてるんだよ?
自分が何か言って、相手を震えさせるなんて経験、これまで一度もない。
平穏を臨む僕は、人を怒らせるような事も、泣かせるような発言も絶対にしないと
心に誓っていた。
そよ風のように、他人に迷惑を掛けない。
そう言う存在が、僕だ。
だから、この告白もそうなってしまうのは忍びないな、とは思ってた。
でも、震えるって言うのは想定外。
当然、僕は狼狽る。
だけど、それは一瞬だった。
彼女の――――雨夜さんの言葉が、と言うか――――怒号が、僕の鼓膜を直撃したからだ。
「この……マヌケーーーーっ!!」
そして、間髪入れずにもう一つ直撃を食らう。
今度は物理的に。
いや、音圧も物理的なものなんだけど、何となくニュアンス的にわかって貰えないだろうか。
要は、ぶん殴られた訳だ。
クラスメートではあるが、まだ知り合いですらない、片想い中の女子に。
「私の名前は陽菜じゃなくて陽菜よっ!」
そして、字面じゃとってもわかり辛い説教を受けた。
要は、僕の発音だと『ヒナ』。
だけど実際は『ハルナ』だったらしい。
「何で好きだって言う女の子の名前を間違えて覚えてんの!? こんのアホ、ちょっと
そこに正座しなさい! 説教してやる!」
そして、実際の説教はこれからだって事に気付いた時には、もう何もかも手遅れだった。
それから1時間。
授業より長い時間、僕は好きな人から延々と説教を受けた。
まあ、今にして思えば――――それも仕方ないという思いもちょっとはある。
僕が彼女を好きになった動機は、100%外見だ。
ここで言う外見ってのは、外見的な性格も含まれる。
つまり、彼女の内面じゃなく、外面上の性格――――大人しい感じと言う雰囲気に
惹かれた、と言う訳だ。
穏やかに生きたい僕にとっては、彼女のような空気感の女子は理想的だったからね。
でも、どうやらそれが癪に障ったらしい。
「バッカじゃないの? そんなの勝手にそっちが思い込んでるだけの事じゃないの。
それで、実際の性格がそのアンタの理想と違ってたら、もう冷めるんでしょ?
最っ低。最っっっ低」
と言う彼女の弁も尤もだ。
もしかしたら、過去にそれで傷付いた事があるのかもしれない。
でも、僕にだって言い分はある。
それで好きになって何が悪い、と。
好意を寄せるって言うのは、人間の感情だ。
そこには論理なんてあっていい筈がない。
『雰囲気で好感を持っても良いと思うんだけどな……』
と控えめに僕は反論した。
こちらが一方的に好きな相手に反旗を翻すのは、少々引け目というか、余り
好ましい行為じゃないとわかってはいたけど、黙っている訳にも行かない。
結果、3倍にして返された。
男はやれ顔だ、胸だと言う。
人当たりがいい、笑顔が可愛いと褒める。
バッカじゃないの、そんなのは記号よ記号、人間を形成する記号の一つよ、と。
お嬢様と言うか深窓の令嬢ぽい印象を持っていた僕にしてみれば、
この時点で既にイメージと全く違う人間から説教を延々と受け続けている訳で。
流石に我慢の限界が来てしまいまして。
「うるせーーーーーーーーっ! 記号で好きになって何が悪いんだボケーーーーーっ!」
と、事もあろうに逆切れしちまいまして。
未熟な高校生が未熟な恋愛論を校舎の裏で国会答弁のように展開。
そして最終的には、大喧嘩。
飛び交う罵詈雑言。
結果――――教師の介入によって、強制終了。
僕はと言うと、大目玉を喰らって家路へとついた。
その日、僕は失恋した。
まだ名前すらロクに覚えていなかった片想いの相手と大喧嘩して。
最悪の失恋だ。
勿論、90%は自分が悪い事は理解している。
名前を間違えて覚えていたのは、僕の不注意だ。
一応弁解をすると、名前なんてのは最初に覚えた読み方で完全にインプットされて、
それ以降はその間違いを是正する機会がない限りは修正しようがない。
その機会は、一度もなかった。
彼女が教師からフルネームで呼ばれた事は、この1年間、一度もなかったから。
そして、彼女を名前で呼んでいる友達とかも、多分いない。
少なくとも、僕はその存在を知らない。
一応それなりに理由はあるんだ。
とは言え、それは彼女には関係ない。
自分に告白してくる相手が、自分の名前を間違えたと言う事実のみ。
そこだけ切り取れば、イタズラや悪ふざけでの告白と取られても仕方ない。
だから、それで説教を受けるのは、まあ良い。
問題はその後だ。
何で、告白した相手に延々と恋愛感に関しての説教を受けなきゃならないんだ。
しかも、彼女の――――雨夜の恋愛感は、まるで少女マンガや女性向けの
小説の主人公のように、何とも薄っぺらいものだった。
外見で判断されるのを過剰に嫌い、受け付けない。
それは、ハッキリおかしいと断言できる。
人は誰でも、最初は外見で人を判断するんだから。
そこに中身も示唆させるものを盛り込んでおくのがマナーってもんだ。
だから、僕は外見で人を判断する。
全部じゃないけど、ある程度は。
