柱の内部を通路とした、地下空間の更に地下。
微かな殺気が、密閉性にやや欠ける扉の小さい隙間から漏れ出るように伝わってくる。
その正体に、フェイルはある程度予想がついていた。
「……そうか」
同時に、何故殺気を向けられているのかも理解し、後ろに待機するクラウ=ソラスをちらりと視界に収める。
推察が正しければ――――
「フェイル=ノートだ。訳あって今はクラウ=ソラスと行動を共にしてる。ファルもフランも一緒だ」
扉の中へ向けてそう告げれば、殺気は消える。
そう信じて、勝算は濃いもののリスクも伴うその言葉をかけた。
扉が――――ゆっくりと開く。
「……」
まるで手負いの獣のような目をしたヴァールが、息の詰まるような空気をまとい、扉の隙間から姿を現わした。
「え……? どうして……?」
クラウの背後で様子を窺っていたファルシオンの眉尻が跳ねるように吊り上がる。
彼女にとっては、ヴァールの潜伏は想定外だった。
「カバジェロは騎士だった、って事だと思う」
これが報酬の正体、或いは――――決して口外は出来ない悲痛な願い。
どちらに解釈しようと、最早意味を成す事ではないが、フェイルはその崇高な魂に心からの敬意を覚えた。
「よくここがわかったな」
「運が良かっただけだよ。アルマさんも一緒なんだよね? 入っても良いかな」
「好きにしろ」
ヴァールの周囲にあった張り詰めた空気は、余韻を残しながらも急速に萎んでいく。
それは即ち安堵の証。
彼女もまた、追い詰められていたようだった。
そのヴァールが扉を開け、自身の身体を左側にズラした刹那――――室内に、アルマの姿が現れる。
最大の目的であった彼女との再会は、この瞬間に果たされた。
しかしフェイルの心に歓喜は芽生えない。
アルマが少しやつれているように見えた所為だった。
「……アルマさん」
「久し振りだね。無事で何よりだよ」
アルマは、このような状況であってもアルマ=ローランそのままだった。
「もしかして何も食べてない?」
「平気だよ」
常に超然とした雰囲気を持つアルマの様子に変化はない。
例え空腹であろうと、逃亡生活に疲弊し切っていようと、彼女は何処か浮き世離れしている。
フェイルにはその姿が、とても儚いものに見えた。
「これで役者は揃いました、かな」
複雑な心境に絡められ、身動きが取れずにいたフェイルの肩に、クラウ=ソラスの手が掛かる。
その姿を、ヴァールは鋭利な目付きで眺めていた。
「久方振りにお目に掛かります、アルマ=ローラン様」
――――その目が、微かながら見開く。
彼女だけではなく、フェイルも、ファルシオンも、最後尾のフランベルジュもクラウの突然の恭しい言葉遣いに驚きを禁じ得なかった。
言葉遣いだけではない。
クラウはアルマの前に向かうと、その身を最大限に屈め、胸に手を置き深々と頭を垂れる。
まるで、王を前にした庶民の如く。
「この身を未だ現世に留められているのも、貴女あってこそ。深く感謝致しますぞ」
「……止めて欲しいな。そういうのは」
不快感、というには可愛過ぎる、しかし確かな拒否反応を見せたアルマ。
その元凶となったクラウを横切り、フランベルジュが足早に駆け寄る。
「無事で良かった」
たった、その一言。
それがアルマの表情を、普段の彼女とは違う――――何処にでもいる女の子の呆然とした顔へといざなう。
「全くです。そこの粗雑な魔術士が抱えて行った時は、正直困りました」
「誰が粗雑な魔術士だと?」
「何の連絡手段も残さずに、あんな連れ去り方をすれば、普通は悪人に拉致されたと思います」
「……チッ」
露骨な舌打ちは、余りに露骨過ぎて不快感を示すものとしてはやや滑稽だった。
そんなヴァールの様子に、ファルシオンは――――微笑みを浮かべていた。
「大体、行方不明になってた女の子が見つかったのに、気の利いた言葉の一つもかけられない野郎連中はどういうつもりなのかしら。心がないの? アンタ等には」
「……」
ジト目で、どこか戯けた顔で、フランベルジュはフェイルの方を柔和に睨み付ける。
フェイルには、その光景がとても不思議な物に映った。
そして頭に浮かんできたのは――――有事の最中、薬草店【ノート】で過ごした一日。
クラウを除くこの場の全員が、決して心穏やかではないものの、同じ屋根の下で過ごしたあの日が、女性陣の絆を深めたのだと、そこでようやく悟った。
「確かに、敵わないね……」
「貴公もようやく理解したようですな」
アルマのやつれ顔は、今だって変わらない。
だがその顔色は、フェイルが室内に入ったばかりの時とは異なり、明らかに改善されている。
顔色を悪くさせていたのは、自分かもしれない――――そう自戒しなければならないほど、女性陣のたかが一言二言のやり取りがアルマを回復させていた。
「ヴァールさん。手短で良いから教えて。ファル達と別れた後に何があったのか」
「そっちこそ、敵と組んでいる理由を話せ」
緊張感が途切れたのは、確かだった。
室内に、低くくぐもったお腹の虫が鳴り響く。
どちらのなのか――――は表情から明らかだったが、如何に心の機微に疎い男性陣であってもそれを指摘するほどの野暮さはなかった。
「その前に、何処か腹ごしらえ出来る場所があるといいんだけど」
「……」
ヴァールもまた、年相応の女性のように顔を紅潮させ俯いていた。
「……それで、一旦ここへ戻って来たって訳か」
公共性の高い施設には、不慮の事態に備えて必ず非常食を大量に確保している。
ヴァレロン・サントラル医院も例外ではない。
寧ろ上客ばかりを相手にしている病院とあって、例外的なくらいに高品質の食品を大量に供えていたらしく、院内の食堂でヴァールとアルマは目の色を変えパンやガーナッツ、蜂蜜漬の果実などを食していた。
「柱の破壊は最小限しか出来なかったけど、早々に部下が現れた事だし、スティレットへの宣戦布告にはなったと思う」
「そうだな。柱の破壊よりもその部下の発言の真偽を確かめに行ったのは、それなりの根拠があったんだろ?」
「一応は」
「なら構わないさ。これで前段作戦は終了だ」
フェイルから一通りの報告を受けたカラドボルグは、自分を軽んじられているといった受け止め方はしなかった。
性格上、そういった憤慨の仕方はしないだろうという読みもフェイル達の中にあった。
「にしても……まさかこんなメンツで国と戦う事になるとはな」
そして、その発言もまた想定の範疇だった。
勇者計画の最終地点は既にクラウ=ソラスの口から語られている。
国民全員を実験対象とした生物兵器の投与実験による、人間の限界を越えた力を備える戦士の発掘と生成。
それは花葬計画とも密接に関わっており、これらをセットとしての国策なのは明白だ。
「国じゃない。スティレット様だ」
しかし、それを一人だけが否定した。
「スティレット様の持つ権力は、この国……エチェベリアの王家を上回っている」
ヴァールの発言に対し、カラドボルグからの反論は――――なかった。