苛烈――――という言葉が果たして適切か否か。
いずれにせよ、フェイルが戦闘体勢に入ったデュランダルと対峙した際、真っ先に思い浮かべたのがその言葉だった。
王宮での彼は決して全力ではなかった。
ただの一度も、本来のデュランダル=カレイラを見ることは叶わなかった。
叶うとすれば、それは戦場以外にあり得ないと理解するのに、そう時間は必要なかった。
そしてそれは、生活拠点をヴァレロン新市街地に移してからも変わらない。
この地でデュランダルと遭遇した機会はほんの僅かだが、遭遇とは違う形で、それも俯瞰で彼の戦闘を見る機会を得た。
エル・バタラでの試合だ。
王宮騎士団【銀朱】師団長、ガラディーン=ヴォルスとの戦い。
副師団長であるデュランダルにとって、国内で――――或いは世界で唯一の格上となる人物との仕合。
フェイルは密かに期待していた。
ついにデュランダルの本気が見られるのではないかと。
だがその期待は満たされなかった。
のちにエル・バタラが前もって勝敗を打ち合わせていた談合大会だったと知るよりも前、実際に試合を観戦していた時から、既に感じ取っていた。
とてもつない速度。
とてつもない威力。
あのガラディーンを一撃で仕留めた、人類の域を超えた攻撃。
それさえも、フェイルにはデュランダルの全力には見えなかった。
頭の中では違う感想が浮かんでいた。
あれが師匠の真の力なのかと。
だがそれは、ガラディーンに気を遣った理性的な思考による建前のような感想だった。
デュランダルの本質は、試合という形式では出現しない。
彼とそれなりの期間共に過ごしてきた経験か、或いは弟子として接している内に無意識下で気付いてしまっていたのか――――
フェイルはようやく、その答えを得た。
『師匠って、悪だよね』
神速で斬りかかってくる最強の剣士。
それを目の前にしたフェイルは、その場で矢を放つ選択肢を早々に捨てた。
代わりに選んだのは――――矢を番えたままの前進だった。
フェイルの視界はその瞬間、全てが流線を描く。
カバジェロと戦った際に生じた不思議な感覚は、現在も残っていた。
両目を見開いたフェイルは、外界の動きが何故か異常に遅く見えた。
それ故に、接近するデュランダルの表情までも容易に把握出来る。
形は一切崩れていない。
相も変わらず。
だが、感情は確かに動いている。
そう判断し、フェイルは自分の選択の正解を確信した。
突っ込んでくるという予想は、全くしていなかった訳ではない。
だが可能性は低いと踏んでいた――――そんな顔に見えた。
空気が抉られる。
躊躇なく矢は射られた。
デュランダルが想定していたよりも遥かに至近距離――――だが剣はまだ届かない。
この瞬間しかない、そんなタイミングだった。
矢は空を裂きながら、既に剣を振り下ろし始めているデュランダルの腹部に迫る。
物理的に回避不可能だ。
ならばそれは諦め、腕を落として肘で矢を防ぐ以外にない。
矢に毒が塗られていても、腕なら最悪切り落とせる。
腹部に受けるのは絶対にあってはならない。
致命的だ。
「!」
そう――――フェイルは確信していた。
完璧な、二度と出来ない、また二度と巡り会えないであろう、デュランダルを仕留める最大にして最高の好機。
全ての状況が噛み合い、デュランダルもまたアニスの登場に少なからず気を奪われ、完全に集中出来ていないという最良条件の下、虚を突けたという幸運も重なった絶対無二の一手。
それが今、オプスキュリテの柄頭によって叩き落とされた。
振り上げていた剣をそのまま振り下ろした訳ではない。
握った柄を自分の腹に向かって強引に"引きつけた"。
そうする事で、最短距離で自分に刺さろうとした矢を上から叩いた。
お互いが接近し合う中で、矢を柄で防ぐという人外の行為。
それを眼前で見せつけられたフェイルは――――
「!」
そのまま止まらず、全力で弓を振っていた。
デュランダルの剣を握る手に向かって。
「っ……」
先程オプスキュリテが落とした矢の上に、今度はオプスキュリテが落ちる。
フェイルに弓は、正確にデュランダルの左手の甲を捉えていた。
防がれる事を想定していた訳ではない。
だが、どのような超人的防御法だったとしても、驚かない自信はあった。
フェイルはデュランダルを信頼していた。
世界中の誰よりも、彼の強さを信頼していた。
だから、今の弓による一撃も、例え躱されていたとしても一切動じなかっただろう。
「アニス!」
叫びながら、フェイルは床に落ちたばかりのオプスキュリテの柄を全力で蹴った。
それは――――デュランダルの背後を彷徨っていたアニスの足下まで回転しながら這っていく。
「フェイ……ル?」
そこでようやく、アニスは今誰が目の前にいるのかを正確に理解した。
「その剣を持って――――逃げろ! 病院の外はダメだ! 中の何処かに隠れろ!」
剣を蹴った刹那、今度は背後に全力で跳ぶ。
最接近していたデュランダルからの反撃はなかった。
「え……?」
「理由は後で話すから今は言う通りにして!」
「あ……う……うん」
事態など飲み込める筈もなかったが、アニスは狼狽えつつもその場を離れなければならないと感覚で察したらしく、危機感を有した顔で遠ざかっていった。
その瞬間、イレギュラーな事態は全て沈静化し、再び戦闘中の二人は膠着状態に陥る。
果たして――――どちらにとって利があったのか?
そう考えるだけの余白は、少なくともフェイルにはなかった。
「師匠! 取引だ!」
「……オプスキュリテか」
「そう。あれを返して欲しかったらアニスを見逃せ。アニスだけじゃない。勇者一行の二人もだ。残党狩りなんて似合わないでしょ、師匠」
デュランダルからオプスキュリテを切り離す――――そんな作戦があった訳ではない。
弓で手を狙ったのは、なんの事はない、頭なら避けられると判断したからだ。
所詮弓では頭以外は致命打にはならない為、それなら……という単なる次善策でしかなかった。
だが結果として、フェイルは交渉材料を得た。
オプスキュリテはデュランダルにとって長年連れ添った相棒とさえ言える愛剣。
交渉の余地は十分にある。
「お前は……」
そう、思っていた。
「まだ心の中で『実は俺が善意で動いている』と思っているらしいな。だから先刻、俺を悪と罵ったのだろう。自分に言い聞かせる為に」
思いたかった訳ではない。
そう判断するに足る材料はあった。
デュランダルには何らかの思惑があり、その思惑は彼の格に相応しいものであると。
何故なら、それがフェイルの見てきたデュランダルだからだ。
「剣がなくとも、ここでお前を半殺しにして、アルマ=ローランの情報を引き出すなど造作もない」
そう――――信じたい自分がどうしても消えてくれなかった。
「スティレットが逃げるよ。もうかなり遠ざかった」
「構わない。あの女の追跡者は別にいる」
デュランダルの右腕が鳴る。
そう、確かに今、鳴った。
それは産声だった。