青年は医師だった。
名をカラドボルグ=エーコードといい、10代にして医学界のホープと騒がれるほどの逸材だったが、スティレットはその肩書きよりも、彼の異色とも言える経歴に関心を持った。
医師の両親を持ったカラドボルグだが、彼は12歳まで格闘家として育てられた。
人体について学ぶ為だ。
格闘家は、如何に他者の肉体を破壊するかを常に目標としている。
破壊の度合いは年齢によりけり、また人によりけりだが、いずれにせよ相手をどう壊すかが地位や名声に直接繋がる職なのは言うまでもない。
そして同時に、自分がどの箇所にどれだけの衝撃を受けたら、どれくらいの痛みが生じるかを最もわかりやすく経験出来る。
人の身体を知るには、格闘家が最も手っ取り早く、そして合理的だった。
13歳になったカラドボルグは、身体を鍛えるのを止め学問の道へと進む。
医師を目指す為には当然、然るべき所で医学知識を学ばなければならないが、その為の教育機関『医道院』は狭き門で、相当な入学金と教本代を必要とした。
だが、カラドボルグの父が医道院の運営機関で医学界を牛耳る医師会の一員だった事から、便宜を図って貰いすぐに入学出来た。
当初は親の威光に頼った子供として、周囲から白眼視された。
しかし直ぐにその声は消える。
カラドボルグはその年入学した誰よりも優秀で、誰よりも貪欲だった。
彼がまず学んだのは、体液についてだった。
汗や血液をはじめとした、人間の身体から出てくる液体を重視し、それがどのような状態であれば何処に異常が生じているか――――それを徹底的に理解した。
格闘家としての経験から、既に人体に対する理解が深まっているカラドボルグは、外科学を中心に学んでいた。
だが同時に、内科学に対しても一定のアプローチを続けた。
それ自体は珍しい事ではないが、彼ほど貪欲に外科的であり内科的でもある院生はいなかった。
15歳になる頃、カラドボルグは壊死した四肢や指の切断手術を誰よりも迅速且つ丁寧に行える腕を身に付け、一部の医師から『切断の貴公子』等と呼ばれていた。
彼は、痛みを軽減させる薬草を好んで使用した。
鎮痛効果の高い薬草は、脳にまで作用し最悪廃人化に繋がる為、時の医学においては『危険な試み』と言われ禁忌視されていたが、カラドボルグは独自の調合チームを組み、危険度の少ない麻酔薬を完成させた事で、誰より優しい外科医となった。
そして、それからカラドボルグは麻酔に傾倒するようになった。
人を一時的に死に近い状態にする事で、痛みを和らげ、状態を安定させる。
これを極めれば、より危険な状態の人間を治す事が出来る――――そう考え、様々な麻酔薬の開発に腐心した。
「貴方が夢中になっているそれ、ただの麻薬じゃないの?」
初対面時、スティレットは心底楽しそうにそう問いかけた。
もし医師に対して同じ事を言えば、ただの侮辱では済まされないだろう。
医学を敵に回すに等しい発言だ。
だが、カラドボルグは楽しそうに笑った。
そして素直に『その通りだよ』と返した。
中毒性や依存性が高く、幻覚作用のある薬草は、麻薬として使用を禁じられている。
携帯している事自体が悪だ。
だがカラドボルグに罪の意識はない。
彼は言う。
『今、俺が手にしているこの草は紛れもなく麻薬だが、これを麻薬と認定したのは医師じゃなく政治屋だ。何故俺達が、専門家でもない連中の言う事を聞かなくちゃならないんだ?』
その発言の是非は兎も角、スティレットは悪びれもせず自分の欲しい物を手にし、自分のやりたい事をやっているこの青年を、素直に気に入った。
天才と持て囃されても気にも留めず、上司に媚びを売り地位を得るなど一切眼中なく、周囲の目など無視してやりたい放題。
自分が歩んできた道を、この青年が肯定してくれているとさえ感じた。
価値観の一致から、二人はどちらから言うでもなく、恋人のような関係になっていた。
スティレットは医学界に繋がりを求め、カラドボルグは麻酔の原料となる薬草の入手ルートを確保できるスティレットを重宝した。
社会人としても、一介の人間としても、二人はお互いを必要とした。
「あら、恥ずかしい記憶。知ってた?」
照れている様子など微塵もなく、そして感情などまるでこもっていないような冷淡な声で、スティレットがそう呟く。
彼女の記憶がフェイルの頭の中で、まるで馬車から遠くの景色を眺めているかのように、緩やかに流れていた。
『一応、二人がそういう関係だったのは聞いてるけど』
そう答える自分の声が、まるで自分の声に聞こえない。
主体的に発した筈なのに、何処か他人の声を聞いているように感じる。
今はスティレットがより表に出ている状態だと、なんとなく悟った。
「この頃はあたしもまだ若かったのよね。親に恥をかかせないよう頑張らないと、って本気で思ってたくらいには」
『今は親を恨んでるの?』
「そんな感情、ただの一度も見つけた事はないのよね。きっと何処かにある筈なのに。あたしが父親に思っていた事は一つだけ。無能ってだけよ」
辛辣――――という言葉では表現出来ないほど、スティレットの言葉は複雑怪奇だった。
自分の方が遥かに優れていた為、父親のやる事が全て低次元に見えたのであれば、話は簡単だった。
だがスティレットの声からは、そのような感情はまるで読み取れない。
「ボルグちゃんは、親には感謝していたみたいね。だからあんな、中途半端な人間になったんでしょうけど」
医師会ナンバー11の一員、つまり医学界のトップに20代で名を連ねているカラドボルグに対し、スティレットの評はどこまでも手厳しかった。
だがこちらは単純でもあった。
失望がありありと浮かんでいたからだ。
「ここからが、あたしのターニングポイント。そろそろ死ぬ頃ね」
『……ハイトさんみたいに、一度死んで生物兵器の浸食で死ねない身体になったんだね』
「ええ。あたしの場合、生物兵器が混入したのは偶然でもなんでもないけど」
それは、ある程度フェイルも予想していた。
のちに流通の皇女と呼ばれるようになる彼女が、生物兵器について無知であるとは思えない。
或いは既にこの時点で、商品の一つとして扱っていても何ら不思議ではない。
「バルちゃんはあたしを壊れてるって言ってたけど……今も当時も昔も、壊れてなんていないのよね」
再び景色が変わる。
「壊れたのは寧ろ、この子」
変わらず冷淡な瞳で、スティレットは記憶のまだ幼さが残るカラドボルグの泣き顔を眺めていた。