それまで否定された時点で、僕は雨夜さんを雨夜と呼ぶ事にした。
そして、告白を全面的に撤回した。
そう。
最悪の失恋ってのは、恋した事をなかった事にしたいと思う失恋だ。
どれだけキモがられても、煙たがられても、それを恥だと思う分には、
まだ救いはある。
思い出の一つとしては苦しくても、教訓には出来るから。
でも、僕のケースでは、教訓にもならない。
ただ、無駄なケンカをしてこの大事な時期に教師の印象を悪くしたと言うだけ。
これを最低最悪といわずに何と言おう。
まあ、そう言う訳で。
僕は最低の失恋をした。
愛を語るより口論を交わそう
そして今日も平日。
そんな最低な気分を引きずったまま、彼女の――――雨夜のいる教室へと
向かわなくちゃならない。
また難癖付けられたらどうしよう、と言う陰鬱な気持ちになる。
まあ、向こうも同じような気持ちかもしれないし、或いは僕の事なんて
もう眼中にもないかもしれない。
ハッキリ言って、それはそれで凄く嫌なのも事実だった。
つまり、どうあっても最悪だ。
「と言う訳で、今日は休ませて下さい」
そこで僕は、仮病を使って親と交渉を始めた。
当然、失恋云々に関しては話さない。
体調が悪くて風邪っぽいと言う言い訳を起用。
体温計は摩擦熱で38度5分まで上げている。
中々の高等テクニックだ。
「そう。じゃ休めば? ムダになった分の学費、夜までに計算して請求するけど」
……こう言う母だった。
お金はない。
アルバイトもしてなければ、小遣いも少なく、錬金術師でもない僕に
経済力は当然ない。
「……行って来ます。無慈悲の母」
「行って来なさい。無能の息子」
そして、登校。
こう見えて、僕は社交的な方だ。
だから友人も多い。
一応部活に入ってたからね。
第二野球部。
冠の第二ってのはそのまんま、第二の野球部って意味だ。
甲子園を目指して、青春の全てを野球に捧げるのが第一野球部。
そして、野球は程ほどに、ダラダラとした放課後を過ごすってのが第二野球部だ。
野球自体は中年の草野球レベル。
だから、地域の草野球チームと週二ペースで試合したりしていた。
ある意味地域振興と言うか、ボランティア団体のような感じもあって、
結構この地元じゃ僕ら第二野球部は評判が良い。
流石に三年の10月である今は引退してるけど、 共に汗を流して
土を舐めた戦友達との交流は続いている。
きっと一生ものの友達だ。
「よお、ミヤ。お前雨夜さんと大ゲンカしたらしいな」
その友達の一人の筈の安田が突然触れて欲しくない事を遠慮も配慮もなく
ズバッと切り出してきた。
安田幸三。
8番レフト。
その性格通り、空気を読めず大差で負けてる試合にポコーンとホームランを
打ったかと思えば、接戦で凡フライを頭に当てて3塁打にしちまうようなヤツ。
コイツはこの瞬間、僕の友達リストから半分消えた。
「うるさいな」
「いや、お前スゲェわ。あの雨夜さんとケンカなんて、ある意味英雄じゃね?
確実に消されるぞ、社会的に。何しろパ……」
「実名を出そうとすんなよKY!」
安田幸三。
イニシャルKY。
そして、その言動もKY。
だから彼は皆からKYと呼ばれている。
いささか気の毒だけど、自業自得だ。
まあ、定着させたのは僕なんだけど。
「うるっせえ! お前にKYなんて呼ばれた所為で、俺は何してもKYKY言われて
灰色の高校生活三昧なんだよ! ヘッ、ザマーミロ! バーカ! バーカ!」
KYは小学生以下の中傷発言を繰り返して、先に登校して行った。
こんなヤツもう友達じゃないな。
リストから完全削除だ。
「お、ウチの学校のアイドルとケンカしたバカの極致発見」
次に表れたのは、高田道彦。
通称、でっかい方。
彼には高田佳彦って言う1つ年下の弟がいる。
身長ではこっちが10cmばかり大きい。
だからでっかい方。
手抜きな感じが逆にアウトローっぽくて良い感じと思って、僕が命名した。
「朝一番でバカって言うなよ」
「仕方ねーだろ。冷静に考えろよ、お前。確実にファンに刺されるぞ」
雨夜さんは、その美しい容姿と孤高の存在感から、本人未公認の
ファンクラブまで存在する。
確かに、刺されかねないけど……
「ふぅぅ〜っ。俺さ、お前に『でっかい方』呼ばわりされて以降、だーれも
俺の名前覚えなくなったから、お前にゃ少なからず恨み持ってんだ。
この機会に死んでくれると嬉しいぜ」
そして、でっかい方もまた恨み節を残して先に学校へ向かった。
ちなみにアイツは5番セカンド。
パワータイプのバッターで、三振か長打かって言うバクチみたいな
バッティングが売り。
そして、そのパワーと図体のでかさの割に守備では細かい動きが上手い。
だからなのか、細かい事をいちいち根に持っていたらしい。
……僕、結構色んなヤツに恨まれてたのね。
今晩にでも自分の行動を省みよう。
「よ、ミヤ。何かえらい事になってるな」
そんな中、やっとまともな友達が現れた。
4番キャッチャー、山田太朗。
