「お前は儂の息子だ。そう認めるからこそ、理屈を越えた部分で確信が持てる。お前にアルマ=ローランを見殺しには出来ぬだろう。つまり、その時点で儂を止める事など不可能なのだよ」
執拗に繰り返される勝利宣言に対し、フェイルの光なき目は静かに空を見ていた。
無論、空などここにはない。
あるのは空――――空っぽの繋がりだけだ。
「長かった……一体どれだけの数、どれだけの時間を費やし想像したのだろうな。今、この瞬間の未来を」
ビューグラスは己に向けて語りかけている。
まるで、自身の中にもう一つの意思があるかのように。
「この場にいる全員に問いたい。君達は、お前は、貴方は、一体どれだけの時間をかけ、情熱を傾け、犠牲を捧げ、世界の恥部に辿り着いた? それを覗いて何をしたいと考えていた? 何を得ようとしていた? 何を背負って、ここまでやって来た?」
問いかけている対象は、実のところ言葉通りではない。
ビューグラスは既に、自分の勝利を確信している――――訳ではない。
彼もまた、必死の最中にいる。
「儂は、15年余りの年月を費やしてきた。大した数字には思えないかもしれぬが、学者として得られる地位も名声も富も栄誉も全てくれてやった15年だ。今の儂は薬草学の権威ではあるが、それ以上ではない。流通の皇女、エチェベリアの未来……そのような肩書きには遠く及ばぬ。だが儂はとても満足しているよ。欠落したものなど、これから得られる恩恵に比べれば微々たるものだ」
「そこに、『家族』や『親子の絆』はないの?」
ビューグラスはフェイルを子と認めた。
ならば、フェイルの質問には必ず答える。
その口から漏れる言葉に、情などなくとも。
「無論、ある。お前やアニスと共に生きる未来もあった。儂の後を継いで、新たな薬草学の新鋭となるお前の未来も、もしかしたらあったかもしれぬな」
「……それを捨てて得ようとしたものは、一体何?」
「決まっている。薬草の絶対性だ」
絶対性――――すなわち比肩する存在のない、唯一無二である事。
ビューグラスの15年は、その証明の為に捧げられた。
「自律魔術を研究する一族の者よ。君は自律魔術の果てに、何が生まれると思うかね」
「果て……? それは自律魔術が進化した先という意味か?」
「そうだ。つまりは魔術の未来。何が生み出される?」
余りに漠然としたその問いに、ヴァールは戸惑いを隠せない。
彼女にとって、自律魔術は常に身近であった為、進化そのものは感じ取っていても、その先までを見越してはいなかった。
「自由意思を持った魔力は、限りなく人の本能に忠実なのだと思います。魔力は人の源泉ですから。だとすれば……本能の中で最も強いもの」
逆に、自律魔術とは遠い位置にいたファルシオンの方が、答えに辿り着くのは早かった。
「種の保存。その為の自己防衛……回復魔術でしょう」
「見事。その通りだ、若き魔術士よ。自律魔術は進化を続ければ、必ずそこに辿り着くだろう」
ビューグラスのその持論に対する反応は、無に等しかった。
普段ならスティレット辺りは食いついたかもしれない。
だが、この場で彼と議論を交わそうとする者は最早いない。
「もし魔術で人体を治療出来るならば、回復が可能となるならば……将来、薬草はその地位を失う。攻撃魔術の台頭で、弓矢が居場所を失ったようにな」
「……」
嫌な時間をフェイルは過ごす事になった。
今この瞬間――――親子であると感じざるを得なかったからだ。
紛れもなく、二人は思考が似ていた。
「攻撃魔術は元々、人間が恐怖を感じる自然現象を無意識下で模したもの、との解釈が有力とされている。魔力が自律していないからこそ、人間が最も安直に抱く表層的な『恐怖心』が何より先に立ったのだろう。だが魔力が人間とは独立し、客観性を帯びた場合、恐怖の根源たる『種の保存』へと辿り着く筈。儂はそう見ている」
