防いだと思った剣に力が乗っていない。
予想と異なる手応えにほんの一瞬でも戸惑えば、全く違う角度から猛スピードで襲ってくる次の斬撃に反応が出来なくなる。
かといって、精神をフラットにして違和感を全て排除出来たとしても、今度は渾身の一撃を真正面からぶつけられ、気合い負けしてしまう。
ガラディーンの攻撃は、大半が計算され尽くしていて、更に変幻自在。
それでいて、稀に感情に特化した思考なき一撃が繰り出されるのだから始末が悪い。
何より、計算を放棄した攻撃の方が鋭さが増すのだから、尚のこと厄介だった。
デュランダルにとって、直属の上司であるガラディーンの剣筋は、全てにおいて馴染みがある。
彼が好む角度も、コンビネーションも、抑揚も、全て頭に入っている。
それはガラディーンも同じ。
どういう攻撃ならデュランダルにとって想定内か、意外性に富んだものになるか、完璧に理解している。
そういった戦いはどうしても長期戦になってしまうもの。
加えて技量も拮抗している以上、読み合いになるのは避けられない。
デュランダルは防戦一方になる事を嫌い、やや強引に反撃を試みようと隙を窺う。
剣聖の慈悲なき連撃を捌きながら、その上で攻撃に転じるタイミングを計るのは、例え超一流の剣士であっても至難。
だが――――
「む……!」
ガラディーンが思わず呻き声をあげるような、ほんの一瞬――――肺に空気が不足した微かな呼吸の隙間を突いて、デュランダルは剣を振る。
予備動作は一切ない。
手首だけを返し、ガラディーンの手を狙った微小な動き。
オプスキュリテは――――それでも空を切った。
この剣は、極めて扱いが難しい。
収める鞘の面積は通常の剣と殆ど変わらないが、剣身そのものの形状は余りにも常軌を逸している。
まるで天に向かって伸びた植物の蔓のように、不規則なうねりによって形成されている。
剣身が波打つ武器自体は、他にも存在している。
だがその大半は、左右対称に作られた物。
オプスキュリテの場合、一目でその形状の全てを把握するのは極めて難しい。
だからこそ、ほんの僅かな距離感の取り違えが起きやすい。
それは暗器を相手にした場合、致命的となり得る。
大抵は毒を塗り込んでいるからだ。
オプスキュリテの剣身は漆黒に彩られている。
そういった武器はほぼ例外なく暗器に属するもの。
掠めただけでも身体に害を及ぼす危険性が極めて高い。
当然、ガラディーンはその事を知ってはいる。
ただし確証はない。
例え相手が上司であろうと剣聖であろうと、自分の得物の情報を提示するほどデュランダルは楽観的ではない。
そこを詳らかにするのは、信頼の証ではない。
強者の共通認識だ。
「デュランダル」
戦いの最中、ガラディーンが口を開く。
当然、意味のない会話などする筈もない。
二人の距離はお互いの剣が届く距離にはないが、踏み込めば直ぐにでも射程内に入る。
「アレは使わないのか? エル・バタラで某や勇者に使ったアレは」
ガラディーンが指摘した『アレ』が何を示しているのか、デュランダルに理解出来ない筈もない。
右腕に仕込まれた、人在らざるもの。
発動すれば不可避の一撃が前方の敵を襲い、瞬く間に葬り去る。
デュランダルがかつて欲した、己の限界を超えた力。
どれだけ修練を積んでも決して手に入らない、外部から得る事でのみ可能となった必殺の一撃。
既に制御はほぼ完璧に出来ているし、実戦でも問題なく使えている。
不意打ちだから機能する攻撃などではない。
発動に多少の溜めが必要で、神経への激痛も免れないが、流れの中でも十分に使用出来る。
何より――――オプスキュリテとの相性が余りにも良過ぎる。
不可避の一撃を、毒塗りの不定形の剣で繰り出せば、例え事前にその攻撃が来ると読めていても、それどころか突きのタイミングをドンピシャで当てられたとしても、完全回避は殆ど不可能。
この性質を得た時点で、デュランダルは一対一の戦闘において無敵となった。
その筈だった。
「……私が力を得る事は、この国にとって有益だと言い聞かせては来ました」
生物兵器を用いた技。
他者の力を借りた身体。
それ自体は、恥ずべき事ではない。
何もかも自分の力でなければならないのなら、剣も自分で作らなければならない理屈になる。
だが――――デュランダルは理解してしまった。
自らこの性質を得た事で、把握してしまった。
「この右腕は……余りに安易過ぎる。武人ではなくなってしまう」
決定的だったのは、エル・バタラの決勝戦。
勇者としての力に目覚めつつあったリオグランテに対し、全力で屠る事がせめてもの餞であり礼儀だと思い、敢えて使った。
まだ少年だった彼を殺した自分の右腕は、まるで他人の物のようだった。
人を斬り捨てた数は、二桁では到底足りない。
戦争を経験した時点で、大抵の罪人を上回る数の命を奪った。
後悔はない。
その全ての瞬間を覚えているから。
頭だけでなく身体も。
全て、騎士であり武人である自身の責任のもと、敵対する人間を貫いてきた。
だが、あの決勝戦でリオグランテを倒した一撃は、今もまるで実感を持てない。
本当に自分があの攻撃を繰り出したのか、他の誰かが暗殺を企てたのではないか――――そんな事さえ真剣に考えてしまう。
「某に、あの一撃は繰り出せぬ。だが……防ぐ事ならば出来るやもしれぬ」
不意に、予想しなかった言葉がガラディーンから発せられ、デュランダルは思わず目を見開いた。
「もしそれを某が実現したならば、お前にとって救いになるのではないか?」
何もかも見透かしたような、それでいて核心を敢えて避けるような、優しくも温かい声。
常にそうだった。
剣聖ガラディーン=ヴォルスの存在は。
警鐘が鳴る。
不快感を覚えるほど。
デュランダルの決断は、オプスキュリテを握る右手が脱力した事でガラディーンにも伝わった。
あの攻撃は、渾身の一撃ではない。
筋肉が強張っていては使えない。
「打ってこい。不可避の一撃――――『必中の右腕』を」
ガラディーンの挑発は、慈悲の御心か、それとも駆け引きか。
その答えは、余りにも呆気なく明らかになった。