誰もが『両親やっちゃったよ』と思うであろうこの名前だけど、よく見て欲しい。
『郎』じゃなくて『朗』。
それだけの事なんだけど、取り敢えず人生コピペとならずに済んだ訳だから
こいつにとっちゃ大きな意味がある一字違いだ。
ちなみに、太ってはいない。
後、バッティングも繋ぐ4番タイプ。
打率は草野球とは言え6割を超えている。
リードも、草野球なのに緩急付けたり見せ球使ったり、やたらちゃんとしている。
真面目な話、何度も第一野球部にスカウトされていたらしい。
大したヤツだ。
「チッス。お前だけだよ、気遣ってくれるのは」
「で、実際のトコはどうなんだ? 俺は『性的な意味で襲おうとしたけど失敗して
ケンカってノリに持っていった』に1500円賭けてるんだけど」
「うわーん! 親友までーっ!」
僕の周りにちゃんとした人間はいなかった。
登校を果たした後も、雨夜との件に関する問い合わせは殺到に殺到を重ね、
僕はこの日の早朝だけでクラスメートの約半数の人間と対話する事になった。
しかもその殆どは、僕に対しての非難GOGOな感じ。
不快だ。
僕がここまで注目を集めるのは、まあ僕の日頃の付き合いの良さと言うか
社交性の高さと言うか、笑顔の振り撒き具合と言うか、兎に角対人バロメーターが
やたら高い所為なんだろうけど、流石に面倒。
ちなみに、僕の隣には腕を吊って着席している木田敏則と言う男がいる。
こいつも元第二野球部。
9番ライト。
殆どヒットを打った場面を見た記憶がない。
打球も、全然コイツのところには飛んで行かなかったっけ。
そして今日も、骨折したらしきその姿は本来なら英雄クラスの扱いを
受ける筈なのに、全く注目を集める事なく佇んでいる。
地味なヤツなんだ。
でも、僕はコイツの事はキライじゃない。
と言うか、元第二野球部の中では一番まともだと思ってる。
努力家なんだ。
全然ヒットは打てなかったし、殆どチームには貢献出来てなかったけど、
コイツはいつもバットを振ってた。
マメだらけの手を何度か見せてもらって、感心したのを覚えてる。
本当に野球が好きなんだろう。
才能はなかったかもしれないけど、いつかその努力は別の形で報われると思う。
「……はぁ」
あ、溜息。
やっぱり注目される事を期待してたんだろな。
骨折した際の唯一のメリットだもんな。
ちょっと気の毒だったけど、構ってやる余裕は今日の僕にはなかった。
って言うか、僕が原因っぽい気がしないでもないから、声のかけようがなかった。
そんな中――――突然、教室が静まり返る。
ウチの担任にこんな影響力はない。
今年40歳を迎えたばかりの中年のオバハンだ。
それでいて、やたら若作りしているのは、若い体育教師に色目を使っていると
専らの噂。
そいつが入ってきたからと言って、静まり返る我がクラスじゃない。
となると、入ってきたのは――――案の定、話題のもう一人の中心、雨夜だ。
「……」
雨夜は、物静かに着席し、誰にも目を合わせる事なく一時間目の数学の教科書を開く。
絵に描いたような優等生だ。
そんな雨夜に対し、僕に対して芸能リポーターのように集っていた連中は、
一切近付こうともしない。
「おい、ヘタレ軍団。向こうにも行けよ」
「うっせ! 雨夜さんに声なんてかけられねーっつーの。畏れ多いっつーの」
そう答えたのは、これまた元第二野球部の辻田次春。
2番ショート。
堅実。
性格も臆病そのものだ。
通称、ツー。
苗字と名前がツで始まるのと、2番ってのと、つーのつーの煩いのとで僕が命名した。
後、このクラスに元第二野球部はもう一人、相田敏郎ってのがいる。
1番センター。
やったら足が速い。
恐るべき事に、陸上部やサッカー部やバスケ部も全部含めた中で、校内2番目の
100mのタイムを保持している。
だけど、それ以外野球的な取り得はない。
性格も、早とちり。
今回の件では教室に僕が到着したと同時に、肩に手をポンと置いて自席に戻って行った。
通称、ソーロー。
命名したのは、意外にも僕だ。
「はーい、席ついて席ー。ケツの青いクソガキどもがいつまでもダラダラしてなーい」
40歳のオバハン教諭がやって来た。
ワーワーと喧騒が鳴り止まない中、それでも一応全員が席に着く。
「えー……ミヤと雨夜。昼休み、職員室IN。理由はわかるわね?」
そして、挨拶もしない内に僕と雨夜に召集通告をして来た。
ちなみにこの担任、僕をミヤと愛称で呼ぶ。
教師と言う立場として、それはどうかと思うぞ。
児童が全部で8人くらいしかいない、田舎の朴訥としたファミリー的な
学校だったらまだわかるけど。
「返事!」
「了解致しました」
「畏まり過ぎて面倒臭いのよ、アンタは……」
真面目に返答した結果、面倒臭いと言われてしまった。
一方、雨夜は一切言葉を発していない。
やっぱり、浮いている気がする。
物静か――――と言えば聞こえはいいし、実際僕もそう捉えているけど、