「その結果が、回復魔術か」
ヴァールにとっては寝耳に水の見解。
自分達の一族の研究が、そんなところに繋がっていようとは夢にも思っていなかった。
「研究自体は、遥か古代から幾度となく行われていた。人を癒やし、人を生き返らせる魔術が生み出せないかと。だが魔力の自律化に目を背けた時点で、魔術士達の進化は止まった。薬草士にとっては幸運とも言える時代が続いた。だが……儂は不安だった。いつ魔術に薬草が淘汰されるか。その予兆がないか、常に気になっていた。デ・ラ・ペーニャの地を訪れたのも、教皇に近付いたのも、本当は最先端の魔術を知りたかったからだ」
「でも、回復魔術なんてものは作られていなかった」
「そうだ。だが……あの国は歪と言うべきだろう。教皇すら知り得ない魔術が存在している」
邪術。
そう呼ばれる禁忌の魔術が、デ・ラ・ペーニャには存在している。
そしてその中には、国内ではなく隣国――――このエチェベリアの無法地帯メトロ・ノームで研究されていたものも含まれていた。
「万が一、その中に回復魔術があるとすれば……そのものがなくとも、回復魔術に辿り着く情報や手がかりがあるのだとしたら……決して他人に見られてはならない。故に、世界の恥部に届き得る者を絶滅させる事が唯一の防衛策と思っていたのだがな。まさか一人しか覗けぬとは。流通の皇女には見事に欺かれたものだ」
ヴァールという切り札を失ったスティレットに、今のところ再起の目はない。
ビューグラスの讃える声にも反応を示さない。
それがフェイルには無気味に感じられた。
「いずれにせよ、回復魔術の可能性については知っておかねばなるまい。なければ良し。だがもしあるのなら、早急に手を打たねばならないのでな」
それが、ビューグラスの真の目的。
薬草学の権威としての出世、学問の発展を放棄してまで手にしたかった知識とは――――薬草の妨げとなる技術の有無という、極めて後ろ向きのものだった。
『悲しいね』
不意に、声が聞こえた。
それはフェイルにとって最早、驚くには値しない事だった。
「これでわかっただろう、フェイル。儂はお前の敵ではないし、害でもない。自律魔術の発展を願うそこの魔術士にとっては、或いは敵かもしれぬが……」
「当然だ。自律魔術の発展を邪魔するつもりなら、私が許さない」
「回復魔術の一切の研究を行わない。そう約束するのであれば、邪魔をするつもりはない。寧ろその契約に従い、他の魔術士を牽制してくれるのならば、儂にとっては都合が良い」
「……」
ヴァールにとって、回復魔術は目標でも何でもない。
考えてもいなかった可能性の一つが潰されたところで、大きな問題ではない。
全て、ビューグラスの予定通りに事が運んでいた。
世界の恥部を覗けるのは一人――――その予定とは違う事態に遭遇しても、まるで動じずその後の行動を修正し、ここまで漕ぎ着けた。
紛れもなく、天才だった。
「本当に」
誰にも聞こえていない声に、フェイルはそう応える。
悲しい、そして空しい決断だった。
「貴方は僕の敵だよ。ビューグラス=シュロスベリー。だから貴方は僕が止める」
「……」
彼の本当の目的がわかった時点で、フェイルはそう結論付けた。
期待していた訳ではない。
だが心の何処かで、片隅で、本当はアニスを救おうとしていたんじゃないかと、そう願っていた。
何も叶わない。
思わず自嘲気味な笑みが零れそうになる。
「大層な口を利く割には、具体的な手段は何も――――」
「書庫の"何処か"にあるんだよね? その毒は」
魔力にしか作用しない毒。
だからこそわかる。
わかってしまう。
炎症が。
彼女の苦しみが。
「僕は、その在処を知っている」
見えない目で、フェイルはその場所を見ていた。