「……どうやら、私にはどうする事も出来ない相手のようですね。貴方は」
今のが自身最高の攻撃であり、奥の手。
ハイトはそう述懐したも同然の言葉を吐き、その場に膝を突く。
精神的な疲弊ではない。
急激に魔力を失った事に起因する倦怠感に襲われたからだ。
「本国でもまず使用されない魔術だったのですが。一体どうやって防いだのか、後学の為に教えて欲しいですね」
「大した事ではありませんな」
一歩、また一歩と足音なく近付いてくるクラウに、ハイトは諦観の眼差しを向ける。
その歩く姿には一点の隙もない。
貴族出身とは到底思えない、生粋の死神が――――その鎌を獲物の首に添えた。
「誘爆の意義は、広範囲に高い殺傷力を発揮する為。なれば、一つ一つの炎の爆発は威力重視、範囲軽視と判断するのが妥当。爆発の光と音に惑わされなければ、自ずと安全領域を見極められるものです」
「……初見でそれを確信したというのですか」
「他に出来る事はありませんでした故。言うなれば苦肉の策ですな」
そう言いながらも、クラウに危機感はなかったとハイトは理解する。
そして同時に、自分の終焉も覚悟した。
「さて、貴公が私と同等の治癒力を持つのであれば、首を切ったところで絶命はしないでしょう。尤も、暫く再起不能にはなりますが。そしてこの局面では――――」
「致命的です。私の目的は潰える」
最早、自分を隠す理由もない。
観念したハイトは、最後の務めを果たすべく、今すべき事に集中する道を選んだ。
「私の負けです。どうぞ、何でもお聞き下さい」
「護衛対象が逃れる時間を稼ぐ為、ですか。良いでしょう。もとより、あの男に関心はありませんので」
かつて自分の家を没落させた人物に対し、クラウは最大限の侮蔑を唱える。
まだ気配のある出入り口の傍でこちらに聞き耳を立てているならば、安い誇りと怒りに判断を誤り、再度現れる――――そんな小さな罠。
仮に誘いに乗らなくても何の問題もなかったが。
それより遥かに重要な情報源が目の前にあるのだから。
「質問というよりも確認に近いですが……貴公が先程使用した魔術でわかった事が一つ。あれは恐らく、貴公の母国デ・ラ・ペーニャでは使用を禁じられている邪術ではないですか? もしそうなら、貴公はデ・ラ・ペーニャの中枢にいる魔術士の命を受けている訳ではないと判断しますが、如何でしょう」
「その通りです。教皇が変わって、抜本的な改革が行われましてね。私のような法に反した人間は、皆遠くに飛ばされたのです」
以前の体制で邪術が容認されていた訳ではない。
だが、そこまで厳正な処分が行われていた訳でもなく、半ば黙認状態だった。
しかしロベリア=カーディナリスが新たな教皇になって以降、邪術の存在はより厳しく排除され、秘密裏に習得していた者すらも徹底的に調査し、事実上の国外追放処分が科せられた。
魔術を捨て、他国で別の道を歩む者。
魔術を悪用し、野盗や悪人の用心棒となる者。
復権を目論み、他国の権力者と結びつく者。
移民となった者達は、己の未来を見据え、様々な可能性を模索した。
「この邪術は父から教わったものでしたので、父もまた追放処分となりました。彼はそれ以前から酒に溺れ、研究者としては使い物にならなくなっていたので、司教の立場を使ってこの街で支部を立ち上げました」
「ヴァレロンを選んだ理由は何ですかな? 私の想像通りであれば、その時点で既に貴公は生物兵器に浸食されていた筈ですが」
「……自分の人生を見透かされるのは、余り良い気がしませんね。その通り、私はガーナッツ戦争時、生物兵器に冒されました。以来、貴方と同じ死ねない身体になり……死ぬ術を探していました」
不老不死。
それは誰もが望む、究極の夢であり野望。
擬似的とはいえ、それに近い体質になった一部の指定有害人種は、本来なら羨望の対象となって然るべきだが――――
「なってみなければわからないものですな。所詮は人の道を外れた『化物』。周囲からは不気味がられ、自身もまたいつ崩壊するかわからないのですから、安寧とは程遠い」
生物兵器に浸食されている以上、いつ自我が乗っ取られても不思議ではない。
事実、クラウは既にそうなりつつある。
自分が自分でなくなるのなら、幾ら身体が現存していようと、死と何も変わらない。
「都合良く生物兵器だけを死滅させる物があれば、それが最良でしたが……どうやらこの生物兵器は魔力に寄生するようですから、それは不可能のようですね。貴方の生物兵器はどうなのですか?」
「さて……恐らくは貴公のと似たようなものでしょう。私の場合は最早私の半身となっております故、切り離せばこの身も滅ぶでしょうな」
「そう推察出来る事例が幾つも認められています。生物兵器への拒絶反応だけで死亡するケース、浸食に耐えられず死亡するケース……いずれの死体も、魔力が完全に消失しているようですよ。つまり、生物兵器を取り除けば、その瞬間に魔力の枯渇が起こり、それに耐えられずに死に至る。よって除去は不可能」
「なれば、浸食され己が己でなくなる前に、死の手段を模索する……その為に貴公は、薬草と毒草の権威が住むこの街を選んだのですな」
「ビューグラス=シュロスベリーが、生物兵器に関する研究を行っているという話は聞き及んでいましたので。彼ならば、我々を死滅させる毒を開発していても不思議ではありません」
そして、その推測は的中した。
ビューグラスはヴァレロン・サントラル医院と組み、世界最悪の毒グランゼ・モルトを用い、生物兵器を殲滅する研究を行っていた。
「彼に近付く為、まず娘に近付きました。娘が生物兵器の被験者と知り、娘を救う為に研究しているとばかり思ったのですがね……」
ハイトは、アニスの悩みを誰より理解出来た。
それでも彼女は決して心を開かなかったが、血液の視認という歪んだ欲望を満たす為の支援を行い続けた事で、一定の信頼を得た。
お互い、利用し利用される間柄だった。
その筈だった。
「……不思議ですね。今の私は、彼に救いを請おうとは思っていません。私がここへ来たのは――――」
「ビューグラス=シュロスベリーを諭す為。或いは殺す為、ですか」
クラウのその指摘は、完璧なまでにハイトの思考をなぞったものだった。
「戦争時に生物兵器を蔓延させたのが彼なのか、別の何者かなのかは、私の知るところではありませぬ。だが……生物兵器を生み出し、発展させ、広めた者全てが憎い。特に第一人者となれば、尚更ですな。その気持ちは理解出来ます故に」
「恐らく、顔を見れば十中八九、後者の感情が勝るでしょう」
「残りの一、二は……同情ですかな?」
アニスに対し、一度も父親らしく接して来なかった男への――――憤慨。
「……どうやら、答えはすぐに出そうです」
本棚なき書庫に、複数の足音が響き渡った。