軽装でありながら重厚感さえ感じさせる足取りで、デュランダルはファルシオン達を目の当りにしても歩みを止める事なく、冷淡に通り過ぎて行く。
その足の運びは、ただ歩いているだけなのに重心が一度も左右にズレる事がない。
ヴァールはそんな一筋の光のような背中を眺めながら、先程『化物』と形容した人物とどちらが上なのかを考えていた。
「待って下さい。言い捨てるだけ言い捨てて消えられても迷惑です」
もし激昂させれば、この場で瞬きの間に惨殺される。
それを重々承知の上で、ファルシオンは溢れる感情をそのままにデュランダルを呼び止めた。
「どういう事か、せめて最低限の説明を」
「……」
微かに呼吸が荒くなったフランベルジュが、それでも剣を握る手に力を込める。
この場の誰よりも力量の差を正しく把握出来ているヴァールが、それでも踵を浮かせる。
「そうだな。そういう約束だ」
そういった状況の変化とは一切関係なく、デュランダルは立ち止まり半身の体勢となった。
「約束……?」
「聞かれれば答える。そういう約束だ」
「それはフェイルさんとの約束ですか」
「そうだ」
淡々と――――そう心がけていた。
そうしなければ、ファルシオンは自分が自分でなくなると自覚していた。
探す必要はない。
フェイルに出来る事はもう何もない。
これらの言葉の意味を理解出来ないほど、ファルシオンは鈍くはない。
今にも全てを捨てて――――
これまで積み重ねてきた人生全てを捨てて、眼前の男に襲いかかりたい。
そんな衝動を、自身の中のデュランダルへの恐怖さえも活用し、どうにか制御していた。
「問え。多少の猶予はある。誰でもいい」
「なら私が問う」
間髪入れずそう答えたのは、ヴァールだった。
その事実が、ファルシオンの決死の制御を崩壊へと導きかける。
「何を勝手に……!」
「最初に問う内容はお前と同じだ」
そんなファルシオンの不安定さを、ヴァールは見抜いていた。
しかしそれ故の申し出だと気付くほど、ファルシオンは冷静ではなかった。
「フェイル=ノートは今、どういう状態だ」
『誰が』『何を』といったを一切排除した、ただ純粋な――――問。
デュランダルの回答も自然と早くなる。
「戦闘不能。再起も不能だ」
「再起……不能……」
言葉の意味が浸透してこない。
しかしそれは、予想していた最悪の答えとは違うからこそ。
ファルシオンは震える唇を噛み、乱暴に刺激を頭部まで送った。
「生きて……生きているんですか!?」
「死んではいない。が、視力を完全に失った」
「アンタがやったの……?」
フランベルジュの声は、明らかに渇いていた。
どれだけ成長しても――――いや成長したからこそ――――どうにもならない戦力差を実感し、身体が自然に緊張を覚える。
それは痛みと同じ危険信号の部類だ。
「いや。奴の目は消耗品だった。それがつい先程、寿命を迎えた」
「生物兵器……」
「そうだ。生物には寿命がある。無論、生物兵器もだ。あの子の目が見える事はもうない」
――――あの子。
そうデュランダルが表現したのを、ヴァールは聞き逃さなかった。
彼女だけが、この場で一定水準以上の冷静さを保っていたからだ。
「目が見えなくなった敵を殺さず放置したのか。何故だ?」
だからこそ敢えてそう問う。
敵関係にあるかどうか、その真実は重要ではない。
ヴァールはデュランダルの――――スティレットにとって最大の脅威となる存在の踵骨腱となるものを探していた。
「敵? 何故俺がフェイルと敵対する必要がある?」
「フェイルさんは今度会う時は敵同士になると言っていましたよ」
ファルシオンのこの支援も、真実か否かは問題としていない。
フェイルが生きている。
そうわかり、少しの時間を使って気持ちの整理を付けたところで、ファルシオンはこの場を切り抜ける事に全勢力を傾けるよう自分を追い込んだ。
ここでヴァールの味方をした時点で、もう何処にも逃げ込めない。
「自分の敵は自分だけが決める。誰でもそうだろう」
「……普通は降りかかる火の粉も敵と見なすものですが」
「そういうものか」
特に自分を大きく見せようとか、飾ろうとかいう意思がある訳ではない。
少なくともファルシオンにはそう感じられた。
デュランダルは――――外部からの襲撃にまるで脅威を感じていない。
つまり、脅威を感じるほどの敵意を向けられた経験がない。
それだけ、彼の存在が突き抜けている証だった。
襲撃が脅威でないのなら、戦った相手の命を全て奪う必要などない。
道端を歩いている人間が、全ての石ころを蹴飛ばさないように。
「敵という認識がなかった訳か。理解した」
「では次は私が質問します」
今度はファルシオンが即座に切り込む。
その目を見て、ヴァールは口元を一瞬だけ動かし、発声の準備を止めた。
「貴方は関与していないのでしょうが、私は国からの命を受けて勇者計画の一部となりました。だから聞く権利くらいはあると思います」
「回りくどい言い方はよせ。何だ」
「貴方がたは一体何をしたいんですか?」
抽象的――――ではない。
ファルシオンの問いは、寧ろ観念的だった。
だが。
「この国の恥部の一掃だ」
デュランダルの答えは、余りにも簡潔だった。
「それは……生物兵器に侵されてしまった罪もない人々も含まれているんですか。だから死の雨を使って一掃しようとしたんですか。あの雨は生物兵器に特効があるんじゃないですか?」
しかしファルシオンは簡潔に終わらせるつもりはなかった。
「何故そう思う? 生物兵器は元来、魔術対策として生まれた兵器。魔術士なら知っているだろう」
問われる立場をとっていたデュランダルが、逆に問いかけてくる。
ファルシオンは自身の質問が会心だったと、心中で大きく安堵の息を漏らした。
「死の雨はあくまでも実験手段であって、それ自体は兵器として使えません。天候を読む事はある程度は出来ますが、確実性に欠けます。致死率も相当ですから、味方を巻き込む可能性も高い。戦場で役立つ兵器とは言えません。なら……あれは実験に特化した仕組みだったと解釈出来ます」
ずっと暖めていた事。
ファルシオンはある種の切り札をここで切る決断を下した。
「死の雨は、生物兵器由来の毒を雨との反応で生み出すという仕組みであり、実験だと知りました。ならあの実験は、このヴァレロンだからこその実験だったかもしれないとその時、密かに思っていたんです。この街ならでは、この街特有。なんだと思います?」
「……」
返答はない。
ファルシオンは自身の決断が少なくとも間違いではないと確信した。
「指定有害人種ですよ。指定有害人種をあの雨で特定する、若しくはそのまま殺してしまう為に実験に協力したんじゃないか、と」
「ちょ、ファル……それって」
ここまでくれば、フランベルジュにも話の本筋が見えてくる。
そう。
ファルシオンは――――
「だとしたら、指定有害人種を狩る人間が協力している筈ですよね?」
デュランダルを挑発していた。