人間を剣を突き刺す音を、ファルシオンとフランベルジュは幾度か耳にしてきた。
特に剣士であるフランベルジュは、賊などの悪人を過去に成敗した経験があるため、自ずと間近でそれを聞いている。
だが――――ガラディーンの剣は、彼女達がこれまで聞いたどの音よりも異質で、小さく、そして味気なかった。
「女性の前で首を撥ねるのは、余り好きではないのだよ。悲鳴が嫌いなのでね」
「……」
アロンソの身体が糸の切れた人形と化す。
断末魔の悲鳴さえない。
本来急所を覆う筈の皮鎧がその機能を全く果たしていなかった要因は、剣を入れた角度。
下から突き上げるように、斜めからの角度でアロンソの心臓を貫いていた。
「こう仕向けたのは君だ。実に見事だった」
「貴方は本当に……あのフェイルさんの慕うガラディーンさんなんですか……?」
今更否定する気も、わざとらしい罪悪感を背負う気もない。
それでもファルシオンは、そう聞かざるを得なかった。
「人を待たせているのでな。その答えは後ほど……としよう。再び相見えるならば、だがな」
アロンソの身体を貫いた剣を引き抜いたガラディーンは、その剣を二度虚空に向け払う。
周囲を漂う血の臭いが、一瞬だけ飛散した。
窮地は脱した。
だが同時に、人質に取られているかのような、足枷を付けられたような心持ちになった。
「……」
背を向け歩き出したガラディーンの姿が完全に視界から消えた刹那、ファルシオンはその場で膝を折った。
「ファル……!」
「大丈夫です」
床に伏したアロンソの亡骸を一瞬視界に収め、思わず目を瞑る。
人が死ぬ瞬間を見たショックは決して小さくはない。
「あれは本当に剣聖なの……? まるで別人じゃない」
「わかりません。でも、人の外面など幾らでも取り繕えます。長きにわたって本質を隠していたとしても……あり得ない話ではありません」
自分の喉元に向けて刃を突き立てるような声。
そんなファルシオンの背後で――――
「化物だな。あれは」
先程この場から離れた筈のヴァールが、呆れ気味に呟く。
気配は当然のように消したまま。
「ちょっと……! アンタ、あのヤブ医者を追った筈でしょ!?」
「私があの程度の身体能力を相手に追いつけないとでも思ったか?」
「だ、だったら……」
「それでもこの場に彼がいないのであれば、何かの取引をしたのでしょう。彼を行かせる代わりに」
魔力の残量が少なく疲労を隠せないファルシオンだが、頭は寧ろ普段以上に回転している。
そんな彼女の様子を、ヴァールは普段通りの冷えた視線で見つめていた。
「そうなの……?」
「あの男はスティレット様の居場所を把握している。それを聞いた」
「!」
それは――――完全な不意打ち。
会話中のフランベルジュは勿論、ファルシオンも思わず目を見開いた。
「そんなの、デタラメかもしれないのに……!」
「奴はこう言っていた。『これからビューグラスも交えて一戦やる。その気があるなら、途中で割り込んで来い』」
「それは……」
フランベルジュに対しての答えになっていない――――そう言いかけ、ファルシオンは言葉を止めた。
ヴァールの追跡を逃れる為の嘘であれば、ビューグラスの名前を出す必要はない。
彼女がスティレットの右腕である事は、カラドボルグも知っている。
それでも敢えて、不必要なその名前を出したのは――――
「フェイルさんも連れて来い、という訳ですか」
「それが目的なら、私達から一度離れた説明も付く」
カラドボルグにとって、フェイルと別行動を取るのは計算外だった。
だがそれをフェイル若しくは他の誰かに知られると不都合があった。
だから、その理由を問われない方法で――――
「私達がフェイルさんを連れて来るよう仕向けたんでしょう」
「本当に……? ただ戦うのが怖くて逃げただけなんじゃない?」
「仮にそうでも、私達がそれを呆れたところで何も生みません。行くしかないでしょう」
他にアテはない。
なら、カラドボルグの誘いに乗るのも悪くはない。
それがファルシオンの出した結論だった。
とはいえ――――
「っていうか……だったらどうしてフェイルがいる時にスティレット達の居場所を教えなかったのよ。不自然じゃない」
「フェイル=ノートを必要としている理由も不明だ。それを悟られたくない理由も」
疑問は尽きない。
この状態のままフェイルを探す為に三手に分かれても、フランベルジュとヴァールは集中力を欠いた状態になる。
何処に敵が潜んでいるかわからないこの状況下で、それは危険だ。
「……考えましょう」
ファルシオンは、既に自分が魔術士としての戦力にはなれないと理解している。
それはすなわち、戦闘面では全く貢献出来ない『お荷物』だ。
だから、考える。
自分の唯一の武器は――――頭だから。
「彼が私達から離れたのは……アロンソと対峙してからです」
既に亡き者となったアロンソの身体は、冷たい床と温度を共にしている。
フランベルジュに脚を斬られたオスバルドは、呼吸こそ浅いものの、まだ熱を帯びていた。
彼にとってアロンソがどんな存在なのか、彼の死がどれだけショックだったかは、ファルシオン達に知る由もないが――――
「負傷しているところすみません。貴方たちはカラドボルグと仲間だったんですか?」
答えてくれるとは到底思えない
それでも、聞くだけならタダ。
時間も殆ど浪費しない。
「……」
とはいえ期待値は余りに小さく、その通りの現実が待っていた。
「無駄よファル。話すメリットがそいつにない」
「いえ。もうわかりました」
そう告げつつ――――オスバルドの反応を見る。
何の変化もない。
激痛と出血過多による意識障害が濃厚だ。
「わかった? 何がだ?」
「カラドボルグには、"連れて行きたくない相手"がいたのでしょう。だから皆が一緒にいる時には目的地を知っていても黙っていた。そして、その人物とはもう既に分かれている。でもフェイルさんは必要だから、フェイルさんだけを連れて来るようビューグラスさんの名前を出した……とか」
「……だったら普通に『フェイルを連れて来い』って条件出せば良くない?」
そのフランベルジュの指摘は尤もだった――――が、ファルシオンは静かに首を横に振った。
「『フェイルを連れて来い』と言われた、とフェイルさんに伝わるのがマズいとしたら?」
「成程な……その時点で目論見がバレるか、或いは出し抜かれるという訳か」
「はい。つまり、フェイルさんが何か事情を知っている可能性が高いです」
ならば、目的は一つ。
ヴァールの先の疑問もフェイルに会えば氷解する可能性が高い。
「……良くわからないけど、フェイルを探せばいいのね」
「そういう事です。手分けして――――」
「その必要はない」
――――声は、凛として院内を痺れさせる。
ヴァールは無言ながら、その形相を酷く歪ませ、背後の人間を睨んだ。
感情ではない。
本能が、そうさせた。
「フェイルに出来る事はもう、何もない」
現われたのは、デュランダル=カレイラ――――エチェベリア最強の剣士だった。