「――――果たして誰が最初にここへ来るか、私なりに考えてはいたのですよ」
落ち着いた、それでいて何処か実体の感じられない空虚さを含んだ声が本棚のない書庫に響く。
そんな自分の声を、クラウ=ソラスは自覚していた。
ライバルはクラウを『偽紳士野郎』と称していたが、実に的を射た評価だった。
他の誰よりもクラウがそう理解し、そして歓喜していた。
評価自体がどうあれ、自分を正しく捉えている人間がいるのは喜ばしい事だ。
かつてヴァレロン新市街地で貴族の主という立場にあったクラウは、自身の持つ特異な才能を持て余していた。
領主でありながら、圧倒的な身体能力と戦闘技術を持つ人物――――それがマドニア=スコールズだった。
だがその才能は、今の時代は活かされない。
戦場を貴族が駆ける時代もあったが、現在はそのような風習はなく、貴族に戦いを求める者もいない為、まさしく宝の持ち腐れだ。
そして、娘より先に自ら投与した生物兵器によって、彼の才能は暴走した。
果たして適合なのか、それとも汚染なのか。
マドニアは異常な治癒力を手に入れ、死ねない身体となった。
尤も、それがわかったのは実際に死にかけてから。
ヴァレロン新市街地にいる間はそのような経験をする筈もなく、外見が大きく変化したものの、健康上は問題ないと判断し、娘の命を救う為の手段として生物兵器の投与を許可した。
その後のスコールズ家は地獄だった。
主が別人の姿になり、娘は壊れてしまった。
命を繋いだ代償とはいえ、余りに大きかった。
しかし皮肉にも、クラウ=ソラスという第二の人生を得た事で、彼の人生は急速に才能と噛み合った。
街を出て腕を磨き、王宮にスカウトされ、戦闘の中に己の余生を見出す、本来あるべき姿へと近付いた。
その後、本来所属する筈だった暗殺部隊の設立が頓挫した事で、彼は再び居場所を失う。
だが同時に良い機会でもあった。
既に長い年月を経ていたが、かつて自分が貴族として治めていた街へと帰還するのならば、このタイミングしかないと断定した。
クラウ=ソラスとして訪れた故郷では、スコールズ家はすっかり大人しくなり、二大傭兵ギルドが幅を利かせていた。
ウォレスを新たな拠点としたのには、十分な理由があった。
もし自分がラファイエットに入れば、拮抗が崩れる。
ギルド内の一強が二強になり、街中の二強が一強になってしまう。
そうなれば、スコールズ家はますます影が薄くなるだろう。
クラウはヴァレロン新市街地におけるバランスを常に考えていた。
いずれかの勢力が突出しないように、場合によっては死神らしく間引きも行った。
そんな彼を、ラファイエットの大隊長――――バルムンクは快く思う筈もなかった。
クラウはずっと、彼から疎まれているのを自覚していた。
だがクラウ自身は、バルムンクに思うところはなく、寧ろ唯一の理解者であり好敵手だと捉えていた。
けれど、戦いたいとは思わなかった。
欲しいのは戦闘欲を満たす相手ではない。
競い合う相手だった。
「もし、流通の皇女が真っ先に辿り着いていたのであれば、私には都合が良かったのですが。しかし現実はやはり甘くはないですな。アルマ様の前で正体を露呈するなど想定外。彼の来訪は、残念ながら歓迎は出来ませんでした」
「ならば、私の来訪はどうですかね?」
「一切、頭にありませんでしたな」
クラウの前に現れた、二人目の襲撃者――――
「キースリング=カメイン。スコールズ家を没落させた人間がここに何の用ですかな?」
自身の名を呼ばれ、宝石商キースリングは不敵に笑む。
かつてスコールズ家の寵愛を受け、このヴァレロンで一大権力を築き、そして裏切った中年の男。
相変わらずの肥満体型で、直接戦地に赴くような人物には到底見えない。
殺そうと思えば一瞬で始末出来る。
その理由もある。
だが、クラウは動かない。
この男が単身でメトロ・ノームの最深部に現れるなど、ある筈がないからだ。
先程までこの部屋でうずくまっていたアルマは、今はいない。
正確にはいない訳ではなく、この場にいるのだが――――キースリングはそれを認識出来てはいない。
そしてクラウもまた、彼女の正確な現在地は把握出来ない。
彼等が立っているのは、そんな不穏な空間だ。
「いやはや。まさか、かつてこの私を可愛がってくださった貴方と、このような場所で再会するとは……」
クラウがスコールズ家の主だった過去は、最高級のプロテクトによって保護されている。
それを知っている時点で、キースリングの情報網は既に事切れている一人目の襲撃者、デルだったのは間違いない。
諜報ギルド【ウエスト】ではなく、彼個人と契約していたと推測される。
だが、情報源がデルとは限らない。
キースリングには――――
「私の用件は些事に過ぎません。少しばかり、散歩の範囲を広げただけですよ」
当事者である可能性もある。
クラウに対し、娘への生物兵器の投与を打診したのはヴァレロン・サントラル医院だったが、そう命じたのが彼だとしたら?
既に宝石商として成功し、一財産を築いていた当時の彼ならば、それも不可能ではない。
「解せませんな。貴公は宝石商の筈。何故そこまで行動範囲を広げているのか」
「優れた宝石商はある段階で、宝石の限界を知るのだよ」
丁寧語を止める。
それはかつて自分を支えてくれた恩人に対し、牙を剥く行為に等しい。
「宝石で得られる金は際限なくとも、得られる満足感は限度がある。私はもっと、大きなものを動かしたい。私に相応しいスケールのね」
「このヴァレロン新市街地を、ですかな」
「丁度良い具合いの答えだよ、マドニア様。国と言わないところが、己の立場を理解しているだろう?」
敢えて、かつて呼んでいた名を当時のままの敬称で使う。
挑発なのは明らかだ。
「残念だが、今の私は一介の富豪に過ぎぬのでな。謙虚に、まずはこの街を牛耳るところを着地点とする。その為には、まだまだ邪魔者が多い」
「邪魔者を始末する為にここへ来たと」
デルと全ての情報を共有していたかどうかは、この問い掛けに対する回答で判明する。
キースリングの答えは明瞭だった。
「その通りだ。ここに必ずビューグラスが来る。恐らくは流通の皇女も。私が今始末したいのは貴方ではなく、あの連中なのだ」
全てを知らされてはいない。
もし世界の恥部について知っていれば、その強欲さから即座に覗こうと試みるだろう。
アルマ=ローラン及びメトロ・ノームに対する知識はないに等しい。
だが、既に最高峰の権力者として君臨しているヴァレロン新市街地に関しては、勇者計画と花葬計画も含め、かなりのところまで把握している。
クラウはそう結論付けた。
「貴方には随分と世話になった。どうだろう。今一度協定を結ばないかね? あの頃とは多少、立場は違ってくるが」
そして、静かに全神経を集中させる。
この場にいるであろう、彼の不敵さの根拠となる存在に。