人魂を連想させるような青白い炎が、廊下の床を這うように前方、後方へそれぞれ移動していく。
その様子をフランベルジュは逃げるように眺めていた。
「どうして貴方がフェイルさんの体臭を知っているのか、それを聞いているんです」
視線を逸らした理由は一つ。
真剣な眼差しでそう問うファルシオンの姿に、どんな感情を抱いて良いのかわからず戸惑っていたからに他ならない。
「知りたいか? いや、それを知ってどうする? お前は別にあの男の恋人でも妻でもないだろうに」
「それは……」
「あの男は薬草士だ。常に薬草の香りを身体から発している訳ではないだろうが、体臭に関しては常人よりも極めて抑えられているのは確かだ。だからこそ、お前は私がそれを知っている事に良からぬ妄想を抱いているのか?」
「っ……」
完全に見透かされ、ファルシオンの顔が屈辱に歪む。
冷静さを欠いているという自覚さえ、今は宙に浮いている。
平常心でないのは明らかだが、それ以上に今のファルシオンはおかしく、自分自身を持て余している感さえあった。
「あのね、そういうのは例え見透かしたとしても黙ってるのがマナーってものじゃないの? 女として、それはどうかと思うんだけど?」
仕方がないので、フランベルジュは決して得意でない分野なのを覚悟の上でフォローに入った。
「先にケンカを売ったのはそっちの青臭い女だ。私は返り討ちにしただけだ」
「返り討ちって……別に仲良くしろとは言わないけど、いつまでそう喧嘩腰なのよ。よくわからないけど、私達に付いてくる以上は少しくらい遠慮するのが……ああもう」
礼儀を説いたところで、眼前の魔術士の心に刺さるとはどうしても思えず、早々にフランベルジュは言葉を失った。
ヴァールが挑発的なのは以前からだが、今は特にそれが顕著。
既に一戦交え、行動を共にしている間柄なのに、仲は改善されるどころか悪化している。
それがフランベルジュには不自然に思えた。
そもそもこれだけ嫌っているのに、何故彼女はファルシオンに絡むのか。
もしや――――
「……まさかとは思うけど、貴方まであの尻尾の事を好きとか言わないでしょうね?」
「馬鹿か。私はスティレット様に仕える身だと言っているだろう。私が関心を抱くのはスティレット様だけだ」
「えっと……それってつまり……」
「俗物が。いつ命を取られてもおかしくない環境でそこまで頭をお花畑に出来るとはな」
「ぐ……」
付き合っていられない、と言わんばかりのヴァールの背中を、ファルシオンとフランベルジュは苦々しく睨む。
その様子を、ヴァールは振り向きながら微笑と共に見下していた。
「ま、あの男の気骨だけは認めるがな。如何にも優男という見た目の割に、まずまず鍛えてある。だから男の趣味が悪いとまでは言わないでやろう」
「な、何を……」
「戦闘に関しては一目置いている、というだけだ。瞬時の判断力に長けているのは弓使いだからなのか、元々の素養なのかは知らないが。常に距離と空間を意識して絶妙な位置取りをしているところも悪くはない」
「……」
気を良くしたのか、ヴァールは饒舌だった。
スティレットといる時は基本無口だが、それでもオートルーリングの話題になると途端に口数が増えていた。
元々喋りたがりの女なのだろうと、二人は認識を改めた。
そして、それよりも――――
「アンタ、どれだけフェイルに詳しいのよ……」
「戦う相手を分析するなど馬鹿でもやる事だ」
「でも、そこまで絶賛しなくてもいいんじゃない? 私だってそれなりに世話になったし良い所も知ってるつもりだけど、そこまで手放しに褒める気にはならないんだけど」
「私が遠慮する理由があるか? 評価をそのまま口にしているだけだ。本人が目の前にいようがいまいが、あの男を臆面もなく愛していると宣う女がいようがいまいが、私が意見を控える理由にはならない」
何処までも堂々と、そして不敵に言い放つヴァールを相手に、フランベルジュは口では勝てないと悟り、降参と言わんばかりに両手を小さく挙げた。
「一つ疑問があります」
一方、隣のファルシオンはずっと俯いていたが、そのタイミングで顔を上げ、ヴァールの目を見て問う。
「また体臭についてか? それなら――――」
「貴女は本当にスティレット=キュピリエを尊敬し、慕っているのですか?」
貫かんばかりの、強い視線。
ファルシオンの瞳が、ヴァールの目を鋭く浸食する。
一瞬の静寂。
ヴァールの感情が停滞している証だった。
その停滞は、爆発前の硬直。
或いは、別の理由。
どちらとも考えられた為、ファルシオンは密かに唾を飲み込んだ。
最悪の場合、次の瞬間にはここが戦場となる。
先程も修羅場のような空気だったが、それはあくまでも馴れ合いの延長線上。
もし、今の一言がヴァールの逆鱗に触れるようなら、冗談では済まされない。
だが、ファルシオンに後悔はなかった。
寧ろ今、ここで聞く以外に選択肢はないと即決した。
一方で、畳みかけて追い込むような真似はしない。
彼女自身確証はないし、何よりいざという時の為に戦闘態勢を崩せない。
意識を自分の言葉に向けられる余裕はない。
ヴァールの回答は――――
「当然だ。あの方がいなければ、私の目的は果たせない。あの方が私に可能性を下さったから私は生きていられる」
ファルシオンが想定していた答えを全て飛び越えた、最大級に平凡な内容だった。
こうなると、二の句が繋げない。
ヴァールの冷静さを目の当りにし、ファルシオンは敗北感さえ覚えた。
「あれ? 戻って来たんだけど」
そんな女性魔術士同士の駆け引きから早々に目を反らしていたフランベルジュは、後方で捜索していた筈のヴァールの魔術が引き返して来たのをいち早く視認し、怪訝な声でヴァールを呼ぶ。
彼女の返答は早かった。
「見つかったらしい」
「!」
余りにも呆気ない発見に、ファルシオンは目を見開く。
先程までの複雑な心境はもう頭と心からは消えていた。
「行きましょう。こっちで良いんですよね」
「ああ。戻って来た速度からして、かなり近い」
「でも、その詳しい場所ってわかるの? あの炎が案内してくれる訳じゃないんでしょ?」
擬似的な自律魔術と呼ばれているその青白い炎は、ヴァールの足元まで戻って来ると、直ぐに霧散した。
「少し歩いたところで、もう一度使えばいいだけだ」
「成程ね。なら――――」
「急ぎましょう。もし本当にフェイルさんの目が見えていないのなら、敵と遭遇した時点で終わりです」
殆ど意味がない行為なのは、ファルシオンもわかっていた。
だが、急がずにはいられず、先陣を切って元来た道を引き返した。