メトロ・ノームに無数にそびえる柱の中から、特定の物を一つ見極めるのは不可能に近い。
太さも紋様もほぼ一様で、そこに個性などないからだ。
そもそも柱とは元来そういう物で、例え美術的志向に由来する建築であっても、個性ではなく集合的な美観をもって善しとするのが常識。
それはメトロ・ノームであっても例外ではない。
「……こっちの方角で間違いないのね?」
「うん。最初にここに来た時は目隠しされてたけど、出る時は普通に解放されたからね。方角と距離感は大体頭に入ってる」
問題は、その"大体"の範疇から特定の柱を見極める事。
といっても、候補は多くて10本程度であり、総当たりで確認すれば何ら問題はない。
仕掛けとなっている回転式の隠し扉も、蹴る程度の衝撃で露見するのは確認済だ。
「柱は壊し続けますか? 一応、まだ魔力は残っていますけど」
先頭を歩くフェイルの真後ろから、ファルシオンが抑えた声で問いかける。
カラドボルグからの指示を忠実に守るのであれば、その方が好ましくはあるが――――
「いや。ファルの魔力は温存しておこう。スティレットを苛立たせるのが目的なんだから、焦る必要もないし」
「……やはりフェイルさんは、連中の言っていた所に彼女はいないと思っているんですね」
「間違いないよ」
そう思う根拠は――――フェイルの中に幾つかある。
余りにも手応えのない戦闘。
唐突な『賭け』の提案。
あっさりとし過ぎた吐露。
どれをとっても、自分達の主を売る行為としては不適切だ。
そしてもう一つ、フェイルの中にだけ根拠が存在していた。
「さっきそこの中年が言ってた通り、罠って事?」
「中年……ですか。そう呼ばれるほどの年齢ではないと自負しているのですが」
ファルシオンの後ろを歩くフランベルジュは、苦笑いを浮かべる隣のクラウ=ソラスをジト目で眺め、軽く首を横に振った。
「そんな髭を生やしてる時点で若々しさとは縁遠いんだけど」
「ふむ……自分では中々に似合っていると自負しているのですが。剃った方がよろしいでしょうか?」
「私に聞かないでよ。奥さんとかいないの?」
「いませんな。女性に興味がありませんので」
フランベルジュ、そしてその前のファルシオンの足がピタリと止まる。
「……ほ、本当に?」
「冗談のつもりだったのですが」
「この状況で冗談を言う意味が全くわからないんだけど……」
「場を和ませるのも、一戦術としてそれなりの意味を持ちます故。随分と張り詰めているようですから。特に……」
「僕が、でしょ?」
フェイルもまた、背後の様子を察して立ち止まっていた。
『国王の中では、絶対なのですよ。第二、第三のデュランダル=カレイラを生み出す事は』
――――先程のクラウ=ソラスの発言以降、フェイルを囲む空気は明らかに重さを増している。
フェイル自身、自覚はあった。
「デュランダル=カレイラと師弟関係にある貴公にとっては、余り気分の良い話ではなかったのでしょう。やや敬意を欠いた言葉でしたかな」
「いや。お陰でかなりの所まで核心に迫れそうな気がする。教えてくれた事に感謝してるよ」
その発言を最後に、フェイルは歩みを再開し、同時に口を噤む。
背中から発せられる空気は、淀みさえ感じさせるほどくすんでいる――――ようにファルシオンには映った。
「……気にしても仕方ないでしょ。今は」
一足早く歩を進めたフランベルジュが、ファルシオンに軽く肩を当てる。
剣士でありながら軽装な彼女だからこそ出来る、しかし普段は一切試みない類のスキンシップだった。
目的は――――小声で話す為の距離感。
「支えてあげたいんでしょ? 頑張りなさいよ」
「……まさかフランとそんな話をする日が来るとは思いませんでした」
「お互い、そういうの全くなかったしね。リオはあんなだし、貴方もあんなだったし」
「フランもあんなだったじゃないですか」
「そうね」
不思議な空間だった。
過去も未来も、直近にあるのは不穏と緊迫のみ。
それでも、二人は笑い合った。
先程のクラウ=ソラスの意図とは全くの無関係で、ただ純粋に――――笑い合った。
「女性には……我々は中々勝てませんな」
そんな二人を音もなく追い越し、フェイルの隣に並んだクラウ=ソラスが穏やかに語りかける。
ヴァレロン新市街地随一のやり手であり実力者の面影は、存分に残しながら。
「貴公が仕留めようとしているのは、その女性の王たる人物と言っても過言ではないでしょう。どうやら、それだけの人物のようです」
「……ギルドは何処まで情報を掴んでるの? 【ウエスト】とはほぼ蜜月状態だったんだよね?」
「そのウエストが、彼女の……スティレット=キュピリエの傀儡組織であった以上、余り有用な情報とは言えませんな」
「操作されていた……としたら、あのウエスト襲撃はそれが原因?」
「さて。どうでしょうな」
会話は、そこで止まった。
フェイルの足も。
「……この辺りの柱だと思う。どれか一つに仕掛けがあるから、衝撃を――――」
振り返り、女性陣にそう呼びかけようとしたフェイルの声もまた、途中で止まった。
誰かが遮った訳ではない。
隣のクラウ=ソラスが、その刹那に姿を消し――――ほぼ同時に周囲全ての柱から小さい打撃音が聞こえてくる。
それが、フェイルの言葉を途中で無意味なものに換えた。
「このフィナアセシーノは打撃には向いていないのですが……どうやら問題はなかったようですな」
9本の柱の内、最寄りの柱に大きな『ズレ』が生じていた。
「本当、恐ろしい人だよね……」
「恥も外聞もなく集団で戦って正解でした」
フェイルが柱のズレを更に蹴り続け、扉を横向きにするまでの間、クラウ=ソラスは汗一つかいていないその穏やかな顔のまま、柱に背を預け時を待っていた。
「……これでよし。中に縄ばしごがあるから、付いてきて。暗いから気をつけて」
「了解」
フランベルジュのみ声で、他の二人は首肯で意を示し、柱の中へと入っていく。
その間、フェイルは最初にここを訪れた時の事を思い出していた。
カバジェロ、アドゥリス、そして当時はまだ存命だったロキ。
彼等はシナウトの殲滅をフェイルに依頼した。
シナウト自体は、既に存在していないと既に明らかになっている。
あの依頼は、シナウトがまだいるという"幻"を見せる為のものと解釈する事が今となっては可能だ。
シナウトの敵役という体で暗躍していた土賊の存在意義を保つ上でも、それは必要だったのだと。
土賊とフェイルの交渉は決裂した。
だが結果的に、フェイル達の行動はシナウトの幻影を周囲に認知させる事への布石にはなっていた。
『無論、タダでとは言わない。報酬は十分な額を用意する。交換条件でも良い』
あの時の言葉を、騎士であるカバジェロが違えるとは思えない。
それが、フェイルだけが知る一つの根拠。
ならば、この柱の中の隠し部屋に待っているのは、罠などではなく――――
「微かに殺気がしますな」
「大丈夫」
ほんの少し、細い糸のように漏れ出る殺気を感じながら、フェイルは隠し部屋の扉の前に立った。