魔術国家デ・ラ・ペーニャと、エチェベリアとの戦争は、決して仕組まれた茶番ではなかった。
元々両国の仲は険悪だったし、きっかけがなんであれ、そして早かれ遅かれ火種が燻るのは時間の問題だった。
ただ、ガーナッツ戦争と呼ばれるこの争いは、非常に謎が多く、曖昧な点も散見される。
いつ開戦の狼煙が上がったのか。
開戦の正確な時期がわかっていないのに、何故十日足らずで戦争が終結したと確定しているのか。
そもそも誰が戦争を終わらせたのか。
どういった状況で勝敗が決したのか。
それ以前に――――何故両国は戦争をするほど不和になってしまったのか。
重要なポイントは、戦勝国であるエチェベリアが、敗戦国のデ・ラ・ペーニャに対し、領土の譲渡などを全く請求していない点。
そして、デ・ラ・ペーニャの教会上位者が本気で敗戦を悔しがっている事。
何らかの取引があって、エチェベリアの勝利という条件で戦争が終結したのなら、デ・ラ・ペーニャの栄職にある面々が心から屈辱を感じる必要はない。
取引の中に『勝敗について殊更他国に喧伝しない』との条約を盛り込めば良いだけだ。
形式上の敗北にしてしまえば、事情を知らない他国は戦略的撤退と見なし、然程気にも留めないだろう。
対岸の火事は、消火活動が終わった後にいちいち火事だった過去を心に留めはしない。
そういうものだ。
だが現実には、エチェベリアの王族は勝者らしく振る舞わないし、デ・ラ・ペーニャの教会上位者は敗者としての無念を噛みしめている。
これは重大な齟齬だ。
この件について、ガラディーンは強い疑念を抱いていた。
剣聖である自分にさえ、情報が全く伝わってこない。
それはつまり、両国のトップだけが知る何らかの事情に起因する。
しかしガラディーンが知る限り、ヴァジーハ8世とデ・ラ・ペーニャの最高権力者である教皇との間に、そういったやり取りをする機会は設けられていなかった。
手紙でのやり取りなど一切ない。
それでいて、国王の懐刀である筈の自分には知らされていない何かが、両国の間で蠢いている。
そんな状態が長らく続くと、ガラディーンは憂慮せざるを得なかった。
誰かが間にいる。
両国の間で何者かが暗躍し、情報を操作している。
ガラディーンがそう判断するのには、相応の理由があった。
戦争時、最前線で戦い続けていたガラディーンは、デ・ラ・ペーニャの混乱を誰より多く目の当りにしていた。
明らかに戦争の準備が出来ていない。
戦闘に特化した臨戦魔術士の数が少なすぎるし、何より集団戦闘が稚拙過ぎた。
当時、魔術士はまだ『騎士の助手』と呼ばれていた。
個人で戦場に立てば即座に切り落とされる、脆弱な存在。
広範囲の攻撃魔術で何人もの歩兵や騎兵を屠る事が出来ても、一度懐に入られたら為す術もなく全滅してしまう。
彼等には、盾となる屈強な戦士が必要不可欠だった。
にも拘らず、戦時中にそのような者の姿は殆ど見かけず、大勢の細身の魔術士が結界を頼りに戦場で震えていた。
戦術・戦略云々以前に、戦争をする覚悟がまるで出来ていなかった。
不可解だった。
何故、そんな状態の国が、戦争など始めるのか。
ガラディーンがそのように思ったのは――――戦争を仕掛けて来たのはデ・ラ・ペーニャの方だと聞かされていたからだ。
それでも、彼はエチェベリアの象徴たる騎士。
戦場で迷いなど許されない。
戦争をする準備が出来ていないのに、戦争を仕掛ける――――そんな露骨な矛盾が目の前にあったとしても、エチェベリアの勝利の為に剣を振り敵の血を流すのが務めだった。
とはいえ、全ての戦場で無双出来た訳ではない。
中には、現状を疑いながらも決死の覚悟で食い止めようとする魔術士もいた。
凶悪なまでの破壊力で、一瞬にして騎士団の十八分の一の戦力が削られた。
十八分の一。
それでも人数にすれば百を超える。
魔術国家であるデ・ラ・ペーニャと戦う上で、数千、数万の兵を固めて動かすのは愚策以外の何物でもない。
集団を一度に蹂躙するのは魔術の醍醐味。
よって、隊を小分けして出来るだけ多くの方角から一度に仕掛け、撃破を狙うのが常套手段だ。
それでも、一つの隊を十人、二十人程度で編成する訳にはいかない。
その結果、小隊が複数全滅する事態となり、百人を超える犠牲者が出た。
戦争だ。
百人や二百人、死んで当たり前。
それくらいガラディーンが割り切れない筈もない。
ただ、戦争が終わり、死んだ顔見知りの焦げた臭いを思い出し、家族にねぎらいの言葉をかける時間が続く中で、ガラディーンの疑念は急速に膨らんでいった。
あの戦争に、一体何の意味があったのか?
彼等の犠牲にどれほどの意義があったのか?
自分達が切り捨てた魔術士は、全員がそうされる運命にあったと――――言い切れるものなのか?
ガラディーンは戦場のど真ん中で勝鬨を聞いた。
それは轟音のように天空を突き刺す声ではなく、伝令だった。
最前線にいる戦士が、そのようにして勝利を知る――――果たしてそれは、戦争と呼べるのか。
答えはわからない。
どれだけ策を弄しても、何処かで必ず躓くか遮断される。
明らかに、情報のスペシャリストが暗躍している。
自分達の国家は、目の前にある。
王城という名の砦がそこにあるから。
踏み入るのも、最上階や最奥の部屋に入る事も、許可さえ得られれば叶えられる。
そんな地位にいる。
これ以上は望めない。
だが、ガラディーンは真実に立ち入る事が出来なかった。
ならば。
それならば――――
「剣聖である事が障害になるのなら、それを壊してしまえば良いだけだと、某は悟ったのだ」
ガラディーンの言葉に、カラドボルグは異様なまでの重みを感じ、思わず自身の肩に右手を置いた。
そこに何かが乗っかっている筈もないが、不思議な違和感を抱いていた。
「剣聖である以上、この国の秩序を乱す行動は蛮行でしかない。故に某は剣聖の自分を破壊すると決めた」
「単に称号を返上するだけではダメなんですね」
その真意をいち早く理解したのはリジルだった。
彼もまた、近い性質を持つ者。
小さな共鳴があった。
「無論だ。"元剣聖"が問題を起こしたとして、それは決して剣聖と切り離される訳ではない。剣聖の称号を汚す行いであろう。ならば、何処までが某と剣聖の接合点か。何処まで某はこの国の軍事に根付いているのか。根付いたもの全てを取り除かなければ、新たな道は切り開けないのではないか。勇者計画の全容を知った時、そう思ったのだよ」
勇者計画――――勇者の称号を血で染め地に落とす計画。
ガラディーンはひっそりと、自分をそこに重ねていた。