具体的な根拠は何もない指摘。
しかし、仕掛けとしては悪くない着眼点。
そんなフェイルの問い掛けに対し、ビューグラスは微かに目を細め、口元を手で覆いながら凝視していた。
「……やはり……」
思わず漏れそうになった声を、噛み砕くようにかき消す。
その先の言葉は、ビューグラスにとって明るい材料とは言えなかった。
口に出せば、それが更に具体性を増す気がした。
「やはり発想が似ている。血は争えない。そう言いたかったんですか?」
だが、それを見逃さず捕らえ、的確に攻める。
ただしそう口にしたのはフェイルではなく――――ファルシオンだった。
「親と子の思考パターンが似るのは、珍しい事じゃありません。貴方の懸念はきっと正しいと思います」
「親と……子だと?」
思わず口を半開きにして呟いたハルをはじめ、フェイルとビューグラスの真の関係を知らなかった者。
既に知っていた者。
それぞれがファルシオンの発言に反応を示す。
この混沌とした感情の波を、フェイルは必ずマイナスではなくプラスにする。
その絶対的な信頼があったからこそ、ファルシオンは敢えて口を挟んだ。
それも、他人の家庭の事情に。
「……成程。儂が用意していた全てをフェイルが打ち砕く。その準備をしてきたと、君はそう言うのか」
「後は本人と話したらどうでしょうか。私は部外者ですから」
当然、ファルシオンは知らない。
この最終局面に至るまでに、フェイルが何をどう予想していたのか、どんな準備をしていたかなど、知る由もない。
別行動が余りに多かったのだから。
それを暗に攻められた気がして、フェイルは思わずバツの悪い顔を浮かべた。
「期待に応えられるような事は何も用意してないんだけど……もし貴方の脅迫材料が魔力にしか効かない毒なら、やりようはある」
「本当にあるのかね? お前は魔力というものを勘違いしている。魔術士が魔術を使う為の燃料とでも思っているんじゃないかね?」
「まさか。別に知りたくもなかったけど、色んな事を懇切丁寧に教えてくれる師匠を持っててね。その師匠の認識によると――――」
この世界の大半の人間が、魔力を『魔術士の才能』『魔術の源』と捉えている。
実際、そういうものと位置付けられてもいる。
だが、違った。
「誰の中にもあって、活かされていない力。活かす余地のある力。人類の進化の可能性。僕の見解だと、魂と呼ばれるものと最も近い印象だけどね」
魂、すなわち精神的実体。
想像上の概念に過ぎないが、同時に誰もが自覚している。
魂が宿っているからこそ、自分が自分であり続けられると。
「私も同じ認識だ。私の一族が研究していた自律魔術は、魔術に意思を持たせる技術。それはつまり、魔力には元々意思があるという前提が必要だ」
自律魔術の専門家でもあるヴァールが、フェイルの発言を前に沈黙を守れる筈がなかった。
しかし会話に混ざる事は出来ない。
彼女は今、全神経を集中させてスティレットを見張っている。
自分が引導を渡す形になったが、それで心が折れるような女性ではない事をヴァールは誰より知っている。
例え生物兵器に自我を浸食されているのだとしても。
彼女単体でアルマ=ローランの封印を解く事は出来ないが、もし何らかの方法でそれが出来ると悟れば、行動に躊躇はないだろう。
その時、自分は何をすべきか。
どうする事が最善なのか。
人知れず、ヴァールの苦悩は続いていた。
「よろしい。正しい理解だ。先程の発言はお前を侮っていた。素直に詫びよう」
「必要ないよ」
ずっと――――
ずっと悩んでいた。
「親が子を軽んじるなんて、珍しくもないしね。謝られても反応に困るだけだよ」
自分が息子である事を、どう表現すべきか。
何をどうやっても、どんな感情を抱いていたとしても、血の繋がりは否定出来ない。
一切無視して、『一度も親と思った事がない』と突っぱねるのは簡単だ。
でもそれは事実と反する。
けれど、息子だと主張したところで、この薬草の権威には何ら響きはしない。
『実の子を捨てた』とか、『危険に晒した』とか、『関心を持って欲しい』とか、そんな真っ当な訴えを彼に向けて叫んだところで、何も届きはしない。
「貴方が僕を正しく評価する事は出来ない。それが、貴方の懸念材料だ」
届くとすれば――――意識の外。
自分ではコントロール出来ない、無意識下における情動。
例え何年生きても、どれだけ研鑽を積んだとしても、それはどうする事も出来ない。
ビューグラスに対抗するには、息子出ある事から逃げてはいけない。
フェイルは、その心構えを入念に行ってきた。
この日の為にではなく、いつかの日の為に。
「……随分と大層な口を利く。お前が魔力を正しく理解しているのはわかったが、それで『魔力に効く毒』をどうやって防ぐつもりだ? 防げなければ、私に対抗する手段などない。私を瞬時に殺したとしても、毒はすぐこの部屋に充満し、お前達の"魂"とやらを喰らい尽くす。待っているのは死だ。身体は無事でも、精神が死ぬ」
事実上、ビューグラスはフェイルの主張を認めた。
すなわち、彼の用意した毒は魔力のみを対象とした魔力殺しの毒。
「そんな毒が本当にあるとして、簡単に俺等を全滅させられるってのかよ?」
かつて魔術士殺しの異名を持っていたハルは、なんとなくビューグラスに嫌悪感を抱き、そう悪態を吐いた。
だが、意外とそのなんでもない問い掛けは、ビューグラスの興味を引いた。
「良い質問だ。確かハル君だったな。この場にいる誰より君は核心を突いている」
「ンな一つも心がこもってない褒め言葉は要らねーんだよ。俺が聞いてるのは……」
「ハル。僕達はもしかしたら死なないかもしれない。魔力が毒されれば、スティレットみたいに人格が破壊されるかもしれないけど、きっと命までは落とさない。でも――――」
「魔力そのものであるアルマさんは即死です」
フェイルの補足、そしてファルシオンの解答が全てだった。
ビューグラスが用意した毒は、通常の人間の精神を汚染し、アルマを殺す。
それはつまり、世界の恥部の消失を意味する。
自分の健全性を失う恐怖。
アルマ=ローランを失う恐怖。
世界の恥部を覗けない恐怖。
この三つの恐怖を全て素通り出来る人間は、この場にはいない。
そんな人物がここへ来る意味がない。
数多の研究と実験、そして長年の準備を経て、ビューグラスはその毒こそが最適解と判断した。
「フェイル。お前は恐らく、自分が壊れる事など恐れないだろう。世界の恥部にも興味はあるまい。だが、アルマ=ローランを見殺しには出来ない。決して出来ない。儂にはわかる」
切々と語るビューグラスの顔が――――
「親だからな」
いやらしく、そして醜く、徐に歪んだ。