「意味はあるのか?」
決して広くはなく、窓もなければ灯りも薄い詰め所で、そう問いかけてくる男がいた。
「出来るだけ標的は殺さない。殺す場合は罪のない人間を殺している相手に限定。その制約に何の意味があるんだ?」
重ねて問うその男は、不満を口にしている訳ではなかった。
ただ、純粋に疑問に感じていたらしい。
「一人殺すも二人殺すも同じ。一度汚れた手は二度と洗い流せない。なんて……そんな甘えを許さない為だよ」
だから素直に答える。
自分の立場を、そして現在預かっている特殊部隊の立場を踏まえて。
「暗殺業を含んだ仕事だろうと、規律と節度は作らないとね。でなきゃ、それこそただの殺し屋だ」
「その拘りを理解しようとする者など、まずいないだろう」
「良いんだよ。それで」
フェイル=ノートは微笑みながらそう答える。
かつての宿敵、そして現在の仲間であり部下でもある男――――トライデント=レキュールに対して。
「しかし、考えたものだな。デュランダル様が準備していた特殊部隊を次期国王に引き継がせれば、元国王の暗殺は現国王、デュランダル様、そして実行部隊と責任が分散する。保守派の残党が調査しようとしても、王と没した英雄を相手に行うのは無謀だし、実行部隊は特殊部隊である事そのものが隠れ蓑となる」
そして、常に追われる身となるフェイルにも居場所が出来る。人前に姿を晒さない事が前提の職業は、今のフェイルにとっては天職でしかない。
「一生日陰者……ではあるが、王権の庇護下にある以上、身内に危険が及ぶ心配はない。その分、お前は人質に等しい立場なのだろうが」
「そんな不自由さは感じた事ないよ。家庭菜園の為の庭も貰ってるしね」
「未練はないのか? 陽の当たる場所に」
22歳にして王宮騎士団【銀朱】分隊長に上り詰め、そこから転落人生を歩んだトライデントだからこそ、実感を込めて言える言葉。
決して軽くはないその問いに、フェイルはそれでもすんなりと首肯した。
「僕の夢は叶わない事に定評があるからね。あの店も、元々アニスを助けたくて始めただけだから、悔いはないよ」
再開の目処など立てようのない薬草店【ノート】は、フェイルがヴァレロン新市街地を去った前日に閉店した。
事前の告知はなく、当然閉店セールのようなものも一切行っていない。
即効性の高い痛み止め『ナタル』については、ヴァレロン・サントラル医院に権利を譲渡する形に契約を変更し、現在はエチェベリア全土の医療機関にて普及している。
もし店を続けていれば、今や麻酔薬として多くの処置に使用されているナタルを生み出した薬草店として、大手の仲間入りを果たしていたかもしれない。
ただ、ナタルという名は現在使われていない。
ヴァレロン・サントラル医院で更なる改良を進め、やや性質を変えた違う名前の薬に生まれ変わり、普及を果たした。
夢は叶わない。
ノートを大きな店にするという、決して第一目標ではなかったものの密かに抱いていた野望も、結局実現はしなかった。
「大多数の人間にとっては、当たり前の事だ。夢を叶えられる人間はごく一部に過ぎない」
「だよね」
勇者候補リオグランテも、志半ばで散った。
剣聖ガラディーンも、そして元国王のヴァジーハ8世でさえも、自分がこうしたいと願う全てを叶えられた訳ではない。
そして、デュランダルも――――
「自分はこう思う」
「何が?」
「デュランダル様が、貴様に後始末を任せようとしたのは、あの方が最後に自身の手で元国王を討ち滅ぼそうとしていたのではないかと」
ヴァジーハ8世は永遠の地位を得る為、その邪魔となる人間全てをこの世から葬ろうとした。
息子ですら例外ではなかった。
だが、彼は国を滅ぼそうとしていた訳ではない。
寧ろ、自分が永遠に国を治めようとしていた。
人の道には背いていても、国家には背いていない。
そんな人間を、誰が葬り去れるのか。
国家を私物化しようと、自分の願望だけに浸ろうと、国家と国民の敵とは言えない彼を討ち滅ぼすには、どうしても動機が足りない。
つまり、正統なクーデターにはなり得ない。
とはいえ、見境なく国民を、身内さえも殺し続ける独裁者をそのままにしておく訳にはいかない――――デュランダルがそう考えていたとしても、何も不思議ではない。
騎士として彼が忠誠を誓うのは王ではなく、正しい王なのだから。
「国王殺しの汚名を背負ってでも怠惰の王を滅ぼし、この国を正常化させようとしていたのではないか。お前に特殊部隊を率いさせようとしたのは、お前に国王殺しの汚れた英雄を討たせる為だったんじゃないか」
「……考え過ぎだよ。もしそうなら、僕に黙っている理由がない」
事実、フェイルは一度断っている。断られたら計画は全て瓦解する。真意を隠しておく意味もない。
「そうか。唯一の弟子であるお前が言うのなら、間違いないんだろう」
トライデントも、その立場を願った大多数の一人。
大勢の嫉妬と奇異の目を集め続け、フェイルは王宮での日々を過ごした。
「……僕は、弟子なんかじゃなかったんだろうな」
「何?」
「確かに僕はあの人を師匠と呼んでいたし、指導もして貰った。でも、あの人にとって僕は最後まで弟子じゃなかった気がする」
遠い目をしてそう語るフェイルを、トライデントは責めるような目で睨む。
彼にとっては到底、受け入れられる話ではない。
「デュランダル様は否定していなかった。それが唯一の答えだろう? 違うというのなら、お前は一体あの方の何だったんだ?」
問われ、改めてフェイルは考える。
王宮で共に過ごした時間。
そして――――ヴァレロン・サントラル医院旧館での戦闘。
「遊び相手、かな」
「……そのような世迷い言、到底受け入れられないな」
「冗談や戯言じゃないよ。多分、それが一番真実に近い」
デュランダルは、誰よりも強くあろうとした。
それは例えばガラディーンのように、強さを己の存在意義と位置付けていたからではない。
エチェベリアを守護神となる為だ。
だから彼は決して負けられなかった。
戦争にも、剣聖にも。
彼の敗北は、冠なき国家を道標なき漂流国家にしてしまうからだ。
そんなとてつもない責任を背負ったデュランダルに、弟子を取る余裕などなかった。
けれど、彼とて人間。
どれだけ人間離れした強さを持っていようが、決して神ではない。
「あの人だって、気を張らない相手が一人くらいは欲しかった筈だよ。僕は打って付けだったんだ。何のしがらみもなく王宮にノコノコやって来た若造だし、剣士でもないから」
だから、最後に一戦交えた。
楽しみたかった。
責任を背負っての戦闘ではない、純粋な戦いを出来ると信じて。
「だとしたら……お前は果報者だな」
「え?」
「そういうのを、一般的には『友人』と言うんだ」
デュランダル=カレイラ生涯唯一の友。
それは名誉とも違う、余りにも特殊で他に並びようのない響きだと、トライデントは仏頂面で訴えた。
「……」
フェイルは言葉で返答はせず、ただ黙って口元を緩めた。
思いがけない、贈り物だった。
夢は叶わずとも、夢以上のものを叶えたような、そんな気がした。
「隊長。次の任務が決まったようです」
フェイルの元に、伝達係を請け負う部下から指令の内容が届く。
特殊部隊と言えば聞こえは良いが、要は国家究極の雑用係。
表沙汰に出来ない種類の国防の為なら、何処にでも赴くしどんな事でもする。
「……残党狩り?」
例え、どんな事でも。