彼女を取り囲むその環境は、昨日までと少し違って見えた。
そして、昼休み。
あんな事があった手前、声をかけるのも抵抗あるって事で、僕は一人で
こっそりと職員室へ向かった。
「やほーミヤちゃーん!」
その途中、本日何度目かもうわからない、顔見知りからの呼びかけが襲って来る。
ただ、今回は明らかに声のトーンが違っていた。
そりゃ、女だもの。
当然の事だ。
僕に話しかけてくる女子は、まあ一応何人かはいるんだけど、その中で最も
フランクって言うか、まあナメた感じで接してくるのはコイツ。
元第二野球部マネージャー、野田小猫。
嘘みたいな名前だけど、本名らしい。
通称、にゃあ。
明るくて元気で第二野球部のマスコット的な存在だったけど、静寂を
こよなく愛する僕としては、少々鬱陶しい。
「聞いたぜ聞いたぜ〜。同じクラスの女子と大喧嘩して呼び出されたって?
さっすが、第二野球部の乱闘要因! 要員じゃなくて要因ってところが
渋くてカッコイーよね!」
「うるさいな……って言うか、乱闘なんてした事ないだろ? リストラされて
暇なオッチャン達と和気藹々と甲子園の歴代優勝高言い合うゲームとかしてたじゃん」
「やってたねー。下関商って言われて得意げに『準優勝までですうー』とか言って、
選抜で一回優勝してるってわかった時の逆ギレ名言、今も覚えてるよ!
『選抜は甲子園じゃねえ! 真の甲子園は夏にだけ現れる!』だったよね!」
にゃあは何がそんなに楽しいのか、過去の僕の失態を終始笑顔で語っていた。
コイツとの付き合いは、僅か半年。
3年だって言うのに、急にウチのマネージャーに志願して来た。
まあ、第一野球部だと流石にその時点で入部は無理だろうから、ある意味
正しい選択なのかもしれないけど、甲子園を目指してる訳でもない、
熱血もなければ150km投げるピッチャーもいない野球部に、受験シーズンの
貴重な時間を捧げるってのは、正直賢い選択とは言えない。
何でまた、そんな数奇な事を?
「なあ、にゃあ」
「その『にゃあ』ってのいい加減さあ、止めようよミヤちゃん。愛称付けてくれたのは
そりゃちょっと嬉しいけど……子供っぽくてヤダ」
そう。
この『にゃあ』は、当人のニャーニャー鳴くように煩い特徴を踏まえ、僕が命名したものだ。
顔も子供っぽいから似合うと思う。
それを面と向かって不服だと言われると、流石に凹むな。
とは言え、植物のような生活を目標としている僕は、この程度の事では心を乱されないように
しないといけない。
まして怒るとか不快感を露わにした日には、口だけ男も甚だしい。
って訳で、昨日の反省を活かし、快く別の愛称を考えてやる事にした。
「わかったよ。じゃ、今日からお前は『コネ子』な」
「それだとコネを利用して意地汚く生きてる子みたいだからヤダー!」
「贅沢なやっちゃな。なら『のだね』。これで良いだろ」
「わあっ、パクリだ! パクリが愛称なんて絶対ヤダ! って言うか
パクリ以前に響きも凄くヤダ! 菜種油みたいでヤダ!」
「意味わかんねえよ……じゃあもう最近流行の『ゆいにゃん』でいいじゃん」
「ゆいって誰!? どっから出てきた!?」
「さあ? でも、ゆいにゃんだって『にゃん』が何処から出てきたのか
よくわかんないし、別に良いんじゃないかなと思うんだ」
「ヤダ! そんなわっけわかんないのヤッダー!」
「じゃあもう『ヤダヤダ星人』か『ヤッダーババア』のどっちか選べよ」
「ヤダヤダヤダヤダ! もうっ! ちゃんと考えてよーっ!」
そうは言われても、職員室に呼び出しを食らってる身なんで、あんまり
長々と相手はしていられない。
「それじゃ、なんて呼ばれたいか自己申告しろよ。それで呼んでやる」
「お、それ良いね。だったら……くふっ、『野田さん』がいいなあ」
「それ全然愛称じゃねえぞ。って言うか一気に距離開いたな」
コイツ、そんなに僕と親しくしたくないって言うのか。
くそう、これでも結構コイツが溶け込みやすいようにって色々気を使ってたのに。
そりゃあ、偶に失敗もしたけど。
誕生日にみんなでパーティー開いて、最後にケーキの中に仕込んだ
爆竹に引火して、バラエティ番組のドッキリを実際にやってみた結果、
地味にクリームだけちょこっと吹っ飛んでそれがコイツの顔に直撃して
凄く卑猥な事態になったとか。
……あれ、嫌われて当然って気がして来た。
うう、友達がドンドン減って行く。
気分が滅入ったところで、僕はトボトボと職員室へ向かった。
「だって、最初は苗字で呼び合う方がさー、なんか初々しくて良くないかなあ。
それで、次は私の方から名前で呼んで……あ、最初は君付けね。そんで
ミヤちゃんもちゃん付けで名前で呼んで、その後にいよいよ呼び捨てになって……
ヤダ! もう! ……あれ? ミヤちゃん?」
勝手知ったる学校って事で、職員室まではすんなり到着。
職員室の緩い空気の中に身を投じ、担任のババアを探す。
「40歳のどこがババアだコラァァァア!」
超キレていた!
