――――古い記憶を、火花が照らし出す。
それは遠くも近くもない、鮮烈な光でもない、錆び付いた鈍色の日々。
それでいて、どこか愛おしくもある、静かな始まり。
「生物兵器……ですか」
「そうだ。聞いた事があるか?」
ガラディーンの口からその名を聞いたのは、デュランダルの記憶が確かならば、その日が初めてだった。
特に何がある訳でもない、穏やかな風が吹く晴天の午後。
王宮内の空気も、いつも通り寒々しく淀んでいる。
「名前くらいは。確か、デ・ラ・ペーニャで生み出された技術でしたか」
「うむ。当初は非魔術士の連中が魔術士への対抗手段として研究を始めたようだが、途中で方向性を変え、人間の可能性を追求する為の技術になったそうだ」
人間の可能性を追求する為の技術――――余りにも胡散臭い謳い文句。
デュランダルはこの時点では然したる興味も抱かなかった。
「つまり、魔術を屈服させる事は叶わなかった、と?」
「ところがそうでもない。魔術を無効化する技術自体は開発が進められ、既に実用化も進んでいるそうだ。確か『魔崩剣』と名付けられたのだったか」
「それは……興味ありますね」
魔術の無効化は、当然ながら対魔術士において絶対的な意味を持つ。
敵のアイデンティティを崩壊させるに等しい。
身に付けられるのならば、是非身に付けたいというのがデュランダルの偽らざる本音だった。
「某も魔崩剣には着目しておる。これがもし使用出来るのなら、単に敵の魔術や結界だけではなく、封術をも無効化出来るであろう」
「封術……ですか」
「余り興味がなさそうだな」
デュランダルは無言で頷きつつ、ガラディーンの真意に思考を張り巡らせていた。
解きたい封術がある。
それも具体的な。
彼の発言からは、そう読み解く事が出来る。
「デ・ラ・ペーニャの邪術にでも関心があるのですか?」
魔術国家にて、自国を崩壊させかねないほど強力過ぎる魔術を禁忌と定め、そのルーン配列を封印しているというのは、以前からデュランダルも耳にしていた。
封術と聞いて最初に頭に浮かんだのはその事だ。
剣聖の称号を得た彼が身に付けてきた技術は、魔術や魔術士を脅威だと感じるほど生半可なものではない。
デ・ラ・ペーニャとの間に起こったガーナッツ戦争の時にも、敵の魔術士をものともしなかった。
だが、もし彼ら魔術士が恥も外聞もなく邪術を用いていたら?
その事は、デュランダルの頭の中にもあった。
「確かに邪術は脅威だが、今はそこまで気にしてはおらぬよ。国防を預かる身として、警戒はしているがな」
銀朱はエチェベリア国軍の要。
その長である師団長を任されている以上、国家の脅威となる存在には常に目を光らせて然るべき。
そういう意味では、ガラディーンの発言は模範的だった。
ここまでは。
「デュランダル。生物兵器の調査を頼まれてくれないか?」
「理由をお聞かせ願います」
「無論、副師団長のお前を動かす以上、説明はする。だがその前に、お前がそれをするメリットを提示しよう」
デュランダルには後悔があった。
先にメリットを提示された時点で、それはもう取引だった。
しかしデュランダルは気付いていなかった。
まさか剣聖ともあろう者が――――そういう先入観があったのは間違いない。
「生物兵器は、使い方と運次第ではお前を飛躍的に強くする」
「……」
俄に信じ難い。
それが率直なデュランダルの第一印象だった。
彼は自覚している。
自分が世界最高峰の剣士である事を。
同時にこうも感じている。
最早、普通の修練では技術を伸ばせはしないと。
既に身体能力はピークを迎えている。
鍛えようがない。
そんな自分が、ここに来て大幅に強くなるなど想像も出来ない。
甘い誘惑がデュランダルに小さくない不信感を抱かせた。
「訝しがるのも無理はない。だが、生物兵器は『命』を用いた技術である以上、強い人間との相性が良い。生命力に溢れた人間に生物兵器を投与すれば、かなりの確度で馴染む」
まるで、専門家のような――――或いはその受け売りのような言葉。
この時点で、ガラディーンは既に生物兵器に魅入られていた。
「某と比べれば、お前はまだ若い。それもまた、生物兵器が馴染むと期待出来る理由の一つ。どうだ? 確実とは言わないが、強くなる手段が存在するのに調べない手はないだろう?」
「……そこまでお詳しいのであれば、私が調査する必要はないのでは?」
「調査して欲しいのは、生物兵器の概念や定義ではない。秘密裏に行われている投与実験に関してだ」
淡々と、ガラディーンはそう告げる。
投与実験、すなわち人体実験。
メトロ・ノームが存在するエチェベリアでは、他のどの国よりもそれが行われている。
「投与実験の結果、人智を超越した、或いはそれに近い力を身に付けた者がいるという。しかも、その中の一部は人格が破壊され、意識が薄れながらも高い攻撃性が認められるそうだ。放置しておけば、市民の脅威になりかねぬ」
「エチェベリアで、そのような事態が起きていると……?」
「うむ」
ガラディーンの情報網をデュランダルは知る由もない。
無論、上司にそれを聞く訳にはいかない。
何より、デュランダルは副師団長として何年もの間、ガラディーンを見続けてきた。
彼が誤った情報によって国を混沌に陥れるなど、ある筈がない。
そこには絶対の信頼がある。
「わかりました。大規模な調査になりますが……」
「構わぬ。表沙汰にしない範囲で、相応数の兵士を投入しても良い。遠征も許可する」
「心得ました」
この時は、ガラディーンの真意に対しデュランダルは敢えて問わなかったし、邪推もしなかった。
ただ、記憶の中に気になる言葉はあった。
アランテス教会ヴァレロン支部の司祭で、エチェベリアにて諜報活動を行っているハイト=トマーシュという名の人物が言っていた言葉。
短くはなかったが、一語一句違わず覚えている。
「魔術の源たる魔力には、人間を次なる生命体に進化させる可能性があると言われています。かつては魔術がその為の最たる技術だと嘯かれていました。大きな根拠はありませんが、仮にそうなったとしたら世界の拮抗が崩れてしまうでしょう。ですから、魔術への対抗策は世界各国喉から手が出るほど欲しいのです。当然、生物兵器への出資は様々な国が行っているます。おいそれと手を出せるものではないのですよ。例え……貴方が次期剣聖であっても」
――――オプスキュリテは、相手の武器を絡め取るのに最適の形状をした特殊な剣。
しかし、その剣がガラディーンの剣を絡め取る事はなかった。
呻りをあげるような一撃が、オプスキュリテを通して自身の手に伝わってくる。
尋常な攻撃ではない。
少なくとも、エル・バタラで戦った時とは全く質が違う。
「どうも私は……貴方に敬意を示し過ぎたようですね。ガラディーン様」
「利用された事が悔しいか?」
「微塵も。貴方は格上でしたから。少なくとも、今この時までは」
お互い声は発していない。
だが会話は成立する。
斬撃で、刺突で、斬り上げで、振り下ろしで――――剣で、二人は意思を確かめ合っていた。