冷ややかな目。
それは常にヴァールが携えた、一つの真理だった。
彼女は常に心を凍てつかせている。
例え多少心が揺れようと、勝負に敗北しようと、その点は絶対に変わらない。
その根底にあるのは――――オートルーリングとその生みの親に対する怨恨に他ならない。
「貴女は、私がオートルーリングを推奨する立場である以上、決して心を開かないでしょう。私も、貴女がオートルーリングを否定する以上、心を許す事はありません」
「その点だけは、最初から気が合うな。私も貴様も、決して相容れない相手とこうして長く時を過ごしている。愚行極まりない」
「ええ。でも、私は貴女を毛嫌いしている訳じゃありません。恐らく……貴女も」
ファルシオンの言葉は、ヴァールの顔を歪ませ、フランベルジュの目を見開かせた。
それくらい、意外な一言だった。
「私がオートルーリングという技術の誕生を素晴らしいと思うのは、魔術の利便性を飛躍的に向上させたからじゃありません。勿論、それも最高峰の功績ですが、それ以上にこの技術は大きなものをもたらしました」
「……」
ヴァールは何も言わない。
これまでなら頭ごなしに全否定していたにも拘わらず、険しい顔のまま、ファルシオンの言葉を待っている。
その様子に、フランベルジュは更に目を大きく開いた。
「勇気です」
「……勇気だと?」
「貴女なら知っているでしょう。ルーリングを自動化・高速化する研究自体は、遥か以前から行われていました。でも誰一人成果をあげられず『一攫千金論文』と呼ばれるようになっていました」
肯定も否定もしないヴァールを見届け、ファルシオンは話を続ける。
それは、彼女自身にとっての原点でもあった。
「開発に成功すれば大金を手に入れられる。でもそこに挑むのは、他の研究者との競争に敗れ一か八かに頼らざるを得なくなった落ち目の人間だけ。不可能と認めるのが恥ずかしくて執着し続けただけの、無駄で無意味な研究のなれの果て……そこまで言われても尚、この技術の芽は腐らなかった。死ななかった。そして、偉大な一人の魔術士が、見事に大輪の花を咲かせました」
「……」
「この事実に、一体何人の魔術士が勇気を貰ったか。貴女がわからない筈がありません。貴女だって、同じように長年燻り続けている新魔術の開発に着手してきた一族の末裔なのですから」
「黙れ」
「貴女はオートルーリングを邪道と言いますが、それが毛嫌いする理由ですか? 魔術士の堕落を生むから不快? そんなのは欺瞞でしょう。貴女は――――嫉妬しているんです。先に革命を起こした新技術に」
その指摘は、冷淡な言葉運びでゆるやかに行われた。
内容と比べ、感情の起伏は極端なほどない。
そして、それに対するヴァールの反応も――――
「……黙れ」
拍子抜けするほど弱々しいものだった。
「ちょっとファル。言い過ぎよ」
「今まで散々罵られてきた事を思えば、可愛い反撃でしょう」
すました顔でそっぽを向くファルシオンに、フランベルジュは思わず首を横に振る。
そうではなく、ヴァールの逆鱗に触れれば何をされるかわからないという懸念がフランベルジュにはあったからだ。
だが、そんな彼女の心配とは裏腹に、ヴァールは屈辱のただ耐えていた。
或いは――――
誰かに指摘して欲しかったのかもしれない。
そう思わせるほど、彼女は大人しかった。
「……私は貴女が嫌いです」
対照的に、ファルシオンはここでようやく感情を乗せた。
憎々しさをそのままに。
そして、もう一つの確かな感情もまた、そのままに。
「そして、貴女を尊敬しています。魔術を、魔術士を前に進めようとする研究に携わって、それを形にした貴女達一族を凄いと思います。だから……協力を惜しみません」
自己犠牲ではない。
フェイルを探す為の手段を持つ唯一の存在、ヴァールに対し奴隷契約に近い条件を出したのは、自分の信念がそこにあるから。
ファルシオンはそう言いたかった。
「貴女はフェイルさんを同胞だと思っている筈です。彼もまた、弓を守る為に誰もやらなかった事に挑戦してきた人ですから。そんな貴女だから、嫌いだろうと、過去に何を言われていようと、私は――――」
「うるさい」
苛立ちを叩き付けるかのように、ヴァールはそう告げた。
「……ここまで多弁とは思わなかった。話せば話すほど胡散臭くなるとは思わないのか?」
「思いますよ。話せば話すだけ、自分が安く見られるとさえ思います。ましてここは、敵の本拠地みたいなものです。ここで持論をぶつけるなんて愚の骨頂です。今の私はどうかしてます」
「ファル……ちゃんと自覚あったんだ」
明らかに場違いな発言の連続に、ファルシオンの精神状態を本気で心配していたフランベルジュは、少し安堵した。
フェイルが行方不明になって以降、彼女は明らかに浮き足立っている。
だがそれは、動揺や焦燥に起因する変化ではなかった。
「それでも、今の私にはこうするしかないんです」
魔力が尽き、最早戦力にはならない。
それでも、リオグランテの死の責任を取らなければならない。
フェイルが――――愛しい人が生きてここを出られるようにしなければならない。
その為に、最善を尽くしているだけだ。
「……私も貴様が嫌いだ。おぞましいくらいだ。話していると反吐が出そうになる」
感情の吐露。
それは、ファルシオンに敢えて乗っかった瞬間でもあった。
「だから、貴様の協力なんて要らん。私は私の意志であの男を見つけ出す。スティレット様との契約を破棄してでも」
「……え?」
「私はあの男とも契約した。スティレット様を止めて欲しいと。あの男なら、それが出来るかもしれないと感じたからだ。軟弱な見かけの割に狡猾で獰猛な奴だからな。利用価値はある」
並べる言葉は決して綺麗なものではなかったが――――ヴァールがスティレット以外の人間を高く評価している事に、ファルシオンは違和感を覚えた。
「違ってたら悪いけど……アンタ、もしかしてフェイルの事気に入ってる?」
そしてそれはフランベルジュも同じだった。
「それを聞く意図がまるで不明だ」
「うわ……否定しないよ」
思わず一歩後退するフランベルジュとは対照的に、ファルシオンは二歩前に出た。
身長差のある二人が、静かに睨み合う。
先に声を発したのは、ヴァールだった。
「貴様は寝ていろ。魔術の使えない魔術士など、いても何の役にも立たない」
「盾くらいにはなれます」
「邪魔なだけだ」
一人狼狽えるフランベルジュを余所に、二人の睨み合いは続く。
しかし、両者は目を合わせてはいても、意識は重なっていなかった。
「盾になるつもりなら、一度だけでも結界を使えるようにするんだな。数分の睡眠でそれくらいは回復する」
「……あ」
追跡用の魔術を用意し始めたヴァールが背中を向けた刹那――――ファルシオンは思わず俯いた。
自分の顔が何色かを把握して。