剣聖には格が求められる。
エチェベリア最高の騎士であり剣士であるその称号の持ち主は、国内最高の剣を所持する義務がある。
所有者の手に馴染むか否かは関係なく。
エチェベリアで最も最高と認定されているのは、『レラントルメンタ』と呼ばれる剣。
『稲妻のように鮮烈に、嵐のように激しい一閃を可能とする剣』という意味を持つ名前で、職人国家マニャンを代表する鍛冶師によって作られた、名に恥じないだけの業物だ。
だが、どれだけの逸品であろうと、剣士にとって重要なのは得物との相性。
柄を握った瞬間にそれはわかる。
ガラディーンは剣聖の称号を得た日、レラントルメンタを手にした。
そして悟った。
この剣は自分には合わないと。
無論、そのような理由で国内最高の一振りを拒否する事は出来ない。
ガラディーンはその日から、手に馴染まない、肌に合わない、しっくり来ない武器を愛剣として装備する事となった。
そして、その日から――――彼は自分に言い訳をするもう一人の自分の存在を認めた。
衰えではない。
才能が及ばないのではない。
努力が足りないのではない。
剣が悪い。
感覚と一致しない武器を操っている以上、そこにはどうしてもハンデが生まれる。
なら、理想とする戦いが出来ないのは、致し方ない。
そう囁く自分が常に傍にいる。
そしてその声は、日に日に大きくなっていく。
ガラディーンはそれを己の弱さ、未熟さだと把握していた。
彼は決して道を踏み外した訳ではない。
弱さを自覚するのは、正しい道を歩んでいる証拠。
それと向き合う事も出来ていたし、寧ろ克服すべき弱点が露呈したのは、己の道を邁進する求道者としては歓迎すべき事だった。
その筈だった。
今、目の前にいる男が台頭するまでは。
「レラントルメンタではないのですね」
自身の愛剣、オプスキュリテを受け止めたガラディーンの剣を目の当りにし、デュランダルは目でそう訴える。
彼もまた知っていた。
ガラディーンが、剣聖にのみ所有を許可されたその剣を使いこなせていないのを。
「某はお前ほど器用ではないのでな。剣は手に馴染む物しか完璧に扱えぬ」
「なら、その剣が貴方にとって最高の剣であると」
「そうだ。一切の言い訳は許されない、某にとって最良の剣。血は争えぬものだ」
声なき声が示すのは、文字通り問答無用の肯定。
ガラディーンの握るその剣は、ハルが愛用していた物だった。
本来ならば魔崩剣に使用する為の武器。
それはガラディーンにとって、大きな意味を持つ。
彼の生きている目的そのものを果たす為の鍵となり得る。
「元々は、彼女の願いを叶える為の剣だった。その為に手に入れた。だが今は、某の生きる意味を果たす為の相棒に他ならぬ」
「馬鹿な。私を倒す事が、本当に貴方の生涯の目的だと言うのですか。貴方ほどの御方の」
「そうだ。某はお前に勝つ為に生きて来たのだ。デュランダルよ」
鍔迫り合いから、お互い角度の異なる斬撃で衝突音を鳴らす。
それだけで、会話が成立する。
意思の疎通が可能となる。
無言のまま、二人はこの場に立つ意味、そして斬り合う意味を共有していた。
「オジサマ。私は一足先にあの娘の所へ行っておくわねン。必ずその剣を持って、後を追ってきて頂戴ン」
「無論だ。その為の契約だったのだから」
「……」
ガラディーンの言葉が過去形だったのを噛みしめるように、スティレットは口元を歪ませ、部屋を後にした。
無論、デュランダルには止められない。
今、ほんの一瞬でもガラディーンから意識を逸らせば、それが致命的となる。
「僕等も邪魔みたいですね。敢えて膠着状態を維持しているのを見る限り」
二人の意図を感じ取ったリジルは、カラドボルグの背中を僅かな力で叩いた。
「貴方が彼女を追わない理由も、追えない理由もわかっています。でも追うべきです」
「……」
「貴方にとって最悪なのは、魔崩剣がアルマ=ローランに使用される事。だから貴方はここに残りたい。それはわかります。でも、巻き添えを食らって死んでは意味がないし、流通の皇女の傍にいれば、彼女を庇うナイト役の席も、もしかしたら空いているかもしれませんよ」
「遥か年上だからって、知ったような事を言うなよ」
若き医師の目に、光はない。
彼の目は、死に支配されている。
「そんな席は最初からないのさ。あの女にはな」
部屋を出る事には同意し、ゆっくりとした足取りで扉へと向かう。
その足音に希望はない。
だが、絶望もない。
「俺が治せるのは人間だけだ。なら、この場に俺は必要ない」
「それは生物学的に、という意味ですか?」
「医学的にだよ」
その言葉に納得を得たのか――――リジルは部屋を出る刹那、ガラディーンに向かって深々と頭を下げた。
敬意を示す動作。
リジルという人間を深く知る者がこの場にいれば、目を疑ったとしても不思議ではない。
そして、室内は二人だけになった。
同時に、お互いの殺気が滑稽なほど膨張する。
気圧されれば、遅れれば、その時点で全て飲み込まれる。
主導権を奪われた瞬間、圧倒的な力が下流へと押し寄せていく。
お互いにその感覚を共有していた。
「甘いと、そう思われても」
剣を構えてから初めて、デュランダルが肉声を発した。
「貴方と戦う理由が私にはないのです」
「理由ならある。あのような計画の一環でしかない見世物の試合で、某から剣聖の称号を譲り受けるつもりか?」
敢えてデュランダルを後方へと押し退け、距離を作りながらガラディーンも肉声で応える。
憎いから敵対しているのではない。
会話の余地がない訳ではない。
「某は未だ剣聖ではない。あの剣を操れず、それを言い訳に己の不完全さを肯定するような弱き者が剣聖であろう筈もない」
「レラントルメンタを使いこなせる事が、剣聖の条件だと?」
「無論、そうではない。某にとって、剣聖の条件など然したる意味はない。お前が剣聖に相応しいか否かも。某は――――」
一閃。
明らかに剣の届く距離の倍以上離れているその場から、ガラディーンは斬撃を繰り出した。
刹那、デュランダルの頬から赤い血が一筋、流れる。
「お前に剣聖を奪われぬ為に、お前を倒す。お前という脅威を駆逐する事が、某の生きて来た意味。鍛錬し続けてきた意味よ」
「……剣聖になりたくば、この戦いに勝利せよ。そういう事ですか」
「死にたくなければ、だ。それがお前の戦う理由なのだ」
会話は途切れ、二本の剣が舞う。
お互い、相手の力量は知り尽くしてる。
どれだけ剣を振ろうと、剣筋を見極めようと、それが勝利に繋がる事はないと、うんざりするほど理解している。
デュランダルに迷いはない。
最早、ガラディーンに何を言ったとしても、この戦いは回避出来ない。
「……っ!」
上段から下段、そして流れるように右から左への薙ぎ。
それ自体は珍しくもないコンビネーションだが、ガラディーンの繰り出す剣は全てが獰猛。
迅さや力、タイミングと緩急、その総合力でデュランダルの剣を弾こうとする連撃がなめらかに繰り出される。
「某は――――」
剣が語る。
嫌というほど。
「お前の才能が憎くて仕方なかった」
そう叩き付けてくる――――