「す、すいません。まさか心の中で思ってる事をそんなに怒られるとは」
「あ、やっと来たかミヤ。遅いよ」
と思いきや、突然普通のテンション。
どうやらキレてたのは僕にじゃなくて読んでた雑誌の記事にだったようだ。
なんて情緒不安定な大人。
「更年期なんだろうか」
「誰が更年期だテメェコラ殺すぞ!」
あ、しまった……口に出しちゃった。
って言うか、確かに今のは僕が悪いが、生徒に殺すぞは駄目だと思うぞ担任。
仮に僕の保護者がモンスターペアレンツなら、もうアウトだ。
「……」
そんな担任のマジギレを、静かに眺めている生徒が一人。
言わずもがな、雨夜だ。
昨日の剣幕はどこ吹く風、実に穏やか。
とても同一人物とは思えない。
もしかして、昨日のあいつは双子の妹か何かだったんじゃなかろうか。
若しくは双子の兄が、最近流行のTSで女体化を果たしたとか。
「さて、事情は昨日聞いてるから、まあ大した事でもないんだが……
今のご時勢、校外で男女が怒鳴りあいのケンカなんてしてるとな、学校の体裁的に
最悪なんだとさ。一応、もう二度としないと一筆書いといて頂戴な」
僕の葛藤を尻目に、担任はいきなり二枚の盟約書をずいっと差し出してきた。
それに書かれている文章を要約すると、『周囲の耳に届く範囲で大声ではもう二度と
ケンカしません。したら全校舎のトイレ掃除を卒業まで毎日やります』と言うものだった。
「って、その罰は無茶過ぎませんか……? たかが怒鳴り合いで」
「やらにゃ良いんだよ。あと、こっちもな」
更に別の書類も出て来た。
こっちは『双方のマイナスイメージを払拭する為、本日10月8日(金)の放課後と
明日9日(土)は二人仲良く文化祭の準備活動に参加します』と言うものだった。
開催は10月10、11日。
つまり追い込みのこの時期に、僕と雨夜は合同でその準備の手伝いをしなくちゃ
ならない、って訳だ。
「あの……出来れば別の方法で罰を」
その文を読んでいた僕の隣で、雨夜が控えめに訴える。
当然、僕も同じ意見だ。
だけど、先に言われると凄くヤな感じ。
「ダメダメ。今日と明日、二人仲良くボランティア活動しなさい。わだかまりが
あったら、今後の学校生活に余計な支障を来たすでしょ? って言うか、
こう言う綻びがきっかけで学級崩壊とか嫌だから、仲直りしろよテメェら」
ウチの担任はトコトン口が悪かった。
って言うか、これは恫喝だろうと思うんだが、一介の高校生にはそんな訴えも
許されない。
仕方なく、二人頷く。
「じゃ、この日程に従って動いて頂戴。仕事が終わったらこのスタンプカードに
ハンコかサイン貰ってきなさいね」
その後、簡単な説明を聞き、僕と雨夜は職員室から出た。
説明を要約すると、つまり――――文化祭の準備に追われている幾つかの
教室に赴き、そこで手伝いをして、終わったらその証拠となるサインかハンコを
貰って、全部スタンプカードが埋まったらお役御免、と言う訳だ。
実に面倒い。
とは言え、もし昨日までの僕がこのシチュエーションを得たならば、恐らくは
小躍りして運命の神様とハイタッチを交わしていただろう。
その後一緒に名場面を振り返っていただろう。
あそこの偶然ナイスジャッジ! ってな感じで。
でも、今の僕はそうもいかない。
雨夜への感情は既に大きな変動を見せている。
寧ろ、近寄りたくない。
昨日見た彼女の姿は、僕の理想とは対照的だった。
それでも、気のいいヤツなら、元マネのにゃあみたく友達として付き合って
いけるんだけど、明らかに僕とこの雨夜は相性が悪い。
そんな女子と2日間、ずっと文化祭の準備をしなくちゃならないってのは、
一種の拷問だ。
「……」
僕は生気を失った目で、教室へと戻った。
そして、あっと言う間に放課後。
号令が終わり、喧騒に包まれる教室の中で、雨夜は振り向きもせずに、
指で僕に対して何か合図を送っていた。
『下へ降りるからついて来い』
と言う意味らしく、人差し指を下に向けて手首の運動をしている。
その指示通り、1階まで降り、その背中の後を追って――――辿り着いたのは
保健室だった。
保険医は留守らしく、ベッドも空。
つまり、誰もいない状態だ。
昼休みの終了まで、後10分。
流石にこの時間に保健室へ行こうと言うヤツはいないらしい。
そして――――僕が時計を見ている間、雨夜は扉の鍵と窓のカーテンを
丁寧に閉める作業を淡々と行っていた。
まるで、密室を作るが如く。
って言うか、作ってる……よな、コレ。
あれ?
