ヴァールの自律魔術もどきによる、スティレットの探索。
それは彼女にとって、一つの区切りだった。
今まで自分が頑なに守っていたものを捨てるのだから、並大抵の事ではない。
人生観そのものの破壊。
それくらいの覚悟で、ヴァールはルーンを綴っていた。
「本当に眠るの? っていうか、眠れるの?」
「……」
ヴァールが探索用の魔術を綴る最中、ファルシオンは室内の壁に寄りかかり、瞑目したまま動かずにいる。
寝息は全く立てていない。
そもそも、敵地で寝るという行為自体があまりに無謀であり、まず無理なのは本人もわかっている筈だった。
だが、取り敢えずやってみた――――などという姿勢で臨むようなファルシオンではない。
まして、ヴァールにそれを見せる為のアピールで無謀な行為をするような性格ではない。
それをわかっているからこそ、フランベルジュは心配な様子でファルシオンを見つめていた。
そして同時に、自分の存在意義を自身に問いかける。
ヴァールはスティレットを止めようとしている。
ファルシオンはフェイルを助けようとしている。
二人とも、自分にとって大切な人を守ろうとしている。
ならば自分はどうなのか?
勇者一行の一員として、リオグランテの死を許容する訳にはいかない。
一方で、エル・バタラという由緒正しき武闘大会における試合の中で起きた事を何処まで恨めば良いのか、実のところわからずにいる。
剣の道で生きている訳ではないファルシオンとは違い、フランベルジュは正当な試合における正当な戦いの結果を受け入れる覚悟は常に持っている。
あの大会は勇者計画の為に利用されたものではあったが、少なくとも決勝戦において、故意の反則や非道は一切行われていなかった。
ならば、デュランダルの行いは責められるものではない。
仮に殺す気で攻撃していたとしてもだ。
反面、最初から勇者を亡き者にするのが勇者計画であるならば、その計画に荷担していた時点で問答無用に悪だと断ずる事も出来る。
けれど、それなら――――今、目を瞑ったまま動かずにいる彼女もまた、その範疇に入ってしまう。
フランベルジュはずっと悩んでいた。
誰を恨めば良いのか。
その範囲は何処までにすべきなのか。
答えは出ない。
例え作られた道であっても、剣士としての晴れ舞台で散ったリオグランテの生き様は否定したくない。
彼の死を冒涜したくない。
けれど、同じ目的を持って一緒に旅した仲間を蹂躙した連中を許す事など出来る筈もない。
「……」
答えは出ない。
原因はわかっていた。
ファルシオンを恨みたくないからだ。
「集中しているところ申し訳ないけど、一つ聞いてもいい?」
一度入り込んでしまった袋小路から抜け出せなくなったフランベルジュは、ヴァールに救いを求めた。
「ルーリングをしながら会話が出来ない魔術士などいない」
遠回しな物言いだったが、ヴァールの返事は確かな肯定。
それに安堵し、フランベルジュは――――ファルシオンが聞いている前提で、敢えて口にした。
「これから私が貴女達と一緒に行く意味は、あると思う?」
「……今更にも程があるな。ここまで進んできておいて、覚悟が出来ていないのか?」
「冗談でしょ。こっちはもう何度か死にかけてるんだから。そういう意味での覚悟なんてとっくにしてるし、ブレてもいない。単純に、私が戦力になるかどうかを知りたいの」
成長している手応えはあった。
実際、今やフランベルジュは傭兵ギルドの隊長級の実力はある。
だが、これから彼女が踏み入れるのは、デュランダルをはじめ猛者だけが生き残った最終決戦の地。
中途半端な実力の自分に何が出来るのか。
そんな不安はどうしても拭えない。
「貴女やファルは、魔術で奇襲をかければ格上相手でも一泡吹かせる事が出来るでしょう。結界で守る事も。でも、私の場合は自分の身を自分で守る事さえ出来ないかもしれない。潰しが効かないっていうか……戦力になれない気がして」
格上相手の戦い方を学んだ事で、どれくらい上の相手にまで通用するかがわかるようになっていた。
客観的に自分の実力を量れるようにもなっている。
だからこその迷い。
そして何より、全てを捨てて――――夢も命も捨ててまで挑むだけの動機を、フランベルジュは見出せずにいた。
「ずっと仇討ちの気持ちでやって来たのよ。リオを失った事が、どうしても許せないし、悔しいし、悲しいし。でも、あの子は正々堂々戦って散ったの。それは純然たる事実で、そこを私がフザけるな許せないって罵るのは……それは、勇者として生きようとしたあの子への侮辱になるんじゃないかって……思って」
「下らない悩みだ」
一蹴。
ヴァールは魔術を編綴し終えるのと同時に、そう切り捨てた。
「戦う理由を死人に押しつけるな」
「……っ」
短い、そして的確な一言。
言われて最も傷付き、最も心を抉り、そして最も芯に届く答えをヴァールはくれた。
「そう……よね。色々理屈をこねて、リオに押しつけようとしていたのね。私」
「もう一つも下らない悩みだ。戦力になるかどうかなんて、この期に及んで言っている場合か。目の前の敵を倒す事だけ考えろ。お前に出来るのはそれくらいだ」
「私の頭では?」
「そうだ。お前にフェイル=ノートやそこの小狡い女のような真似は出来ないだろう。出来る事以外を出来ると思うか?」
「思わない」
自分でも驚くくらい――――フランベルジュは自然に笑えた。
今まで気が付かなかったが、ヴァールとは価値観が似ていると、そう感じたからだ。
「それに、お前には重大な役割があるだろう」
「何よ」
「ファルシオンを運ぶんじゃないのか? 当然、私はやらない」
気付けば――――ファルシオンは寝息を立てている。
信じ難い事に、彼女はこの状況で睡眠をとっていた。
「別に驚く事じゃない。魔力を消費し尽くした魔術士は強烈な睡魔に襲われる。寧ろ、今までそれを強引に撥ね除けていたんだろう」
「にしたって……ま、度胸は私よりずっとある子だけど」
呆れつつ、尊敬しつつ、フランベルジュは脱力したファルシオンを背中に担いだ。
それでもまだ起きない。
眠りはかなり深いらしい。
「行きましょう」
潜在していた迷いを振り切り、フランベルジュが誘導を促す。
ヴァールは特に頷きもせず、スティレットの匂いを探知する青い炎を放った。
「あ、それともう一つ聞きたいんだけど」
「しつこいな。なんだ」
「貴女にとってファルってどういう存在? まさか恋敵って事はないでしょうね?」
その不思議な質問に対し、ヴァールは――――
「……下らな過ぎる。ここは村娘の遊戯場じゃない」
妥当な言葉を重ね、そして意外な言葉を引いて、そう答えた。