「学術国家――――と言えば聞こえはいいのですが、その英知の結晶には自国よりも他国の人材がより多く含まれていたようですな。これもまた、我が国の恥部の一つなのでしょう」
「そうなのかな。違う国の賢い人をたくさん招くのはきっと大変だと思うよ。それって立派なんじゃないかな?」
アルマの言葉に皮肉めいた意図は一切ない。
彼女は自分の思った事をそのまま、何ひとつ飾らずに告げる。
そのアルマの性格を知るクラウは、暫く声を失い、虚空を彷徨うように視線を揺らめかせ、やがて感嘆の吐息を吐いた。
「成程、一理ありますな。ならば我が国は人たらし国家とでも呼ぶべきでしょうな」
「面白いね」
笑顔なきアルマの反応に思うところは特にないのか、クラウは口元を薄く緩める。
眼差しには、何処か懐かしさすら携えていた。
「……かのような時代を過ごし、我が国には他国の様々な情報が持ち込まれました。実験を行う者、結託を企てる者、怪しげな資金や財宝を持ち込む者、技術の封印を懇願する者……無法地帯だからこそ集うそれらの人間は皆、自国の、或いは所属する機関の重要な情報を所有しています。結果、夥しい数の『世界の機密』が集結したのです」
「メトロ・ノームのおかげで?」
「難しいところですな。最初からそういう意図で地下空間が作られたとは考え難いですが、全くないとも言い切れぬ故に」
国内に治外法権区域を設け、そこを実質的な無法地帯とする。
そうすれば、他国から犯罪行為や非道徳的な行為に手を染めたい者が集うようになる。
そして、そのような連中は得てして他国の弱味となるような情報を知っている。
理屈では、確かにないとは言い切れない。
だが現実問題、その不確実な手法の為に、各地域にメトロ・ノームのような巨大な地下空間を作るなど、現実的とは到底言えない。
一体どれだけ途方もない金と人手が必要になるのか。
「経緯はどうあれ、我が国には他国の弱味とも言える情報が集い、それを時の王は資料化するよう命じたようですな」
「資料。書物かな?」
「書物では管理が難しく、他国の間者に漏洩する可能性を否定出来ませぬ故、得策とは言い難いでしょうな。それに、頻繁に必要となる情報でもないので、即座に閲覧可能である必要もないのです」
書物、本の大きなメリットは、開けばそこに知りたい事が書かれてある点。
当たり前の事ではあるが、それこそが最大の利点であり、最低限の手間で記載が見つけられるのは、同時に記載が"見つかる"事を意味する。
本来は、最重要機密は書き記さない方が安全だ。
「よって、書物以外の方法で情報の保管を行う方法を模索するよう、王は命じたようですな。これは極めて難解と言わざるを得ません。確固たる証明である事と、保管・管理が容易に行える事を条件とした上で、情報を残す。これを命じられた人物の苦労が偲ばれますな」
「きっと大変だったんだろうね」
「ええ。しかし先人は知恵を搾り、恐らくは他国の者からも知恵を借り、やがて一つの方法に辿り着いたのです」
クラウは天井を眺めていた。
そこには特に何もない。
天を仰ぐという行為そのものに、彼なりの意味があった。
「ルーンを使用した情報管理ですな」
「ルーン? どういう事なんだろう。此方にはちょっとわからないかな」
「大陸共通語をルーンに対応させるのです。暗号のようなものですな」
魔術文字――――ルーンは二十四の文字から成る、魔力の変換を命令する為の言語。
厳密にはあと一文字存在しているが、それは魔術国家デ・ラ・ペーニャにしか伝わっていない文字で、普段魔術士が使用する事はない。
大陸共通語は、そのルーンよりも少しだけ多い二十六文字。
その文字の組み合わせによって単語とし、そこに文法・文脈を加えた文章によって人々は会話や執筆を行う。
「ルーンのこの文字は、大陸共通語のこの文字、このルーンはこの大陸語……といった具合に、各文字を対応させていくのです」
「ルーンの『F』を数字の『1』、『U』を『2』って設定して、12っていう数字を『FU』で表現する……みたいな感じだね」
「その通りですな。実際には数字は大陸語の数文字の組み合わせで表現出来るので、この暗号化には用いられていませぬが」
要は、ルンメニゲ大陸で使用されている言語をルーンに置き換え、ルーンで情報を管理するという事だ。
オートルーリングの技術にも応用されているが、ルーンの配列を記録する事が出来る物質がこの世界には幾つか存在している。
その物質に、数億、数十億のルーン配列を記憶する事が可能ならば、情報の記載を一旦ルーンで暗号化し、そのルーンを物質に保存する事で、書にしたためずとも情報をその物質に一括して収納出来る。
このような方法で情報が管理されるなど誰も思わない為、その時点で漏洩の危険性はほぼ完璧になくす事が可能。
その上、対応表がなければ単なるルーン配列であり、そを言葉に変換する事は出来ない。
二重のセキュリティがかけられている。
「ただし、ルーンよりも大陸語は二文字多い故に、普通に『一文字=一文字』の設定では全ての大陸語をルーンに当てはめる事が出来ませぬ。そこでアルマ様。貴女はわかりますかな? どのような方法が用いられたか」
「それは難しくないよ。ルーンの二十四文字中、二十三文字を大陸語の二十三文字に対応させて、ルーンの残りの一文字と別のルーンの二文字で、大陸語の残り三文字を表現すればいいんだよ。例えば『D』だけを一文字=一文字の対応には使わないで、『D1』『D2』『D3』で残り三文字に対応させる、とか」
「……見事」
少し考えれば、その結論を導くのはそう難しくはない。
だがアルマは全く時間をかけずに正解に辿り着いた。
この事には大きな意味があると、クラウは理解した。
「ただし、ルーンを用いたこの情報管理の方法には二つの大きな関門がありました。一つは膨大な量の情報をルーン化するまではいいとして、その量のルーン配列を保存出来る物質があるのか。もう一つは、ルーン配列の保存とその引き出しを行える者がいるのか」
「……」
アルマには、少しずつこの話の終着点が見えて来た。
「ルーン配列の記録を可能とする物質は、無事見つかりました。しかし非常に多くの量を必要とした為、集めるのにはかなり苦労したようですな。それでも無事に工程を終了し、残す課題はルーン配列を記憶させる事が出来る人物の確保。というのも、ただの魔術士ではそれは行えなかったのです。隣国の新技術――――オートルーリングにおいては、その物質を特定の形状に加工する事でルーン配列の記録を可能としたそうですが、残念ながら我が国は当時、その発想には至らなかったようです。しかし代わりに、『物質内にルーンを封印する』という発想で、記録を可能としたのです」
説明が熱を帯びる。
そしてアルマは、『封術士』という言葉に対し、静かに瞑目した。
「過去、何人もの封術士が、この役割を担う事となりました」
それは――――この世界に封術士が極めて少ない理由への回答でもあった。