「もしかして僕、殺される?」
「ハァ? 何寝惚けた事言ってんの。って言うか、殺されたいの?」
突如開いたその口は、昨日僕が聞いた雨夜の声と見事に一致した。
表情も職員室のそれとは全然違う。
攻撃的な目付きで僕を睨んでいた。
「ったく……最悪。何でこんな脳天直下型のバカと……」
そして、聞くに堪えない詰り文句をごく自然に吐く。
ああ、神様。
男子の間では高嶺の花とか深窓の令嬢とか言われていた女性が、
僕の目の前ではまるで何処にでもいるフツーの世の中に不満を抱いた
姦しい女子です。
まあ、不良とかヤンギャルほどは汚い言葉遣いじゃないけど、
ある意味それ以上に中傷表現がキツイです。
「言っておくけど、勘違いして私に馴れ馴れしくしないでよね?
告白相手の名前もしっかり覚えてないクルクルパーと協力なんて
したくないから」
「……昨日の告白は、なかった事で宜しく。あれは僕の気の迷いだった」
怒りを抑え、一応主張。
この時期に内申を著しく下げる事態は避けたい。
一応、これでも進学志望なんだ。
毎日ちょっとずつだけど受験勉強もしてるし。
「ふうん、そ。やっぱりそんなもんよね。どうせ、普段の私の大人しい感じ
だけ見て、その記号に恋したんでしょ? あ、恋なんて軽々しく言っちゃダメね。
訂正。テンプレな感じに萌えたんでしょ?」
「ま、否定はしないけど」
「へー。認めるんだ。自分の愚考を」
どこか勝ち誇ったように、でもどこか寂しげに、雨夜は壁に寄りかかりながら
僕の言葉を待っている。
確かに、僕が彼女を好きになったのは、そう言う部分だ。
でも、それを全否定するこの女子とは、やっぱりソリが合わない。
「愚考じゃねえよ。誰だって最初は外見と外に向けた性格って言うか、
そう言うところで好きになったり嫌いになったりするもんだろが」
「軽々しく言うじゃない。大体、まだ言葉も交わしてない相手に告白なんて
普通する? バッカみたい」
いや、幾らでもするだろ。
好きになったんなら、その気持ちを伝えて、人間関係の改善を図りたいと思うのは
ごく自然なことだ。
好きな人と他人でいるってのは、最初はいいけど、段々辛くなるんだから。
「大体、中身を見ないで人を好きになる奴なんて、信用出来る訳ないじゃない。
そんなの、動物みてカワイー、夜景みてキレー、って言ってるのと同じでしょ?
滑稽。すっごく滑稽」
でも、雨夜は容赦なく自論を畳み掛けてくる。
まあ、言ってる事はわかる。
でもその考えは、多分20年くらい古い。
今は、中身を外に曝け出す時代だ。
だから外見でも一定の判断が出来る。
コイツは、そう言う事を全然考慮していない。
いや、と言うより、これまでに何度も外見ばかり褒められて来たんだろう。
可愛いね、綺麗だね、大人しいね。
そう言われ続けて来たんだろう。
だから、それへの反感と言うか、アンチテーゼみたいな意見に終始してるんだろう。
推測に過ぎないけど、そう間違ってはいないと思う。
「ま、なんにしてもお前の恋愛論にこれ以上付き合う気はねーよ。
こんな所にいないで、とっとと教室に戻ろうぜ」
「その前に約束して。もう二度と、私の事を好きだって軽々しく言わないって」
「はいはい。わかったから」
「ちょっと」
いい加減ウンザリして来たから、適当にあしらって保健室を出ようと歩を――――
進めた所で、雨夜は突然、僕の襟首を掴み、足を止めた。
「真面目に言ってるの」
そして、まるで――――電源を切ったテレビ画面のような目で、そう告げてくる。
語調は、寧ろ穏やかだった。
でも、これまでで一番、その言葉は耳に残った。
「……悪かったよ。もう二度と、絶対に言わない。そう言う感情も既にない」
「最初からそう言えばいいのよ」
手が離れる。
僕の喉に生じていた圧迫感は大した事はなかったんだが、それでも予想以上の
開放感がその後に生じたのは、雨夜の迫力がもたらしていた緊迫感が原因だ。
「でも、僕は間違った事をしたつもりはねえよ。失敗だったけどな」
その僕の言葉を負け惜しみと取ったのか、余計な一言ととったのかはわからないけど、
雨夜は特に何を返すでもなく、一人保健室を後にした。
ま、良いけどね。
取り敢えず、こうしていても仕方ない。
雨夜の後を追い、僕も廊下に出る。
って言うか、あいつ勝手にズカズカ歩いてったけど――――
「……最初は何処に行けばいいのよ」
日程表もスタンプカードも僕が持っているんだから、当然戻って来ざるを得ない
雨夜の惨めな姿がそこにはあった。
まあ、穏やかな心で生きる僕はこんな事で目の前の女子を小馬鹿にしたりはしない。
「ッバーーーーーーーーーーーーーーーカ。まずは新聞部部室だよ」
「思いっきり馬鹿にしたなあっ!?」
凄いキレられたけど、良い気味だ。
ああ、神様。
つい昨日の前半まで大好きだった女子の筈が、今はその悔しそうな顔を見ると
思わず眠っていたサディズムが顔を出しそうになるくらいになっています。
「ま、冗談は兎も角、新聞部部室ってのはつまり新聞部が活動してる部室だ」
「ンな事知ってるっての……サッサと歩きなさい」
既に雨夜は歩き始めていた。
新聞部部室は1階の別館の奥から2番目の部屋で、演劇部と隣り合っている。
保健室から直ぐ近くだったんで、移動時間はほんの2分程度だ。
「あの……すいません。こちらでお手伝いをさせて頂く事になっているのですけど」
そして、到達した瞬間、雨夜は口元に手を当てておずおずとそう口にしていた。
これぞ深窓の令嬢。
僕が昨日までこの人に持っていたイメージだ。
当然、新聞部の男達もそれは同じで、快く彼女を迎え入れている。
一方、女子の方はと言うと――――近付いてこようとはせず、奥の方で
作業を続けていた。
こう言うタイプって男子人気が高い一方で女子には敬遠されそうだけど、
案の定その通りらしい。
友達らしい友達、見た事ないしなあ。
「それではですね、お二人にインタビューをしたいと思います。
正直に答えて貰うだけで良いんで」
新聞部の男子は張り切って椅子を用意してきた。
雨夜用には、何でこんな部室にあるのかって言うような、ロココ調の
やけに高級っぽい椅子。
そして僕用には、ダンボールを二つ重ねた物。
「って、おい! せめてそこに余ってるパイプ椅子出せよ!」
「うっせ! 誰がテメェなんぞに椅子なんて出すかよこのメタパァがっ!」
良くわからない表現で揶揄されてしまった。
ちなみに、この新聞部は僕たち第二野球部の試合を記事にする為に
ちょくちょく草野球やってるグラウンドにやって来ていたんで、
何気に顔なじみだったりする。
その時には結構色々協力してやったと言うのに、なんて扱いだ。
「第二野球部が何度か夜中にこの部室に忍び込んで原稿改ざんしやがったの
まだ忘れてねぇぞ! フツーの学校新聞の中にPTAの不倫スキャンダル
なんて差し込みやがって! PTAからどれだけキレられたと思ってんだ!」
「あれはお前等新聞部が俺ら第二野球部を嘲笑う記事ばっか書いてたから
その仕返しだろ? いつまで根に持ってんだ」
当時、第二野球部は部費の無駄遣いだなんだって散々ネガティブキャンペーンを
ブチかまされてたんで、その報復として、PTA会長の不倫ネタを草野球の
対戦相手のオッチャン達に聞いて、刷る直前のパソコン内のデータを
差し替えてやったりした。
まあ、結果的には不倫なんて反社会的な行為の抑制になった訳で、悪い事を
したつもりもない。
「そんな昔の事はもう良いだろ。で、インタビューって何を聞くんだよ」
「勿論、昨日の騒ぎについてだよ。明日配る新聞の一面を飾る予定だから
正直に答えろよな」
……協力って、こう言う事かよ。
ってか、明らかに身内の恥を外部に晒す行為に該当するだろ、コレ。
「お前等、この手伝いの内容はちゃんと申請してるのか?」
「する訳ねぇだろ。通る訳ねぇし」
やっぱり独断か。
なら、協力の必要なし――――と言いたいところだけど。
この機会を逆に利用してやろう。
「あの……昨日の事は誤解なんです。ケンカなんて、私達はしていません」
そんな僕の考えと全く同じ事を思いついていたらしく、雨夜が重々しく
嘘を吐いている。
何だかなあ。
中身が大事とか言ってる割に、結構セコいぞ雨夜。
「私が突然襲われて、大声を出してしまったんです」
「成程! そして犯人がコイツだと!」
「こらちょっと待てや!」
それどころか、僕を陥れようとしていた。
こいつ腹黒!
「お前等な、冷静に考えろよ。それが事実なら、僕は今頃とっくに退学だろ」
「……それもそうか。雨夜さん、今のは一体……」
「すいません。冗談を言いました」
小さく舌を出し、謝罪。
その仕草に、新聞部男子ズキュウウウウンと言う擬音を背にして
全員ときめいていた。
一方、女子部員と僕は唾棄しそうな顔でそれを眺めている。
ったく、こんなヤツを何で俺は好きになったんだ……
「それでは、本当の事を言いますね。余り面白い記事にはならないと思いますけど」
斯くして、インタビュー開始。
と言っても、結局雨夜の口から出たのは嘘だらけだった。
要約すると、昨日の騒ぎは誤解から生じたもの、と言う事。
僕が学校に迷い込んできた仔犬に牛乳を与えていたら、犬が突然
僕に噛み付いてきて、僕が思わずその仔犬を蹴ってしまったところを
雨夜が目撃して、誤解による言い合いに発展した――――だと。
いもしない仔犬をでっち上げてまでそんな嘘を証言したのは、万が一
生徒の中に言い争いをしている僕たちの姿を見たヤツがいた時の為の善後策だ。
頭の回り方は確かに凄いが、決して健全な方向じゃない。
コイツって、生まれながらの悪党なんじゃないか……?
「何よ」
インタビューを終えてスタンプを押して貰い、新聞部部室を出で直ぐ、
雨夜は白い目を僕に向けてきた。
別に僕は何も言ってはいないんだけど、表情には出ていたかもしれない。
今の心境が。
「別に」
「あっそ。ま、途中無駄な発言をしなかった事だけは評価してあげる。
あれなら、そっちにだってマイナスにはならないでしょ?」
「へいへい」
どうしようもない疲労感が襲ってくる。
よく『恋は盲目』とか『愛は錯覚』とか言う言葉が使われたりするけど、
確かにそうなのかもしれない。
僕は確かに色んな事を見誤ってた。
にしても――――
「お前さ」
「お前呼ばわりは止めて。馴れ馴れしい」
「……雨夜さんさ、中身を見ない事にやたら怒りまくってたけど、
そんな中身を見られて本当に良いのか? 誰が見てもドン引きだろ」
昨日告白なんてした相手に対しての物言いとしては相当アレな事は自覚してたけど、
聞かざるを得ないくらい、雨夜の『中身』は黒い。
普通、そう主張するなら中身に自身がないと変だろう。
でも実際には、コイツは外見は素晴らしいけど中身は最悪だ。
主張と実価が一貫していない。
「……」
僕の疑問は、或いは核心を付いたのか。
雨夜は、一切答えようとはせず、ツカツカと僕から離れて行った。
……子供だ。
全く、何なんだ一体。
頭がこんがらがりそうなんで、改めて僕は色々整理する事にした。
まず、僕は高校三年生。
元第二野球部だけど、今は引退している身だ。
今は10月で、受験生にとっては追い込みの時期。
でも僕はそんな時期に、クラスメートの雨夜に告白をした。
好きだって気持ちを伝えた。
理由は、伝えたかったからだ。
ほぼ他人と言う状況を、どうにか打破したかったからだ。
好きになったのは、顔もあるけど、一番は雰囲気。
穏やかな人生を過ごしたい僕にとって、その憧れを具現化したかのような
彼女の雰囲気は、好きになる理由としては十分だと思う。
でも、彼女に近付く方法は皆無だった。
友達は見当たらなかったから、外堀を埋める事も適わない。
だから、玉砕覚悟で告白して、取り敢えず他人と言う関係を終わらせたかった。
結果、名前を間違えて覚えていた事が判明。
それを思いっきり非難された。
そしてその後、僕の恋愛観に関してまでダメ出しを食らった。
僕は反発。
結果、大ゲンカ。
その罰ゲーム的な意味で、こうして二人で文化祭の手伝いをやらされている。
……以上。
まとめると短いな。
整理してみてわかった事は、今の状況が僕にとってこの上なく理不尽だって事だ。
確かに名前を間違えたのは人として悪い事だった。
でも、その罰は『告白失敗』って結果でもう受けてるんじゃないか?
何でこんな面倒事を押し付けられなきゃならないんだろう。
後、アイツまた勝手に先に行ったけど――――
「……次は何処に行けばいいのよ」
「お前、天然だろ」
「お前って言わないでよ! 天然って言わないでよ!」
この短い言葉のほぼ全部が否定された。
何でもかんでも否定。
子供だ。
「次は美術部だよ。とっとと行くぞ」
嘆息を禁じえない僕は、それでもその息を喉元で噛み殺し、
いきり立つ雨夜を背に廊下を泳ぐような感覚で歩き、美術部部室へと向かった。
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